熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

山口への旅・・・萩:明治維新への胎動(1)

2016年05月29日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   萩を訪れたのは、吉田松陰の故地を訪ねて、激動の明治維新と日本の歴史を肌で感じてみると言うのが目的であったが、やはり、しっとりとした美しい萩の街並みを、歩いてみたいと言う思いもあった。
   学生生活を京都で送ったので、小京都と言われている日本の奇麗な観光都市をいくらか歩いており、この萩には、今回で3度目なのだが、特に激しい歴史を潜り抜けてきた街だけに思いも強い。

   朝、9時45分新山口駅発の直通バススーパーはぎ号に乗って萩に入り、夕刻19時10分山口宇部発のJAL便で鎌倉へ帰る予定なので、萩で過ごせる時間は限られている。
   
   
   

   結局、行ったのは、バスの終点である明輪センターである「萩・世界遺産ビジターセンター」、吉田松陰の松下村塾、萩博物館、菊屋家住宅などの萩城下町散策、程度であったが、まずまずであった。
   5月23日と言う時期でありながら、太陽の照り付ける夏日で、思うように歩けなかったのだが、萩市内の足に過ぎない「乗り易くて大変便利な萩循環まぁーるバス」を、他の観光地にある観光地をつなぐ観光用にバスと誤解して、利用したのが間違いでもあった。
   

   さて、萩が、世界遺産として登録されているのは、「 明治日本の産業革命遺産」の一部としてで、萩エリアは時代順に1番目のエリアとして、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾、萩城下町の5つの資産で構成されている。
   今回、私の訪れたのは、松下村塾と萩城下町だけだが、この世界遺産ビジネスセンターの展示や説明を受けて、萩藩の産業政策や松下村塾で育った塾生たちが、如何に、日本の富国強兵・産業振興に大きな役割を果たして来たのかが良く分かって幸いした。
   松陰は、清朝が、アヘン戦争によってヨーロッパ列強によって蹂躙され崩壊に直面した現実に痛く感化されて、日本の将来に危機意識を募らせたと言われており、当時の中国の苦境を論じた清の思想家魏源の「夷の長技を師とし以て夷を制す」、すなわち、外国の先進技術を学んで身に着け侵略から防御するという思想に影響された言う。
   
   
   

   バスの終点に近いところに松下村塾のある松陰神社のバスストップがあるので、40分近くかかったのだが、萩の市内遊覧だと思えばよいと思って諦めた。
   松陰神社には、宝物殿「至誠館」や吉田松陰歴史館などがあるのだが、全く興味なく、松下村塾と旧家だけを見れば十分であったので、しばらく佇んで、松陰と幕末・維新の日本の歴史を反芻していた。
   松下村塾の後方の建物が、旧家である。
   近くに伊藤博文の旧宅・別邸や東光寺があったのだが、時間の都合で端折ったのを少し後悔している。
   
   
   
   

   私は、吉田松陰の偉大さとその日本歴史に残した素晴らしい偉業については、何の疑問も抱いていないし、尊敬の一語であるが、日本開国については、あの状況下にあっては、井伊直弼の考え方の方が正しい、そうせざるを得なかったと思っているので、この点については、疑問を感じている。
   五月晴れの陽光を浴びて、ひっそりと建っているあまりもコジンマリとした松下村塾を眺めながら、幕末の激動と明治維新への激しい胎動の不思議を思っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする