千葉県の北東部で霞ヶ浦に近い水郷の町佐原に良く行く。
伊能忠敬の故郷であるが、非常に落ち着いたシックな歴史的な雰囲気を漂わせた中々素晴らしい地方都市である。
菖蒲祭りの頃や本宿・新宿祭の頃には観光客で賑わうが、日頃は小江戸と言われる観光地にしては、静かである。
江戸時代には、利根川水運を利用して舟で着いた荷物が馬などに積み替えられて江戸に向かう交通の起点で栄えていたようであり、醸造業や商業も活発であったと言う。今も、地酒を作る醸造所が残っていて見せてくれる。
しかし、数年前に三菱銀行の支店が消えてレンガ造りの優雅な旧建物が博物館に変わり、香取との合併で佐原市の名称も消えてしまった。
これといって産業のない都心から離れた地方都市としての衰えは隠しようもない。
私の散策するのは、伊能忠敬の旧居や記念館のある小野川の畔の古い建物の残る歴史地区だけだが、中々雰囲気のあるところで、他の観光地の歴史保存地区のように観光一辺倒なところがなくて、そのまま昔の懐かしい風情を残していて気持ちが良い。
少し以前のことだが、側を通りかかった地元の老婦人に町並みの印象を語っていると、自分の古い歴史的な民家を見せるから来いと言って自宅を見せてくれた。
色々な工夫を施した昔の人々の知恵に感心しながら聞いていたが、階段下に設えられたタンスなど面白いと思った。家にいた息子夫婦が「また、おばあちゃん、いらないお節介をして」と言った感じで苦笑交じりに挨拶をしてくれたのが印象に残っている。
伊能忠敬の旧居は、手広い仕事をしていたわりには小規模だと言う気がしたが、やはり、あの程度の七つ道具で、日本全国を歩き通して日本地図を作成した忠敬の偉業には感嘆せざるを得なかった。
日本の為政者はその地図の値打ちを十分に理解していなかったが、流石にシーボルトは密かに持ち出そうと画策した。
時代劇で良く見る戦略会議でのお粗末な絵図面や建物の見取り図などを見ていると、日本の地図に対する認識の甘さと無知を感じて鎖国の弊害の大きさを認識せざるを得ない。
佐原散歩の時、昼の時間にかち合うと必ずお蕎麦の老舗小堀屋本店に行って「黒切蕎麦」を食べることにしている。
北海道の昆布を加工して蕎麦にしているので黒い色をしているのだが、これが美味いのである。
私は、元関西人なので蕎麦よりはうどんの方が好みで、特に蕎麦屋へ自分から入ることはないのだが、この殆ど明治大正の雰囲気をそのまま残したような店の雰囲気が好きなのと、この黒切蕎麦を食べたくてこの店に出かける。
この小堀屋は元々醤油屋で天明の大火の頃1782年に蕎麦屋に転業したと言うから、伊能忠敬は隣の町内の住人であったからこの店で蕎麦を食べていた可能性が高い。
尤も現在の建物は明治25年だと言うからこの同じ建物ではないが、とにかく間口2間少々の奥に長くてうなぎの寝床のような二階家だが、中々雰囲気のある良い建物である。
イス席が二つに座敷型テーブル席が五つのこじんまりした店なので、予約など取らないので、シーズンには殆ど入れないが、2~3軒離れた所に古い元千葉銀行の支店の建物を転用した小堀屋別館が併設されている。
この店の並びに、これも県有形文化財になっている正文堂書店があるが、佐原一素晴らしい建物ではないかと思っている。
ところで、伊能忠敬旧宅の対岸、記念館の向かいに忠敬の子孫の経営する喫茶店があり、店の主人が店に置いてある忠敬縁の品物などを見せてくれるが、ここも新築のこじんまりした店だが雰囲気があって小休止には良い。
私が家内とよく行くのは、これも古建築で風格のある建物で佐原近郷のみやげ物を集めた角地の中村屋に隣接した小さな中村屋酒店である。
何の目印もないしひっそりとしているので見過ごすかも知れないが、
佐原の地酒やみりん、酢、瀬戸内海の塩など日本古来の調味料などを扱っており、狭い、しかし中々雰囲気のある良い店内に所狭しと商品が並べられている。
佐原を訪れるお客さんが私たちと同じ様にファンになるのか、店内に何時も宅急便の発送品が積まれている。
農家の人が作って届けてくれるのだと言って店内には、色々な植物や木で編んだり作った中々趣向の混んだ面白い飾り付けがぶら下がっている。
少し前まで、おじいさんが奥の部屋の小高くなった番台風の帳場で前時代の墨書きの領収書を書いてくれていたが、佐原はそんな懐かしい街なのである。
ところで、伊能忠敬旧宅前から出ている水郷名物の舟なのだが、最近、残念ながら菅笠で手甲きゃはんの粋な衣装のおねえさんの手漕ぎで優雅に水面を渡っていた舟にエンジンが付いてしまった。
老齢化の所為だと言うが、全く情調ぶっ壊しのビジネス戦略で佐原の観光事業の先が思いやられる。
もうしばらくすると水郷の里は、花菖蒲で咲き乱れる。
佐原郊外には、水郷佐原水生植物園があって観光客で賑わうが、このブログで昨年書いたように、安物の祭囃子をがんがんスピーカーでがなりたてるなど俗化が激しすぎるので、私は行かないことにしており、近郊に結構沢山あるアヤメや菖蒲園を訪ねようと思っている。
(追記)写真の中央が、小堀屋本店。
伊能忠敬の故郷であるが、非常に落ち着いたシックな歴史的な雰囲気を漂わせた中々素晴らしい地方都市である。
菖蒲祭りの頃や本宿・新宿祭の頃には観光客で賑わうが、日頃は小江戸と言われる観光地にしては、静かである。
江戸時代には、利根川水運を利用して舟で着いた荷物が馬などに積み替えられて江戸に向かう交通の起点で栄えていたようであり、醸造業や商業も活発であったと言う。今も、地酒を作る醸造所が残っていて見せてくれる。
しかし、数年前に三菱銀行の支店が消えてレンガ造りの優雅な旧建物が博物館に変わり、香取との合併で佐原市の名称も消えてしまった。
これといって産業のない都心から離れた地方都市としての衰えは隠しようもない。
私の散策するのは、伊能忠敬の旧居や記念館のある小野川の畔の古い建物の残る歴史地区だけだが、中々雰囲気のあるところで、他の観光地の歴史保存地区のように観光一辺倒なところがなくて、そのまま昔の懐かしい風情を残していて気持ちが良い。
少し以前のことだが、側を通りかかった地元の老婦人に町並みの印象を語っていると、自分の古い歴史的な民家を見せるから来いと言って自宅を見せてくれた。
色々な工夫を施した昔の人々の知恵に感心しながら聞いていたが、階段下に設えられたタンスなど面白いと思った。家にいた息子夫婦が「また、おばあちゃん、いらないお節介をして」と言った感じで苦笑交じりに挨拶をしてくれたのが印象に残っている。
伊能忠敬の旧居は、手広い仕事をしていたわりには小規模だと言う気がしたが、やはり、あの程度の七つ道具で、日本全国を歩き通して日本地図を作成した忠敬の偉業には感嘆せざるを得なかった。
日本の為政者はその地図の値打ちを十分に理解していなかったが、流石にシーボルトは密かに持ち出そうと画策した。
時代劇で良く見る戦略会議でのお粗末な絵図面や建物の見取り図などを見ていると、日本の地図に対する認識の甘さと無知を感じて鎖国の弊害の大きさを認識せざるを得ない。
佐原散歩の時、昼の時間にかち合うと必ずお蕎麦の老舗小堀屋本店に行って「黒切蕎麦」を食べることにしている。
北海道の昆布を加工して蕎麦にしているので黒い色をしているのだが、これが美味いのである。
私は、元関西人なので蕎麦よりはうどんの方が好みで、特に蕎麦屋へ自分から入ることはないのだが、この殆ど明治大正の雰囲気をそのまま残したような店の雰囲気が好きなのと、この黒切蕎麦を食べたくてこの店に出かける。
この小堀屋は元々醤油屋で天明の大火の頃1782年に蕎麦屋に転業したと言うから、伊能忠敬は隣の町内の住人であったからこの店で蕎麦を食べていた可能性が高い。
尤も現在の建物は明治25年だと言うからこの同じ建物ではないが、とにかく間口2間少々の奥に長くてうなぎの寝床のような二階家だが、中々雰囲気のある良い建物である。
イス席が二つに座敷型テーブル席が五つのこじんまりした店なので、予約など取らないので、シーズンには殆ど入れないが、2~3軒離れた所に古い元千葉銀行の支店の建物を転用した小堀屋別館が併設されている。
この店の並びに、これも県有形文化財になっている正文堂書店があるが、佐原一素晴らしい建物ではないかと思っている。
ところで、伊能忠敬旧宅の対岸、記念館の向かいに忠敬の子孫の経営する喫茶店があり、店の主人が店に置いてある忠敬縁の品物などを見せてくれるが、ここも新築のこじんまりした店だが雰囲気があって小休止には良い。
私が家内とよく行くのは、これも古建築で風格のある建物で佐原近郷のみやげ物を集めた角地の中村屋に隣接した小さな中村屋酒店である。
何の目印もないしひっそりとしているので見過ごすかも知れないが、
佐原の地酒やみりん、酢、瀬戸内海の塩など日本古来の調味料などを扱っており、狭い、しかし中々雰囲気のある良い店内に所狭しと商品が並べられている。
佐原を訪れるお客さんが私たちと同じ様にファンになるのか、店内に何時も宅急便の発送品が積まれている。
農家の人が作って届けてくれるのだと言って店内には、色々な植物や木で編んだり作った中々趣向の混んだ面白い飾り付けがぶら下がっている。
少し前まで、おじいさんが奥の部屋の小高くなった番台風の帳場で前時代の墨書きの領収書を書いてくれていたが、佐原はそんな懐かしい街なのである。
ところで、伊能忠敬旧宅前から出ている水郷名物の舟なのだが、最近、残念ながら菅笠で手甲きゃはんの粋な衣装のおねえさんの手漕ぎで優雅に水面を渡っていた舟にエンジンが付いてしまった。
老齢化の所為だと言うが、全く情調ぶっ壊しのビジネス戦略で佐原の観光事業の先が思いやられる。
もうしばらくすると水郷の里は、花菖蒲で咲き乱れる。
佐原郊外には、水郷佐原水生植物園があって観光客で賑わうが、このブログで昨年書いたように、安物の祭囃子をがんがんスピーカーでがなりたてるなど俗化が激しすぎるので、私は行かないことにしており、近郊に結構沢山あるアヤメや菖蒲園を訪ねようと思っている。
(追記)写真の中央が、小堀屋本店。