文楽でも歌舞伎でも、心中物は嫌いだと言う人が結構多い。
近松門左衛門の「冥途の飛脚」や「心中天の網島」などもそうだが、おそらく、この「曽根崎心中」は、その典型的な物語であろう。
初めて、この文楽「曽根崎心中」を鑑賞したのは、もう、25年も前に、ロンドンでのジャパンフェスティバルで、初代玉男の徳兵衛と文雀のお初の舞台であった。
この時、歌舞伎ハムレットバージョンである「葉武列土倭錦絵」を、染五郎のハムレットとオフェーリアを観て感激したので、日本に帰ったら、文楽と歌舞伎に通えると喜んだのを覚えている。
それまで、ロイヤルオペラやクラシック・コンサート、それに、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどへ通い詰めていたので、日本へ帰ったら、そのような機会は、少なくなると寂しく思っていたので、嬉しくなったのである。
これまで、このブログで、文楽や歌舞伎の曽根崎心中や、関係本などについて、何回も、書いて来た。
そして、年初めに、その舞台となった曽根崎のお初天神や生玉神社の文楽旅についても書いた。
歌舞伎では、藤十郎のお初が余人を持って代え難き国宝級の舞台だと思うが、文楽では、このロンドンの舞台の国宝コンビと、玉男と簑助の舞台が、忘れられない。
その後、簑助のお初と勘十郎の徳兵衛の素晴らしい感動的な舞台を何度か鑑賞しており、心中ものと言うよりは、近松門左衛門の浄瑠璃作者、文学者としての素晴らしさに圧倒され続けてきたと言う思いである。
住大夫は、「字余りやさかい、近松は嫌いでんねん」と言っているが、私など、「曽根崎心中 徳兵衛お初 道行」の冒頭の、
此の世のなごり夜もなごり。
死にゝゆく身をたとふれば。
あだしが原の道の霜。
一足づゝに消えてゆく。
夢の夢こそあはれなれ。
ふと暁の。
七つの時が六つなりて
残る一つが今生の。
鐘の響のきゝおさめ。
寂滅為楽と響ひゞくなり・・・を聴くだけでも、涙がこぼれるほど感動する。
心中を描きながら、門左衛門は、生きると言うことは、死ぬと言うことはどう言うことか、男女の愛と言う永遠のテーマを横糸にして、人間の尊厳を、万感の思いを込めて語りかけているのだ思いながら、私は舞台を観ている。
何回も書いているので、蛇足は避けるが、今回の舞台は、師匠の至高の舞台を観続けていた二代目玉男が、近松をやりたいと言っていた徳兵衛の晴れ舞台であるから、素晴らしくない筈がない。
それに、女形を遣わせれば最高峰の清十郎のお初を何と言うべきか、健気で崇高でさえあるお初の瑞々しさ。
父母への思いにくれて悶えていたお初が、意を決して、手を合わせて目を閉じて徳兵衛を見上げて、「早う殺して」と言う覚悟の顔の美しさ・・・二人が向き合い、徳兵衛の刀が光り、お初を刺した後、自分の喉を突いて倒れ込み、二人が抱き合って崩れ折れるラストシーン。
初代玉男は、好きな女を殺せるか・・・、と言って、お初に止めを刺す時には正視出来なくて顔を背けるのだと言っていたが、
藤十郎の歌舞伎では、お初が手を合わせて目を閉じて、ラストを暗示したところで幕が下りる。
初めて鑑賞する玉男の徳兵衛と清十郎のお初の舞台であったが、感動の一言である。
九平治を遣った勘彌の上手さも格別で、三人の人形が躍動し踊っている。
天満屋の段の、浄瑠璃の千歳大夫と三味線の富助をはじめ、浄瑠璃と三味線の名調子は言うまでもない。
文楽の魅力を語った希大夫、三味線の龍爾、人形の玉誉の芸達者ぶりもたいしたもので、学生たちが上手く反応して楽しんでいた。
もう一つの舞台である和生の徳兵衛と勘十郎のお初を観たかったが文楽鑑賞教室なので、チケットがソールドアウトで、ダメであった。
近松門左衛門の「冥途の飛脚」や「心中天の網島」などもそうだが、おそらく、この「曽根崎心中」は、その典型的な物語であろう。
初めて、この文楽「曽根崎心中」を鑑賞したのは、もう、25年も前に、ロンドンでのジャパンフェスティバルで、初代玉男の徳兵衛と文雀のお初の舞台であった。
この時、歌舞伎ハムレットバージョンである「葉武列土倭錦絵」を、染五郎のハムレットとオフェーリアを観て感激したので、日本に帰ったら、文楽と歌舞伎に通えると喜んだのを覚えている。
それまで、ロイヤルオペラやクラシック・コンサート、それに、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどへ通い詰めていたので、日本へ帰ったら、そのような機会は、少なくなると寂しく思っていたので、嬉しくなったのである。
これまで、このブログで、文楽や歌舞伎の曽根崎心中や、関係本などについて、何回も、書いて来た。
そして、年初めに、その舞台となった曽根崎のお初天神や生玉神社の文楽旅についても書いた。
歌舞伎では、藤十郎のお初が余人を持って代え難き国宝級の舞台だと思うが、文楽では、このロンドンの舞台の国宝コンビと、玉男と簑助の舞台が、忘れられない。
その後、簑助のお初と勘十郎の徳兵衛の素晴らしい感動的な舞台を何度か鑑賞しており、心中ものと言うよりは、近松門左衛門の浄瑠璃作者、文学者としての素晴らしさに圧倒され続けてきたと言う思いである。
住大夫は、「字余りやさかい、近松は嫌いでんねん」と言っているが、私など、「曽根崎心中 徳兵衛お初 道行」の冒頭の、
此の世のなごり夜もなごり。
死にゝゆく身をたとふれば。
あだしが原の道の霜。
一足づゝに消えてゆく。
夢の夢こそあはれなれ。
ふと暁の。
七つの時が六つなりて
残る一つが今生の。
鐘の響のきゝおさめ。
寂滅為楽と響ひゞくなり・・・を聴くだけでも、涙がこぼれるほど感動する。
心中を描きながら、門左衛門は、生きると言うことは、死ぬと言うことはどう言うことか、男女の愛と言う永遠のテーマを横糸にして、人間の尊厳を、万感の思いを込めて語りかけているのだ思いながら、私は舞台を観ている。
何回も書いているので、蛇足は避けるが、今回の舞台は、師匠の至高の舞台を観続けていた二代目玉男が、近松をやりたいと言っていた徳兵衛の晴れ舞台であるから、素晴らしくない筈がない。
それに、女形を遣わせれば最高峰の清十郎のお初を何と言うべきか、健気で崇高でさえあるお初の瑞々しさ。
父母への思いにくれて悶えていたお初が、意を決して、手を合わせて目を閉じて徳兵衛を見上げて、「早う殺して」と言う覚悟の顔の美しさ・・・二人が向き合い、徳兵衛の刀が光り、お初を刺した後、自分の喉を突いて倒れ込み、二人が抱き合って崩れ折れるラストシーン。
初代玉男は、好きな女を殺せるか・・・、と言って、お初に止めを刺す時には正視出来なくて顔を背けるのだと言っていたが、
藤十郎の歌舞伎では、お初が手を合わせて目を閉じて、ラストを暗示したところで幕が下りる。
初めて鑑賞する玉男の徳兵衛と清十郎のお初の舞台であったが、感動の一言である。
九平治を遣った勘彌の上手さも格別で、三人の人形が躍動し踊っている。
天満屋の段の、浄瑠璃の千歳大夫と三味線の富助をはじめ、浄瑠璃と三味線の名調子は言うまでもない。
文楽の魅力を語った希大夫、三味線の龍爾、人形の玉誉の芸達者ぶりもたいしたもので、学生たちが上手く反応して楽しんでいた。
もう一つの舞台である和生の徳兵衛と勘十郎のお初を観たかったが文楽鑑賞教室なので、チケットがソールドアウトで、ダメであった。