「魚屋宗五郎」は、河竹黙阿弥作の「新皿屋舗月雨暈」の後半部分の歌舞伎。
1883年(明治16)東京市村座初演と言うから、正に、現代劇に近い江戸市民とお殿様を主題にした世話物で、非常に分かり易くて面白い。
「魚屋宗五郎」(菊五郎)の舞台では、後述のような話が展開されるのだが、その前に、序幕 磯部邸弁天堂の場 お蔦の部屋 二幕目 磯部邸井戸館詮議の場 があって、お家の騒動が描かれていて、そのとばっちりを受けて、件の宗五郎の妹お蔦が殺されるまでが演じられる。
愛宕下の旗本磯部主計之介が酒乱であることを良いことにして、磯部家の重役・岩上典蔵が悪だくみを抱き兄の吾太夫と手を組み家老・浦戸十左衛門(左團次)と紋三郎兄弟を失脚させ、実権をにぎろうと、殿から預かった井戸の茶碗を愛妾のお蔦から盗みだして誤って割らせ、お蔦と紋三郎との不義密通をでっち上げるのである。
この通し狂言は、昨年、染五郎の復帰記念として日生劇場で行われた二月大歌舞伎「新皿屋舗月雨暈」で、幸いにも見る機会があり、幸四郎の宗五郎、染五郎の磯部侯で、大変、楽しませて貰った。
今回の「魚屋宗五郎」は、その後で、
妾奉公に出していた妹が、磯部主計之介に殺された魚屋宗五郎は,典蔵たちの悪巧みによる殿の誤解短慮によって手打ちになったと知ると、憤懣やるかたなく、酒乱気味のために断っていた酒を飲んで酔った勢いに任せて,磯部の屋敷へ乗り込むと言う話で、結末は、家老の取り計らいで目出度し目出度しなのだが、平穏に暮らしていた江戸の町民の市井の生活が活き活きと活写されていて楽しませてくれる。
この歌舞伎は、家来たちの主導権争いに加えて、磯部と宗五郎と言う酒乱を主人公にして描いた世話物であるのが興味深い。
宗五郎は、先の幸四郎や、勘三郎や三津五郎なども演じているのだが、私には、菊五郎の舞台を何度か見たと言う記憶が一番強烈で、これが、また、素晴らしいのである。
それに、この歌舞伎の前半部分の「片門前魚屋宗五郎内の場」では、宗五郎とその女房おはま(時蔵 )と父太兵衛(團蔵 )との家族の絆、お蔦の朋輩召使おなぎ(梅枝)や小奴三吉(橘太郎 )たちのお蔦への熱い思いなど、市井の庶民の生き様が 、生き生きと描かれていて、悲劇的な展開でありながらも、しんみりと、そして、ほのぼのとさせていて実に温かい。
この宗五郎の家が舞台の場では、禁酒していた筈の酒を飲まずにいられなくなった宗五郎の酔って行くくだりが、宗五郎役者の見せ場とされている。
私には、酔っ払って前後不覚になった経験がないので良く分からないのだが、菊五郎の芸は実に細やかで上手く、酒のみの姿を納得させる。
おなぎが、殿様がお蔦を嬲り殺しにしたと語ると、憤懣と悲しみを抑えきれずに、おなぎが持ってきた酒でも飲みたいと言うので、父やおはまは、こんな時だからと許す。
最初に湯呑茶碗に注がれた酒を口をつけて一気に飲み干し、飲むうちに湯呑茶碗では満足できずに片口から直接飲み始め、おはまや三吉の止めるのを振り切って、角樽を鷲掴みにして飲みだすと、酒乱に変身。
宗五郎は、一滴もなく飲み干すと、目が座って、人が変わったように暴れ出して、おはまや三吉を蹴飛ばし突き飛ばし、壁をぶち破って、角樽を振り回しながら、磯部の屋敷へ突進して行くのである。
さて、この酒を飲み干し酒乱と化すところだが、菊五郎は、
”飲み始めてからは、理屈ではなく、酒のみの酔っていく様子をみせる芝居に換えなければならないのです。酔いながら、妹の死を考えているようにみせてはいけない。松緑さんに教わった時は、『まだかんがえている』とダメをだされました。”と言ったと、長谷部浩が、「菊五郎の色気」で書いている。
酔いの途中からは、妹への哀惜は取り落とされて、「酒飲みの酔っていく様子を見せる」に変わっていると言うことだが、これこそが、酒乱の酒乱たる所以だと言うことであろうか。
芝居としては、そうかも知れないのだが、いくら酒乱になって後先が分からなくなったとしても、脇目もふらずに、真っ直ぐに、磯部邸へ突進して行くのであるから、妹を嬲り殺しにした殿様憎しと言う気持ちだけは、鮮明に脳裏に蘇っているのであるから、ただの酒乱状態ではない。
先の幸四郎の宗五郎で、
”この酒に酔うと言う単純だが、ある意味では、酒乱状態になった時には、最高に精神状態が昇華された状態で、能の舞台のように、無駄なものは一切削ぎ落とされてエッセンスだけが残って、その精神状態の演技だけが表現されている。”と書いたのだが、今でも、そう思っており、次の「磯部屋敷玄関の場」で大見得を切り、「磯部屋敷庭先の場」で正気に戻って、何故自分がここ居るのか分からないと言う設定も、これで説明がつくと思う。
以前にも書いたが、磯部邸へ乗り込んで行き、玄関の場ではともかく、庭先の場での正気に戻ってからの体たらくの宗五郎は認めがたく、もっと毅然たる宗五郎であるべきだと思っている。
長谷部浩の本では、前進座の「魚屋宗五郎」は、先の殴り込みにいくところで終り、以降の場面を上演しない程である。と書いている。
尤も、観客へのサービスとして、そして、磯部侯の颯爽とした雄姿を見せるためには格好の場かも知れないが、蛇足だと思っている。
おはまに促されて、下から見えないように床の端に手を這わせて弔慰金を受け取るところなど、おどおど怖じ気た小市民の典型であり、その前の宗五郎が気風も威勢もよく素晴らしかっただけに、蛇足の限りである。
そもそも、磯部侯自身が、この芝居では、崇められるような人物ではないのである。
さて、女房おはまの時蔵 、磯部主計之助の錦之助、召使おなぎの梅枝 と言う萬屋の兄弟、父子のしっかりと脇を固めた好演が、光っており、菊五郎の宗五郎を支えて素晴らしい。
時蔵は、前にも菊五郎と協演していたが、今や決定版とも言うべきで、錦之介の磯部侯は、襲名披露公演でも観たと思うのだが、風格のある殿様然とした雄姿が光っていた。
父太兵衛の團蔵 や浦戸十左衛門の左團次も、常連と言う感じで適役であり、良い味を出していて楽しませて貰った。
左團次は、「毛抜」では、粂寺弾正として、素晴らしい舞台を見せてくれていた。
1883年(明治16)東京市村座初演と言うから、正に、現代劇に近い江戸市民とお殿様を主題にした世話物で、非常に分かり易くて面白い。
「魚屋宗五郎」(菊五郎)の舞台では、後述のような話が展開されるのだが、その前に、序幕 磯部邸弁天堂の場 お蔦の部屋 二幕目 磯部邸井戸館詮議の場 があって、お家の騒動が描かれていて、そのとばっちりを受けて、件の宗五郎の妹お蔦が殺されるまでが演じられる。
愛宕下の旗本磯部主計之介が酒乱であることを良いことにして、磯部家の重役・岩上典蔵が悪だくみを抱き兄の吾太夫と手を組み家老・浦戸十左衛門(左團次)と紋三郎兄弟を失脚させ、実権をにぎろうと、殿から預かった井戸の茶碗を愛妾のお蔦から盗みだして誤って割らせ、お蔦と紋三郎との不義密通をでっち上げるのである。
この通し狂言は、昨年、染五郎の復帰記念として日生劇場で行われた二月大歌舞伎「新皿屋舗月雨暈」で、幸いにも見る機会があり、幸四郎の宗五郎、染五郎の磯部侯で、大変、楽しませて貰った。
今回の「魚屋宗五郎」は、その後で、
妾奉公に出していた妹が、磯部主計之介に殺された魚屋宗五郎は,典蔵たちの悪巧みによる殿の誤解短慮によって手打ちになったと知ると、憤懣やるかたなく、酒乱気味のために断っていた酒を飲んで酔った勢いに任せて,磯部の屋敷へ乗り込むと言う話で、結末は、家老の取り計らいで目出度し目出度しなのだが、平穏に暮らしていた江戸の町民の市井の生活が活き活きと活写されていて楽しませてくれる。
この歌舞伎は、家来たちの主導権争いに加えて、磯部と宗五郎と言う酒乱を主人公にして描いた世話物であるのが興味深い。
宗五郎は、先の幸四郎や、勘三郎や三津五郎なども演じているのだが、私には、菊五郎の舞台を何度か見たと言う記憶が一番強烈で、これが、また、素晴らしいのである。
それに、この歌舞伎の前半部分の「片門前魚屋宗五郎内の場」では、宗五郎とその女房おはま(時蔵 )と父太兵衛(團蔵 )との家族の絆、お蔦の朋輩召使おなぎ(梅枝)や小奴三吉(橘太郎 )たちのお蔦への熱い思いなど、市井の庶民の生き様が 、生き生きと描かれていて、悲劇的な展開でありながらも、しんみりと、そして、ほのぼのとさせていて実に温かい。
この宗五郎の家が舞台の場では、禁酒していた筈の酒を飲まずにいられなくなった宗五郎の酔って行くくだりが、宗五郎役者の見せ場とされている。
私には、酔っ払って前後不覚になった経験がないので良く分からないのだが、菊五郎の芸は実に細やかで上手く、酒のみの姿を納得させる。
おなぎが、殿様がお蔦を嬲り殺しにしたと語ると、憤懣と悲しみを抑えきれずに、おなぎが持ってきた酒でも飲みたいと言うので、父やおはまは、こんな時だからと許す。
最初に湯呑茶碗に注がれた酒を口をつけて一気に飲み干し、飲むうちに湯呑茶碗では満足できずに片口から直接飲み始め、おはまや三吉の止めるのを振り切って、角樽を鷲掴みにして飲みだすと、酒乱に変身。
宗五郎は、一滴もなく飲み干すと、目が座って、人が変わったように暴れ出して、おはまや三吉を蹴飛ばし突き飛ばし、壁をぶち破って、角樽を振り回しながら、磯部の屋敷へ突進して行くのである。
さて、この酒を飲み干し酒乱と化すところだが、菊五郎は、
”飲み始めてからは、理屈ではなく、酒のみの酔っていく様子をみせる芝居に換えなければならないのです。酔いながら、妹の死を考えているようにみせてはいけない。松緑さんに教わった時は、『まだかんがえている』とダメをだされました。”と言ったと、長谷部浩が、「菊五郎の色気」で書いている。
酔いの途中からは、妹への哀惜は取り落とされて、「酒飲みの酔っていく様子を見せる」に変わっていると言うことだが、これこそが、酒乱の酒乱たる所以だと言うことであろうか。
芝居としては、そうかも知れないのだが、いくら酒乱になって後先が分からなくなったとしても、脇目もふらずに、真っ直ぐに、磯部邸へ突進して行くのであるから、妹を嬲り殺しにした殿様憎しと言う気持ちだけは、鮮明に脳裏に蘇っているのであるから、ただの酒乱状態ではない。
先の幸四郎の宗五郎で、
”この酒に酔うと言う単純だが、ある意味では、酒乱状態になった時には、最高に精神状態が昇華された状態で、能の舞台のように、無駄なものは一切削ぎ落とされてエッセンスだけが残って、その精神状態の演技だけが表現されている。”と書いたのだが、今でも、そう思っており、次の「磯部屋敷玄関の場」で大見得を切り、「磯部屋敷庭先の場」で正気に戻って、何故自分がここ居るのか分からないと言う設定も、これで説明がつくと思う。
以前にも書いたが、磯部邸へ乗り込んで行き、玄関の場ではともかく、庭先の場での正気に戻ってからの体たらくの宗五郎は認めがたく、もっと毅然たる宗五郎であるべきだと思っている。
長谷部浩の本では、前進座の「魚屋宗五郎」は、先の殴り込みにいくところで終り、以降の場面を上演しない程である。と書いている。
尤も、観客へのサービスとして、そして、磯部侯の颯爽とした雄姿を見せるためには格好の場かも知れないが、蛇足だと思っている。
おはまに促されて、下から見えないように床の端に手を這わせて弔慰金を受け取るところなど、おどおど怖じ気た小市民の典型であり、その前の宗五郎が気風も威勢もよく素晴らしかっただけに、蛇足の限りである。
そもそも、磯部侯自身が、この芝居では、崇められるような人物ではないのである。
さて、女房おはまの時蔵 、磯部主計之助の錦之助、召使おなぎの梅枝 と言う萬屋の兄弟、父子のしっかりと脇を固めた好演が、光っており、菊五郎の宗五郎を支えて素晴らしい。
時蔵は、前にも菊五郎と協演していたが、今や決定版とも言うべきで、錦之介の磯部侯は、襲名披露公演でも観たと思うのだが、風格のある殿様然とした雄姿が光っていた。
父太兵衛の團蔵 や浦戸十左衛門の左團次も、常連と言う感じで適役であり、良い味を出していて楽しませて貰った。
左團次は、「毛抜」では、粂寺弾正として、素晴らしい舞台を見せてくれていた。