4月4日から、大阪の国立文楽劇場で、二代目吉田玉男襲名披露公演が、行われていて、華やいでいる。
造幣局の桜並木の通り抜けがオープンしたその日、文楽劇場前の桜は、やや、盛りを過ぎた感じだが、吉田玉男の幟旗と妍を競って、春爛漫であった。
劇場の入り口には、左右のの柱に飾られた、金屏風の前で威儀を正した二代目玉男の写真が出迎えて、中に入ると、披露公演の演目を絵にした大看板と華やかな記念写真が出迎えてくれる。





この文楽劇場は、フロントが二階にあるので、左手のエスカレーターに乗って上に上がる。
一階には、レストランや資料展示室や茶店、事務所などがあり、二階には売店などのあるかなり広いロビーがあって寛げる。
一階の資料展示室では、企画展示「初代・二代目吉田玉男」と「文楽入門」が開かれていて懐かしい舞台写真や二人のゆかりの品々などが展示されていて興味深い。
客席は、左右に高くなった桟敷席風の席があって中々快適であり、東京の小劇場より椅子が良いのか疲れにくくて良い。





さて、襲名披露口上だが、真ん中の玉男を挟んで、右に、大夫代表の嶋大夫、その隣が、三味線代表の寛治、左に、人形遣い代表の和生と勘十郎、そして、その左に、司会進行の千歳大夫が並んで、夫々、口上の挨拶を述べた。
その背後に、両玉男の弟子たちが勢ぞろいした。
人間国宝は、寛治だけで寂しい感じだが、世代替わりを彷彿とさせてもいて、新しい時代の流れであろう。
寛治が、初代玉男の傍に、可愛い子供がいたので、「お子さんですか。」と聞いたら、「違う、近所の子や。アルバイトに来てんねん。」と言っていた、これが、二代目との出会いであったと、口上で語っていた。
まず、昼の第一部は、口上を挟んで、最初に、狂言を脚色した「靭猿」、口上の後に、襲名披露狂言の「一谷嫩軍記」の熊谷桜の段/熊谷陣屋の段、最後は、「卅三間堂棟由来」の平太郎住家より木遣り音頭の段で、簑助の女房お柳や紋壽の進ノ蔵人、津駒大夫や寛治など重鎮が舞台を務める。
やはり、注目は、襲名披露狂言の「一谷嫩軍記」であろう。

今回同様、熊谷直実を2代目玉男が遣った舞台は、これまでに、二回観ている。
両方とも、東京の国立劇場だったが、最近では、二年前の五月で、その時は、
人形は、熊谷を玉女、妻相模を紋壽、藤の局を和生、義経を清十郎、弥陀六を玉也などが遣い、大夫と三味線が、夫々、三輪大夫・喜一朗、呂勢大夫・清治、英大夫・團七と言う布陣であった。
もっと以前には、10年前の12月で、その時は、
人形は、直実を玉女、妻相模を和生、敦盛の母・藤の局を勘十郎、義経を紋豊、弥陀六を玉也、大夫と三味線は、千歳大夫と清介、文字久大夫と錦糸であった。
今回と違うのは、人形遣いは、義経が紋豊から玉輝に代わっただけであり、当時人間国宝の最高峰の3人を除けば、今も昔も同じだと言うことで、謂わば、これが決定版と言うか、非常に興味深い。
大夫と三味線は、後の文字久大夫は同じで、三味線が清介に変わっている。
ところが、面白いのは、大阪の文楽劇場では、直実を勘十郎が遣っていて、二代目玉男は、この大阪の本舞台では、直実は、今回が初演なのである。
この浄瑠璃は、平家物語と違って、無官の太夫敦盛が、後白河院のご落胤だと言う設定となっていて、義経が、直実に、「一枝を伐らば一指を剪るべし」と言う謎かけで、自分の実子小次郎を犠牲にしてでも、敦盛の命を助けよと言う命令を出したので、これを須磨の戦いで実証すると言う悲劇が一つのテーマとなっている。
尤も、私は、妻相模への直実の感情など、人間的な触れ合いについて興味を持っており、冒頭の相模が出迎えるシーンで、玉男の直実は、歌舞伎のように嫌な顔をして無視すると言う態度を取っていなかったし、妻を気遣う優しい対応を感じて、最後の「どうして、敦盛と小次郎を取り替えたのか」とか、「エエ胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいなう。」と言う二人の対話が生きていたような気がしている。
ところで、やはり、「熊谷陣屋の段」は、歌舞伎で観ることが多いようで、これまでに、幸四郎や吉右衛門や染五郎、それに、仁左衛門の熊谷を鑑賞している。
何度見ても、忘れてしまうので、記憶は乏しいのだが、今回は、小次郎の首を敦盛と偽って義経に差し出すシーンと、出家姿で「十六年もひと昔。夢であったなあ。」と慨嘆するシーンの直実の演技が、文楽と歌舞伎では、相当違っていて、印象が大分変って来るのに、改めて感じた。
まず、義経が敦盛の首実検せんと命じると、直実は、若木の桜の前に立ててある制札を引き抜いて近づき、首桶の蓋を取った瞬間、「ヤアその首は」と叫ぶ女房に見せじと扇を首の前に立て、駆け寄る相模を右膝下に組みしき、右手に握った制札をグンと伸ばして、近寄ろうとする藤の局の顏を遮ると言う豪快な見得を切る。
階に足をかけて、突き落とした相模と藤の局を制札で抑え込んで、左手で持ち上げた首をぐっと義経に向けて差し出して、「御賢慮に叶いしか」と大音声。
この見得は、初代玉男が編みだしたものだと言う。
人形だからこそできる素晴らしい見得で、圧倒的な迫力である。

また、この「熊谷陣屋」の幕切れだが、歌舞伎では、七代目團十郎の発案で、幕切れに熊谷ひとりだけ花道に出て行って幕を引かせ、中空を仰いで、「十六年は一昔、アア夢だ。夢だ」と独白して、ひとり花道を歩みながら引っ込んで行くと言う「團十郎型」が一般的である。
この幕切れは、劇的効果満点で、非常に感動的なシーンとなっている。
その点、文楽では、この言葉は、直実が、上帯を引解いて鎧を脱いで、袈裟白無垢姿になって、生まれ変わった心境で、本心を述懐する最後の台詞なのである。
その後、弥陀六が櫃を背負って、義経に「敦盛が生き返って残党を集めて恩を仇で返せばどうする」と悪口をたたくなどあり、左手に兜、右手に数珠を握りしめた直実を真ん中にして、「さらば」「さらば」と別れ行く段切りの見得まで、かなり、芝居が続くので、この言葉のニュアンスも微妙に違っていて面白い。
一方、歌舞伎でも、「芝翫型」の幕切れでは、妻相模と一緒になって小次郎の菩提を弔って遁世するようだし、引張りの見得で幕になるなど、上方歌舞伎も含めて、色々なバージョンがあるようであり、この方は、文楽にかなり近い。
さて、玉男は、何故、襲名披露狂言い「一谷嫩軍記」を選んだのか。
昭和55年1月大阪・朝日座の本公演の後の「若手向上会」で、世代交代で選抜されて、師匠の役をそのまま若手が遣うと言うことで、熊谷の役を貰い、師匠の人形を遣って一生懸命練習して演じた時に、玉男師匠が、左を買って出てくれたのだと言う。
その時、本人は、簡単な左に行きつつ、難しい足についていたと言う駆け出しだったのだが、文楽協会賞を貰ったりして、大変に思い出深い役なので、襲名に選んだのだと語っている。
文楽の人形遣いの芸の継承の良さは、肉体を接触させながら、師匠の芸を肌身に感じて、一挙手一投足を直に見習えることで、二代目は、初代の左だけでも20年以上も務めたと言うのであるから、筋金入りの直弟子である。
初代の文楽人生まで、まだ、20年あり、どれ程、芸の高みに上り詰めて行くのか、無上の楽しみである。
とにかく、最初から最後まで、非常に充実した素晴らしい舞台が展開されていて、感動的である。
文七の素晴らしい首に風格のある衣装を身に付けた威風堂々たる熊谷直実を、豪快に遣って絵のように演じるのであるから、正に、二代目玉男の晴れ姿を堪能させてくれる。
造幣局の桜並木の通り抜けがオープンしたその日、文楽劇場前の桜は、やや、盛りを過ぎた感じだが、吉田玉男の幟旗と妍を競って、春爛漫であった。
劇場の入り口には、左右のの柱に飾られた、金屏風の前で威儀を正した二代目玉男の写真が出迎えて、中に入ると、披露公演の演目を絵にした大看板と華やかな記念写真が出迎えてくれる。





この文楽劇場は、フロントが二階にあるので、左手のエスカレーターに乗って上に上がる。
一階には、レストランや資料展示室や茶店、事務所などがあり、二階には売店などのあるかなり広いロビーがあって寛げる。
一階の資料展示室では、企画展示「初代・二代目吉田玉男」と「文楽入門」が開かれていて懐かしい舞台写真や二人のゆかりの品々などが展示されていて興味深い。
客席は、左右に高くなった桟敷席風の席があって中々快適であり、東京の小劇場より椅子が良いのか疲れにくくて良い。





さて、襲名披露口上だが、真ん中の玉男を挟んで、右に、大夫代表の嶋大夫、その隣が、三味線代表の寛治、左に、人形遣い代表の和生と勘十郎、そして、その左に、司会進行の千歳大夫が並んで、夫々、口上の挨拶を述べた。
その背後に、両玉男の弟子たちが勢ぞろいした。
人間国宝は、寛治だけで寂しい感じだが、世代替わりを彷彿とさせてもいて、新しい時代の流れであろう。
寛治が、初代玉男の傍に、可愛い子供がいたので、「お子さんですか。」と聞いたら、「違う、近所の子や。アルバイトに来てんねん。」と言っていた、これが、二代目との出会いであったと、口上で語っていた。
まず、昼の第一部は、口上を挟んで、最初に、狂言を脚色した「靭猿」、口上の後に、襲名披露狂言の「一谷嫩軍記」の熊谷桜の段/熊谷陣屋の段、最後は、「卅三間堂棟由来」の平太郎住家より木遣り音頭の段で、簑助の女房お柳や紋壽の進ノ蔵人、津駒大夫や寛治など重鎮が舞台を務める。
やはり、注目は、襲名披露狂言の「一谷嫩軍記」であろう。

今回同様、熊谷直実を2代目玉男が遣った舞台は、これまでに、二回観ている。
両方とも、東京の国立劇場だったが、最近では、二年前の五月で、その時は、
人形は、熊谷を玉女、妻相模を紋壽、藤の局を和生、義経を清十郎、弥陀六を玉也などが遣い、大夫と三味線が、夫々、三輪大夫・喜一朗、呂勢大夫・清治、英大夫・團七と言う布陣であった。
もっと以前には、10年前の12月で、その時は、
人形は、直実を玉女、妻相模を和生、敦盛の母・藤の局を勘十郎、義経を紋豊、弥陀六を玉也、大夫と三味線は、千歳大夫と清介、文字久大夫と錦糸であった。
今回と違うのは、人形遣いは、義経が紋豊から玉輝に代わっただけであり、当時人間国宝の最高峰の3人を除けば、今も昔も同じだと言うことで、謂わば、これが決定版と言うか、非常に興味深い。
大夫と三味線は、後の文字久大夫は同じで、三味線が清介に変わっている。
ところが、面白いのは、大阪の文楽劇場では、直実を勘十郎が遣っていて、二代目玉男は、この大阪の本舞台では、直実は、今回が初演なのである。
この浄瑠璃は、平家物語と違って、無官の太夫敦盛が、後白河院のご落胤だと言う設定となっていて、義経が、直実に、「一枝を伐らば一指を剪るべし」と言う謎かけで、自分の実子小次郎を犠牲にしてでも、敦盛の命を助けよと言う命令を出したので、これを須磨の戦いで実証すると言う悲劇が一つのテーマとなっている。
尤も、私は、妻相模への直実の感情など、人間的な触れ合いについて興味を持っており、冒頭の相模が出迎えるシーンで、玉男の直実は、歌舞伎のように嫌な顔をして無視すると言う態度を取っていなかったし、妻を気遣う優しい対応を感じて、最後の「どうして、敦盛と小次郎を取り替えたのか」とか、「エエ胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいなう。」と言う二人の対話が生きていたような気がしている。
ところで、やはり、「熊谷陣屋の段」は、歌舞伎で観ることが多いようで、これまでに、幸四郎や吉右衛門や染五郎、それに、仁左衛門の熊谷を鑑賞している。
何度見ても、忘れてしまうので、記憶は乏しいのだが、今回は、小次郎の首を敦盛と偽って義経に差し出すシーンと、出家姿で「十六年もひと昔。夢であったなあ。」と慨嘆するシーンの直実の演技が、文楽と歌舞伎では、相当違っていて、印象が大分変って来るのに、改めて感じた。
まず、義経が敦盛の首実検せんと命じると、直実は、若木の桜の前に立ててある制札を引き抜いて近づき、首桶の蓋を取った瞬間、「ヤアその首は」と叫ぶ女房に見せじと扇を首の前に立て、駆け寄る相模を右膝下に組みしき、右手に握った制札をグンと伸ばして、近寄ろうとする藤の局の顏を遮ると言う豪快な見得を切る。
階に足をかけて、突き落とした相模と藤の局を制札で抑え込んで、左手で持ち上げた首をぐっと義経に向けて差し出して、「御賢慮に叶いしか」と大音声。
この見得は、初代玉男が編みだしたものだと言う。
人形だからこそできる素晴らしい見得で、圧倒的な迫力である。

また、この「熊谷陣屋」の幕切れだが、歌舞伎では、七代目團十郎の発案で、幕切れに熊谷ひとりだけ花道に出て行って幕を引かせ、中空を仰いで、「十六年は一昔、アア夢だ。夢だ」と独白して、ひとり花道を歩みながら引っ込んで行くと言う「團十郎型」が一般的である。
この幕切れは、劇的効果満点で、非常に感動的なシーンとなっている。
その点、文楽では、この言葉は、直実が、上帯を引解いて鎧を脱いで、袈裟白無垢姿になって、生まれ変わった心境で、本心を述懐する最後の台詞なのである。
その後、弥陀六が櫃を背負って、義経に「敦盛が生き返って残党を集めて恩を仇で返せばどうする」と悪口をたたくなどあり、左手に兜、右手に数珠を握りしめた直実を真ん中にして、「さらば」「さらば」と別れ行く段切りの見得まで、かなり、芝居が続くので、この言葉のニュアンスも微妙に違っていて面白い。
一方、歌舞伎でも、「芝翫型」の幕切れでは、妻相模と一緒になって小次郎の菩提を弔って遁世するようだし、引張りの見得で幕になるなど、上方歌舞伎も含めて、色々なバージョンがあるようであり、この方は、文楽にかなり近い。
さて、玉男は、何故、襲名披露狂言い「一谷嫩軍記」を選んだのか。
昭和55年1月大阪・朝日座の本公演の後の「若手向上会」で、世代交代で選抜されて、師匠の役をそのまま若手が遣うと言うことで、熊谷の役を貰い、師匠の人形を遣って一生懸命練習して演じた時に、玉男師匠が、左を買って出てくれたのだと言う。
その時、本人は、簡単な左に行きつつ、難しい足についていたと言う駆け出しだったのだが、文楽協会賞を貰ったりして、大変に思い出深い役なので、襲名に選んだのだと語っている。
文楽の人形遣いの芸の継承の良さは、肉体を接触させながら、師匠の芸を肌身に感じて、一挙手一投足を直に見習えることで、二代目は、初代の左だけでも20年以上も務めたと言うのであるから、筋金入りの直弟子である。
初代の文楽人生まで、まだ、20年あり、どれ程、芸の高みに上り詰めて行くのか、無上の楽しみである。
とにかく、最初から最後まで、非常に充実した素晴らしい舞台が展開されていて、感動的である。
文七の素晴らしい首に風格のある衣装を身に付けた威風堂々たる熊谷直実を、豪快に遣って絵のように演じるのであるから、正に、二代目玉男の晴れ姿を堪能させてくれる。