今日、神奈川県警察の運転免許センターに行って、運転免許の申請取消し(自主返納)を行ってきた。
娘二人が、私の自動車運転に心配しているし、鎌倉に移ってからは、千葉と違って運転の機会もなくなり、最近は運転することも殆どなくなったので、自主返納に踏み切ったのである。
幸い、運転免許書と同じような形態の写真付きの「運転経歴照明書」を発行してもらえるので、IDカードとしての用をなすので、良しとすべきだと思っている。
健康保険書はいつも携帯しているのだが、マイナンバーカードやパスポートを絶えず所持しているわけにも行かないので、IDカードに代わるものがないと困るのである。
尤も、運転免許書を自主返納したが、私自身は、若者のようには行かなくても、いくらでも、何の心配もなく、普通に十分自動車を運転できると思っているし、このブログもまともに書いているので頭はボケているとは思っていないし、恋もすれば、夢もある。
しかし、文明生活が良いのか悪いのか考えることもあるので、自動車の運転に拘ることもないと思ったのである。
運転免許を所持して、殆ど40年になる。
日本から、パラグアイ、ブラジル、オランダ、イギリスと、何度も免許書を書き換えて、転々としており、75歳までの期限は切られているが、今でも、イギリスの運転免許書を持っている。
南米の運転免許システムは知らないが、オランダやイギリスの運転免許書は、一度取得すれば、日本のように書き換えも更新もなく、そのまま、継続できた。
日本は、厳しい車検制度もそうだが、普通5年毎に運転免許書の更新があるのだが、民度なり国民の能力や経済社会制度が、ヨーロッパよりも劣っていると思わないので、正直なところ、自動車学校の役割なども含めて、この厳し過ぎる日本の運転免許書制度が正しいのかどうかは疑問に思っている。
今は知らないが、私が居た時には、イギリスでは、運転許可書のようなものを郵便局で買って来て、運転免許書所持者が助手席に乗って居れば、路上で自由に練習できた。
PBIの「運転免許制度の国際比較」を見ると、イギリスの場合、
”民間の自動車学校で練習するが、自分の車で練習して試験にも自分の車を持ちこむ人もいる。“L”と書いた紙を車に張り、普通免許所持者の同乗があれば路上で練習できる”と書いてあるので、殆ど変わっていないのであろう。
オランダなどは、自動車学校などなかった筈で、筆記試験はあったが、免許の授与権限のあるインストラクターが、即、公道や高速道路を使って教えていた。
ところで、いずれにしろ、運転免許書を持って世界を歩いていると、非常に有意義で便利である。
私の場合には、ブラジルの時には、精々、サンパウロからリオデジャネイロ、それに、いくら走っても、サンパウロから1000キロメートル以内の内陸部だが、それでも、4年間に、随分、色々なところを訪れて、裏表のブラジルを見た。
ヨーロッパで、一番最初に車で走ったのは、1979年の秋で、ブラジル赴任の帰途、ジュネーブでレンターカーを借りて、レマン湖を一周して、シオン城などを訪れた。
その後、数年経ってヨーロッパに赴任したのだが、アムステルダムとロンドンでは、通勤に車を使っていて、ヨーロッパ各都市への出張などでも、各都市の空港でレンターカーを借りて仕事をすることもかなりあった。
クリスマスと夏の休暇シーズンは、飛行機やTEEなどの国際列車を使ってのバケーションもあったが、アムステルダムに居た時には、大型のアウディで、ドイツのロマンテック街道や、ノイシュヴァンシュタイン城、ザルツブルグ経由でウィーンに行ったり、メルヘン街道からハンブルクに抜けて、コペンハーゲンに行ったり、結構国境を越えて旅をしたこともある。
朝イタリアからブレンナー峠を越えて、南ドイツ経由で、アウトバーンがあるとしても、アムステルダムにその日の夕刻に帰ったことがあったが、若かったから出来たのであろう。
イギリスでは、勿論、スコットランドの端から、ウェールズの端まで、車で旅をしたし、シェイクスピア戯曲を楽しむために、ロンドンからコッツワルドやケンブリッジ経由で、ストラトフォード・アポン・エイヴォンへ、何度通ったことか。
ヨーロッパの赴任を終える帰国前の休暇で、パリでボルボの装甲車のようなレンターカーを借りて、ロワール川沿いの古城を巡り、一気に北に出て、シェルブールやサンマロ、モンサンミッシェルに行ったのが、ヨーロッパの最後の車旅となった。
近く、ヨーロッパに行って、センチメンタルジャーニーをする時に、もう一度、車で、ヨーロッパ大陸を走りたかったが、もう出来なくなったのが、一寸、残念ではある。
娘二人が、私の自動車運転に心配しているし、鎌倉に移ってからは、千葉と違って運転の機会もなくなり、最近は運転することも殆どなくなったので、自主返納に踏み切ったのである。
幸い、運転免許書と同じような形態の写真付きの「運転経歴照明書」を発行してもらえるので、IDカードとしての用をなすので、良しとすべきだと思っている。
健康保険書はいつも携帯しているのだが、マイナンバーカードやパスポートを絶えず所持しているわけにも行かないので、IDカードに代わるものがないと困るのである。
尤も、運転免許書を自主返納したが、私自身は、若者のようには行かなくても、いくらでも、何の心配もなく、普通に十分自動車を運転できると思っているし、このブログもまともに書いているので頭はボケているとは思っていないし、恋もすれば、夢もある。
しかし、文明生活が良いのか悪いのか考えることもあるので、自動車の運転に拘ることもないと思ったのである。
運転免許を所持して、殆ど40年になる。
日本から、パラグアイ、ブラジル、オランダ、イギリスと、何度も免許書を書き換えて、転々としており、75歳までの期限は切られているが、今でも、イギリスの運転免許書を持っている。
南米の運転免許システムは知らないが、オランダやイギリスの運転免許書は、一度取得すれば、日本のように書き換えも更新もなく、そのまま、継続できた。
日本は、厳しい車検制度もそうだが、普通5年毎に運転免許書の更新があるのだが、民度なり国民の能力や経済社会制度が、ヨーロッパよりも劣っていると思わないので、正直なところ、自動車学校の役割なども含めて、この厳し過ぎる日本の運転免許書制度が正しいのかどうかは疑問に思っている。
今は知らないが、私が居た時には、イギリスでは、運転許可書のようなものを郵便局で買って来て、運転免許書所持者が助手席に乗って居れば、路上で自由に練習できた。
PBIの「運転免許制度の国際比較」を見ると、イギリスの場合、
”民間の自動車学校で練習するが、自分の車で練習して試験にも自分の車を持ちこむ人もいる。“L”と書いた紙を車に張り、普通免許所持者の同乗があれば路上で練習できる”と書いてあるので、殆ど変わっていないのであろう。
オランダなどは、自動車学校などなかった筈で、筆記試験はあったが、免許の授与権限のあるインストラクターが、即、公道や高速道路を使って教えていた。
ところで、いずれにしろ、運転免許書を持って世界を歩いていると、非常に有意義で便利である。
私の場合には、ブラジルの時には、精々、サンパウロからリオデジャネイロ、それに、いくら走っても、サンパウロから1000キロメートル以内の内陸部だが、それでも、4年間に、随分、色々なところを訪れて、裏表のブラジルを見た。
ヨーロッパで、一番最初に車で走ったのは、1979年の秋で、ブラジル赴任の帰途、ジュネーブでレンターカーを借りて、レマン湖を一周して、シオン城などを訪れた。
その後、数年経ってヨーロッパに赴任したのだが、アムステルダムとロンドンでは、通勤に車を使っていて、ヨーロッパ各都市への出張などでも、各都市の空港でレンターカーを借りて仕事をすることもかなりあった。
クリスマスと夏の休暇シーズンは、飛行機やTEEなどの国際列車を使ってのバケーションもあったが、アムステルダムに居た時には、大型のアウディで、ドイツのロマンテック街道や、ノイシュヴァンシュタイン城、ザルツブルグ経由でウィーンに行ったり、メルヘン街道からハンブルクに抜けて、コペンハーゲンに行ったり、結構国境を越えて旅をしたこともある。
朝イタリアからブレンナー峠を越えて、南ドイツ経由で、アウトバーンがあるとしても、アムステルダムにその日の夕刻に帰ったことがあったが、若かったから出来たのであろう。
イギリスでは、勿論、スコットランドの端から、ウェールズの端まで、車で旅をしたし、シェイクスピア戯曲を楽しむために、ロンドンからコッツワルドやケンブリッジ経由で、ストラトフォード・アポン・エイヴォンへ、何度通ったことか。
ヨーロッパの赴任を終える帰国前の休暇で、パリでボルボの装甲車のようなレンターカーを借りて、ロワール川沿いの古城を巡り、一気に北に出て、シェルブールやサンマロ、モンサンミッシェルに行ったのが、ヨーロッパの最後の車旅となった。
近く、ヨーロッパに行って、センチメンタルジャーニーをする時に、もう一度、車で、ヨーロッパ大陸を走りたかったが、もう出来なくなったのが、一寸、残念ではある。