熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ビル・エモットの論点・・・イラクへの派兵と長崎の原爆

2007年12月23日 | 政治・経済・社会
   エコノミストの前編集長で日本経済に非常にユニークな論調を展開してきたビル・エモットの新書「これから10年、新黄金時代の日本」を、積読だったので読んでみた。
   その中の日本に対する論調の中で、2点だけ付箋をつけた。
   一つは、小泉内閣当時にイラクへ自衛隊を派遣したことを、これは日本政府が、世界問題について、当たり前の役割を果たす、その新たな積極性を示す重要なシンボルとなったと高く評価していることである。
   もう一つは、広島への原爆投下は米国の言い分を認めたとしても、その投下が衝撃的な出来事であればこそ、その及ぼした影響を見て日本政府に考え方を変えさせるために猶予を与えるべきで、二度目の長崎への原爆投下は倫理的にも問題とすべきだと言うのである。
   
   まず最初の論点だが、最近では、当たり前の話題になってしまったが、日本では憲法第九条の戦争放棄が人類最高の美徳であるかのように考えられていて、長い間、この点を問題にして憲法改正を唱えることは、日本人の風上にも置けないと考えられてきたし、実質上タブーとして封印されてきたきらいがある。
   私自身は、まず、憲法解釈の問題よりも何よりも、どこの国も自衛権を持っていて、自分の国を自分自身で守れないような国は、国家ではないと思っている。
   したがって、何か国際問題がおきて国家が危機に瀕した時に、自分の国を自分で守るために自由に行動できないような制限のある憲法などどこか間違っているのであって、当然、自分自身で国家を守るための体制は備えておくべきだと思っている。

   一般的に言われているのは、悲しいけれど、これまで人類が辛酸を舐めてきた戦争の多くは、自衛のため、自国と自国民の尊厳を守るための戦争だという美名の下に行われてきたことは事実である。
   しかし、世界政府といった究極の法体制も整っておらず、ならず者国家が存在し、国際信義にもとるテロ行為が頻発するなど世界秩序が安定していないこの厳粛な世界において、果たして、自衛のための態勢なくして国際社会で名誉ある地位を築けるであろうか。
   自衛のための戦争と言う美名の下に戦争を行う危険があるから、一切の戦争を放棄するのだと言うのは、美徳のように聞えるが、そうではなく、自国民を自制心をなくしたその程度の国民であることを認めた極めて卑屈な、誇りも自尊心も放棄した悲しい考え方だと思う。

   まして、日本の場合には、日本人の殆どが、日米同盟によってアメリカに守って貰うののが当然だと思っており、それを疑問にも思っていないし、そのことが如何に屈辱的なことであるかを考えもしないし議論にもなったためしがない。
   核放棄を条件として世界を強請っている国と良く似ていると気付いていないのが脳天気である。
   アメリカには、同盟条約がなければ、日本を防衛する義務も、何の言われもないし、一度、某国が核攻撃を仕掛けてきた時には、アメリカ人自身は、自国の防衛に支障がなければ、東京や大阪の一つや二つ吹っ飛んでも何とも思わない筈である。

   世界の常識は、自分の国を守る態勢がなくて他国に防衛を頼っている国などある筈がないと言うことで、平和憲法を高く評価し自画自賛しているのは日本だけである。
   こんな国を、徹頭徹尾、見下してバカにしているのが国際世論であり、ビル・エモットのように、イラクへ平和部隊を派遣しただけで、やっと日本もまともな一人前の国になったのかと言われているのである。
   ヘンリー・キッシンジャーが、日本が、核兵器を保有し核武装の準備をしていないとするならばそれこそ驚きだと言っていた。核の平和利用が進み月衛星かぐやを打ち上げる国が、その気になれば、ロケットの先端に核弾頭をつければ良いだけだから、いとも簡単なのかも知れないが、そう言う事ではなく、世界に冠たる日本が、それなりの国防力を備えていなければ国家としての存続価値がないと言うことであろう。

   好い加減に、タブー意識を捨てて、日本の防衛のあるべき姿を正面から見据えて、日本の国際社会で世界市民としての名誉ある地位を追求すべきだと思う。
   私自身は、もとより武力に頼った国際問題の解決は避けるべきで、出来るだけ平和外交で処理すべく、日本のソフトパワーの涵養を国是とすべしと願っているが、
   何れにしろ、グローバリゼーションの進展や、地球温暖化など人類の緊急問題を解決するためにも、世界が結束して対処しないと解決しない問題が多く発生し、国のエゴにタガを嵌めざるを得なくなり、この点からの軍事問題に対する有効なカウンターベイリング・パワーが生まれてくるかも知れないという気がしている。

   第二点の長崎への原爆であるが、ビル・エモットは、一度、戦争が勃発すると、かねてから抱いていた倫理観や社会規範を忘れてしまい、それによって慎重さや調和に対する倫理規範が、中断され無視されるといいながらも、二度目の長崎への原爆投下は、全く必要のない人類として許されない非人間的行為だと糾弾している。
   私は、全く同感であるが、これまで、アメリカの友人たちに対して、機会あるごとに、広島も長崎の原爆も絶対に許せない、アメリカの罪は、ヒットラーやスターリンより遥かに悪辣な人類に対する最悪の罪であると言い続けてきた。
   
   余談だが、正しいと思うことを正々堂々と真正面から言うと欧米人は聞いてくれて、一目置いてくれるのを何度も経験している。
   日本人は、素晴らしい素質を持ちながら、沈黙は金といった文化で育っていて、シャイだと思われていると思っているが、欧米人、否、他のアジア人でも、自分の主張を持って発言しない人間は、馬鹿だと思っている。
   日本の外交を見ているとイライラするが、何も、恐れることはない、正々堂々と自論を展開すべきである。
   拠出金第二位の日本が、それなりの地位も発言権もない国連などは、屈辱の最たるものだが、六カ国協議での最低の地位と役割しかない日本の体たらくは、救い難いと言う他ない。
   
コメント
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