熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・文楽「曽根崎心中」

2017年02月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立小劇場の文楽は、オール近松門左衛門プログラムで、第2部の「曽根崎心中」のチケットは、早々にソールドアウトで、全日、満員御礼である。
   ところが、東京では、女性ファンの何人かに、心中ものは好きではないとか、じゃらじゃらした芝居は嫌いだとか、この「曽根崎心中」にネガティブな感想を聞いたことがあり、意外な感じがしている。
   私の場合は、近松ファンであるから、心中ものであろうと何であろうと、何の抵抗もないし、近松の描くがしんたれの男や気の強いしっかりとした女などは、元関西人の私の周りにはいくらでも居たし、全く、異質感のない世界なので、好きだとか嫌いだとか言った意識はなく、近松ものとして鑑賞している。

   もう、この「曽根崎心中」は、文楽でも歌舞伎でも、何回、見ているであろうか。
   しかし、歌舞伎では、藤十郎がお初を、文楽では、初代玉男が徳兵衛を、夫々、1000回以上も演じていて、これらが決定版であり、後にも先にも、これを凌駕する舞台は現れていないと言う。
   私は、26年前にロンドンで、玉男の徳兵衛に文雀のお初で、「曽根崎心中」を観て、一気に、文楽ファンンになった記念すべき重要な演目でもあり、元々、近松門左衛門を読んでいたので、その後、意識して、劇場に通って、鑑賞を続けている。
   その後、玉男の徳兵衛と簑助のお初と言う最高の舞台を観る機会が何回か続いて、玉男の逝去後は、勘十郎が徳兵衛を遣う舞台や、二代目玉男の徳兵衛で、勘十郎や清十郎のお初を遣う舞台を観ているのだが、今回は、当代玉男が徳兵衛を、勘十郎がお初を遣っているので、玉男簑助の一番弟子への芸の継承と言うことであろう。

   さて、今回は、まず、この文楽のラストシーンについて、考えてみたい。
   この文楽の床本は、近松の原作浄瑠璃とは、いくらか改変されていて、今回の舞台では、心中への道行きを扱った「天神森の段」では、省略されたり、詞章が、変更されていて、その異同が興味深い。

   その床本の前に、問題のラストシーンだが、
   今回の舞台では、歌舞伎の舞台と同じように、手を合わせて祈るように徳兵衛を見上げる後ろぶりのお初の喉元に、徳兵衛が、刃を近づけるところで幕となった。
   しかし、ロンドンで観た時は勿論、その後日本でも、簑助のお初が、玉男の徳兵衛の脇差に突かれて大きく仰け反り、徳兵衛も、しっかりとお初を抱え込んで、自分の喉笛を切って、お初を抱きしめるように重なって頽れると言うリアルな断末魔の表現が普通であった。
   原文では、”いとし、かはいと締めて寝し、肌に刃があてられうかと、眼も暗み、手も震ひ、弱る心を引き直し、取り直してもなほ震ひ、突くとはすれど、切っ先はあなたへはづれ、こなたえそれ”と、徳兵衛の狼狽ぶり、その後のお初の断末魔の四苦八苦を語り、遅れじと、”剃刀取って喉に突き立て、柄も折れよ、刃も砕けと抉り”と、徳兵衛の最期の描写の凄まじさ。
   住大夫の話だと、「心中の場のラストは、玉男はんと簑助君の相談で演出が変わります」と言うことらしいのだが、玉男が、「はよ 殺して、殺して」と言われても、好きな女に刃を向けるなど正気の沙汰ではなく、最後のシーンでは、徳兵衛の顏を背けるのだと言っていたのだが、いずれにしろ、近松の浄瑠璃本に近い演出であったと言えよう。
   私は、外国の鑑賞者が言うように、浄瑠璃本に沿った演出の方が良いと思っている。

   近松浄瑠璃のラストは、”誰が告ぐるとは、曾根崎の森の下風音に聞え、とり伝へ、貴賤群集の回向の種、未来成仏、疑ひなき、恋の手本となりにけり。”となっていて、先に曾根崎のお初天神訪問記に書いたように、現地では、浄瑠璃を受けて、お初徳兵衛の恋の手本のような印象になって、恋人の聖地のようになっているのが面白い。
   余談ながら、文楽の床本のラストは、”南無阿弥陀仏を迎へにて、あはれこの世の暇乞ひ。長き夢路を曾根崎の、森の雫と散るにけり”となっていて、精神性と言うか、近松の思い入れは消えている。

   もう一つ、死に直面して、お初と徳兵衛が、述懐するシーンがあるのだが、床本では、お初の表現は殆どそのまま踏襲されているのだが、徳兵衛の今生の分かれに際しての詞が、ヒューマンタッチと言うか、物語性を帯びているのが興味深いのである。
   浄瑠璃では、親に対して、”冥途にまします父母には、おっつけお目にかかるべし。迎へ給へと泣きければ・・・”となっているのだが、文楽の床本では、”笑はば笑へ口さがを、何憎まうぞと悔やまうぞ、人には知らじ我が心望みの通り、そなたと共に一緒に死ぬるこの嬉しさ。冥途にござる父母にそなたを逢わせ嫁姑、必ず添ふと抱き締むれば、・・・”と脚色されていて、徳兵衛の心意気をサポートしていて面白い。

   この「天神森の段」は、原文は結構長いのだが、床本ではシンプルに短縮化して、実際の文楽の舞台では、義太夫語りと三味線を非常に有効に活用して、お初徳兵衛の、色彩感覚を研ぎ澄まして昇華した非常に美しい道行きシーンを紡ぎだして、感動的な見せて魅せる舞台にしていて、非常に内容の濃い舞台になっていて、素晴らしいと思う。

   ところで、小野幸恵さんの本を読んでいると、初代玉男が、二代目に、「徳兵衛は、かわいいねん」と、教えたと言う。
   近松の二枚目は、仕事でも色事でも、男として成熟した男が多いのだが、徳兵衛は、丁稚から手代になって間もなく、子供っぽさを残していて、それは、若者らしい一途になっている。
   叔父である平野屋の主人のおかみさんの姪と娶わせて江戸の店を任せようと言う、いうなれば、出世話を、お初への恋ゆえに、棒に振ったとも言えなくはない。
   尤も、頭の上がらない嫁取りなので徳兵衛の意に沿わないと言うこともあろうが、とにかく、お初が、人生の総てであると言う天然記念物のような純愛で、真面目で仕事一途の若者であるから、他には何も見えていないし、売り物買い物である筈のお初も、これに輪をかけたような徳兵衛への愛情の持ち主である。
   苦界から逃れえる筈のないお初と、身請けなど夢の夢の手代の徳兵衛との恋であるから、行く先は目に見えており、愛を全うするためには、心中以外に道はなく、惰性で逢瀬を重ねているだけである。

   徳兵衛のお初への恋心は、直角の愛、初恋であろうし、穿って考えれば、徳兵衛にとっては初めての相手であったかもしれないのだが、その徳兵衛を、二代目玉男は、師匠が遣ったように、かわいらしい、そして格好のいい徳兵衛が遣えるようになりたいと思っていますと言っている。

   ところで、お初が、何故、島原から、最も身分の低い堂島新地へ格下げになって移って来たのかと言うことだが、フィクションとしても、角田光代は、ブックレビューした「曽根崎心中」で、島原で天神の青柳の禿をしていた時に、青柳が囲炉裏の鍔薬缶を取ろうとして手を滑らせて熱い薬缶がそばで正座していたお初の腿に落ちて股に大火傷を負って疵物になったからで、この焼け爛れた傷口を客に見せないように必死にカバーするも、徳兵衛には、そのままを見せて、お初の愛情の証としている。としていて面白い。
   花魁の地位をお初に取られるのを嫌って、青柳がワザとしたと同輩がコメントしていたと言うから、お初は、元から、かなりの美人で魅力的な遊女だったのであろう。
   徳兵衛が、一途に思いつめるのも当然だと、解釈しておくと話も分かり易いかもしれないと、勝手に思っている。

  さて、太夫と三味線だが、「天満屋の段」は、咲太夫と燕三、「生玉社前の段」は、文字久太夫と宗助、「天神森の段」は、津駒太夫、咲甫太夫、芳穂太夫、亘太夫と、寛治、清志郎、寛太郎、清公
  咲太夫と燕三の天満屋の段は、圧巻であり、縁側に腰を掛けたお初と、縁の下に忍び込んだ徳兵衛との切なくも万感の思いを込めて心情を吐露し交感する足の会話を、躍動させて感動的であった。

  人形だが、玉男の徳兵衛、勘十郎のお初、玉輝の九平次。
  現在考ええる最高の布陣であり、素晴らしい舞台であった。

  
コメント
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