昨夜、今日の国立劇場の歌舞伎:塩原多助一代記の予習のつもりで、青空文庫の三遊亭圓朝の落語録を読み始めたのだが、思ったよりも長くて(印刷プレビューで125ページ)、寝るのが遅くなり、何時も録画して見ている7時のNHK BS1のワールドWAVEを見て、パソコンのメールなどをチェックするのがやっとで、家を出て東京に向かった。
国立劇場は、時々開演時間が変わるので厄介なのだが、今日は、何故か、11時半であった。
圓朝噺を脚色して歌舞伎化した「塩原多助一代記」は、非常に素晴らしい芝居だと思うのだが、客席は大変な空席状態で、惜しい限りで、新橋演舞場の方も、幸四郎と團十郎ダブルキャストの「勧進帳」でも空席が多いと言うのであるから、芸術の秋も、様相が変わって来たのかも知れない。
圓朝噺は、18話まである延々と続く長い噺なのだが、この歌舞伎は、かなり上手く纏まった芝居になっていて、多助を演じる三津五郎の好演が出色で、中々、感動的である。
結構、登場人物も多くて、噺が入りこんでいて、筋が複雑であるのを、休憩込の4時間の舞台に仕上げており、省略されたシーンは、登場人物に語らせて補っているので、それ程、原作とは違ってはいない。
しかし、注意して筋を追っていないと、はじめて一回観ただけでは、登場人物の関わりや後先が分からず、十分に理解するのが難しいのではないかと思った。
その点、圓朝噺を、完全に読んで出かけたので、私には、良く分かって面白かった。
この劇評は、後で書くことにしたい。
6時半からの国立能楽堂の能・狂言まで時間があったので、銀座から東京駅に出て、書店をハシゴして、いつもの様に、神保町に向かった。
買った本は、最近出た野中郁次郎ほか編著の「ビジネスモデル イノベーション」。
昨年HBR5月号にでた「The Wise Leader 賢慮のリーダー」の発展版だと思うのだが、日本製造業のイノベーション力も捨てたものではないと言うことであろう。
もう一冊は、古書店の店頭で300円で売っていた白井さゆり著「欧州激震」。全くの新本である。
2010年9月刊だから一寸古いのだが、世界的金融危機後に一気にヨーロッパ経済が悪化しはじめた時期に書かれた本なので、当時はどういう解釈だったのかを知りたくて、帰りの電車の中で読み始めたのだが、結構参考になる。
国立能楽堂は、狂言「雁大名」と能「花筐」。
狂言は、宴席を張ろうとした大名が、肴を買う金がないので、太郎冠者と語らって、喧嘩を仕組んで、仲裁に入った雁屋から、その隙に雁を盗む話で、こともあろうに、大名は、故郷への土産にふくさまで盗み取る。
何時もなら、鷹揚で、多少抜けたところのある大名が、今回は、少し狡猾でさかしい話で、歌舞伎とは違って、家来など一人か二人しか居ない貧乏大名が主人公の狂言であるから、こんなところであろうか。
大名が石田幸男、太郎冠者が萬斎、雁屋が万作の和泉流で、大蔵流では、鴈盗人となっていて廃曲の中に入っていると言う。
雁を盗られた雁屋が、「南無三宝、雁を外された」と言って切戸口から去って行き、その後、残った二人が、戦利品を見せ合って喜ぶと言う結末なのだが、何か、しっくりしない終わり方で、私にはフラストレーションが残った。
能「花筐」は、宝生流で、シテ/照日の前 武田孝史。
皇子が、継体天皇として即位するために、急に上洛したので、寵愛している照日の前に、使い慣れた「花筐」と玉章(手紙)を残して使者に届けさせるのだが、受け取った照日の前は、悲しみに沈み故郷へ帰る。
後場では、紅葉狩りに行幸中の前を、物狂いとなった照日の前が通り、家来に、侍女の持った花筐を叩き落されたので、天皇の形見だと非難し恋心を訴えて泣き伏す。天皇の前で、舞を命じられた物狂いは、漢の武帝の寵后・李夫人の物語を歌った曲舞を舞う。
花筐を見た天皇は、物狂いが照日の前だと気付いて、再び傍近く召すこととなり、”尽きせぬ契り、有難き。”で終わる。
オペラで言えば、狂乱の場で、凄まじいソプラノのクライマックス・シーンで、観客を魅了するのだが、能は至って静寂で、この能は、囃子片のサウンドも非常に控え目で、しみじみとした情感に満ちた舞台が良い。
ところで、この能は、世阿弥作だと言うのだが、夢幻能とは違った趣で、十分に、芝居の舞台に転換できそうだと思いながら見ていた。
国立劇場は、時々開演時間が変わるので厄介なのだが、今日は、何故か、11時半であった。
圓朝噺を脚色して歌舞伎化した「塩原多助一代記」は、非常に素晴らしい芝居だと思うのだが、客席は大変な空席状態で、惜しい限りで、新橋演舞場の方も、幸四郎と團十郎ダブルキャストの「勧進帳」でも空席が多いと言うのであるから、芸術の秋も、様相が変わって来たのかも知れない。
圓朝噺は、18話まである延々と続く長い噺なのだが、この歌舞伎は、かなり上手く纏まった芝居になっていて、多助を演じる三津五郎の好演が出色で、中々、感動的である。
結構、登場人物も多くて、噺が入りこんでいて、筋が複雑であるのを、休憩込の4時間の舞台に仕上げており、省略されたシーンは、登場人物に語らせて補っているので、それ程、原作とは違ってはいない。
しかし、注意して筋を追っていないと、はじめて一回観ただけでは、登場人物の関わりや後先が分からず、十分に理解するのが難しいのではないかと思った。
その点、圓朝噺を、完全に読んで出かけたので、私には、良く分かって面白かった。
この劇評は、後で書くことにしたい。
6時半からの国立能楽堂の能・狂言まで時間があったので、銀座から東京駅に出て、書店をハシゴして、いつもの様に、神保町に向かった。
買った本は、最近出た野中郁次郎ほか編著の「ビジネスモデル イノベーション」。
昨年HBR5月号にでた「The Wise Leader 賢慮のリーダー」の発展版だと思うのだが、日本製造業のイノベーション力も捨てたものではないと言うことであろう。
もう一冊は、古書店の店頭で300円で売っていた白井さゆり著「欧州激震」。全くの新本である。
2010年9月刊だから一寸古いのだが、世界的金融危機後に一気にヨーロッパ経済が悪化しはじめた時期に書かれた本なので、当時はどういう解釈だったのかを知りたくて、帰りの電車の中で読み始めたのだが、結構参考になる。
国立能楽堂は、狂言「雁大名」と能「花筐」。
狂言は、宴席を張ろうとした大名が、肴を買う金がないので、太郎冠者と語らって、喧嘩を仕組んで、仲裁に入った雁屋から、その隙に雁を盗む話で、こともあろうに、大名は、故郷への土産にふくさまで盗み取る。
何時もなら、鷹揚で、多少抜けたところのある大名が、今回は、少し狡猾でさかしい話で、歌舞伎とは違って、家来など一人か二人しか居ない貧乏大名が主人公の狂言であるから、こんなところであろうか。
大名が石田幸男、太郎冠者が萬斎、雁屋が万作の和泉流で、大蔵流では、鴈盗人となっていて廃曲の中に入っていると言う。
雁を盗られた雁屋が、「南無三宝、雁を外された」と言って切戸口から去って行き、その後、残った二人が、戦利品を見せ合って喜ぶと言う結末なのだが、何か、しっくりしない終わり方で、私にはフラストレーションが残った。
能「花筐」は、宝生流で、シテ/照日の前 武田孝史。
皇子が、継体天皇として即位するために、急に上洛したので、寵愛している照日の前に、使い慣れた「花筐」と玉章(手紙)を残して使者に届けさせるのだが、受け取った照日の前は、悲しみに沈み故郷へ帰る。
後場では、紅葉狩りに行幸中の前を、物狂いとなった照日の前が通り、家来に、侍女の持った花筐を叩き落されたので、天皇の形見だと非難し恋心を訴えて泣き伏す。天皇の前で、舞を命じられた物狂いは、漢の武帝の寵后・李夫人の物語を歌った曲舞を舞う。
花筐を見た天皇は、物狂いが照日の前だと気付いて、再び傍近く召すこととなり、”尽きせぬ契り、有難き。”で終わる。
オペラで言えば、狂乱の場で、凄まじいソプラノのクライマックス・シーンで、観客を魅了するのだが、能は至って静寂で、この能は、囃子片のサウンドも非常に控え目で、しみじみとした情感に満ちた舞台が良い。
ところで、この能は、世阿弥作だと言うのだが、夢幻能とは違った趣で、十分に、芝居の舞台に転換できそうだと思いながら見ていた。