熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

METの「ワルキューレ」・・・ドミンゴの白鳥の歌

2006年06月23日 | クラシック音楽・オペラ
   メトロポリタン歌劇場の日本公演「ワルキューレ」の最終公演を21日NHKホールで観た。
   凄いワーグナーのオペラで、一昨年秋に、METで、この時は、ギルギエフ指揮だったが、同じプラシド・ドミンゴのジークムントを観たが、今回の公演の感激はそれ以上で、私は、ドミンゴが、日本の聴衆に向かって最後の本格的な公演を意図して、白鳥の歌を歌っているのだと思って胸を熱くして聴いていた。
   METのデータベースを見ても、ジークムントと言えば必ずドミンゴで、昨年機会をミスったがロイヤルオペラもドミンゴの「ワルキューレ」で沸いていたし、とにかく、ドミンゴなしの「ワルキューレ」は考えられないほど定着しているが、もう、指揮することはあっても、日本で本格的なドミンゴのオペラの舞台は観られないかも知れないと思うと感慨深い。

   今回の公演を観る前に、METの「ワルキューレ」を予習する意味で、1989年の舞台をジェームス・レヴァイン指揮のビデオで見た。
   一番最初に、バイロイト・オペラの日本公演の時、カール・ベーム指揮の「トリスタンとイゾルデ」のレコードを何回も聴いて観たのを思い出すが、その後、公演前にレコードやビデオ等で準備することはなくなったのだが、同じオットー・シェンクの演出なので、ギルギエフの舞台を思い出しながら楽しんだ。
   ビデオの方のジークムントは、私の聴いたことのないゲーリー・レイクスだったが、ジークリンデがJ.ノーマン、フンディングがK.モル、ブリュンヒルデがH.ベーレンス、フリッカがC.ルードウィッヒ、それにウォータンは今回と同じJ.モリスで、夫々何度か舞台で聴いているので懐かしかった。
   私の観た他の「ワルキューレ」は、ベルナルド・ハイティンク指揮のロイヤル・オペラで、ギネス・ジョーンズやルネ・コロが元気な頃であった。
   今回観られなかったが、ダニエル・ボレンボイムが振ったバイロイトの素晴らしいリングのビデオがある。ハイティンクもバレンボイムもユダヤ人指揮者、ヒットラーが好き好んだワーグナーを素晴らしく演奏するが、今昔の感がある。

   ドミンゴが始めてジークムントを歌ったのは1992年で、その前にワーグナーでは「イタリア風の役であるローエングリンやパルジファルを歌っていて、声を痛めることなくワーグナーに慣れてきた」と言う。
   ジークムントを歌うワーグナー歌手は、ジークフリートやタンフォイザー、トリスタンを歌って声を酷使するが、自分は幸いにヘルデンテノールではなかったのでそのようなことはなく、そのかわり、ワーグナーの歌にリリシズムを持ち込んだ。
   吼えるような歌い方ではなく、とびっきりのリリックな響きで歌ってワーグナー・ファンを魅了する。
   今回の「ワルキューレ」第一幕のジークムントの「冬の嵐は過ぎ去り」、ジークリンデの「あなたこそは春」のあの愛の二重奏は、涙が溢れ出るほど美しく、正に、このオペラの頂点である。
   ワーグナーが,一面では、素晴らしい愛の賛歌をオペラの随所に鏤めている事が分かる。
   初めて観て聴いたのが、バイロイトの日本公演「トリスタンとイゾルデ」で、あの時の、ビルギット・ニルソンとウイントガッセンの永遠に続くかと思わせるあの壮大な愛の二重唱が今でも耳に残っているが、あの感動である。

   第二幕で、疲弊しきって辿り着いた岩山で、ブリュンヒルデに死の予告を受け、くたびれたこの女のどこが良いのか英雄の里ワルハラへ行こうと諭されても、ジークリンデへの愛を切々と訴えるドミンゴの胸を打つ最後の歌など実に感動的である。
   私は、ドミンゴは、何時も、その役の人物になりきって、魂を籠めて感動しながら心で歌っていると思って聴いている。
   最後に、思い憧れ続けて来た自分の父親ウォータンの胸に抱かれて死ぬが、その時自分を死に追いやったのはこの父親である事を悟る。
   ドミンゴは、これほど悲しいことはなく泣かずには居られない、しかし、泣いては歌えないのだが幸いに歌がない、と言っている最後の場面を双眼鏡でじっと見ていたが、ウォータンのジャームス・モリスを虚ろな目で見上げるドミンゴの表情が実に悲しい。

   ジークムントは、英雄ジークフリートの父としての役割を果たすためだけに創られた。ワーグナーは、もっと、彼の話を続けて欲しかったと言うドミンゴだが、一幕は1時間以上の長丁場で嫌と言うほど歌が多くて集中力を持続するのが難しいと言う。
   先のMETでの時もそうだが、猫背気味で登場する最初の出やカーテンコールで出てきたドミンゴを観て、随分、老けたなあと思った。
   私の観たのはロンドンで、15年以上も前の、オテロやトスカ、サムソンとデリラのロイヤル・オペラの舞台で、最盛期のドミンゴは光り輝いていた。
   今回も、全身全霊を傾けて、東京のファンの為に、最高の舞台を見せたのであろう、花束を受け取った時には、本当に憔悴しきっていたが、しかし、どこか、満足そうな穏やかな表情で舞台を去って行った。

   ジークリンデを歌ったデボラ・ヴォイトだが、実に豊かで素晴らしい歌声でドミンゴと互角に、そして、素晴らしい二人の舞台を創り出していた。
   声質は一寸違うが、ビルギット・ニルソンの舞台を思い出した。
   この回だけ指揮したサー・アンドリュー・デイヴィスだが、ロンドンでは結構彼の舞台には接しているのだが記憶は薄く、どちらかと言えば地味で目立たない存在だが、この日は、縦横無尽にMETオーケストラを歌わせていて素晴らしいワーグナーの世界を作り出していた。

   素晴らしい「ワルキューレ」、他の感想については稿を改めたい。
   

   

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする