アルビン・トフラーの「富の未来」で、重要な概念の一つは、生産消費者の経済である。
GNPやGDPで代表される国民所得概念に含まれない外部の経済なのだが、アングラ経済とかヤミ経済と言ったものではないし、最近、公害等不経済を勘案した幸せ指数を考慮した経済概念とも違う。
簡単に言えば、国民所得統計には集計されないが、一般消費者がその生活や営みを通じて生み出すその他の富を、生産消費者の経済的貢献と見るのである。
「生産消費者」とは、販売や交換の為ではなく、自分で使う為か自分の満足を得る為に、財やサービスを作り出す人を言うのであり、早い話が、家庭の主婦の働きやサービスを考えると一番分かりやすい。
主婦は、家政を通じて子育てや、食事の支度、病人の世話等を行っているが、同じ仕事を、学校、レストラン、病院が行えば、金銭が伴い経済活動になるが、主婦の場合の働きは、国民所得統計には勘定に入らないし、経済活動としては完全に無視されている。
しかし、トフラーの概念では、これは、立派な生産消費者としての富の創出であり、同じ価値のある立派な生産でありサービスなのである。
この巨大な「隠れた経済」、すなわち、非金銭の生産消費者経済を考慮に入れなければ、経済の実態のみならず、富の未来を理解できない。
実際的にも、家計は市場の制度と変らないほど国民経済に貢献しており、物質的な生活水準は、この家庭の寄与がなければ半減する。
生産消費を無視した「極度偏向生産統計」を基に、エコノミストは経済予測を行うので、何時もいい加減な予測をして殆ど間違うのだ、と言うのである。
トフラーは、真っ先に健康の生産消費者に言及し、医学知識の普及や医療設備の拡充、医療機器の充実等によって患者が自分自身で手当てや治療を行うなど、最早、患者はタダの消費者ではなく生産消費者として医療サービスの肩代わりを始めていると言う。
この論理に従えば、医療関係者と同じように、一般人、すなわち、医療生産消費者の能力を高める為に医療に対する知識を学校で教育訓練すれば、、全般的に医療費を節減できるであろう。
銀行のATMなどは、有給の従業員の仕事を、この生産消費者を上手く使って自分で仕事をさせて、業務を「外部化」して経費節減している。お好み焼屋「道頓堀」は料理の総てを客にやらせている、と芸の細かい指摘までする。
スーパーマーケットのセルフ・レジ、アマゾン・コムetc. 厚顔無恥の最たるものは税務当局で、複雑な簿記や計算の総ての責任を納税者に負わせて、納税者を無給で奉仕させていると言うのである。
余談だが、このトフラーの言う生産消費者を無給で活用して労働を外部化する業務の合理化策は、案外企業にとって有効な経営戦術である。
また、主婦の仕事や料理が商売に発展することもあり、生産と生産消費は、時にはインターチェンジャブルであり、線を引くのは間違いかも知れない。
生産消費者の最たるものは、やはり、ボランティア活動であろう。
これに、NPO、NGOなどが絡んでくると、生産と生産消費の境界が分かりにくくなってくる。
他に、トフラーは、電子商取引、DIY,リナックス、ナップスター、等をあげて生産消費者の経済を展開しているが、IT革命の影響は大きい。
私自身、デジカメ以降、写真の加工は一切自分でやっているが、これも、典型的な生産消費であろう。
経済的には、有給の仕事と無給の仕事、金銭経済と非金銭経済等々色々区分けされている。
しかし、国民経済統計に参入される生産者が生み出す財とサービス、そして、トフラーの言う計算に入らない生産消費者の生み出す財とサービスの夫々の価値の区別は、あくまで定義上の虚構であって、同等の価値を生み出していながら全く違う扱いをされている。
目に見える経済と目に見えない経済と言う二つの経済の全体を合わせて見ないと、「富を生み出す体制」が見えて来ない、とトフラーは言うのである。
何十年も前に、サミュエルソンが「エコノミックス」に、前述した家庭の主婦の働きについて、国民所得統計の扱いの差について書き問題点を指摘しいたのを、良く覚えている。
先日経済討論会の感想ブログでも書いたが、需要サイドのみから表の金銭経済のみを扱った国民所得統計を基に経済論議をすることには、非常に無理があり、時には大きく経済政策を誤ることがある。
トフラーの指摘は極めて貴重で、その理論をアマルティア・センも進めているようなので、積読のセンの本を取り出して少し勉強しようと思っている。
GNPやGDPで代表される国民所得概念に含まれない外部の経済なのだが、アングラ経済とかヤミ経済と言ったものではないし、最近、公害等不経済を勘案した幸せ指数を考慮した経済概念とも違う。
簡単に言えば、国民所得統計には集計されないが、一般消費者がその生活や営みを通じて生み出すその他の富を、生産消費者の経済的貢献と見るのである。
「生産消費者」とは、販売や交換の為ではなく、自分で使う為か自分の満足を得る為に、財やサービスを作り出す人を言うのであり、早い話が、家庭の主婦の働きやサービスを考えると一番分かりやすい。
主婦は、家政を通じて子育てや、食事の支度、病人の世話等を行っているが、同じ仕事を、学校、レストラン、病院が行えば、金銭が伴い経済活動になるが、主婦の場合の働きは、国民所得統計には勘定に入らないし、経済活動としては完全に無視されている。
しかし、トフラーの概念では、これは、立派な生産消費者としての富の創出であり、同じ価値のある立派な生産でありサービスなのである。
この巨大な「隠れた経済」、すなわち、非金銭の生産消費者経済を考慮に入れなければ、経済の実態のみならず、富の未来を理解できない。
実際的にも、家計は市場の制度と変らないほど国民経済に貢献しており、物質的な生活水準は、この家庭の寄与がなければ半減する。
生産消費を無視した「極度偏向生産統計」を基に、エコノミストは経済予測を行うので、何時もいい加減な予測をして殆ど間違うのだ、と言うのである。
トフラーは、真っ先に健康の生産消費者に言及し、医学知識の普及や医療設備の拡充、医療機器の充実等によって患者が自分自身で手当てや治療を行うなど、最早、患者はタダの消費者ではなく生産消費者として医療サービスの肩代わりを始めていると言う。
この論理に従えば、医療関係者と同じように、一般人、すなわち、医療生産消費者の能力を高める為に医療に対する知識を学校で教育訓練すれば、、全般的に医療費を節減できるであろう。
銀行のATMなどは、有給の従業員の仕事を、この生産消費者を上手く使って自分で仕事をさせて、業務を「外部化」して経費節減している。お好み焼屋「道頓堀」は料理の総てを客にやらせている、と芸の細かい指摘までする。
スーパーマーケットのセルフ・レジ、アマゾン・コムetc. 厚顔無恥の最たるものは税務当局で、複雑な簿記や計算の総ての責任を納税者に負わせて、納税者を無給で奉仕させていると言うのである。
余談だが、このトフラーの言う生産消費者を無給で活用して労働を外部化する業務の合理化策は、案外企業にとって有効な経営戦術である。
また、主婦の仕事や料理が商売に発展することもあり、生産と生産消費は、時にはインターチェンジャブルであり、線を引くのは間違いかも知れない。
生産消費者の最たるものは、やはり、ボランティア活動であろう。
これに、NPO、NGOなどが絡んでくると、生産と生産消費の境界が分かりにくくなってくる。
他に、トフラーは、電子商取引、DIY,リナックス、ナップスター、等をあげて生産消費者の経済を展開しているが、IT革命の影響は大きい。
私自身、デジカメ以降、写真の加工は一切自分でやっているが、これも、典型的な生産消費であろう。
経済的には、有給の仕事と無給の仕事、金銭経済と非金銭経済等々色々区分けされている。
しかし、国民経済統計に参入される生産者が生み出す財とサービス、そして、トフラーの言う計算に入らない生産消費者の生み出す財とサービスの夫々の価値の区別は、あくまで定義上の虚構であって、同等の価値を生み出していながら全く違う扱いをされている。
目に見える経済と目に見えない経済と言う二つの経済の全体を合わせて見ないと、「富を生み出す体制」が見えて来ない、とトフラーは言うのである。
何十年も前に、サミュエルソンが「エコノミックス」に、前述した家庭の主婦の働きについて、国民所得統計の扱いの差について書き問題点を指摘しいたのを、良く覚えている。
先日経済討論会の感想ブログでも書いたが、需要サイドのみから表の金銭経済のみを扱った国民所得統計を基に経済論議をすることには、非常に無理があり、時には大きく経済政策を誤ることがある。
トフラーの指摘は極めて貴重で、その理論をアマルティア・センも進めているようなので、積読のセンの本を取り出して少し勉強しようと思っている。