日経が、経済教室に3回にわたって、「イノベーションの条件」を掲載した。
山中伸弥京大教授の「研究に専念できる体勢を」
延岡健太郎一橋大教授の「市場より『顧客価値』重視を」
伊地知寛博成城大教授の「意欲的企業の障害除け」の3篇で、お互いに何の脈絡もないので、日経の意図が分からない。
山中教授は、冒頭で、持論の「大学発イノベーションを生む環境づくりで重要なのは、特許の確実な取得と、それを可能にする様々な専門家を雇用出来る体制だ。」と説く。
iPS細胞研究所では、知財チームを確立して、「iPS細胞の作製技術を特定の企業に独占させないために」特許を確保し、非営利機関には無償、企業には利用しやすい価格で提供している。不安定な研究者の安定した雇用を確保し、研究者が研究業務の周辺業務に時間を取られず、リスクの高いテーマにも取り組める仕組みを、知財、人材、資金の面で整えることが、日本の研究機関でのイノベーション創出に繋がる。と言う。
桁違いの寄付額を誇る米国の大学と比較して、東大や京大の寄付額が如何に少ないかを示すために、「大学への年間寄付額」グラフを示して、国には、競争力のある研究環境を構築するために、寄付を後押しする政策や柔軟な研究資金の提供などのサポートを期待したい。と結んでいる。
基礎研究ステージで、所謂、イノベーションのシーズとなる発明発見の段階であるから、実際のイノベーションへの、過酷かつ熾烈なダーウィンの海や死の谷突破への道程とは違った生みの苦しみに対する科学者としての真摯な要望であろう。
延岡教授は、「イノベーションの本質は技術革新ではなく、革新的な商品やサービスによって、社会に役立つ新しい価値を創出すること、つまり、価値づくりにある。」として、イノベーション創出に苦労している日本企業の最大の問題は、技術革新が「真の顧客価値」に結びついていない点にある。と言う。
商品の価値には、機能的価値と意味的価値があるのだが、顧客が主観的に意味付ける価値である後者が、過当競争を生き抜くためにも、技術や社会に成熟化に伴い益々重要性を増しているにも拘らず、機能的価値重視の日本企業は、大きく後れを取っている。
これまでのような市場起点アプローチで、規模が大きく成長する市場だけ狙うと言う日本企業の対応ではダメで、意味的価値の涵養のためには、顧客に入り込んで共創する顧客起点の経営に切り替えなければならない。
数字や言葉で表しにくい意味的価値は、日本的コンセンサス重視の意思決定では扱いにくく、今でも、日本企業は、技術や機能の差別化を強調し、企画書は競合企業との技術仕様の比較が中心だ。と延岡教授は言うのだが、確かに、私の趣味のカメラの世界を見ても、当たっていて、スティーブ・ジョブズの世界等夢の夢であろう。
伊地知教授は、政府による日本企業のイノベーション動向調査を総括したレポートで、ポイントを要約すると、次の通り。
人材、資金、技術情報の不足が革新阻害
日本は商品より組織・営業の革新が中心
中小に大学などとの協働開発促す制度を
伊地知教授は、イノベーションの定義を、国際的には、新たなプロダクト(商品やサービス)を市場に導入したり、新たなプロセス(生産工程や供給方法など)を自社内に導入する「行為」を指している。としている。
各人各様にイノベーションのコンセプトが違っており、私自身は、シュンペーターとドラッカーをミックスしたような考え方をしており、このブログで100篇以上もイノベーションについて論じているので、詳論は避けるが、延岡教授や伊地知教授の説とは、大分、ニュアンスが違う。
経営戦略としてのイノベーションについては、モノとサービスの商品の開発に限れば、私自身は、最高のブレイクスルーである無競争の新規市場ブルーオーシャンの開発だと思っている。
人類の文化文明の発展のためには、産業革命規模のイノベーションである。
いずれにしろ、文化文明も、国家も、企業も、須らく、イノベーションがなければ、成長発展は有り得ないと思っている。
人間の創造性クリエイティビティは、無から有を生ずることはなく、必ず既知の知識や経験の新しい組み合わせによって生まれるのだと言われているが、イノベーションも、既知の技術や知識の自由かつ斬新な組み合わせで生まれ出る筈であるから、これからは、地球規模、すなわち、グローバルベースでの知の融合による共創が、必須要件となる筈である。
ヘンリー・チェスブロウがコインしたオープンイノベーションの時代であり、日本企業も、グローバルベースでのオープンビジネス志向に経営の舵を大きく切り替えなければならない。
日本経済を活性化して、再び、経済的覇権を確立したければ、日本の国を、あのメディチ家が、フィレンツェを、学問芸術、文化文明の十字路にしてルネサンスを現出したように、世界中の人知を日本に糾合して、産業のルネサンスを生み出さなければならないと思っている。
アベノミクスの第三の矢と言った程度の成長戦略では、ダメなのである。
山中伸弥京大教授の「研究に専念できる体勢を」
延岡健太郎一橋大教授の「市場より『顧客価値』重視を」
伊地知寛博成城大教授の「意欲的企業の障害除け」の3篇で、お互いに何の脈絡もないので、日経の意図が分からない。
山中教授は、冒頭で、持論の「大学発イノベーションを生む環境づくりで重要なのは、特許の確実な取得と、それを可能にする様々な専門家を雇用出来る体制だ。」と説く。
iPS細胞研究所では、知財チームを確立して、「iPS細胞の作製技術を特定の企業に独占させないために」特許を確保し、非営利機関には無償、企業には利用しやすい価格で提供している。不安定な研究者の安定した雇用を確保し、研究者が研究業務の周辺業務に時間を取られず、リスクの高いテーマにも取り組める仕組みを、知財、人材、資金の面で整えることが、日本の研究機関でのイノベーション創出に繋がる。と言う。
桁違いの寄付額を誇る米国の大学と比較して、東大や京大の寄付額が如何に少ないかを示すために、「大学への年間寄付額」グラフを示して、国には、競争力のある研究環境を構築するために、寄付を後押しする政策や柔軟な研究資金の提供などのサポートを期待したい。と結んでいる。
基礎研究ステージで、所謂、イノベーションのシーズとなる発明発見の段階であるから、実際のイノベーションへの、過酷かつ熾烈なダーウィンの海や死の谷突破への道程とは違った生みの苦しみに対する科学者としての真摯な要望であろう。
延岡教授は、「イノベーションの本質は技術革新ではなく、革新的な商品やサービスによって、社会に役立つ新しい価値を創出すること、つまり、価値づくりにある。」として、イノベーション創出に苦労している日本企業の最大の問題は、技術革新が「真の顧客価値」に結びついていない点にある。と言う。
商品の価値には、機能的価値と意味的価値があるのだが、顧客が主観的に意味付ける価値である後者が、過当競争を生き抜くためにも、技術や社会に成熟化に伴い益々重要性を増しているにも拘らず、機能的価値重視の日本企業は、大きく後れを取っている。
これまでのような市場起点アプローチで、規模が大きく成長する市場だけ狙うと言う日本企業の対応ではダメで、意味的価値の涵養のためには、顧客に入り込んで共創する顧客起点の経営に切り替えなければならない。
数字や言葉で表しにくい意味的価値は、日本的コンセンサス重視の意思決定では扱いにくく、今でも、日本企業は、技術や機能の差別化を強調し、企画書は競合企業との技術仕様の比較が中心だ。と延岡教授は言うのだが、確かに、私の趣味のカメラの世界を見ても、当たっていて、スティーブ・ジョブズの世界等夢の夢であろう。
伊地知教授は、政府による日本企業のイノベーション動向調査を総括したレポートで、ポイントを要約すると、次の通り。
人材、資金、技術情報の不足が革新阻害
日本は商品より組織・営業の革新が中心
中小に大学などとの協働開発促す制度を
伊地知教授は、イノベーションの定義を、国際的には、新たなプロダクト(商品やサービス)を市場に導入したり、新たなプロセス(生産工程や供給方法など)を自社内に導入する「行為」を指している。としている。
各人各様にイノベーションのコンセプトが違っており、私自身は、シュンペーターとドラッカーをミックスしたような考え方をしており、このブログで100篇以上もイノベーションについて論じているので、詳論は避けるが、延岡教授や伊地知教授の説とは、大分、ニュアンスが違う。
経営戦略としてのイノベーションについては、モノとサービスの商品の開発に限れば、私自身は、最高のブレイクスルーである無競争の新規市場ブルーオーシャンの開発だと思っている。
人類の文化文明の発展のためには、産業革命規模のイノベーションである。
いずれにしろ、文化文明も、国家も、企業も、須らく、イノベーションがなければ、成長発展は有り得ないと思っている。
人間の創造性クリエイティビティは、無から有を生ずることはなく、必ず既知の知識や経験の新しい組み合わせによって生まれるのだと言われているが、イノベーションも、既知の技術や知識の自由かつ斬新な組み合わせで生まれ出る筈であるから、これからは、地球規模、すなわち、グローバルベースでの知の融合による共創が、必須要件となる筈である。
ヘンリー・チェスブロウがコインしたオープンイノベーションの時代であり、日本企業も、グローバルベースでのオープンビジネス志向に経営の舵を大きく切り替えなければならない。
日本経済を活性化して、再び、経済的覇権を確立したければ、日本の国を、あのメディチ家が、フィレンツェを、学問芸術、文化文明の十字路にしてルネサンスを現出したように、世界中の人知を日本に糾合して、産業のルネサンスを生み出さなければならないと思っている。
アベノミクスの第三の矢と言った程度の成長戦略では、ダメなのである。