熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立文楽劇場・・・四月文楽公演「靭猿」

2015年04月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   二代目吉田玉男襲名披露公演なのだが、その舞台の冒頭が、何故か、小品の「靭猿」である。
   この作品は、狂言の「靭猿」を脚色した文楽の作品の一つで、オリジナルの狂言そのものが、非常に質の高い名曲中の名曲である。
   4年前に、国立能楽堂で、大蔵流の茂山千五郎家の舞台を観て、感激した思い出がある。
   それに、この「靭猿」は、歌舞伎にも取り入れられて舞踊劇となっていて、先に逝ってしまった名優三津五郎の素晴らしい舞台を観ているので、文楽では、どのような作品となって演じられるのか、非常に、興味を持って鑑賞した。

   まず、狂言は、次のようなストーリーであるが、感想も含めて、私のブログを少し引用しながら、オリジナルなので多少詳述する。
   ”遠国の大名が、遊山に出かけた途中で、猿引に出会い、その猿の毛並みに惚れて、矢を入れる靱を猿の皮で飾りたいと思ったので、強引に皮を貸せと猿引に強要するのだが、皮を剥げば猿が死ぬと断る。
   大名が矢を構えて脅すので仕方なく同意して、猿に言い聞かせて鞭を振り上げるのだが、芸の合図かと思って、その鞭を奪った猿が、船を漕ぐ芸を始めるので、猿引は可哀そうになって号泣する。
   大名も猿を哀れに思って思い止まると、猿引は喜んで、猿歌を謡って猿に舞を舞わせる。
   大名は、舞う猿の可愛らしさに引かれて、猿引に褒美を与えて、自分も、猿の舞を真似て一緒に舞う。”

   居丈高で傍若無人に振る舞っていた大名が、次第に、情愛に触れて心を入れ替え、猿の可愛いしぐさに惚れ込んで、無邪気になって自ら踊り出すと言う天真爛漫の人の良さと、猿引の猿への愛情が滲み出ていて、それに、猿を演じる子役が実に可愛くて、和ませてくれる。    
   大名を当主千五郎、猿引をその弟の七五三、太郎冠者は千五郎の長男正邦、猿を正邦の弟茂の長女莢が演じていて、親子兄弟3代の舞台である。

   猿を演じる莢ちゃんが女の子であることもあって、実に優しい仕種で、寝転がったり、ノミ取りで手足を掻いたり、それに、 大音声で大見得を切る千五郎の大名の迫力と居丈高さは流石であるが、その千五郎が、猿引の猿への情愛に絆されたと思うと、今度は、幼稚園の児童よろしく、不器用な仕種で、小猿を真似て、床を転がったり遊戯(?)をする可笑しさ。スマートで灰汁のない七五三の猿引の実直さ真面目さは秀逸で、その対照の妙が面白く、正邦の太郎冠者は、非常にオーソドックスな感じで、シチュエーションの変化を微妙に感じながら、二人の間を上手く取り持っている。
   
   一方、歌舞伎の「靭猿」だが、一時元気になって舞台に戻った三津五郎と又五郎のコミカルタッチの舞踊劇が非常に面白かった。
   この「靭猿」は、アイロニー豊かな可笑しみとほのぼのとした人間味を感じさせて、もう少し質の高い味のある喜劇の狂言とは大分差があって、換骨奪胎、舞踊と仕草で楽しませる舞台となっていて、やはり、三津五郎と又五郎の舞台である。
   小猿を殺して靭にすると息巻く大名が、この舞台では、女大名三芳野(又五郎)に代わっていて、又五郎が、醜女風の恋多き女としてドタバタを演じるので笑わせる。
   猿曳寿太夫の三津五郎が、小猿を売るのを苦しみながらしんみりと小猿に説得する優しい好々爺ぶり、小猿の仕草があまりにも可愛いので、完全に喰われた感じではあったが、前にも増して艶のある愉快な演技と元気な踊りを見せて、本調子の三津五郎に観客は惜しみなき拍手を贈っていた。

   さて、今回の文楽の「靭猿」だが、解説によると、近松門左衛門作「松風村雨束帯鑑」の劇中劇として伝えられたものだと言う。
   いずれにしろ、狂言が600年、文楽が400年の歴史であるから、近松が狂言の「靭猿」を真似たのは当然で、ストーリー展開も、前半は殆どそっくりである。
   違ってくるのは、殺されるとも知らずに懸命に踊る猿に心を動かされた大名が、猿の命を助けるところからで、狂言では、大名も一緒になって舞うと言う趣向だが、この文楽では、喜んだ猿曳が、武運長久、御家繁盛などを祈願して猿を舞わせて帰って行くことに変わっている。
   ものの本によると、「西遊記」の孫悟空が、天上界に仕えていた時、厩の番人を命じられていたように、日本の猿曳きも、元は厩を祈り清めるために、家々を回ったとかで、この文楽でも、この厩の厄払いに使った御幣を、猿に持たせて舞わせている。

   狂言では、猿(靭猿)に始まって狐(釣狐)に終わると言われるほどで、狂言師をめざす子弟が猿の役で初めて舞台に立つ演目で、縫い包みを着て小猿そっくりの恰好で演技をするので、非常に可愛い。
   歌舞伎の猿も、子役が演じるので、同じような雰囲気である。
   ところが、文楽の場合には、立派な3人遣いの人形遣いが猿を操るので、非常に芸が細かく表現力が豊かになって面白くなる。
   二代目吉田玉男一門の玉翔が、表情豊かでコミカルな猿を器用に遣っていて楽しませてくれる。

   無茶苦茶な大名と必死になって猿を庇う猿曳との会話を知ってか知らずか、猿が、大名に猿曳と同じような格好で、対応しているのが興味深い。
   一打ちに猿を殺そうと振り上げた鞭を、芸の合図と思って、猿が鞭を取り上げて舞うと言うストーリーの筋はそのままなので、分かっている筈がないのだが、猿まねで演じていると理解して見ていると、狂言や歌舞伎の可愛い猿と言うキャラクターとは一寸違って、対等の演者として芸をしているようで、面白い。

   清十郎が誠実で人間味のある猿曳を、文昇が中々威厳と風格のある大名を、勘市が軽妙な太郎冠者を、遣っている。
   大夫は、猿曳が咲甫大夫、大名が睦大夫、太郎冠者が始大夫、ツレが咲寿大夫・小住大夫、三味線は、東蔵、團吾、龍爾、清公、錦吾。

   立ての東蔵のブログで、
   猿が舞うところが聴きどころです。盛り上がるよう全員でいきを合わせ演奏していきます。猿の舞うところ 鳴声を“きっきっきききっ”と演奏します!はっきりわかる部分ですがお聴きのがしなく!
   と書いてあったのだが、残念ながら、一寸、気付かなかった。

   とにかく、能や狂言、歌舞伎、文楽、落語、講談など、同じストーリーなり話題を、テーマにした古典芸能が、夫々に、どのような展開をしているのか、楽しみにして見ている者にとっては、「靭猿」は、格好の舞台であった。
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