第一部の七世竹本住大夫引退公演の引退狂言は、「恋女房染分手綱」の「沓掛村の段」である。
前半を、文字久大夫と藤蔵で、切場を、住大夫と錦糸が演じる、正に、期待の引退狂言である。
住大夫が、心なしか、上気した緊張の面差しで床本を捧げると、万来の拍手で、一気に期待と興奮が高まる。
この狂言では、丹波城主由留木家の奥家老伊達与三兵衛の息子与作と由留木家の能楽師竹村定之進の娘、腰元重の井との不義密通によって生まれた息子与之助(簑助)を、与作の家来であった足軽の一平が、馬子の八蔵(勘十郎)として、乳母であった母(文雀)と共に預かって育てている八蔵の住居沓掛村の段である。
冒頭、眼病の母の看病で働きにも出られず、内職で生計を立てている赤貧洗うが如くの八蔵宅に、掛乞米屋や掛乞布屋が掛取りに来るのだが、あまりにも哀れなので貰い泣きすると言う凄まじさ。
幼気な与之助は、侍よりも、八蔵のように三吉を名乗って馬子になりないと言うので、母は、涙を流して実の両親のことを聞かせて諌める。
馬方仲間に誘われて馬子に出た八蔵が、追剥に絡まれて難儀していた座頭慶政(和生)を助けて、一夜の宿りにと連れ帰る。
夜中に、八蔵が、大脇差を取り出して砥石で研ぎだしたので、びっくりした母が慶政を襲って金を奪うのだと思って叱咤するが、討とうとしたのは、与作から3百両を奪って失脚させた鷲塚八平治で、それを聞いていた、慶政は、夜半にも拘わらず出立する。
そこへ、昼間慶政を襲った盗賊追い剥ぎ(紋壽、玉女)が、座頭の官銀をくすねただろうと乗り込んで来て乱闘となり、八蔵が火鉢で刀を受けると、灰もろとも金包みが落ちる。
追剥を打ち据えて追い出し、この金3百両は、慶政のものだと知って、八蔵は、慶政を追っ駆ける。
次の「坂の下の段」で、
この慶政は、与作の実兄(与八郎)で、与作に家督を継がせようと屋敷を出て、金を調えて官に上るところを、八蔵の話を聞いて、与作の難儀を救おうと金を置いて来たのだが、八蔵が追いついた時には、追剥にやられて瀕死の状態。
慶政は、こと切れるが、この追剥が、憎き仇八平治であったので、決闘の末、討ち取って首を与八郎に手向けとする。
住大夫の浄瑠璃語りは、優しい言葉を残して掛乞たちが帰った後、5つの与之助が、竹馬に跨って帰って来るところからで、簑助の与之助と文雀の八蔵母とのしみじみとした対話が始まり、人間国宝同士の感動的な舞台が展開される。
馬方になりたいと言う与之助に、「コレ、坊の父様はの。歴としたお侍。母さまは重の井様とてお大名のお腰元、・・・」情けないと、切々と乳母のクドキが始まる。
病気の年老いた乳母の万感胸に迫る、愛しい可哀そうな境遇の与之助に向かっての肺腑を抉るような住大夫のクドキが胸に沁み込んで、実に切ない。
分かってか分からずか、簑助の遣う幼気な与之助の表情が実に哀れを催し、文雀の病弱の老婆の主への真心一途の思いが泣かせる。
「文楽のこころを語る」で、住大夫は、
義太夫語りとしては悪声で、与之助の声なんか出えしません。与之助を裏声でやって、先代喜左衛門師匠に叱られ、高こう言わんでも、音で子供の声に聴かしたらええ、と言われ、この方法を会得するのに苦労して、いまだに、どないしたら耳触りのええ声がだせるかしらんと気ィ遣うてます。と言っているのだが、私には、この乳母のクドキの場は、感動の連続で、これだけ、素晴らしく胸を打つシーンは、かって、聴いたことも観たこともなかったと思う。
幸せだった筈の何の罪もない子供の無邪気さが、哀れで仕方がないのである。
先月の「菅原伝授手習鑑」の「桜丸切腹の段」で、住大夫が語った、親白太夫(玉也)と女房八重(文雀)との「アア、アイ」「泣くない」「ア、アイ」「泣くない」・・・あの断腸の悲痛のシーンを思い出した。
住大夫が、アメリカでは、大夫のことをシンガーと言いまんねんでェ。と言っていたが、ロンドンの文楽公演では、プログラムには、Reciterと書いてある。
Reciterは、朗読者と言う意味だが、これなどは、最低で、両方とも、大夫の凄さ素晴らしさを、何にも分かっていない。
本国の日本でも、文楽のブも分かっていない政治家がいるのだから、仕方ないかも知れないが、住大夫の義太夫語りを聴いておれば、一人の大夫が、あらゆる登場人物を語れば、ナレーションは勿論、状況や舞台展開等々一切を情感豊かに命を吹き込んで語りぬくと言う、超人とも言うべき凄まじい芸術魂に脱帽せざるを得ないと思う。
先のNHKの番組で、死んでからも勉強ですと言っていたが、血の滲むような生き様に感動する。
頻繁に上演される後段の「重の井子別れ」の段で、この与之助は、馬子の三吉として登場して、御殿に上がって重の井に対面して、実母と知って激しく迫るも、「馬方の子は持たぬ」と突き放されると言う悲惨な結末になるのだが、今回の「沓掛村の段」の住大夫の義太夫語りを聴いていると、その悲劇の顛末が痛いほどよく分かる。
今や最高峰の人形遣いの簑助が、与之助を遣うと言うのも、当然であって、子役ながら、最も重要な登場人物の一人なのである。
何となく感動しながら聴いていたので、それ程気をつけて意識していなかったのだが、その後の、盲目の座頭慶政の語りも、元高家の侍であり、今や、盲目の謂わば世捨て人であると言う複雑な人物なので、独特の思い入れと工夫があり、私など、人形の動きを追いながら、何の違和感もなく住大夫の語りを聴き続けているので、今になって、もっともっと、心して聴いておくべきだったと、後悔している。
さて、勘十郎の八蔵、和生の慶政は、今日の人形遣いとしては、最高の布陣であろう。
一寸出の盗賊追剥で登場した紋壽と玉女は、勿体ないくらいだが、やはり、住大夫の引退狂言で、華を添えたと言う意気込みであり、これだけ、素晴らしい文楽を見せて貰うとファン冥利に尽きると言うところである。
前半を、文字久大夫と藤蔵で、切場を、住大夫と錦糸が演じる、正に、期待の引退狂言である。
住大夫が、心なしか、上気した緊張の面差しで床本を捧げると、万来の拍手で、一気に期待と興奮が高まる。
この狂言では、丹波城主由留木家の奥家老伊達与三兵衛の息子与作と由留木家の能楽師竹村定之進の娘、腰元重の井との不義密通によって生まれた息子与之助(簑助)を、与作の家来であった足軽の一平が、馬子の八蔵(勘十郎)として、乳母であった母(文雀)と共に預かって育てている八蔵の住居沓掛村の段である。
冒頭、眼病の母の看病で働きにも出られず、内職で生計を立てている赤貧洗うが如くの八蔵宅に、掛乞米屋や掛乞布屋が掛取りに来るのだが、あまりにも哀れなので貰い泣きすると言う凄まじさ。
幼気な与之助は、侍よりも、八蔵のように三吉を名乗って馬子になりないと言うので、母は、涙を流して実の両親のことを聞かせて諌める。
馬方仲間に誘われて馬子に出た八蔵が、追剥に絡まれて難儀していた座頭慶政(和生)を助けて、一夜の宿りにと連れ帰る。
夜中に、八蔵が、大脇差を取り出して砥石で研ぎだしたので、びっくりした母が慶政を襲って金を奪うのだと思って叱咤するが、討とうとしたのは、与作から3百両を奪って失脚させた鷲塚八平治で、それを聞いていた、慶政は、夜半にも拘わらず出立する。
そこへ、昼間慶政を襲った盗賊追い剥ぎ(紋壽、玉女)が、座頭の官銀をくすねただろうと乗り込んで来て乱闘となり、八蔵が火鉢で刀を受けると、灰もろとも金包みが落ちる。
追剥を打ち据えて追い出し、この金3百両は、慶政のものだと知って、八蔵は、慶政を追っ駆ける。
次の「坂の下の段」で、
この慶政は、与作の実兄(与八郎)で、与作に家督を継がせようと屋敷を出て、金を調えて官に上るところを、八蔵の話を聞いて、与作の難儀を救おうと金を置いて来たのだが、八蔵が追いついた時には、追剥にやられて瀕死の状態。
慶政は、こと切れるが、この追剥が、憎き仇八平治であったので、決闘の末、討ち取って首を与八郎に手向けとする。
住大夫の浄瑠璃語りは、優しい言葉を残して掛乞たちが帰った後、5つの与之助が、竹馬に跨って帰って来るところからで、簑助の与之助と文雀の八蔵母とのしみじみとした対話が始まり、人間国宝同士の感動的な舞台が展開される。
馬方になりたいと言う与之助に、「コレ、坊の父様はの。歴としたお侍。母さまは重の井様とてお大名のお腰元、・・・」情けないと、切々と乳母のクドキが始まる。
病気の年老いた乳母の万感胸に迫る、愛しい可哀そうな境遇の与之助に向かっての肺腑を抉るような住大夫のクドキが胸に沁み込んで、実に切ない。
分かってか分からずか、簑助の遣う幼気な与之助の表情が実に哀れを催し、文雀の病弱の老婆の主への真心一途の思いが泣かせる。
「文楽のこころを語る」で、住大夫は、
義太夫語りとしては悪声で、与之助の声なんか出えしません。与之助を裏声でやって、先代喜左衛門師匠に叱られ、高こう言わんでも、音で子供の声に聴かしたらええ、と言われ、この方法を会得するのに苦労して、いまだに、どないしたら耳触りのええ声がだせるかしらんと気ィ遣うてます。と言っているのだが、私には、この乳母のクドキの場は、感動の連続で、これだけ、素晴らしく胸を打つシーンは、かって、聴いたことも観たこともなかったと思う。
幸せだった筈の何の罪もない子供の無邪気さが、哀れで仕方がないのである。
先月の「菅原伝授手習鑑」の「桜丸切腹の段」で、住大夫が語った、親白太夫(玉也)と女房八重(文雀)との「アア、アイ」「泣くない」「ア、アイ」「泣くない」・・・あの断腸の悲痛のシーンを思い出した。
住大夫が、アメリカでは、大夫のことをシンガーと言いまんねんでェ。と言っていたが、ロンドンの文楽公演では、プログラムには、Reciterと書いてある。
Reciterは、朗読者と言う意味だが、これなどは、最低で、両方とも、大夫の凄さ素晴らしさを、何にも分かっていない。
本国の日本でも、文楽のブも分かっていない政治家がいるのだから、仕方ないかも知れないが、住大夫の義太夫語りを聴いておれば、一人の大夫が、あらゆる登場人物を語れば、ナレーションは勿論、状況や舞台展開等々一切を情感豊かに命を吹き込んで語りぬくと言う、超人とも言うべき凄まじい芸術魂に脱帽せざるを得ないと思う。
先のNHKの番組で、死んでからも勉強ですと言っていたが、血の滲むような生き様に感動する。
頻繁に上演される後段の「重の井子別れ」の段で、この与之助は、馬子の三吉として登場して、御殿に上がって重の井に対面して、実母と知って激しく迫るも、「馬方の子は持たぬ」と突き放されると言う悲惨な結末になるのだが、今回の「沓掛村の段」の住大夫の義太夫語りを聴いていると、その悲劇の顛末が痛いほどよく分かる。
今や最高峰の人形遣いの簑助が、与之助を遣うと言うのも、当然であって、子役ながら、最も重要な登場人物の一人なのである。
何となく感動しながら聴いていたので、それ程気をつけて意識していなかったのだが、その後の、盲目の座頭慶政の語りも、元高家の侍であり、今や、盲目の謂わば世捨て人であると言う複雑な人物なので、独特の思い入れと工夫があり、私など、人形の動きを追いながら、何の違和感もなく住大夫の語りを聴き続けているので、今になって、もっともっと、心して聴いておくべきだったと、後悔している。
さて、勘十郎の八蔵、和生の慶政は、今日の人形遣いとしては、最高の布陣であろう。
一寸出の盗賊追剥で登場した紋壽と玉女は、勿体ないくらいだが、やはり、住大夫の引退狂言で、華を添えたと言う意気込みであり、これだけ、素晴らしい文楽を見せて貰うとファン冥利に尽きると言うところである。