先日、歌舞伎座の改築についてイギリスの劇場について書いたので、今度は、少し私の見たオペラハウスについて思い出などを記してみたい。
その多くは随分昔の話なのであるが、ゴムブームで沸いてカルーソをも招いたというマナウスの黄金張りのオペラハウスも外観だけだが見ている。
ブラジルで、実際に何度もオペラを見たのは、サンパウロのムニシパル劇場であるが、これは完全なヨーロッパ型の古い劇場であった。
南米では、なんと言ってもブエノスアイレスのテアトロ・コロンで、ここで、シュトラウスの「アラベラ」などを観たが、古風な立派な劇場であった。ここで、チェリストだったトスカニーニがクライバーの代役で指揮台に立って指揮デビューした。
同じくこの街で、オナシスも大富豪への道を歩き始めたのだが、ヨーロッパの香り豊かな素晴らしい大都会である。昔の古い貧しいイタリア移民達の港町ボカには、極彩色の壁の小道があってここでタンゴが生まれた。
私は、廃船を舞台にしたような廃墟のようなセッティングのビエフォ・アルマセンで、むせび泣くようなバンドネオンの調べに合わせて激しくステップを踏むダンサー達を、そして、豪華なナイトクラブ・ミケランジェロで、華麗なアルゼンチン・タンゴを聞いたが、あの時Nikon F2で撮って増感現像した写真がどこかに残っていると筈である。
アメリカでは、ニューヨークのメトロポリタン劇場とシティオペラ。
それに、フィラデルフィアでは当時一つしかなかったのだが、ミラノスカラ座を小さくしたような美しいアカデミィ・オブ・ミュージックで、ここは、フィラデルフィア管の本拠地で、2年間の留学中に通い詰めた。
マリア・カラスとジュゼッペ・ステファノ、テバルディとF・コレルリ、F.ディスカウ、パバロッティ、J.サザーランド等を聞いたのだが、若かったので、楽屋を訪ねてオーマンディに話を聞きに行った。
METは、私にとっては正にオペラの楽しみを教えてくれた劇場であった。
ニューヨーク中心街でも北で、もう少し北に行くとハーレムだが、METが正面にあるリンカーンセンターには、他にシティオペラとニューヨーク・フィルのA.フィッシャー・ホールがあり、その裏にジュリアード音楽院がある。
この口絵の写真が、グランド・ティア席から撮ったもので、非常に大きな劇場であり、一度見学に行ったが最後部から見ると舞台が途轍もなく遠い。
大通りからMETに向かうと、左右の赤と青を基調とした華麗なシャガールの壁画が電光に映えて美しい。
その壁画の下あたりにドリンク・カウンターがあるが、豪華なシャンデリアの下を真ん中の広い赤い絨毯の階段を上って行くと中間のロビーに出て、扉の向こうが客席ホールに繋がっている。
興味深いのは、地階のホールの壁面いっぱいに往年の大スター歌手のポートレートや舞台姿を描いた絵画が飾られていることである。
ワルター指揮でワーグナーを歌ったキルスティン・フラグスタートがあんなに美しく清楚であったのか等と思いながら絵を眺めてインターミッションを過ごすのも楽しい。
8年間の滞欧中には、いろいろな劇場を訪れた。
プラハ、ブダペスト、マドリード、バルセロナ、チューリッヒ、ベローナ、ハノーバー、ベルリン、ブラッセル・・・・
しかし、一番素晴らしいと思ったのはパリのオペラ座である。滞欧中に新しいバスチーユ劇場が出来たが行けなかった。
このパリのオペラ座は、「オペラ座の怪人」の舞台のようで、それほど古くないのだが、正面アプローチから音楽家の彫刻が置かれたエントランスホール、そして華麗な階段が客席に導く実に優雅で美しいメイン・ホール、とにかく、全体がリズム感豊かな芸術を構成していて実に美しい。
客席の天井には、一面にシャガールの幻想的な美しい絵が迎えてくれる。
新装成ったミラノ・スカラ座も素晴らしい。ここで始めて観たのはアバード指揮で「アルジェのイタリア女」。この劇場については、ミラノ・ロンドン旅で書いたので割愛する。
私が、やはり、一番通った劇場は、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで、何年間か、シーズンメンバー・チケットを持っていたので、一階平土間席後方左よりの同じ席からずっと見ていた。
8年間の滞欧中と出張や個人旅行の時も訪れているので相当な回数になるが、見たオペラの大半は、この劇場であったかも知れない。
私の滞欧は改修前で、美しい劇場ではあったが、空調設備が悪くてクーラーがなかった為に、夏の暑い時には堪らなかった。
正面のファサードは白亜で彫刻も素晴らしいのであるが、とにかくパブリック部分は狭くて貧弱で、特にロビーホールなどは狭くて開演前の雑踏は大変なものであった。
エントランスを入って、左側の階段を上って2階に上がるのだが、上のホールも窮屈そのもので、ドリンク・バーに中々近づけない。
休憩時には、2階ホールは俄かレストランに代わるのでアプローチし辛くなる。
1階のロービーから客席に入るまでに、サークル状にロビー空間があり、壁面にはポートレートや舞台写真、小さな模型などがディスプレィされていて本来なら良い雰囲気なのだが、時には、テーブルが並べられて食事が供される。
私も、ここで,マカロワのスワン・レイクの時に食事の接待を受けたことがあるが、食べるのも客でごった返す中なので食べた気がしなかった。
私が接待する時は、開演前にサボイ・ホテルでシアター・メニューを頂き、時間があれば終焉後にデザートのコーヒーと言うコースにしていた。
私が帰国してから、ロイヤル・オペラ・ハウスは、改築されて見違えるようになった。
それまで、補助金を出していたグレイター・ロンドン(東京都にあたる組織)をサッチャーが構造改革で潰してしまったので、資金に窮して、結局そこは博打好きの国で賭博であがった金で改築したとか。
今では、隣に同じほどの面積の新館が繋がって素晴らしい豊かなパブリック空間が出来た。立派なレストランは勿論、ファンクションルームやドリンク・コーナーや軽食コーナー、それに、ボックスオフイスが素晴らしくなった。
変われば変わるもので、歌舞伎座も素晴らしく変身してほしい。
イギリスでは、他に、イングリッシュ・ナショナル・オペラやグラインドボーンにも良く出かけて水準の高いオペラを楽しめた。
やはり、オペラを楽しむ為には外国に住まなければならないのかも知れない。
その多くは随分昔の話なのであるが、ゴムブームで沸いてカルーソをも招いたというマナウスの黄金張りのオペラハウスも外観だけだが見ている。
ブラジルで、実際に何度もオペラを見たのは、サンパウロのムニシパル劇場であるが、これは完全なヨーロッパ型の古い劇場であった。
南米では、なんと言ってもブエノスアイレスのテアトロ・コロンで、ここで、シュトラウスの「アラベラ」などを観たが、古風な立派な劇場であった。ここで、チェリストだったトスカニーニがクライバーの代役で指揮台に立って指揮デビューした。
同じくこの街で、オナシスも大富豪への道を歩き始めたのだが、ヨーロッパの香り豊かな素晴らしい大都会である。昔の古い貧しいイタリア移民達の港町ボカには、極彩色の壁の小道があってここでタンゴが生まれた。
私は、廃船を舞台にしたような廃墟のようなセッティングのビエフォ・アルマセンで、むせび泣くようなバンドネオンの調べに合わせて激しくステップを踏むダンサー達を、そして、豪華なナイトクラブ・ミケランジェロで、華麗なアルゼンチン・タンゴを聞いたが、あの時Nikon F2で撮って増感現像した写真がどこかに残っていると筈である。
アメリカでは、ニューヨークのメトロポリタン劇場とシティオペラ。
それに、フィラデルフィアでは当時一つしかなかったのだが、ミラノスカラ座を小さくしたような美しいアカデミィ・オブ・ミュージックで、ここは、フィラデルフィア管の本拠地で、2年間の留学中に通い詰めた。
マリア・カラスとジュゼッペ・ステファノ、テバルディとF・コレルリ、F.ディスカウ、パバロッティ、J.サザーランド等を聞いたのだが、若かったので、楽屋を訪ねてオーマンディに話を聞きに行った。
METは、私にとっては正にオペラの楽しみを教えてくれた劇場であった。
ニューヨーク中心街でも北で、もう少し北に行くとハーレムだが、METが正面にあるリンカーンセンターには、他にシティオペラとニューヨーク・フィルのA.フィッシャー・ホールがあり、その裏にジュリアード音楽院がある。
この口絵の写真が、グランド・ティア席から撮ったもので、非常に大きな劇場であり、一度見学に行ったが最後部から見ると舞台が途轍もなく遠い。
大通りからMETに向かうと、左右の赤と青を基調とした華麗なシャガールの壁画が電光に映えて美しい。
その壁画の下あたりにドリンク・カウンターがあるが、豪華なシャンデリアの下を真ん中の広い赤い絨毯の階段を上って行くと中間のロビーに出て、扉の向こうが客席ホールに繋がっている。
興味深いのは、地階のホールの壁面いっぱいに往年の大スター歌手のポートレートや舞台姿を描いた絵画が飾られていることである。
ワルター指揮でワーグナーを歌ったキルスティン・フラグスタートがあんなに美しく清楚であったのか等と思いながら絵を眺めてインターミッションを過ごすのも楽しい。
8年間の滞欧中には、いろいろな劇場を訪れた。
プラハ、ブダペスト、マドリード、バルセロナ、チューリッヒ、ベローナ、ハノーバー、ベルリン、ブラッセル・・・・
しかし、一番素晴らしいと思ったのはパリのオペラ座である。滞欧中に新しいバスチーユ劇場が出来たが行けなかった。
このパリのオペラ座は、「オペラ座の怪人」の舞台のようで、それほど古くないのだが、正面アプローチから音楽家の彫刻が置かれたエントランスホール、そして華麗な階段が客席に導く実に優雅で美しいメイン・ホール、とにかく、全体がリズム感豊かな芸術を構成していて実に美しい。
客席の天井には、一面にシャガールの幻想的な美しい絵が迎えてくれる。
新装成ったミラノ・スカラ座も素晴らしい。ここで始めて観たのはアバード指揮で「アルジェのイタリア女」。この劇場については、ミラノ・ロンドン旅で書いたので割愛する。
私が、やはり、一番通った劇場は、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで、何年間か、シーズンメンバー・チケットを持っていたので、一階平土間席後方左よりの同じ席からずっと見ていた。
8年間の滞欧中と出張や個人旅行の時も訪れているので相当な回数になるが、見たオペラの大半は、この劇場であったかも知れない。
私の滞欧は改修前で、美しい劇場ではあったが、空調設備が悪くてクーラーがなかった為に、夏の暑い時には堪らなかった。
正面のファサードは白亜で彫刻も素晴らしいのであるが、とにかくパブリック部分は狭くて貧弱で、特にロビーホールなどは狭くて開演前の雑踏は大変なものであった。
エントランスを入って、左側の階段を上って2階に上がるのだが、上のホールも窮屈そのもので、ドリンク・バーに中々近づけない。
休憩時には、2階ホールは俄かレストランに代わるのでアプローチし辛くなる。
1階のロービーから客席に入るまでに、サークル状にロビー空間があり、壁面にはポートレートや舞台写真、小さな模型などがディスプレィされていて本来なら良い雰囲気なのだが、時には、テーブルが並べられて食事が供される。
私も、ここで,マカロワのスワン・レイクの時に食事の接待を受けたことがあるが、食べるのも客でごった返す中なので食べた気がしなかった。
私が接待する時は、開演前にサボイ・ホテルでシアター・メニューを頂き、時間があれば終焉後にデザートのコーヒーと言うコースにしていた。
私が帰国してから、ロイヤル・オペラ・ハウスは、改築されて見違えるようになった。
それまで、補助金を出していたグレイター・ロンドン(東京都にあたる組織)をサッチャーが構造改革で潰してしまったので、資金に窮して、結局そこは博打好きの国で賭博であがった金で改築したとか。
今では、隣に同じほどの面積の新館が繋がって素晴らしい豊かなパブリック空間が出来た。立派なレストランは勿論、ファンクションルームやドリンク・コーナーや軽食コーナー、それに、ボックスオフイスが素晴らしくなった。
変われば変わるもので、歌舞伎座も素晴らしく変身してほしい。
イギリスでは、他に、イングリッシュ・ナショナル・オペラやグラインドボーンにも良く出かけて水準の高いオペラを楽しめた。
やはり、オペラを楽しむ為には外国に住まなければならないのかも知れない。