熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「三輪」狂言「因幡堂」

2012年10月29日 | 能・狂言
   今月の古事記千三百年にちなんでのプログラムの最終回の企画公演は、蝋燭の灯りによる狂言「因幡堂」能「三輪」であった。
   薪能は観たことがあるのだが、蝋燭能は、初めてだったので、非常に興味深く鑑賞させてもらったのだが、舞台には、弱い照明がなされていたので、少し舞台が暗い程度で、鑑賞には支障がなく、微かに揺らぐ蝋燭の風情が感興を増していて中々良かった。
   特に、能「三輪」の後シテ/三輪明神(本田光洋)の優雅な舞は、雰囲気情趣ともに満点で、正に、感動的であった。
   小面、若女などのような明るさや愛らしさはないけれど一種独特の厳かさと気品のある神や仏の相を備えたと言う「増女」の面が、微かに表情を変えながら優雅に語りかける美しさは格別であった。

   この能では、三輪明神が、三輪山のしるしの杉に纏わる昔話の夫婦の物語として、昼には姿を見せず毎夜通ってくる夫の正体を知りたくて、夫の衣に苧環の糸のついた針を刺しておいて、その後を辿ると、三輪山の社に糸の先が残っていて、正体は大物主であったと言うことがわかり、糸巻きには、3巻きだけ糸が残っていたので、三輪という地名が付いたと言う話を、三輪明神が語る。
   私には、辿り着いたのが洞窟で、蛇神であったと言う話が記憶にあるのだが、この能では、それには触れていない。
   ところが、その後、後シテは、伊勢の天照大神と三輪明神は一体分身なのだと謡って、天の岩戸隠れの故事を再現して、客を慰めようと神楽を舞って消えて行く。

   
   三輪明神が男神であると言うのは、神話でもそうだし通説だと思うのだが、この能では女神となっている。
   天照大神と一体分身だとするのなら、女神であっても不思議はないし、あるいは、神楽を舞うのだから、巫女に神が乗り移ったと言う考え方も出来るのであろうが、前場で、前シテの里の女を、里人/アイが、三輪の神の仮の姿だと言っているところを考えると、この能では、三輪明神は、女神として通している。
   ところで、ギリシャ神話では、神は、人を両性具有的存在(男性性と女性性両方を有した存在、アンドロギュヌス)、または性差以前の状態で生み出し、ゼウスが、その後、男と女に分離させたと言われているようだが、そんな神話だと、三輪の場合でも、男女分身であっても不思議はないと言うことであろうか。
   余談ながら、それ故に、別れたベターハーフを探してくっ付きたくて、男女が必死になって恋い焦がれるのだと、あの偉大なプラトン先生が、「饗宴」の中で説いているのである。

   
   この能では、宮の作り物に、引き回しをかけて、柱の先端に杉の葉をつけて神木の杉として、正面に置かれる。
   前シテは、中入り前に、この作り物の中に消えて、後場で、後シテの三輪明神として登場する時には、黒い引き回しはかけられたままで、後ろから左手に回って出て来る。シテが正中へ行き舞い始めると、後見は引き回しを下ろす。後シテは、新婚神話を謡って舞い、作り物の中に再び入って、天の岩戸隠れの故事を再現する時には、岩戸を潜るように作り物の正面から出て来て神楽を舞う。
   この日は、蝋燭能の邪魔になるのであろう、字幕説明のディスプレーがなかったので、謡いが良く聞き取れなかった所為もあって、初心者の私には、新婚説話や岩戸話などの進行が十分には掴み悪かったのであるが、かなり長い後シテの三輪明神の優雅な美しい舞姿が素晴らしかったので、見とれていた。

   三輪神社(大神神社と言う)は、子供の頃、祖父や父に連れられて正月に参拝していたことがあるので、鬱蒼とした参道など微かに記憶に残っているのだが、三輪山がご神体なので、本殿はなく拝殿だけだと言う。
   能や歌舞伎など、日本の古典芸能では、京都や奈良など、関西人である私の故郷でもある故地や、学生時代や若い頃に、歩き回った懐かしい土地や古社寺などが舞台として登場するので、非常に身近に親しみを持って鑑賞できるのが、幸いでもあるし、楽しみにもなっている。

   さて、能の前に演じられた狂言の「因幡堂」だが、
   大酒のみで掃除洗濯一切ダメで、夫/シテ山本則俊を苛め抜く妻/アド山本則重に嫌気がさして、実家に帰っている留守中に離縁状を送りつけて、一人では不便なので、因幡堂の薬師如来に新しい妻を紹介してもらうべくお祈りして仏前で一夜を明かす。
   怒り心頭に達した妻が帰ってきて、夫が寝ているのを見つけて薬師如来を装って、新妻が西門の一の階で待っていると告げる。
   仏のお告げだと錯覚した夫は、その新妻と思しき衣を被った女をいそいそと連れて帰り、かための杯を交わすのだが女は杯を返さずぐいぐい飲み干す。
   嫌がる女の衣を剥がすと・・・ 逃げる夫を妻が追い回す。
   非常に呼吸のあった父子の名演が実に爽やかで、西門の階に立つ女に、実に恥ずかしそうにおろおろしながら声をかける夫・則俊の姿が秀逸である。

   こう言う話は結構あるのだろうが、相性が悪くて、どうしても合わない夫婦の場合には、どうすればよいのであろうか。
   最後に、当日の休憩時の能舞台のワンシーン。
   
   
コメント
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