先日に続いて立川流落語会の二日目で、左談次の弟子立川佐平次の真打昇進披露を兼ねた公演が行われた。
今回は、単純に、NHKためしてガッテンの立川志の輔の高座を聞きたいと思って出かけたのである。
志の輔の演題は、「猫の皿」。
江戸で掘り出し物が見つけ難くなった古美術商が、江戸を出奔した人たちが逸品を持ち出して地方に出回っているであろうから、それを見つけて江戸に持ち帰って利益を上げようとしていたと言う。
そのような古美術商(端師)が、中仙道の熊谷在の石原あたりで立ち寄った茶店で休んでいたら、猫が餌を食べている皿が、絵高麗の梅鉢の茶碗と言う高価な皿であることに気付いて、亭主を騙して、猫を三円で買って一緒に皿を持ち帰ろうとしたのだが、その亭主の方が、その皿の値打ちを知っていて一枚上手だったという噺。
秘蔵の絵高麗の梅鉢の茶碗を、何故、猫の皿に使っているのだと聞かれた亭主が、「この茶碗で飯を食わせると、猫が三円で売れますんで」
この茶店だが、出た団子の味は悪く、熱燗も温くてダメで、まして、嫌な猫が目の前で飯を食っているので、頭に来た端師が、散々毒づくのだが、猫の皿が、絵高麗の梅鉢の皿だと気付いた瞬間、猫好きに変身して妻に買い求めたいと飼い主の老母の了解を取れと3両を渡すしたたかさ。
このような骨董の仲買商が、地方に出て、欺きやだましを弄して高価なものを安い値段で買い取って高く売りつける商売がまかり通っていたということだが、それを逆に手玉に取った茶店の亭主の才覚が、上野の戦争で逃げてきた元江戸の住人だった故と言うところが、アイロニーが利いていて面白い。
志の輔だが、表情や語り口は、一寸早口なところ以外は、ためしてガッテンと少しも変わらず、とにかく、嫌いな猫を追っ払おうと悪戦苦闘しながら噛みつかれるのだが、掌を返したように相好を崩して猫にすり寄るあたりなど、実に芸が細かくてリアルで面白い。
ためしてガッテンで、食べるシーンが良く出てきており、団子や熱燗の扱い方など、テレビの雰囲気を思い出しながら観ていると不思議な感じがした。
談笑は、中々、緩急自在でパンチの利いた落語で、「粗忽の釘」を語った。
元は「宿替え」と言う上方落語だとか。
ある夫婦の引越しの日、慌てものの男が、大きなタンスを背負って家を出たのは良いのだが、道を間違って歩きながら、あっちこっちで、タンスの引き出しを飛び出させたりひっくり返したりして騒動を起こしながら家に辿りつくと言う、談笑得意の改作が随所にあって、これまで聞いた「粗忽の釘」とは全く毛色の違った落語で、最後の新居の壁に釘を打って、隣の仏壇に差し込んで、「毎日ここまで、箒を掛けに来ないといかん」と言うところだけは同じ。
こう言うのは、そのバリエーションが面白くて別の落語を聞いているようで善い。
雲水は、大阪弁で、「おごろもち盗人」を語った。
おごろもちとは、モグラのことのようで、夜、戸が閉まった後に、表から穴を掘って、戸の内側の桟を外して中に進入して、盗みを働くという泥棒の話で、この泥棒が、商家の夫婦に、途中で地面から手が出てきたのを見つかって結わえられる。表を通りかかった男がこれを見つけたので、泥棒は、腹掛けの中に、小刀の入った財布が入っているので、それを取り出してくれと頼むのだが、男は、財布の中の5円だけを持ち逃げしたので、「ドロボー!」
このオチよりも、商家夫婦の他愛もない会話が面白い。
師匠の左談次は、「大安売り」。
上方落語とかで、弱い関取の話である。
談吉は、「置き泥」
談之助は、「選挙あれこれ」、笑点の歴史や談志の参院選挙など、面白い裏話などを交えながらドキュメンタリータッチの語り。
さて、面白いのは、立川流代表の土橋亭里う馬の「子別れ」と新真打佐平次の「子は鎹」のリレー落語。
トリの佐平次が「子は鎹」をやるので、里う馬は、本来続き物の「子別れ」の前半である夫婦別れを語ってエールを送り、佐平次の子供を仲立ちにして夫婦が元のさやに納まると言う噺で〆ると言う粋な趣向である。
「子別れ」は、腕は良いのだが、酒飲みで酒乱の大工の熊五郎が、こともあろうに、大人しく聞いている女房お光の前で、女郎の惚気話まで始めたので、堪忍袋の緒が切れたお光が、せがれの亀坊を連れて家を出てしまう。と言う話。
熊は、年季の空けた馴染みの女郎を引き入れるのだが、「手に取るなやはり野に置け蓮華草」で、全く女房として役に立たず、男を作って逃げてしまう。
「子は鎹」は、心を入れ替えて真面目に働き始めた熊五郎が、道で遊んでいる亀坊に会ってお光が一人でいることを知って、亀坊を鰻屋に誘ったので、心配してついて来たお光とよりを戻す。と言うほのぼのとした人情噺である。
さすがに、年季の入ったベテランの里う馬の「子別れ」は、情緒連綿としたしっとりとした語り口が秀逸で、それを引き継いだ佐平次の「子は鎹」は、粗削りながら、パンチとメリハリの利いたリズム感が好感して、観客は大喜びで、盛大に真打披露を祝って拍手をしていた。


今回は、単純に、NHKためしてガッテンの立川志の輔の高座を聞きたいと思って出かけたのである。
志の輔の演題は、「猫の皿」。
江戸で掘り出し物が見つけ難くなった古美術商が、江戸を出奔した人たちが逸品を持ち出して地方に出回っているであろうから、それを見つけて江戸に持ち帰って利益を上げようとしていたと言う。
そのような古美術商(端師)が、中仙道の熊谷在の石原あたりで立ち寄った茶店で休んでいたら、猫が餌を食べている皿が、絵高麗の梅鉢の茶碗と言う高価な皿であることに気付いて、亭主を騙して、猫を三円で買って一緒に皿を持ち帰ろうとしたのだが、その亭主の方が、その皿の値打ちを知っていて一枚上手だったという噺。
秘蔵の絵高麗の梅鉢の茶碗を、何故、猫の皿に使っているのだと聞かれた亭主が、「この茶碗で飯を食わせると、猫が三円で売れますんで」
この茶店だが、出た団子の味は悪く、熱燗も温くてダメで、まして、嫌な猫が目の前で飯を食っているので、頭に来た端師が、散々毒づくのだが、猫の皿が、絵高麗の梅鉢の皿だと気付いた瞬間、猫好きに変身して妻に買い求めたいと飼い主の老母の了解を取れと3両を渡すしたたかさ。
このような骨董の仲買商が、地方に出て、欺きやだましを弄して高価なものを安い値段で買い取って高く売りつける商売がまかり通っていたということだが、それを逆に手玉に取った茶店の亭主の才覚が、上野の戦争で逃げてきた元江戸の住人だった故と言うところが、アイロニーが利いていて面白い。
志の輔だが、表情や語り口は、一寸早口なところ以外は、ためしてガッテンと少しも変わらず、とにかく、嫌いな猫を追っ払おうと悪戦苦闘しながら噛みつかれるのだが、掌を返したように相好を崩して猫にすり寄るあたりなど、実に芸が細かくてリアルで面白い。
ためしてガッテンで、食べるシーンが良く出てきており、団子や熱燗の扱い方など、テレビの雰囲気を思い出しながら観ていると不思議な感じがした。
談笑は、中々、緩急自在でパンチの利いた落語で、「粗忽の釘」を語った。
元は「宿替え」と言う上方落語だとか。
ある夫婦の引越しの日、慌てものの男が、大きなタンスを背負って家を出たのは良いのだが、道を間違って歩きながら、あっちこっちで、タンスの引き出しを飛び出させたりひっくり返したりして騒動を起こしながら家に辿りつくと言う、談笑得意の改作が随所にあって、これまで聞いた「粗忽の釘」とは全く毛色の違った落語で、最後の新居の壁に釘を打って、隣の仏壇に差し込んで、「毎日ここまで、箒を掛けに来ないといかん」と言うところだけは同じ。
こう言うのは、そのバリエーションが面白くて別の落語を聞いているようで善い。
雲水は、大阪弁で、「おごろもち盗人」を語った。
おごろもちとは、モグラのことのようで、夜、戸が閉まった後に、表から穴を掘って、戸の内側の桟を外して中に進入して、盗みを働くという泥棒の話で、この泥棒が、商家の夫婦に、途中で地面から手が出てきたのを見つかって結わえられる。表を通りかかった男がこれを見つけたので、泥棒は、腹掛けの中に、小刀の入った財布が入っているので、それを取り出してくれと頼むのだが、男は、財布の中の5円だけを持ち逃げしたので、「ドロボー!」
このオチよりも、商家夫婦の他愛もない会話が面白い。
師匠の左談次は、「大安売り」。
上方落語とかで、弱い関取の話である。
談吉は、「置き泥」
談之助は、「選挙あれこれ」、笑点の歴史や談志の参院選挙など、面白い裏話などを交えながらドキュメンタリータッチの語り。
さて、面白いのは、立川流代表の土橋亭里う馬の「子別れ」と新真打佐平次の「子は鎹」のリレー落語。
トリの佐平次が「子は鎹」をやるので、里う馬は、本来続き物の「子別れ」の前半である夫婦別れを語ってエールを送り、佐平次の子供を仲立ちにして夫婦が元のさやに納まると言う噺で〆ると言う粋な趣向である。
「子別れ」は、腕は良いのだが、酒飲みで酒乱の大工の熊五郎が、こともあろうに、大人しく聞いている女房お光の前で、女郎の惚気話まで始めたので、堪忍袋の緒が切れたお光が、せがれの亀坊を連れて家を出てしまう。と言う話。
熊は、年季の空けた馴染みの女郎を引き入れるのだが、「手に取るなやはり野に置け蓮華草」で、全く女房として役に立たず、男を作って逃げてしまう。
「子は鎹」は、心を入れ替えて真面目に働き始めた熊五郎が、道で遊んでいる亀坊に会ってお光が一人でいることを知って、亀坊を鰻屋に誘ったので、心配してついて来たお光とよりを戻す。と言うほのぼのとした人情噺である。
さすがに、年季の入ったベテランの里う馬の「子別れ」は、情緒連綿としたしっとりとした語り口が秀逸で、それを引き継いだ佐平次の「子は鎹」は、粗削りながら、パンチとメリハリの利いたリズム感が好感して、観客は大喜びで、盛大に真打披露を祝って拍手をしていた。


