熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

野口悠紀雄著「経済危機のルーツ」

2010年11月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   著者本人が「私の自分史」だと言うように、謂わば、野口教授が人生を送ってきた1970年からの世界と日本の経済史を克明に記録した本と言った感じで、巻末に、1970年から、世界の動き、日本の動きが年表に記されている。
   私自身も似たような年代で、職歴等は全く違うが、欧米での勉強や生活などを共有しているので、一々納得しながら、人生を反芻しているような感じで楽しく読ませて貰った。
   正に、世界と日本の経済の動きが、手に取るように分かる参考書と言うか備忘録と言ったところでもある。

   終章で、野口教授は、「日本が停滞を打破するためになすべきこと」を提言している。
   野口教授の考え方の中には、日本経済が、いまだに工業中心の産業国家であって、ダニエル・ベルがもう何十年も前に説いていた脱工業化社会への経済社会の脱皮・転換に成功していないことこそが、根本的な問題だと言う認識がある。
   脱工業化とは、高度なサービス産業への移行であり、それを支えるための高度な知的活動が必要なのだが、経済産業構造においても、ICTや金融革命がベースとなるべきところが、日本は、この方面でも、欧米に大きく後れを取っており、未発展の段階にある。
   このダニエル・ベルの「脱工業化社会の到来」は、私がウォートン・スクールにいた時に、出版されたので愛読書の一冊だが、トフラーの「第三の波」や堺屋太一の知価革命などはずっと後で、知識情報に比重を置いた方向に進展して行ったが、このPost-Industirial Societyと言う経済産業構造の変化と言う本来の形で捉えるべきであったのかも知れない。

   今回の世界的な金融危機で、最も経済的ダメッジが大きいのは、金融危機の被害をもろに受けた欧米ではなく、貿易に大きく依存している日本で、金融業中心国で危機が生じて輸入が激減すると、一挙に製造業の生産を激減させて、GDPの激しい落ち込みを引き起こす。
   金融業中心で豊かになった国は、輸入によって豊かな生活をしていたのだが、その輸入は輸出国からの借り入れ、すなわち、「ベンダー・ファイナンス」で賄って来ており、対外資産の面では純債務国であるが、資金還流による低金利でコストが低く、金融革新で膨大な利益を叩き出していたので、所得収支はプラスであった。
   金融危機で割を食って損な役回りをしたのは、輸出激減で被害を受けた工業立国の方で、外需依存成長モデルの破綻でもある。

   野口教授は、失われた20年は、一般的に言われているように、高齢化や少子化、バブル崩壊によるデフレなどの結果ではなく、基本的な原因は、90年代以降の世界経済の大変化に、日本が対応できなかったことにあると言う。
   第一に、冷戦終結と中国の工業化と言う大変化(日本にとっては製造業の労働力の増加)、第二に、金融とIT面での大きな変化、第三に、新しいグローバリゼーション、などの大変化に有効に対応できなかった。特に、「21世紀型のグローバリゼーション」に対しては、日本は、ほぼ鎖国状態を続けて、経済社会、産業構造等の変革をミスって、完全に遅れてしまった。
   「変革」に対する消極的な空気が一般化し、とりわけ深刻だったのは、未来志向で推進力となる筈の企業が変革の意欲を失い、ビジネスモデルの継続に汲々として企業の存続のみに明け暮れた。
   年功序列的な組織構造のため、過去に成功した人が決定権を握り、激変する世界の中で、変革を拒否し続けたと言うのである。

   それでは、このような深刻な事態に、日本はどう対応すべきであろうか。野口教授は、3つの提言をしている。
   第一に必要なのは、古いものの生き残りや現状維持に支援を与えないこと。
   この点は、ドラッカーも強調していた点で、古いものが残っておれば、新しいものが生まれる余地がないばかりか、変革へのインセンティブを圧殺してしまうのである。
   第二に必要なのは、21世紀型のグローバリゼーションを実現すること。
   変革を引き起こすためには、海外からの刺激が最も有効で、資本、人的資源の両面において、日本を海外に開く必要がある。
   第三に必要なことは、教育、特に、専門分野での高等教育の拡充をはかること。
   ここで、中谷教授の指摘で興味深いのは、「中国の前を歩く」ことが必須で、日本人の能力を高める必要があり、教育こそが最大の投資だと言う。
   
   私自身は、日本人自身の意識革命が一番大切だと思っている。危機意識と問題意識の欠如は目を覆うばかりである。
   早い話が、3日の文化の日の夜のNHKニュースのトップが、早慶戦の長い放送で、それもお祭り騒ぎ一色であり、民放に至っては延々と報道し続けており、国際情勢のみならず、日本の運命を大きく変えて行く筈のアメリカの中間選挙の関連報道など殆ど影が薄く、中国やソ連との領土問題で日本外交と日本の国威が試練に立っているにも拘わらず、あるいは、大切な機密文書漏洩問題が世界中を駆け回っているにも拘わらず、これらの報道はホンのなおざりであったことからも分かると言うもの。
   メディアの意識の低さか、それを喜ぶ国民の民度の低さか分からないが、私が在住していたアメリカやイギリス、オランダなどでは、もう少し、問題意識が大人であったような気がしている。
   
コメント
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