わが庭の白梅が咲き始めれば、当然、鎌倉の古社時の梅は、見頃のはず。
梅と言えば、天神さんであるから、鎌倉では、荏柄天神社である。
午後、やや遅く、鎌倉山からバスに乗って鎌倉駅まで出て、そこから、大塔宮、鎌倉神宮行のバスに乗り換えて、天神社へ向かった。
昨秋、大イチョウを見に来たので、久しぶりだが、丁度、受験のシーズンなので、境内に、合格祈願の祈祷やお祓いや絵馬のための仮テントが設営されていて、拝殿では、神主さんが、学生にお祓いを行っている。
私など、若い頃から、そのあたりの信仰心とは無縁なので、梅の写真を撮っているだけなのだが、拝殿の壁面に掛けられた沢山の絵馬を見れば、若者たちの熱心さが良く分かる。
おばあちゃんなのだろうか、孫の合格祈願のためなのであろうが、境内の床几にバックを置いて、小休止しては、何回も何回も拝殿の前に往復して、拝み続けている。
お百度を踏むと言う心境なのであろうか。
さて、肝心の天神さんの梅だが、何日か早い感じで、満開と言うか、見頃には、まだ少し時間がかかるようで、綺麗に咲くのは、この週末から来週初めにかけてであろうか。
しかし、桜とは違って、梅の満開と言っても、桜ほど、派手に華麗に咲き乱れるわけではないので、丁度、中国人が、13夜を愛でるように、梅は、咲き初めのころが、鑑賞には良いのかも知れない。
寒い冬にエネルギーを貯めていたのを、開花の瞬間に一気に噴出させて咲くと言うことで、一番花が、一番美しいと言う。
私の場合には、どちらかと言えば、花木など全体の花を写すことは殆どなくて、花に近づいてクローズアップした花姿を追うことが多いので、咲き切らない時の方が良いのかも知れない。
梅の場合、五弁が完全に絵のように揃って整った花弁を探すことは非常に難しくて、それに、花の向く方向や光具合など考えれば、大変苦労する。
この神社は、朱塗りの柱や構造物と白壁が鮮やかで、白梅や紅梅とのコントラストが、結構美しくて絵になる。
高台にある筆塚に並んで、綺麗なピンクの枝垂れ梅の紅梅があり、その背後に回って筆塚や社殿を眺めると、結構、面白い。
左側の絵馬がぶら下がっている建物が拝殿で、右の建物が国宝の本殿である。
この神社の扉などには、梅の花をあしらった五弁を切り抜いたデザインが施されていて、中々、モダンで良い。
梅と言えば、天神さんであるから、鎌倉では、荏柄天神社である。
午後、やや遅く、鎌倉山からバスに乗って鎌倉駅まで出て、そこから、大塔宮、鎌倉神宮行のバスに乗り換えて、天神社へ向かった。
昨秋、大イチョウを見に来たので、久しぶりだが、丁度、受験のシーズンなので、境内に、合格祈願の祈祷やお祓いや絵馬のための仮テントが設営されていて、拝殿では、神主さんが、学生にお祓いを行っている。
私など、若い頃から、そのあたりの信仰心とは無縁なので、梅の写真を撮っているだけなのだが、拝殿の壁面に掛けられた沢山の絵馬を見れば、若者たちの熱心さが良く分かる。
おばあちゃんなのだろうか、孫の合格祈願のためなのであろうが、境内の床几にバックを置いて、小休止しては、何回も何回も拝殿の前に往復して、拝み続けている。
お百度を踏むと言う心境なのであろうか。
さて、肝心の天神さんの梅だが、何日か早い感じで、満開と言うか、見頃には、まだ少し時間がかかるようで、綺麗に咲くのは、この週末から来週初めにかけてであろうか。
しかし、桜とは違って、梅の満開と言っても、桜ほど、派手に華麗に咲き乱れるわけではないので、丁度、中国人が、13夜を愛でるように、梅は、咲き初めのころが、鑑賞には良いのかも知れない。
寒い冬にエネルギーを貯めていたのを、開花の瞬間に一気に噴出させて咲くと言うことで、一番花が、一番美しいと言う。
私の場合には、どちらかと言えば、花木など全体の花を写すことは殆どなくて、花に近づいてクローズアップした花姿を追うことが多いので、咲き切らない時の方が良いのかも知れない。
梅の場合、五弁が完全に絵のように揃って整った花弁を探すことは非常に難しくて、それに、花の向く方向や光具合など考えれば、大変苦労する。
この神社は、朱塗りの柱や構造物と白壁が鮮やかで、白梅や紅梅とのコントラストが、結構美しくて絵になる。
高台にある筆塚に並んで、綺麗なピンクの枝垂れ梅の紅梅があり、その背後に回って筆塚や社殿を眺めると、結構、面白い。
左側の絵馬がぶら下がっている建物が拝殿で、右の建物が国宝の本殿である。
この神社の扉などには、梅の花をあしらった五弁を切り抜いたデザインが施されていて、中々、モダンで良い。