先日、国立能楽堂での普及公演で、大蔵流茂山千五郎家の狂言「文荷」を鑑賞した。
これまでに、2回ほど、同じく大蔵流だったと思うが、この「文荷」を見ていて、深刻な物語である能の「恋重荷」のパロディ版として、捻った狂言らしい曲としての面白さがあって、興味深く観ているのである。
今回は、シテ/太郎冠者が七五三、アド/主が千五郎、アド/次郎冠者があきらと言う茂山千五郎家のトップたちが演じるのであるから、大変素晴らしい舞台であった。
千作が残した千五郎一門の、非常に質の高く層の厚い狂言グループの醸し出す舞台は、京都と言う上質な上方の文化と伝統を色濃く継承体現している所為であろう、芸に膨らみと奥行きがあって、私は好きである。
話は極めてシンプル。
主人の命令で、恋文を届けに行くのだが、気が進まず交互に持ったり、竹に結び付けて二人で担ったりして、能の「恋重荷」の一節を謡いながら歩き、途中で、恋の文は重いと道に座り込む。
中身を読みたくなって文を開き、奪い合って読むうちに引き裂いてしまう。
困った二人は、「風の便りに届け」と小歌を口遊みながら、二つに千切れた手紙を扇で煽っているところへ、帰りが遅いので心配になった主人がやって来て、ことの顛末を知って二人を叱る。
さて、この文のあて先は、「左近三郎殿」と言うことだが、相手は稚児で、当時流行っていたと言う男色趣味を主題にしているのである。
狂言「老武者」も、美しい稚児巡っての争いを扱っていて面白い。
また、片山幽雪の「関寺小町」を観た時の私の印象記も次の通りで、これは老女が稚児にうっとりと言うので男色とは違うが、日本にも、プラトンの説くプラトニックラブの世界が展開されているようで興味深い。
(プラトンのプラトニック・ラブ(Platonic love)は、「肉体的な欲求を離れた、精神的な愛」と言うことではなくて、男同士の愛で、プラトンの時代にはパイデラスティアー(paiderastia、少年愛)が一般的に見られ、プラトン自身も、若くて綺麗な少年を愛する男色者であったと言う。)
関寺の住僧たちが寵愛する稚児を連れて登場し、老女小町が、稚児に酒を注がれてほろりとして優雅な舞に触発されて、よろよろしながらも、五節の舞を思いながら舞うと言うシーンがあるのだが、当時、乙女のように初々しく着飾った稚児に思いを馳せると言う男色趣味が普通であったと言う反映であろう。あの能を大成した世阿弥さえも、義満の男色の相手だったと言うし、信長と蘭丸の男色関係も有名である。
この文のあて先は、せんみつ殿としたり、女性名の花子としたりするバージョンもあるようだが、いずれにしろ、ラブレターであるから、「恋重荷」故に重いのである。
文を開いて、「さてもさてもいつぞやのかたじけなきこと、海山海山」と書いてあり海山だからとか、こいしこいしで小石が沢山だからと、重いのも道理と揶揄しながら読み興じるのであるから、能「恋重荷」との落差の激しさが、面白い。
恋文なので、奥様に悪いと言うバージョンもあるようだが、いずれにしろ、頼りにならないズッコケた太郎冠者と次郎冠者に恋のメッセンジャーを頼む主人も主人で、どこからともなく聞こえて来る「風の便り」を、大真面目に扇を扇いで風を吹かせて文を届けようとするアクションに替える突拍子もないギャグが、狂言の本領かも知れない。
「アホとちゃうか」と思って狂言を観れば、それもそうかも知れない。
イギリスを筆頭にユーモアを大切にする欧米文化と比べると、何となく屈折した陰に籠った笑いと言うか、捻りに捻った可笑しみが日本的なのであろうか。
落語、漫才、狂歌等々、笑いを誘う芸能や文化があるのだが、どうも、主役には程遠い。
歌舞伎にしろ文楽にしろ、あるいは、能にしろ、暗くて悲劇ばかりの多い古典芸能の中で、その意味では、松羽目ものとして歌舞伎にも影響を与えるなど、狂言の存在意義は非常に大きいと言うべきであろう。
一方、ギリシャ劇にも西洋劇にも、悲劇と同時に、非常に質の高い素晴らしい喜劇が沢山あって、抱腹絶倒、腹の底から観客を喜ばせており、パーフォーマンス・アーツに対する文化感の差が興味深い。
(追記)この日、上演された能は、観世流の「阿漕」(シテ/観世恭秀、ワキ/宝生閑)であった。
殺生の報いを描く能と言うことで、殺生を禁じられていた阿漕が浦で、密かに漁を続けていた漁師の物語で、捉えられて沖に沈められ、幽霊として現われて旅僧に弔いを頼むも、成仏できずに海の底へ帰って行くと言う実に悲しいストーリーである。
これまでに、2回ほど、同じく大蔵流だったと思うが、この「文荷」を見ていて、深刻な物語である能の「恋重荷」のパロディ版として、捻った狂言らしい曲としての面白さがあって、興味深く観ているのである。
今回は、シテ/太郎冠者が七五三、アド/主が千五郎、アド/次郎冠者があきらと言う茂山千五郎家のトップたちが演じるのであるから、大変素晴らしい舞台であった。
千作が残した千五郎一門の、非常に質の高く層の厚い狂言グループの醸し出す舞台は、京都と言う上質な上方の文化と伝統を色濃く継承体現している所為であろう、芸に膨らみと奥行きがあって、私は好きである。
話は極めてシンプル。
主人の命令で、恋文を届けに行くのだが、気が進まず交互に持ったり、竹に結び付けて二人で担ったりして、能の「恋重荷」の一節を謡いながら歩き、途中で、恋の文は重いと道に座り込む。
中身を読みたくなって文を開き、奪い合って読むうちに引き裂いてしまう。
困った二人は、「風の便りに届け」と小歌を口遊みながら、二つに千切れた手紙を扇で煽っているところへ、帰りが遅いので心配になった主人がやって来て、ことの顛末を知って二人を叱る。
さて、この文のあて先は、「左近三郎殿」と言うことだが、相手は稚児で、当時流行っていたと言う男色趣味を主題にしているのである。
狂言「老武者」も、美しい稚児巡っての争いを扱っていて面白い。
また、片山幽雪の「関寺小町」を観た時の私の印象記も次の通りで、これは老女が稚児にうっとりと言うので男色とは違うが、日本にも、プラトンの説くプラトニックラブの世界が展開されているようで興味深い。
(プラトンのプラトニック・ラブ(Platonic love)は、「肉体的な欲求を離れた、精神的な愛」と言うことではなくて、男同士の愛で、プラトンの時代にはパイデラスティアー(paiderastia、少年愛)が一般的に見られ、プラトン自身も、若くて綺麗な少年を愛する男色者であったと言う。)
関寺の住僧たちが寵愛する稚児を連れて登場し、老女小町が、稚児に酒を注がれてほろりとして優雅な舞に触発されて、よろよろしながらも、五節の舞を思いながら舞うと言うシーンがあるのだが、当時、乙女のように初々しく着飾った稚児に思いを馳せると言う男色趣味が普通であったと言う反映であろう。あの能を大成した世阿弥さえも、義満の男色の相手だったと言うし、信長と蘭丸の男色関係も有名である。
この文のあて先は、せんみつ殿としたり、女性名の花子としたりするバージョンもあるようだが、いずれにしろ、ラブレターであるから、「恋重荷」故に重いのである。
文を開いて、「さてもさてもいつぞやのかたじけなきこと、海山海山」と書いてあり海山だからとか、こいしこいしで小石が沢山だからと、重いのも道理と揶揄しながら読み興じるのであるから、能「恋重荷」との落差の激しさが、面白い。
恋文なので、奥様に悪いと言うバージョンもあるようだが、いずれにしろ、頼りにならないズッコケた太郎冠者と次郎冠者に恋のメッセンジャーを頼む主人も主人で、どこからともなく聞こえて来る「風の便り」を、大真面目に扇を扇いで風を吹かせて文を届けようとするアクションに替える突拍子もないギャグが、狂言の本領かも知れない。
「アホとちゃうか」と思って狂言を観れば、それもそうかも知れない。
イギリスを筆頭にユーモアを大切にする欧米文化と比べると、何となく屈折した陰に籠った笑いと言うか、捻りに捻った可笑しみが日本的なのであろうか。
落語、漫才、狂歌等々、笑いを誘う芸能や文化があるのだが、どうも、主役には程遠い。
歌舞伎にしろ文楽にしろ、あるいは、能にしろ、暗くて悲劇ばかりの多い古典芸能の中で、その意味では、松羽目ものとして歌舞伎にも影響を与えるなど、狂言の存在意義は非常に大きいと言うべきであろう。
一方、ギリシャ劇にも西洋劇にも、悲劇と同時に、非常に質の高い素晴らしい喜劇が沢山あって、抱腹絶倒、腹の底から観客を喜ばせており、パーフォーマンス・アーツに対する文化感の差が興味深い。
(追記)この日、上演された能は、観世流の「阿漕」(シテ/観世恭秀、ワキ/宝生閑)であった。
殺生の報いを描く能と言うことで、殺生を禁じられていた阿漕が浦で、密かに漁を続けていた漁師の物語で、捉えられて沖に沈められ、幽霊として現われて旅僧に弔いを頼むも、成仏できずに海の底へ帰って行くと言う実に悲しいストーリーである。