歌舞伎座の傍には、古書店がいくらかあり、歌舞伎や芝居、それに、江戸や文学、歴史関係などの本が並んでいて、歌舞伎役者なども良く訪れると言う。
その古書店で買って積読だった本「海老蔵 そして 團十郎」を、丁度、団十郎の出演していた「国姓爺合戦」を見た後で読んでみた。
関容子さんの本は、インタビュアーとしての蓄積がものを言って、歌舞伎役者の芸談のみならず、内面生活に踏み込んだ人間性や故事来歴などの開陳が豊かで、読んでいて非常に面白いのである。
この本で、團十郎と海老蔵の違いについて語っているが、海老蔵は、父團十郎と違って、隔世遺伝(悪い意味ではない)で、美男役者として一世を風靡した祖父の十一代目に、良く似ているらしい。
成田屋親子の違いについて、團十郎夫人が、「両極端に違っていて、團十郎は、大きくて、包容力があって、あったかく、海老蔵は、神経質で、鋭利で、繊細だ」と言っている。
興味深いのは、海老蔵自身が、祖父に良く似ていると言いながら、父と自分は違っているため理解が及ばないし、思いの深さ、優しさ、愛情など自分に欠けている自分にないものを一杯持っているので、今は、自分にとって父の方が魅力的であると言って尊敬していることである。
海老蔵は、疑問を感じると、文献を調べたり老友に聞いたりして徹底的に勉強すると言う。
ところで、私が、この本を読んでいて面白かったのは、やはり、時代を超越したような一世代前の歌舞伎役者である十一代團十郎の生き様である。
世襲制が常態のように言われているが、この十一代目は、團十郎家とは縁もゆかりもない家の出身で、市川本家に養子に入って團十郎を継いだので、血の繋がりもないのだが、その後の三代によって、江戸歌舞伎の大名跡團十郎家の芸と伝統を本格的に継承しているように感じられている。
そもそも、この十一代目の父であり希代の弁慶役者として名声を博した七代目幸四郎自身が、全く歌舞伎役者の子孫ではなく、小屋主の倅で、店先でおぼろ饅頭の皮をむいて遊んでいる子供の顔を見て、振付師の藤間勘右衛門が感嘆して歌舞伎の世界に引き込んだと言うのであるから、分からないものである。
その子供が、十一代團十郎であり白鸚であり二代目松緑であるのだから、この奇跡的なスカウトがなければ、團十郎と海老蔵父子、幸四郎と染五郎父子と吉右衛門、初代辰之助と松緑と言った名優たちの出現はなかったと言うことになる。
海老様と呼ばれて、美男役者として有名であった羽左衛門のお株を奪うほど魅力的であった十一代目の女性関係が、謎に包まれていて、興味深い。
寅さんの渥美清さんのように、私生活は、殆ど外部には分からなかったようで、父に言われて十一代團十郎に付き従っていたかくし妻千代さんがいることも、十二代團十郎が生まれて大きくなっていることも、直弟子さえ知らなかったと言うのだから、満都の女性人気を一身位に集めた超人気役者の私生活は謎に包まれていたのであろう。
当時は、パパラッチが居なかったのであろうか。
市川家には、九代目團十郎の美しい孫娘である新派女優の市川翠扇が居たので、世間の人は皆、十一代目と結婚するのではないかと考えたようだが、そうならないのは当然であろう。
もう一つ興味深いのは、いろいろ浮名はあったようだが、片岡我童と言う女形との恋(?)である。
関容子さんは、かなり、詳しく二人の関係について語っているが、当代團十郎が、女形だが、男なのに男に惚れて、一生それを貫き通す、案外精神的な純真さあってこそ、どろどろした世界と相まって歌舞伎の世界があるのだと言うコメントが面白い。
とにかく、この本だが、歌舞伎の番外編を読んでいるようで興味津々でありながら、團十郎家三代の芸術生活を語っていて参考になる。
その古書店で買って積読だった本「海老蔵 そして 團十郎」を、丁度、団十郎の出演していた「国姓爺合戦」を見た後で読んでみた。
関容子さんの本は、インタビュアーとしての蓄積がものを言って、歌舞伎役者の芸談のみならず、内面生活に踏み込んだ人間性や故事来歴などの開陳が豊かで、読んでいて非常に面白いのである。
この本で、團十郎と海老蔵の違いについて語っているが、海老蔵は、父團十郎と違って、隔世遺伝(悪い意味ではない)で、美男役者として一世を風靡した祖父の十一代目に、良く似ているらしい。
成田屋親子の違いについて、團十郎夫人が、「両極端に違っていて、團十郎は、大きくて、包容力があって、あったかく、海老蔵は、神経質で、鋭利で、繊細だ」と言っている。
興味深いのは、海老蔵自身が、祖父に良く似ていると言いながら、父と自分は違っているため理解が及ばないし、思いの深さ、優しさ、愛情など自分に欠けている自分にないものを一杯持っているので、今は、自分にとって父の方が魅力的であると言って尊敬していることである。
海老蔵は、疑問を感じると、文献を調べたり老友に聞いたりして徹底的に勉強すると言う。
ところで、私が、この本を読んでいて面白かったのは、やはり、時代を超越したような一世代前の歌舞伎役者である十一代團十郎の生き様である。
世襲制が常態のように言われているが、この十一代目は、團十郎家とは縁もゆかりもない家の出身で、市川本家に養子に入って團十郎を継いだので、血の繋がりもないのだが、その後の三代によって、江戸歌舞伎の大名跡團十郎家の芸と伝統を本格的に継承しているように感じられている。
そもそも、この十一代目の父であり希代の弁慶役者として名声を博した七代目幸四郎自身が、全く歌舞伎役者の子孫ではなく、小屋主の倅で、店先でおぼろ饅頭の皮をむいて遊んでいる子供の顔を見て、振付師の藤間勘右衛門が感嘆して歌舞伎の世界に引き込んだと言うのであるから、分からないものである。
その子供が、十一代團十郎であり白鸚であり二代目松緑であるのだから、この奇跡的なスカウトがなければ、團十郎と海老蔵父子、幸四郎と染五郎父子と吉右衛門、初代辰之助と松緑と言った名優たちの出現はなかったと言うことになる。
海老様と呼ばれて、美男役者として有名であった羽左衛門のお株を奪うほど魅力的であった十一代目の女性関係が、謎に包まれていて、興味深い。
寅さんの渥美清さんのように、私生活は、殆ど外部には分からなかったようで、父に言われて十一代團十郎に付き従っていたかくし妻千代さんがいることも、十二代團十郎が生まれて大きくなっていることも、直弟子さえ知らなかったと言うのだから、満都の女性人気を一身位に集めた超人気役者の私生活は謎に包まれていたのであろう。
当時は、パパラッチが居なかったのであろうか。
市川家には、九代目團十郎の美しい孫娘である新派女優の市川翠扇が居たので、世間の人は皆、十一代目と結婚するのではないかと考えたようだが、そうならないのは当然であろう。
もう一つ興味深いのは、いろいろ浮名はあったようだが、片岡我童と言う女形との恋(?)である。
関容子さんは、かなり、詳しく二人の関係について語っているが、当代團十郎が、女形だが、男なのに男に惚れて、一生それを貫き通す、案外精神的な純真さあってこそ、どろどろした世界と相まって歌舞伎の世界があるのだと言うコメントが面白い。
とにかく、この本だが、歌舞伎の番外編を読んでいるようで興味津々でありながら、團十郎家三代の芸術生活を語っていて参考になる。