熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秋色深まる新宿御苑でのひと時

2010年11月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   もみじの紅葉には、まだ、一寸早くて、少し色づき始めた程度だが、新宿御苑は、恒例の菊花展が催されていて、秋の深まりを感じさせてくれて、天気の良い日などの散策にはもってこいである。
   同じ紅葉でも、今年は、私の近所でもそうだが、桜の葉が沢山残っていて、その葉が色づいていて、今、一番美しくて、赤く色づいた葉が、太陽の輝きを受けて、ちらちら散り行く風情は絵になる。
   私が学生時代に、秋を求めて歴史散歩に明け暮れていた頃の、奈良の、あの赤と茶色と橙色と黄色と緑の微妙に錯綜した鮮やかな桜葉や柿の葉の秋色には及びもつかないが、しかし、地面に敷き詰めた、赤みを帯びた褐色のかった暖色の絨毯は、実に、暖かくて気の遠くなるような秋の気配を濃厚に感じさせてくれて、堪らなくなるほど懐かしい。
   
   私が、新宿御苑を訪れるのは、いつも、午後の3時くらいで、閉館の4時半までの僅かな時間の滞在だが、この日は、やはり、随分日が短くなっていて、釣瓶落としのように夕日の傾きが早くて、十分に、御苑の木々が、夕日に染まったり輝く姿を楽しむ余裕がなかった。
   黄色に輝いた巨大な落葉樹と新宿の高層ビル群の稜線を真っ赤に染めて日が落ちると、急に、夜の気配が濃厚になって、イギリス庭園の広大な芝生の輝きが消えて、木々が、影絵に変わって行く。
   この日は、カラスの騒がしい鳴き声も、無粋なヘリコプターの爆音もなく、味気ない蛍の光の場内放送だけだが、もう、冬はそこまで来ているのである。
   
   もう一つ、紅葉が鮮やかなのは、フランス式整形庭園のプラタナスの並木道(この口絵写真)である。
   色は黄緑交じりの黄金色だが、褐色の斑が混じって、ここだけは、ヨーロッパの雰囲気を漂わせていて、懐かしい。
   葉は、赤ちゃんの顔くらいの大きさだが、踏みしめて歩くと、サクサク音がして、そのリズム感が良い。
   並木は明るい黄色だが、落ちた葉は褐色に変色するので、地面は濃い茶色の絨毯に変わっていて、そのコントラストが面白い。
   日本庭園で時間を過ごし過ぎたので、私が並木道に来た時には、日を浴びて光り輝いて、木漏れ日が美しかったのは、並木道のはずれで、それも一瞬だったが、何故か、弱くなった薄日の良く似合う木である。
   並木の間から、バラの花越しに遠くの新宿のビル群が顔を出す光景が展開されているのだが、無粋と言えば無粋、面白いと言えば面白いけれど、訪れる日によって気持ちが変わるのが不思議である。
   この庭園は、新宿門から一番遠いので、閉館前には、人が殆どいなくなって寂しくなる。若い二人には、恰好の場を提供してくれるのではないかと思うのだが、大学の就職内定率が50%そこそこの悲しい日本の現実では、青春を語る時間も惜しいのかも知れない。

   このプラタナスの並木道の間にあるオープンなバラ園では、今、バラが一番美しい時期を迎えていて、寒さに向かう頃の晩秋の花は、色が深くて鮮やかである。
   繊細な菊花壇展の方の菊は、中には既に盛りを過ぎて萎れかかっているもののもあって、少し、風情を削がれたが、やはり、野外に咲くバラの花は、強いのであろう。

   さて、菊花壇展であるが、毎年見ていて、いつも、その丹精と技に感嘆している。
   毎年同じで、変わり映えしないのが多少気になっているのだが、しかし、良く考えてみれば、そもそもここまで育てるのが至難の業であって、それを毎年、暑くても寒くても、特にこの夏は歴史始まって以来の異常気象であったから、並大抵の努力ではなかった筈だと思って、有難く拝見させて貰った。
   私は、花の国オランダに住んでいて、アルスメアの花市場にも行ったし、キューケンホフにも何度も出かけたが、花の改良については、オランダを始め欧米は進んでいるが、花を丹精込めて育てて花の姿を限界ぎりぎりにまでに昇華させる園芸の業は、日本は、世界最高なのではないかと思っている。
   自然を力ずくで支配して改良してしまう欧米の科学万能文化と、地球全体、自然そのものすべてに神が宿るとする八百万の神の、自然との共生で生きて来た日本の文化との違いかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする