久しぶりの「双蝶々曲輪日記」の通し狂言である。
歌舞伎では、「相撲場」と「引窓」の舞台をかなり頻繁に観ているのだが、文楽では、10年前に、この劇場で通し狂言として演じられたようだが、私の記憶に殆ど残っていない。
大いに期待して出かけたのだが、流石に、満員御礼であった。
来月、大劇場で、歌舞伎バージョンの通し狂言「双蝶々曲輪日記」を上演するので、ダブルで楽しめると言う、正に、国立劇場ならではの好企画の勝利であろうか。
今回、注目の舞台は、やはり、後半の「橋本の段」と「八幡里引窓の段」であった。
先の文楽での記憶が残っているのか、「橋本の段」も初めてという感じではないのだが、単独で上演されることはないようながら、非常に充実した舞台であった。
出演者も、大夫と三味線は、嶋大夫と錦糸で、それに、橋本治部右衛門に玉女、山崎与次兵衛に紋壽、駕籠かき甚衛に勘十郎、が登場するなど、「引窓」に引けを取らない充実ぶりである。
この浄瑠璃の主役は、相撲取りの濡髪長五郎(玉也)であろう。
濡髪は、贔屓筋の山崎与五郎(文司)が、花魁藤屋吾妻(清十郎)の身請け争いで駆け落ちして、襲われているのを助けるために駆けて行き、争って相手の平岡郷左衛門(文哉)たちを殺害したので、お尋ね者として逃亡する。暇乞いのために、実母(紋壽)を訪ねるのが、八幡を舞台にした「引窓の段」で、
その与五郎が、身持ちが悪いために、実家に連れ帰されていた嫁お照(一輔)の里橋本を訪ねて、駆け落ちしてきた吾妻を匿ってくれと虫のよい依頼に逃げ込んで来たのが「橋本の段」である。
さて、「橋本の段」だが、
泣く泣く吾妻を匿うと約束したお照の父治部右衛門が出て来て与五郎も一緒に匿うことを許すが、条件として与五郎にお照への離縁状を書かせる。
そこへ、与五郎の父与次兵衛が現れ、お照を連れ帰ろうとする。
お照を帰す帰さないで二人は口論を始め、抜刀沙汰の争いになるのだが、そこへ、与五郎と吾妻を運んできた駕籠かきの甚兵衛が割って入り、吾妻に与五郎を諦めさせるべく説得すると言う。
実は、甚兵衛は、吾妻の実父で、血を分けた親子の血の滲むような切ない会話が切々と交わされ、吾妻は理解しつつも与五郎に義理を立てて自害の覚悟。
別室で聞いていた治部右衛門が入って来て、子を思う心は誰も同じと、重宝の刀正宗を売って吾妻の身請けの金にしようと言い、与次兵衛は与五郎に名を譲るべく頭を丸めて出家姿で登場し、二人も和解して、与五郎は、本妻のお照と、妾として吾妻を連れて山崎へと立つ。
剛直な武士である治部右衛門、商家の旦那与次兵衛、駕籠かきの甚兵衛、嶋大夫の語りと錦糸の三味線が、夫々の人生背景を濃厚に表出しながら、子を思って苦悩に喘ぐ親心を、切々と語り続けるその語り口が実に素晴らしく、それに応えて人形が生身の役者以上にビビッドに躍動して、正に感動ものである。
特に、甚兵衛の勘十郎と吾妻の清十郎との人形の慟哭が、涙を誘って秀逸であった。
余談だが、住大夫に続いて、残念ながら、病気休演中であった源大夫が引退して、現役の大夫に人間国宝がいなくなってしまったので、トップ・ランナーである嶋大夫の存在は、より以上に重要となり、人間的で滋味深い語りが益々冴えきっているのを感激して拝聴していた。
住大夫の名調子を支え続けてきた錦糸の素晴らしい三味線も忘れがたい。
「引窓」の素晴らしさは、言うまでもない。
切場語りの咲大夫と燕三の三味線が、絶好調で、心なしか、咲大夫の今までに聞いたこともないようなおはやの声音の艶やかさ優しさ温かさに、そして、母の切々と胸に響く肺腑を抉るような滋味深い語り口に、感動した。
人間国宝の簑助が、女房おはやを、紋壽が母を遣い、和生が、南方十次兵衛を使うと言う豪華版で、冒頭の「相撲場」から、堂々とした偉丈夫の濡髪長五郎を遣って微動だにしない貫録を示す玉也を支えて、正に、素晴らしいの一言である。
何故、この段が「引窓」なのか、この段で、2度屋根の明り取りの「引窓」が、非常に重要な役割を果たしているのである。
最初は、郷代官に初任した十次兵衛が、初仕事である探索相手のお尋ね者の濡髪が、二階から顔を出して似顔絵を覗き見ているのを、手水鉢に写るのに気付いて、刀に手をかけたので、とっさに、女房おはやが、引窓を引いて部屋を暗くして隠そうとした時である。
十次兵衛は、母に里子に出した実子のあることを知っており、人相書きを爪に火を灯して貯めた冥加金で買いたいと懇願する母の姿に、総ての事情を察して、夜ならば自分の役目だと言ったので、おはやは、困ると思って咄嗟に引窓を開ける。
もう一度は、最後のシーンで、母が義理の息子十次兵衛に手柄を立てさせようとして引窓の綱で結わえていた濡髪の綱を、入って来た十次兵衛が切って、中秋の名月の月明かりが漏れて明るくなったので、
「南無三法夜が明けた。身共が役は夜の内ばかり。明くればすなわち放生会。生けるを放すところの法。恩に着ずともお往きやれ」と解き放つ慈悲に喜ぶ嫁姑。と言うハッピーエンド。
真夜中だが、明ければ、八幡宮の放生会の賑やかな大祭、だんじり囃に紛れて消えて行く「夏祭浪花鑑」の団七を彷彿とさせて面白い。
ところで、この十次兵衛であるが、この「引窓」では、郷代官に任命されて意気揚々と帰って来て素晴らしい役どころを演じているが、南与兵衛の頃は、大坂の色町で入り浸りの荒んだ生活を送っていた御仁で、すぐに、親の仕事を継げなかったのであり、元々は、そんなに、大役者が大見得を切って颯爽と恰好をつけて演じるような人物ではない。
女房おはやは、その頃知り合った遊女のみやこで、当然、濡髪とは旧知の間柄であり、再会した早々に、濡髪への同情は禁じ得ず、必死になって濡髪を庇うので、夫の十次兵衛が怪しむ。
したがって、この十次兵衛は、酸いも辛いも人生の機微は十二分に知り尽くした人情家であるはずで、手柄を棒に振ってお咎め覚悟で母への義理を果たす。
そのあたりの十次兵衛像を、和生は心憎いまでに人形に託して演じ切っており、素晴らしいと思った。
ほんのりと色香漂う温かい女房を簑助が、そして、朴訥ながら情にどっぷり溺れて必死になって二人の子を思って義理の狭間に泣く老母の泣き笑いを紋壽が、夫々、実に感動的に遣っていて、人形だから出せる女形の妙技なのか、女形を遣って双璧の二人の円熟し切った人形遣いに感動しきりであった。
とにかく、人形も人形だが、咲大夫と燕三の名調子に脱帽である。
歌舞伎では、「相撲場」と「引窓」の舞台をかなり頻繁に観ているのだが、文楽では、10年前に、この劇場で通し狂言として演じられたようだが、私の記憶に殆ど残っていない。
大いに期待して出かけたのだが、流石に、満員御礼であった。
来月、大劇場で、歌舞伎バージョンの通し狂言「双蝶々曲輪日記」を上演するので、ダブルで楽しめると言う、正に、国立劇場ならではの好企画の勝利であろうか。
今回、注目の舞台は、やはり、後半の「橋本の段」と「八幡里引窓の段」であった。
先の文楽での記憶が残っているのか、「橋本の段」も初めてという感じではないのだが、単独で上演されることはないようながら、非常に充実した舞台であった。
出演者も、大夫と三味線は、嶋大夫と錦糸で、それに、橋本治部右衛門に玉女、山崎与次兵衛に紋壽、駕籠かき甚衛に勘十郎、が登場するなど、「引窓」に引けを取らない充実ぶりである。
この浄瑠璃の主役は、相撲取りの濡髪長五郎(玉也)であろう。
濡髪は、贔屓筋の山崎与五郎(文司)が、花魁藤屋吾妻(清十郎)の身請け争いで駆け落ちして、襲われているのを助けるために駆けて行き、争って相手の平岡郷左衛門(文哉)たちを殺害したので、お尋ね者として逃亡する。暇乞いのために、実母(紋壽)を訪ねるのが、八幡を舞台にした「引窓の段」で、
その与五郎が、身持ちが悪いために、実家に連れ帰されていた嫁お照(一輔)の里橋本を訪ねて、駆け落ちしてきた吾妻を匿ってくれと虫のよい依頼に逃げ込んで来たのが「橋本の段」である。
さて、「橋本の段」だが、
泣く泣く吾妻を匿うと約束したお照の父治部右衛門が出て来て与五郎も一緒に匿うことを許すが、条件として与五郎にお照への離縁状を書かせる。
そこへ、与五郎の父与次兵衛が現れ、お照を連れ帰ろうとする。
お照を帰す帰さないで二人は口論を始め、抜刀沙汰の争いになるのだが、そこへ、与五郎と吾妻を運んできた駕籠かきの甚兵衛が割って入り、吾妻に与五郎を諦めさせるべく説得すると言う。
実は、甚兵衛は、吾妻の実父で、血を分けた親子の血の滲むような切ない会話が切々と交わされ、吾妻は理解しつつも与五郎に義理を立てて自害の覚悟。
別室で聞いていた治部右衛門が入って来て、子を思う心は誰も同じと、重宝の刀正宗を売って吾妻の身請けの金にしようと言い、与次兵衛は与五郎に名を譲るべく頭を丸めて出家姿で登場し、二人も和解して、与五郎は、本妻のお照と、妾として吾妻を連れて山崎へと立つ。
剛直な武士である治部右衛門、商家の旦那与次兵衛、駕籠かきの甚兵衛、嶋大夫の語りと錦糸の三味線が、夫々の人生背景を濃厚に表出しながら、子を思って苦悩に喘ぐ親心を、切々と語り続けるその語り口が実に素晴らしく、それに応えて人形が生身の役者以上にビビッドに躍動して、正に感動ものである。
特に、甚兵衛の勘十郎と吾妻の清十郎との人形の慟哭が、涙を誘って秀逸であった。
余談だが、住大夫に続いて、残念ながら、病気休演中であった源大夫が引退して、現役の大夫に人間国宝がいなくなってしまったので、トップ・ランナーである嶋大夫の存在は、より以上に重要となり、人間的で滋味深い語りが益々冴えきっているのを感激して拝聴していた。
住大夫の名調子を支え続けてきた錦糸の素晴らしい三味線も忘れがたい。
「引窓」の素晴らしさは、言うまでもない。
切場語りの咲大夫と燕三の三味線が、絶好調で、心なしか、咲大夫の今までに聞いたこともないようなおはやの声音の艶やかさ優しさ温かさに、そして、母の切々と胸に響く肺腑を抉るような滋味深い語り口に、感動した。
人間国宝の簑助が、女房おはやを、紋壽が母を遣い、和生が、南方十次兵衛を使うと言う豪華版で、冒頭の「相撲場」から、堂々とした偉丈夫の濡髪長五郎を遣って微動だにしない貫録を示す玉也を支えて、正に、素晴らしいの一言である。
何故、この段が「引窓」なのか、この段で、2度屋根の明り取りの「引窓」が、非常に重要な役割を果たしているのである。
最初は、郷代官に初任した十次兵衛が、初仕事である探索相手のお尋ね者の濡髪が、二階から顔を出して似顔絵を覗き見ているのを、手水鉢に写るのに気付いて、刀に手をかけたので、とっさに、女房おはやが、引窓を引いて部屋を暗くして隠そうとした時である。
十次兵衛は、母に里子に出した実子のあることを知っており、人相書きを爪に火を灯して貯めた冥加金で買いたいと懇願する母の姿に、総ての事情を察して、夜ならば自分の役目だと言ったので、おはやは、困ると思って咄嗟に引窓を開ける。
もう一度は、最後のシーンで、母が義理の息子十次兵衛に手柄を立てさせようとして引窓の綱で結わえていた濡髪の綱を、入って来た十次兵衛が切って、中秋の名月の月明かりが漏れて明るくなったので、
「南無三法夜が明けた。身共が役は夜の内ばかり。明くればすなわち放生会。生けるを放すところの法。恩に着ずともお往きやれ」と解き放つ慈悲に喜ぶ嫁姑。と言うハッピーエンド。
真夜中だが、明ければ、八幡宮の放生会の賑やかな大祭、だんじり囃に紛れて消えて行く「夏祭浪花鑑」の団七を彷彿とさせて面白い。
ところで、この十次兵衛であるが、この「引窓」では、郷代官に任命されて意気揚々と帰って来て素晴らしい役どころを演じているが、南与兵衛の頃は、大坂の色町で入り浸りの荒んだ生活を送っていた御仁で、すぐに、親の仕事を継げなかったのであり、元々は、そんなに、大役者が大見得を切って颯爽と恰好をつけて演じるような人物ではない。
女房おはやは、その頃知り合った遊女のみやこで、当然、濡髪とは旧知の間柄であり、再会した早々に、濡髪への同情は禁じ得ず、必死になって濡髪を庇うので、夫の十次兵衛が怪しむ。
したがって、この十次兵衛は、酸いも辛いも人生の機微は十二分に知り尽くした人情家であるはずで、手柄を棒に振ってお咎め覚悟で母への義理を果たす。
そのあたりの十次兵衛像を、和生は心憎いまでに人形に託して演じ切っており、素晴らしいと思った。
ほんのりと色香漂う温かい女房を簑助が、そして、朴訥ながら情にどっぷり溺れて必死になって二人の子を思って義理の狭間に泣く老母の泣き笑いを紋壽が、夫々、実に感動的に遣っていて、人形だから出せる女形の妙技なのか、女形を遣って双璧の二人の円熟し切った人形遣いに感動しきりであった。
とにかく、人形も人形だが、咲大夫と燕三の名調子に脱帽である。