熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

四月大歌舞伎・・・「幻想神空海」

2016年05月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この歌舞伎美人掲載のビラには、総本山金剛峯寺の名前が入っており、以下のように記されている。
   夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間文庫・角川文庫)が歌舞伎座で上演されます。
四月大歌舞伎 夜の部 新作歌舞伎
「幻想神空海 沙門空海唐の国にて鬼と宴す」
 高野山開創一二〇〇年記念
夢枕 獏 原作
戸部和久 脚本
齋藤雅文 演出
空  海 染五郎
橘 逸勢 松也
楊貴妃  雀右衛門
皇  帝 幸四郎

   高野山公認の新作歌舞伎であると言うことなのであろうが、夢枕獏の原作「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」が、創作の小説である以上、実際の空海像とは違うであろうし、ここで描かれている空海が説く「密」などの宗教論が、高野山の教理に合致しているのかどうかは、門外漢の私には、全く分からない。
   しかし、歌舞伎を観て、非常に面白かったし興味を感じたものの、歌舞伎を一回観ただけでは、ストーリーが良く分からなかったので、夢幕獏の原作を読んでみた。
   徳間文庫で全4巻、完結までに17年かかったと言う、2000ページ以上の大作であり、殆ど小説を読んだことのない私には、経済や経営の専門書などと比べれば、すいすいと行くものの、速読術ではないので、一寸、時間を取った。

   この小説は、空海と橘逸勢が主人公だが、しかし、あの絶世の美女楊貴妃を廻る物語で、幻術を使う異教の道士や呪師が暗躍して唐王朝を手玉に取ると言う幻想的な怪奇伝奇ロマン小説であり、沙門空海が、唐の国、玄宗皇帝と楊貴妃が愛を育んだ華清宮で、鬼と宴す物語なのである。
   胡人をメインキャラクターに据えて、ゾロアスター教の闇を暗躍させて、インドで生まれた仏教から中国で成熟した密教の世界を描こうとするあたり、エキゾチックなムードの充満した長安を舞台に繰り広げられているスケールの大きな芝居の面白さを増幅していると言えようか。

   楊貴妃が馬嵬で殺害されてから、空海が遣唐使として長安に至るのは、ほぼ半世紀後のことなので、両者には何の接点もないはずだが、夢枕獏は、次のように楊貴妃の出生を変えて、奇想天外な発想を加えて、唐王朝の滅亡のために暗躍する胡人たちを登場させている。

   胡の道士黄鶴は、短剣使いの街頭芸人の時に、芸のカラクリを見抜かれて玄宗皇帝の命令によって身動きできなくした妻を盾にして殺してしまい、玄宗に激しい恨みを抱き、唐王朝の滅亡を策そうと決心する。
   ある時、亡き妻によく似た女性を見つけて後をつけ、幻術を使ってものにして通い詰めたら、それが楊玄琰の妻であり、孕ませて生まれた女児が楊玉環(楊貴妃)であった。見つかったので、夫婦を殺害したので、玉環は、叔父楊玄璬に養育された。
   玄宗への復讐心よりも、わが孫を皇帝にすることの方に心を砕くようになり、玄宗の子・寿王に嫁がせたのだが、皇帝への芽が消えたので、高力士を誑かして、楊貴妃を玄宗に娶らせる。安禄山との戦いで窮地に立った玄宗が、楊貴妃を馬嵬で殺害することになった時に、黄鶴は、尸解の法(尸解丹を飲ませて針を刺して人の生理を極端に遅く仮死状態にして後に再生させる方法)を使って、高力士に因果を含めて仮死させて楊貴妃を石棺に納めた。
   その後、その石棺をあけて楊貴妃を蘇らせたのだが、黄鶴の弟子の丹龍(丹翁)と白龍が、楊貴妃を連れて出奔し、玄宗と黄鶴の前から姿を消す。
   空海が長安に赴いた時に、黒猫の妖怪が引き起こす劉雲樵の家の怪異事件、徐文強の綿畑で俑の妖怪が暗躍する事件、長安の街路で順宗の死を予言する立札が立ち続ける事件等々、朝王朝に対する不吉な事件が頻発して、空海たちを巻き込んで行く。
   この事件は、ペルシャの邪教の呪師と化した白龍が、自分から逃げた相棒の丹龍を誘き寄せるために、唐王朝を滅亡させようと打った妖術である。
   楊貴妃に恋い焦がれて女にしたものの、白龍には靡かず丹龍の名前ばかりを口走るので恨み骨髄に達して、大唐国の皇帝を呪詛し滅ぼそうとすれば、丹龍が、必ずそれを察知して長安に舞い戻るであろうと考えて、始皇帝が1000年前に作らせた呪を打ち続けてきたのである。
   最後に、尸解の法で長生きしてきた黄鶴が現れて白龍(実は楊貴妃の弟で実子)を殺し、娘を道具にし続けたその黄鶴も、正気に戻った楊貴妃にその刀で殺される。
   楊貴妃も、自害しようとしたのだが、丹翁が思い止まらせて二人で仲良く消えて行く。
   そんなストーリーがメインになっている、超人的な空海が縦横無尽に活躍する痛快な伝奇物語で、並みの小説よりもはるかに面白い。
   ラストは、空海が2年と帰国を早めたので、帰国の許しを皇帝に懇願するシーンで、皇帝のたっての願いで、王宮の壁の王羲之の筆の横に、空海が「樹」と大書して残す。 

   私が、この小説で面白かったのは、重要な役割を演じる狂言回しの道士や呪師たちや胡伎たちなどがペルシャやインドなど西方人たちで、人種の坩堝であったシルクロードの交差点大都長安の、国際都市としての風景が、実にビビッドに描かれていて興味深かったことである。
   京都での学生時代に、中国史などに入れ込んで、シルクロードなど東西交渉史を勉強したことがあった所為もある。

   この歌舞伎の主な出演者は、染五郎(空海)を中心に、松也(橘逸勢)、歌六(丹翁)、雀右衛門(楊貴妃)、又五郎(白龍)、彌十郎(黄鶴)、松也(逸勢)、歌昇(白楽天)、種之助(牡丹)、米吉(玉蓮)、児太郎(春琴)、そして、幸四郎(皇帝)だが、原作には春琴は登場せず、
   原作で、空海が修行する青龍寺の恵果や不空など重要人物が省略されているなど、シンプルになっているけれど、かなり、異同がある。

   染五郎の空海は、イメージとしてどうなのかは別として、この舞台では、非常にエネルギッシュで活力漲った意欲的な芝居に徹していて、興味深い。
   そして、原作でもそうだが、松也の橘逸勢は、絶えず、空海と行をともにしていてストーリーの補足説明役のような存在だが、上手く合わせていて面白い。
   二時間に短縮した芝居なので、仕方ないのだが、原作では、非常にあくの強い邪師である黄鶴や白龍の存在感が希薄で、彌十郎や又五郎が本領を発揮できなかった。
   丹翁は、空海の導き手のような役割の道士ながら渋い役で、歌六が良い味を出していた。
  雀右衛門の楊貴妃は、中々、電光に映えて優雅で美しく、流石に襲名披露後の舞台である。
   奇麗な米吉の玉蓮や、颯爽とした歌昇の白楽天など、若手俳優の活躍も見逃せず、華麗な舞台を作り上げていた。

   肝心の空海の青龍寺での恵果との劇的な対面や灌頂を授けた状況などに触れずに、それに、白楽天を登場させながら、「長恨歌」を端折ったりしながらも、とにかく、歌舞伎の舞台は怪奇ストーリー一辺倒となっていて、空海とは、別の世界を現出していて、芝居としては面白い。
   もう一つ、原作では、80歳を超え老いさらばえた楊貴妃を登場させて、華清宮で舞わせており、実年齢で空海と対面させているのだが、歌舞伎の舞台では、絶頂期の美しい楊貴妃の姿や舞だけにして、夢か現か分からないようにしているのは、やはり、虚実皮膜、芝居ゆえであろうか。
   楊貴妃が、黄鶴の血を受けて目の色が青いと言うのも面白いが、舞姿が、胡扇舞の趣があるのかどうか、雀右衛門の舞は、唐と言うよりは、今の中国の伝統的な舞姿なのであろうか。華清宮の舞だが、空海の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」のメインテーマで、玄宗と楊貴妃ゆかりのこの華清宮で宴を催すと言う一世一代の大芝居を打って、唐王朝を揺るがせた邪教淫祠カラバンのドゥルジ(白龍)を誘き出して楊貴妃を登場させたのであるから、着飾った華麗な舞であっても、原作通り、老いさらばえた実年齢の楊貴妃に舞わせるべきではなかったかと思っている。

   面白いと思ったのは、この歌舞伎では、主要な舞台の一つが、玉蓮や牡丹など胡人の妓生のいる胡玉楼という遊郭まがいのナイトクラブで、橘逸勢はともかく、空海も僧衣で結構通っていて、僧職にありながら、公然と女性との関係を公言していることである。
   密教で重要な「理趣経」に、「妙適清浄句是菩薩位」、すなわち、「男女の交合のたえなる思いは清らかな菩薩である」と言うことで、夢枕獏は、「欲箭」「愛縛」など十七清浄句を説明し、妙適はと聞かれた空海に、「よいものですねえ」と答えさせている。

   歌舞伎の舞台は、大分前に観たので、印象が薄くなってしまって、レビューにならなくなってしまったのだが、真山青果の『元禄忠臣蔵』や浄瑠璃など、原作のあるものは、先に読んでから歌舞伎を観に行くことが多いにも拘らず、夢枕獏の作品は読んだこともないので、端折ってしまったのが、一寸、失敗であったかも知れない。
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