熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

十二月大歌舞伎・・・玉三郎の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

2007年12月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   杉村春子の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」が、大変な人気舞台だったようだが、残念ながら私は観ていない。第一、杉村春子の舞台そのものを一度も見たことがないのだから偉そうなことは言えないが、今回、初めて歌舞伎座で歌舞伎の舞台として演じられたようだが、非常に面白く楽しませてもらったので、十分満足している。

   この歌舞伎の舞台は、文久元年11月横浜。西暦では1861年で、アメリカの南北戦争が始まった年でリンカーン大統領の時代であり、丁度この頃イタリアが統一した。
   明治元年が1868年だから、幕末も最末期で、欧米人が虎視眈々と日本を狙っていた時で、尊王攘夷と開国論が錯綜し、日本中が風雲急を告げていた。

   外国船が出入りする横浜の岩亀楼と言う遊郭の芸者亀遊(七之助)が、外人客イルウス(彌十郎)に見初められるのだが、それを嫌って自害すると、尊王攘夷ビイキの日本人達に列女に祭り上げられ、岩亀楼は大繁盛となる。亀遊に優しく何くれと世話を焼いていた芸者お園(玉三郎)が、岩亀楼主人(勘三郎)に煽られて、客達に亀遊の死際の話を語っているうちにとうとう講談師のようになってしまう。あることないことを語っていて、亀遊の辞世の歌を、数年前に亡くなった思誠塾の師に吉原で教えられたと調子に乗って歌ったばっかりに切りつけられて九死に一生を得る。
   そんな話だが、幕末には、坂本竜馬や勝海舟、新撰組とか殺伐とした男が主人公の話が多いが、この物語は時代の波に翻弄されながらも健気に必死になって生きていた二人の女性の物語である。

   横浜の幕末時代の遊郭の様子が、遊女でも外人相手の唐人口と日本人相手の日本人口に分かれていた様子など、面白おかしく描写されていて楽しめる。
   特に、イルウスの相手を決めようと登場する唐人口の遊女として、吉弥、笑也、松也、新吾、芝のぶが、派手で奇天烈な着物を着て登場し愛嬌を振りまく様子など特筆物で、気に入られないので主人が最後に異人に人気のあるマリア(福助)を呼ぶのだが、これまた怪物のような立ち居振る舞いで、激しくモーションをかけるがイルウスは逃げ回る。福助にこんな芸が出来るのか、とにかく、凄い舞台である。

   ここに静かにしとやかに登場するのが、病気上がりの七之助の亀遊。
   イルウスが絶叫する。「オー、チャーミング! ビューティフル! I 've never seen such a beautiful girl in my life.」
   密かに恋人である通訳藤吉(獅童)が、ただでさえ、亀遊の登場に混乱しているのに、訳せ訳せとせっつかれ、感極まって大声で「夢幻のような美しさだ。こんな美しい女を世界中で見たことがない!」と叫ぶ。
   更に「私の女(マリア)と比べてみろ。こんなことは我慢できない。・・・金は持っています。今夜は私が払いますから、女を取り替えてください。」と苦し紛れに訳すと、亀遊は失神して倒れてしまう。
   その後、行燈部屋から亀遊が自害したと叫びが聞えてくる。悲劇と喜劇の始まりである。

   一幕の舞台が開くと真っ暗な行燈部屋に、病気の亀遊を見舞いにお園が入ってくるところで、雨戸を開けると光が差し込み亀遊が布団から身を起こす。
   玉三郎の舞台で最初に亀遊を演じたのは伯母の波乃九里子だったようで、七之助はその衣装で臨んだと言う。父勘三郎からその素晴らしさを聞いていたので、十分に伯母の教えを請い薫陶を受けたのであろう。七之助の薄倖の遊女亀遊の何といじらしく天使のような美しさは何処から来るのであろうか、あまりにも切なく胸を締め付けるような素晴らしい七之助の演技に脱帽である。

   先輩お園との吉原での昔話の語らい、そして、思慕する藤吉との行き場のない一瞬の逢瀬。蘭学を学んでいる藤吉は金を溜めてアメリカに遊学する夢を持っており、亀遊は、唐人口で異人相手の遊女になれば金を稼げるが異人を相手にしたくないので藤吉の役に立てないと詫び入る。実のあるところを藤吉に見せるために実の名千代を明かして呼んでくれと言って感極まって抱き合う二人。
   七之助の素晴らしさと同時に、獅童の実にストレートで実直一本気の若々しい舞台が、これまた実に清々しくて感動ものである。

   後先になったが、この舞台の主役は当然お園だが、作者有吉佐和子が、歌舞伎を意図して書いたということのようだが、玉三郎あっての歌舞伎の舞台であろう。
   藤山直美のお園を演出した玉三郎が、直美のことを「笑わせることも勿論だが、女の切なさも表現することだ出来る役者だ」と言っていたが、「女の切なさを表現することも勿論だが、笑わせることも出来る役者」だと言うのも玉三郎の一面で、とにかく、お客さんは最初から最後まで玉三郎の台詞に笑いで応えていた。
   頭の回転が速くユーモアセンスと機知に富んだ玉三郎のシャレコウベがフル回転した台詞回しが、この歌舞伎をいやが上にも盛り上げており、非常に悲しく切ない物語だが、それをオブラートにくるんだようなソフトタッチにしているのが素晴らしい。
   一幕目は落ちぶれて横浜に落ちてきた元吉原芸者だが、亀遊を良く知っていたばっかりに、客人に亀遊の自害の顛末を語っている間に、段々増幅して有名講談師風に育って行く玉三郎の芸の変化が非常に興味深く、また、体全体で、当時の文明開化の横浜に生きた芯の通った女丈夫を演じていた骨太の舞台が素晴らしい。

   勘三郎の遊郭の主人は、商売上手で抜け目のないしたたかさが中々良く、泳ぐような軽妙なタッチがコミカルな域を超えて正に地を行っているような楽しい舞台であった。
   特に、玉三郎との掛け合いの絶妙さなど見事と言うほかない。
   彌十郎の変な外人イルウスは、中々、堂に入った素晴らしい演技で、日頃のちょん髷姿では想像もつかない役者振りであり、正直な所ビックリしながら見ていた。芸達者である。

   ところで、この舞台の背景には幕末、それも、勤皇と佐幕と言う激動の時代を背負っているが、登場する武士たちは物語の妻として利用されている。
   三津五郎や橋之助、海老蔵など名優が一寸出で登場しており贅沢な舞台である。
   それは、女役でも言えて、笑也や笑三郎などもそうであろう。  
   

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする