「鳴響安宅新関」の「安宅の段」だが、1990年以降、この国立劇場で、2回上演されているのだが、「勧進帳」や「安宅関」と云ったタイトルでは、一度も演じられていない。
毎回、必ず、小劇場に出かけているので、平成15(2003)年 5月の時には観ている筈だが記憶はない。
私が、記憶に鮮明な「勧進帳」は、6年前大阪の国立文楽劇場で、この時は、
武蔵坊弁慶は勘十郎、富樫は和生、源義経は勘彌で、丁度、仁左衛門の勧進帳を見た時で、両印象記を、このブログで書いた。
この「勧進帳」は、能の「安宅」から、歌舞伎の「勧進帳」が作出され、その「勧進帳」を基にして、文楽に移入されたと言う。
先のブログを見て思い出したのだが、「鳴響安宅新関」の「安宅の段」も歌舞伎や能との違いに注意して見ていた。
歌舞伎の舞台とは少し違ったシーンで列挙すると、
義経一行が安宅関に着いた時、関の役人達に門前払いを喰らって追い払われようとすること。
義経を呼び止めるのは、歌舞伎の場合には、番卒の耳打ちによるが、文楽の場合には、富樫本人が気付いて呼び戻すこと。
幕切れで、富樫は、弁慶には関係なく、義経が退場するのを見送ったらさっさと退場して行くこと。
歌舞伎の場合には、能と同じく松羽目のワンシーンの同じ舞台で通すのだが、文楽では、義経一行が関を遠く離れて主従が安堵している所へ富樫達が追っかけてきて酒を進める場面は、背景が、別の松羽目(浜辺の松を背景にして真っ青な海が広がっている爽快な)松羽目に転換して雰囲気を変えていること。
能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破して行くと言う設定だが、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、武士の情けで、安宅の関を通させるとする大きな違いがある。
どこで、富樫が、義経だと分かっておりながら、武士の情けで通すのか、あるいは、分からずに通すのか、能楽師や歌舞伎役者や文楽の演者によって微妙に違っていて興味深い。
能では、弁慶が、金剛杖を取って散々に義経を打擲して、さあ、通れと言って、一触即発状態になるのだが、
”11人の山伏は、打刀抜きかけて、勇みかかるありさまは、いかなる天魔鬼神も、恐れつべうぞ見えたる”と言う凄まじさで、ワキ/富樫が、「近頃謝りて候、はやはやおん通り候へ」と言うことになる。
また、能では、富樫が酒を持って詫びに登場して酒宴に入ってからも、シテ/弁慶は、一行に、「心許すな」と最後まで警戒心を解かずに警告しており、
”虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して、陸奥の国へぞ、下りける”で留め
文楽の床本の最後の文章も殆ど同じなのだが、シチュエーションを考えれば、緊迫感は、雲泥の差であろう。
尤も、能楽師によっても見解が違っており、富樫は勧進帳もおかしいし義経だと分かっており、弁慶も見破られていることを承知で、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかる表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマである心理劇が進んでいる二重構造だとする観世清和寿宗家や、富樫が弁慶に惚れたとする宝生閑師など、非常に興味深く、歌舞伎へのアウフヘーベンの秘密が垣間見えるような気がしていて面白い。
これらについては、このブログで、「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」などで書いているので、蛇足は避けたいと思う。
文楽は歌舞伎と同じで、今回も義経一行は、富樫が温情で関所突破を許してくれたと言う感謝の思いを、出立の時に、一礼をして示している。
特に、義経は、深笠で顔を隠しているのだが、富樫に向かって少し頭を下げ、中央に出て、振り替える時に笠を取って、富樫に顔を向けてちらりと凝視して、さっと踵を返して退場して行く。この時、富樫も義経に目を合わせて、さっと、体を翻して退場して行く。
二人が顔を合わせたのは、この時一回きりで、万感の思いを込めての邂逅と言うところであろうか。
玉女の弁慶は、義経一行も富樫たち関守たちも退場した後一人残されるのだが、はっきりと、富樫の去った方角に向けて、左手を拝むようにして顔に近づけ、静かに頭を下げて感謝の気持ちを表す。
前には、文吾が、弁慶を遣っていた時があったが、これからは、玉女の独壇場であろう。
揚幕から、玉女の弁慶が登場すると、盛んな拍手である。
歌舞伎は、主役は義経だと山川さんが云っているのだが、文楽の主役は弁慶であろう、玉女の弁慶は秀逸で、最後の飛六方も、歌舞伎とは違うが、ハッと掛け声をかけて勇壮に揚幕に跳んで行く、迫力十分であり、最後まで飽きさせない。
もう一つは、住大夫引退狂言に登場しなかった唯一のトップ人形師の一人である清十郎の颯爽とした気品のある富樫の素晴らしさも、特筆ものである。
女形が得意だからと言うだけではなかろう、とにかく、美しくて絵になっているのである。
興味深いのは、弁慶を遣う左遣いも足遣いも出遣いとなっていて、黒衣では分からなかった激しい勇壮な動きや舞、飛び六法など、非常によく分かって、実に楽しめることである。
左遣いを玉佳、足遣いを勘十郎の子息簑次が遣っていたが、夫々の熱演を見ていて、
足遣い10年、左遣い10年と言う修業の厳しさが良く分かった。
これを見ていると、先に勘十郎が、女殺油地獄の与兵衛の人形で、左遣い足遣い、特に、足遣いが大変だと言っていたが、人形の3人遣いの凄さに感銘を受けて感激している。
ところで、義太夫語りは、弁慶が英大夫、富樫が千歳大夫、義経が咲甫大夫、希太夫ほか、三味線は清助ほか、松羽目の舞台に広がった大夫と三味線のロング・ラインの迫力は満点である。
このように緊迫して迫力のある舞台では、やはり、大夫が丁々発止で、配役毎に役者を代えた方が良いのかも知れない。
住大夫引退公演の終幕を飾る舞台は、幕を閉じたのである。
毎回、必ず、小劇場に出かけているので、平成15(2003)年 5月の時には観ている筈だが記憶はない。
私が、記憶に鮮明な「勧進帳」は、6年前大阪の国立文楽劇場で、この時は、
武蔵坊弁慶は勘十郎、富樫は和生、源義経は勘彌で、丁度、仁左衛門の勧進帳を見た時で、両印象記を、このブログで書いた。
この「勧進帳」は、能の「安宅」から、歌舞伎の「勧進帳」が作出され、その「勧進帳」を基にして、文楽に移入されたと言う。
先のブログを見て思い出したのだが、「鳴響安宅新関」の「安宅の段」も歌舞伎や能との違いに注意して見ていた。
歌舞伎の舞台とは少し違ったシーンで列挙すると、
義経一行が安宅関に着いた時、関の役人達に門前払いを喰らって追い払われようとすること。
義経を呼び止めるのは、歌舞伎の場合には、番卒の耳打ちによるが、文楽の場合には、富樫本人が気付いて呼び戻すこと。
幕切れで、富樫は、弁慶には関係なく、義経が退場するのを見送ったらさっさと退場して行くこと。
歌舞伎の場合には、能と同じく松羽目のワンシーンの同じ舞台で通すのだが、文楽では、義経一行が関を遠く離れて主従が安堵している所へ富樫達が追っかけてきて酒を進める場面は、背景が、別の松羽目(浜辺の松を背景にして真っ青な海が広がっている爽快な)松羽目に転換して雰囲気を変えていること。
能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破して行くと言う設定だが、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、武士の情けで、安宅の関を通させるとする大きな違いがある。
どこで、富樫が、義経だと分かっておりながら、武士の情けで通すのか、あるいは、分からずに通すのか、能楽師や歌舞伎役者や文楽の演者によって微妙に違っていて興味深い。
能では、弁慶が、金剛杖を取って散々に義経を打擲して、さあ、通れと言って、一触即発状態になるのだが、
”11人の山伏は、打刀抜きかけて、勇みかかるありさまは、いかなる天魔鬼神も、恐れつべうぞ見えたる”と言う凄まじさで、ワキ/富樫が、「近頃謝りて候、はやはやおん通り候へ」と言うことになる。
また、能では、富樫が酒を持って詫びに登場して酒宴に入ってからも、シテ/弁慶は、一行に、「心許すな」と最後まで警戒心を解かずに警告しており、
”虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して、陸奥の国へぞ、下りける”で留め
文楽の床本の最後の文章も殆ど同じなのだが、シチュエーションを考えれば、緊迫感は、雲泥の差であろう。
尤も、能楽師によっても見解が違っており、富樫は勧進帳もおかしいし義経だと分かっており、弁慶も見破られていることを承知で、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかる表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマである心理劇が進んでいる二重構造だとする観世清和寿宗家や、富樫が弁慶に惚れたとする宝生閑師など、非常に興味深く、歌舞伎へのアウフヘーベンの秘密が垣間見えるような気がしていて面白い。
これらについては、このブログで、「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」などで書いているので、蛇足は避けたいと思う。
文楽は歌舞伎と同じで、今回も義経一行は、富樫が温情で関所突破を許してくれたと言う感謝の思いを、出立の時に、一礼をして示している。
特に、義経は、深笠で顔を隠しているのだが、富樫に向かって少し頭を下げ、中央に出て、振り替える時に笠を取って、富樫に顔を向けてちらりと凝視して、さっと踵を返して退場して行く。この時、富樫も義経に目を合わせて、さっと、体を翻して退場して行く。
二人が顔を合わせたのは、この時一回きりで、万感の思いを込めての邂逅と言うところであろうか。
玉女の弁慶は、義経一行も富樫たち関守たちも退場した後一人残されるのだが、はっきりと、富樫の去った方角に向けて、左手を拝むようにして顔に近づけ、静かに頭を下げて感謝の気持ちを表す。
前には、文吾が、弁慶を遣っていた時があったが、これからは、玉女の独壇場であろう。
揚幕から、玉女の弁慶が登場すると、盛んな拍手である。
歌舞伎は、主役は義経だと山川さんが云っているのだが、文楽の主役は弁慶であろう、玉女の弁慶は秀逸で、最後の飛六方も、歌舞伎とは違うが、ハッと掛け声をかけて勇壮に揚幕に跳んで行く、迫力十分であり、最後まで飽きさせない。
もう一つは、住大夫引退狂言に登場しなかった唯一のトップ人形師の一人である清十郎の颯爽とした気品のある富樫の素晴らしさも、特筆ものである。
女形が得意だからと言うだけではなかろう、とにかく、美しくて絵になっているのである。
興味深いのは、弁慶を遣う左遣いも足遣いも出遣いとなっていて、黒衣では分からなかった激しい勇壮な動きや舞、飛び六法など、非常によく分かって、実に楽しめることである。
左遣いを玉佳、足遣いを勘十郎の子息簑次が遣っていたが、夫々の熱演を見ていて、
足遣い10年、左遣い10年と言う修業の厳しさが良く分かった。
これを見ていると、先に勘十郎が、女殺油地獄の与兵衛の人形で、左遣い足遣い、特に、足遣いが大変だと言っていたが、人形の3人遣いの凄さに感銘を受けて感激している。
ところで、義太夫語りは、弁慶が英大夫、富樫が千歳大夫、義経が咲甫大夫、希太夫ほか、三味線は清助ほか、松羽目の舞台に広がった大夫と三味線のロング・ラインの迫力は満点である。
このように緊迫して迫力のある舞台では、やはり、大夫が丁々発止で、配役毎に役者を代えた方が良いのかも知れない。
住大夫引退公演の終幕を飾る舞台は、幕を閉じたのである。