熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場:歌舞伎・・・通し狂言「塩原多助一代記」

2012年10月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   圓朝の人情噺「鹽原多助一代記」を基にした「塩原多助一代記」が、三津五郎のタイトルロールで上演されており、実に人間味豊かな味のある演技で、非常に感動的な素晴らしい舞台を見せてくれている。
   塩原太助は、実在の人物で、「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌に歌われた程の200年ほど前に活躍した江戸の豪商で、炭屋山口屋で奉公して、勤勉に働いて蓄財に励み、独立し大商人に成長する一代記を、圓朝が脚色しながら噺に仕立てて、ベストセラーになったと言う。

   木炭の粉を掻き集めて、粉炭の量り売りをはじめ、海藻を混ぜ固めた炭団、すなわち、”太ぁどん”を創って貧しい庶民たちが暖を取る助けになったと言うから、正に、ポーターが説く「共通価値の創造」を実践したイノベーターであったと言うべきであろう。
   私の子供の頃には、練炭とともに、まだ普通に使われていたお馴染みの燃料だったのだが、劇場ロビーに、炭団がディスプレーされていて、懐かしかった。
   この歌舞伎では、自分の貯金を取り崩して、炭配達に難渋する公道に砂利を敷くと言う逸話を紹介しているが、
富豪になってからも謙虚で清廉潔白な生活の心掛けて、私財を投じて道路改修や治水事業などを行ったと言うのだが、自己利益のみを追及してアメリカ資本主義を窮地に追い込んで反省の色の片鱗さえも見せないグリーディなウォールストリート賊との落差はあまりにも大きく、商業道は、何の進歩もしていない言うことである。

   この歌舞伎は、圓朝噺に比較的忠実で、殆ど筋を追っているのだが、18話もある長編の噺を、3時間一寸の舞台に凝縮しているので、相当無理がある。
   しかし、中々巧妙に舞台化されていて、省略部分の辻褄は、次の舞台で登場人物に語らせているので、注意しておれば分かるけれど、一寸見では、中々難しい。
   圓朝は、かなり丁寧に、実父・養父とも同姓同名である経緯や、実父の来歴や沼田の田舎でのわび住まいなど、多助のバックグラウンドなどを語っていて、前半は、結構なボリュウムなのだが、
   舞台では、例えば、序幕で、多助が、父塩原角右衛門(團蔵)と同姓同名の養父・百姓(秀調)の養子に貰われて行き、次の第二幕では、話が一気に飛んで、成人した多助が、義母お亀(吉弥)に苛め抜かれて、その娘のお栄(孝太郎)と離縁されようとする。
   しかし、このお亀は、実父の妹で、家来と駆け落ちして出奔していたのだが、旅に出た夫・岸田右内(松江)が帰って来ないので、訪ねて旅に出るのだが、途中で、娘お栄は、またたびお角(橋之助)にかどわかされ、本人も路頭に迷って野垂れ死に寸前で、偶然に二人とも養父に助けられて、沼田に引き取られて、養父が、今わの際に、血縁のある多助とお栄が結婚して、お亀と3人で、塩原家を守ってくれと言い残すのである。
   ところが、舞台での展開の如く、角右衛門の恩義も忘れて、若くて江戸育ちの恋多き後家お亀は、武家の丹治(錦之助)と、お栄は、その息子・丹三郎(巳之助)とダブル不倫で、お家乗っ取りを図り、邪魔となった多助を殺そうと画策する。
   舞台の通り、親友の百姓円次郎(橋之助)が身替りに殺されたので、江戸行きを決心した多助が、愛馬の青との涙の別れの名場面と続くのである。

   さて、この舞台で、徹頭徹尾の悪人は、またたびお炭実ハ尼妙岳(橋之助)とその息子小平(三津五郎)だが、その悪辣ぶりは、舞台での比ではなく、小平など、砂利代金まで強請ろうと最後まで付き纏っている。
   三津五郎が二役を演じているので、多助と小平の対決の場がないのだが、炭荷主吉田八右衛門(巳之助)を騙って山口屋に乗り込んで金を奪おうしたのを、見知っている多助が暴露するのを、主の山口屋惣領善太郎(松江)に語らせており、多助が理路整然とスケールの小さい悪行を責めぬき、凄んでいた小平が、すごすごと裏門から立ち去ると言った一寸した見せ場が省略されている。

   今回の舞台で、非常に良い味を出して素晴らしい芝居を見せていたのは、実父角右衛門の團蔵と実母妻お清の東蔵で、冒頭の子別れの場と、第五幕の戸田家中塩原宅の場で、実子多助への、或いは、多助との感動的な親子の実像を見せていて素晴らしかった。
   比較的悪役の多い團蔵が、非常に情感豊かに実父としてと威厳と風格を保ちながら、涙を呑んで多助に厳しく諌めて発奮させる慈父の重みを演じ切り、おろおろしながら子を思う慈愛に満ちた母親役を東蔵が好演していた。
   もう一人、この芝居では、多助を邪魔扱いしていた、まだ色気のあるいけ好かない義母を、そして、最後に、丹治との子供に手を引かれて盲の老女として登場したお亀の吉弥が、中々、存在感のある芝居を見せて出色であった。
   橋之助は、好演していたが、役不足の感じで、惜しいと思った。
   お栄と多助に恋した豪商藤野屋娘お花を演じた孝太郎は、実に上手くて味はあるのだが、一寸、品を作り過ぎたオーバーアクションが気になった。
   團蔵とは逆に、いつも二枚目の金之助が、江戸育ちの後家に入れ込んだ悪役を演じていたが、中々の性格俳優ぶりで良かった。

   ところで、塩原多助の炭商人としてのビジネスについて論じてみたいと思ったのだが、今回は、一点だけ、独立して塩原炭店を出してから、明樽買久八(萬次郎)と金儲けの話をしているのが面白い。
   ”そりゃア稼げば金が蓄るが、金を蓄めるような心じゃア駄目だ、わしア蓄らないようにする積りだ、・・・おらア見ろ、銭箱の中へ入へいってゝ楽をしようたって、そう旨くはいかねえ、稼いで来こう稼いで来こうと金の尻っぺたを打つと、痛いもんだからピョコ/\出て往って稼いで帰り、疲れたからどうぞ置いておくんなさいと云っても、おらアこうやって稼いでいるに、われそんな弱い根性を出しては駄目だ、稼いで来こうといって又尻しりッぺたをぶつと、痛いていから又ぴょこ/\飛出しては稼いで来る、しめえには金が疲れてもう働らけねえからどうか置いておくんなさい、もう何処へも往きません、あんたの傍は離れませんと云うから、そんなら置いて遣るべいという、これが本当に天然自然に貯る金と云うものだアよ”  

   要するに、金なり商品なりの回転率を上げて稼ごうとする真っ当な考え方で、当時の商人としては、流石に商才があって頭が冴えていたのであろう。
   しかし、私が凄いと思うのは、この舞台には出て来なかったが、山口屋の働き人たちの捨てた擦り切れたり鼻緒の切れた草履を集めて修理して再利用のために、千足も主人に無償で差し出したと言う今で言うリサイクルの元祖のような考え方や、
   全く、捨てられて見向きもされなかった粉炭や炭の欠片を集めて小分けにして貧しい庶民に売るなどと言うのは、資源保護の点から言っても大したもので、言うならば、無消費者の正にブルーオーシャン市場の開拓であるから、独占企業であり創業者利潤を享受できるので、商売が繁盛しない訳がない。
   ビジネス・スクールでMBAを取らなくても、これだけの才覚があれば、十二分である。
コメント
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