昨夜、トリフォニーホールに、吉田裕史指揮ボローニャ歌劇場フィルハーモニーのコンサートを聞きに行った。
Ⅰ部 オペラ『蝶々夫人』よりハイライト
Ⅱ部 「プッチーニ!プッチーニ!」プッチーニ名曲集
と言うコンサート方式のオペラの夕べで、
出演者は、ソプラノ:ヌンツィア・サントディロッコ、メゾソプラノ:アントネッラ・コライアンニ、テノール:アントニオ・デ・パルマ、バリトン:マルツィオ・ジョッシ、テノール:石倉真 で、
テノール、バリトンの出演者が変更になっていて、ソプラノのアンナリーザ・ラスパリージョも直前になって代役を立てると言う状態で、少し、異常であった。
吉田裕史が、ボローニャ歌劇場フィルハーモニー芸術監督になったと言うことは大変な快挙で、このボローニャ歌劇場(Teatro Comunale di Bolognaであるから、ボローニャ市立劇場と言うのが正しいかも知れない)は、250年の歴史を持つイタリア屈指の歌劇場であり、その劇団の主要メンバーによる楽団であるので、日本のオペラを世界に紹介したいと言っているから、オペラ『夕鶴』なども舞台に乗るのであろう、大いに期待したい。
昔、アムステルダムにいた頃に、ボローニャ歌劇場の公演があって、チケットの手配が遅くなったためにミスってから、遅ればせながら、その実力に気付いた状態で恥かしい限りだが、
私が、ボローニャの名前を覚えたのは、全く別口で、半世紀も前、羽仁五郎の講演を聞いていて、ボローニャ大学(Alma mater studiorum - Università di Bologna)が、世界最古の総合大学で、「母なる大学」だと言うことを知った時である。
大学と言えば、コロンブスも航海学を学んだサラマンカ大学を訪れた時に、ヨーロッパ最古の大学に思いを馳せた。
ローマからベニスに汽車で行く途中、TEEが駅に暫く停車したので、ああここが、あのボローニャかと懐かしかったのを覚えている。
私が、今回、このコンサートに行く気になったのは、
チケットが、プレミアム席 10000円、S席 5000円、A席 3000円、B席 2000円 と非常に安くて、吉田裕史指揮でボローニャ・フィルハーモニカを聞けるのなら、御の字だと思ったからである。
ソリストについては、何の期待もなく、ボローニャだから、それなりの歌手を揃えて、それなりの演奏を楽しませてくれるであろうと思っていた。
METやスカラ座、ロイヤルやウィーンなら、ソリストなどまで調べるのだが、とにかく、コンサートだから、楽しいプッチーニ節が聞ければよいのである。
今回のオリジナル・メンバーのたった一人のメゾソプラノのアントネッラ・コライアンニは、10月に、ボローニャで、吉田の指揮するマルティーニのドン・キホーテのネリーナを歌うようであり、スマートで中々魅力的であった。
来日予定であったアンナリーザ・ラスパリョージは、2月のトスカを歌っており、是非聞きたかったが残念であった。
今回のコンサートについては、最初、オーケストラの音色の不安定さが気になったが、法華の太鼓と言うと語弊があるが、どんどん、調子を上げて行き、流石にボローニアである。
吉田裕史が言っていたが、カンタール、歌うと言うよりも歌いまくるオーケストラのようで、それも、イタリアであるから、ボローニャ市立劇場で聴くオペラは、途轍もなく高揚して楽しいのであろう。
ダンディなイタリア男のように粋に振舞う吉田と相性ピッタリのボローニャ・フィルハーモニカの流れるような、それでいて、ダイナミックな明るくて輝きのあるサウンドは、プッチーニには格別なのであろう。
ところで、歌手だが、やはり、イタリアだけあって、一線級の歌手と言わなくても、或いは、往年の張りと輝きをうしなったと言えども、層の厚さ・水準の高さを見せつけてくれて、それなりに、感動的な歌唱を聴かせてくれた。
とにかく、名場面を鏤めたアリアの連続なので、美音と甘美なメロディーに装飾されたプッチーニ節を楽しませてくれたのである。
蝶々夫人については、色々な思い出があるが、最初に聴いたのは、サンパウロ市立劇場でのサンパウロオペラで、ボリショイ歌劇場でタイトルロールを歌って人気を博していた東敦子の圧倒的な舞台であった。
次に印象深いのは、渡辺葉子のロンドンのロイヤル・オペラでの蝶々夫人で、感動して2回行った。スカラ座やウィーン国立歌劇場などトップ歌劇場を総なめにしたのだから凄い歌手であった。
コンサートなどでも、ヨーロッパ人のソプラノの蝶々夫人を聴いて来たが、このオペラだけは、日本女性の素晴らしい歌声を聞きたいと思っている。
今回のコンサートの最後は、トーランドットの「誰も寝てはならぬ」
思い出すのは、ベローナの野外劇場アリーナでのホセ・クーラのカラフの素晴らしい舞台。
随分古い話だが、METでのフランコ・コレッリのカラフも忘れられない。
私の場合は、欧米で聴いたオペラの印象の方が強いのだが、今でも、そのオペラが生まれ育った土壌で聴くのが、一番良いと思っている。
素晴らしいオペラの殆どは、METやヨーロッパのTOP歌劇場で聴いて来たので、このような美しいアリアやメロディの数々を聴くと、苦労に苦労を重ねて走り回っていた当時の異国での思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡って、涙が零れるほど懐かしい。
ところが、まず、小澤征爾のコンサートにアメリカで感激し、そして、大野和士に、またまた、吉田裕史にと、日本の指揮者たちが、ヨーロッパ生まれのオペラを自家薬籠中の音楽にしてしまっている、この驚異。
あれだけ寸暇を惜しんで通い続けたオペラだが、最近では、大分、遠ざかってしまい、CDを聴くこともDVDを見ることも少なくなったのだが、歳の所為であろうか。
Ⅰ部 オペラ『蝶々夫人』よりハイライト
Ⅱ部 「プッチーニ!プッチーニ!」プッチーニ名曲集
と言うコンサート方式のオペラの夕べで、
出演者は、ソプラノ:ヌンツィア・サントディロッコ、メゾソプラノ:アントネッラ・コライアンニ、テノール:アントニオ・デ・パルマ、バリトン:マルツィオ・ジョッシ、テノール:石倉真 で、
テノール、バリトンの出演者が変更になっていて、ソプラノのアンナリーザ・ラスパリージョも直前になって代役を立てると言う状態で、少し、異常であった。
吉田裕史が、ボローニャ歌劇場フィルハーモニー芸術監督になったと言うことは大変な快挙で、このボローニャ歌劇場(Teatro Comunale di Bolognaであるから、ボローニャ市立劇場と言うのが正しいかも知れない)は、250年の歴史を持つイタリア屈指の歌劇場であり、その劇団の主要メンバーによる楽団であるので、日本のオペラを世界に紹介したいと言っているから、オペラ『夕鶴』なども舞台に乗るのであろう、大いに期待したい。
昔、アムステルダムにいた頃に、ボローニャ歌劇場の公演があって、チケットの手配が遅くなったためにミスってから、遅ればせながら、その実力に気付いた状態で恥かしい限りだが、
私が、ボローニャの名前を覚えたのは、全く別口で、半世紀も前、羽仁五郎の講演を聞いていて、ボローニャ大学(Alma mater studiorum - Università di Bologna)が、世界最古の総合大学で、「母なる大学」だと言うことを知った時である。
大学と言えば、コロンブスも航海学を学んだサラマンカ大学を訪れた時に、ヨーロッパ最古の大学に思いを馳せた。
ローマからベニスに汽車で行く途中、TEEが駅に暫く停車したので、ああここが、あのボローニャかと懐かしかったのを覚えている。
私が、今回、このコンサートに行く気になったのは、
チケットが、プレミアム席 10000円、S席 5000円、A席 3000円、B席 2000円 と非常に安くて、吉田裕史指揮でボローニャ・フィルハーモニカを聞けるのなら、御の字だと思ったからである。
ソリストについては、何の期待もなく、ボローニャだから、それなりの歌手を揃えて、それなりの演奏を楽しませてくれるであろうと思っていた。
METやスカラ座、ロイヤルやウィーンなら、ソリストなどまで調べるのだが、とにかく、コンサートだから、楽しいプッチーニ節が聞ければよいのである。
今回のオリジナル・メンバーのたった一人のメゾソプラノのアントネッラ・コライアンニは、10月に、ボローニャで、吉田の指揮するマルティーニのドン・キホーテのネリーナを歌うようであり、スマートで中々魅力的であった。
来日予定であったアンナリーザ・ラスパリョージは、2月のトスカを歌っており、是非聞きたかったが残念であった。
今回のコンサートについては、最初、オーケストラの音色の不安定さが気になったが、法華の太鼓と言うと語弊があるが、どんどん、調子を上げて行き、流石にボローニアである。
吉田裕史が言っていたが、カンタール、歌うと言うよりも歌いまくるオーケストラのようで、それも、イタリアであるから、ボローニャ市立劇場で聴くオペラは、途轍もなく高揚して楽しいのであろう。
ダンディなイタリア男のように粋に振舞う吉田と相性ピッタリのボローニャ・フィルハーモニカの流れるような、それでいて、ダイナミックな明るくて輝きのあるサウンドは、プッチーニには格別なのであろう。
ところで、歌手だが、やはり、イタリアだけあって、一線級の歌手と言わなくても、或いは、往年の張りと輝きをうしなったと言えども、層の厚さ・水準の高さを見せつけてくれて、それなりに、感動的な歌唱を聴かせてくれた。
とにかく、名場面を鏤めたアリアの連続なので、美音と甘美なメロディーに装飾されたプッチーニ節を楽しませてくれたのである。
蝶々夫人については、色々な思い出があるが、最初に聴いたのは、サンパウロ市立劇場でのサンパウロオペラで、ボリショイ歌劇場でタイトルロールを歌って人気を博していた東敦子の圧倒的な舞台であった。
次に印象深いのは、渡辺葉子のロンドンのロイヤル・オペラでの蝶々夫人で、感動して2回行った。スカラ座やウィーン国立歌劇場などトップ歌劇場を総なめにしたのだから凄い歌手であった。
コンサートなどでも、ヨーロッパ人のソプラノの蝶々夫人を聴いて来たが、このオペラだけは、日本女性の素晴らしい歌声を聞きたいと思っている。
今回のコンサートの最後は、トーランドットの「誰も寝てはならぬ」
思い出すのは、ベローナの野外劇場アリーナでのホセ・クーラのカラフの素晴らしい舞台。
随分古い話だが、METでのフランコ・コレッリのカラフも忘れられない。
私の場合は、欧米で聴いたオペラの印象の方が強いのだが、今でも、そのオペラが生まれ育った土壌で聴くのが、一番良いと思っている。
素晴らしいオペラの殆どは、METやヨーロッパのTOP歌劇場で聴いて来たので、このような美しいアリアやメロディの数々を聴くと、苦労に苦労を重ねて走り回っていた当時の異国での思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡って、涙が零れるほど懐かしい。
ところが、まず、小澤征爾のコンサートにアメリカで感激し、そして、大野和士に、またまた、吉田裕史にと、日本の指揮者たちが、ヨーロッパ生まれのオペラを自家薬籠中の音楽にしてしまっている、この驚異。
あれだけ寸暇を惜しんで通い続けたオペラだが、最近では、大分、遠ざかってしまい、CDを聴くこともDVDを見ることも少なくなったのだが、歳の所為であろうか。