国立劇場の売店で、桐竹勘十郎の新著「一日に一字学べば」が、サイン入りで売り出されていた。
サインには拘らないのだが、アマゾンでは、在庫切れになっていたので、一冊求めて、帰りがけと、昨日と今日の国立能楽堂の公演の行き返りの電車の中で読んだ。
これまで、文楽関係は、初代玉男や簑助、紋壽、それに、住大夫など結構読んできたのだが、勘十郎のこの本は、トータル、結構面白くて参考になった。
若者には、良い人生のガイドブックとなろう。
この本のタイトルは、菅原伝授手習鑑の「寺子屋の段」で、管秀才が、落書きをして楽しんでいる涎くりを窘めるセリフだが、「足遣い十年、左遣い十五年」と言われている気の遠くなる血の滲むような修行修行の人形遣いとして、やっと還暦を過ぎて一人前になったと実感している勘十郎の本心の吐露であろう。
師匠である簑助師は、人形を持った瞬間、その人形そのものになれる「人形遣いになるために生まれてきた」と言う稀有な遣い手だが、自分はそういう人間ではないので、違うやり方を探すしかないと思って努力してきた。
入門した早い時期に、簑助に、「わしのやり方はお前にはできへん。一生懸命教えてもええ、でも、教えてもできへんから、お前はお前のものを探さなあかん」と言われたと言う。
続けて、
だから、別の人のやり方がいいと思ったら、遠慮なくそっちをまねしろ、自分の真似をする必要はない。しかし、取れるものはなんぼでも取りなさい。一番いい見本は目の前にいつもいる(こう自信を持って、師匠は言われる)。ただ、お前に無理やと思うたら、ほかの誰の真似をしてもええよ、と言っていたとして、勘十郎は、これが本当の教え方だと思うと言っている。
人形遣いは、指の使い方を弟子にも教えない。また、指をどう使っているか、外からはうかがい知れない。言うなれば、完全にブラックボックスで、その遣い手独自の企業秘密と言うことである。
最近、ようやく、「師匠のあの動きは、こういうふうに遣っているに違いない」と今までわからなかったことが、思い当たるようになってきた。人に話したら、「まさか、そんなこと」と驚くようなこと・・・だが、その「まさか」をやるから、他にはない芸や個性が生まれるのだと思う。と言っている。
師匠は、手も大きく指も長いが、自分は人より手が小さいので、女形の人形を遣うときは少しでも指が届くように、左手の爪を伸ばしていると言うのだが、師匠を越えるために、勘十郎は、指に過酷な試練を与えても、この「まさか」に挑戦するのであろうか。
名人、上手と言われた人が、果たして、器用であったとか、最初から何でも出来たかと言えば、そうではないだろうと思うとして、初代玉男が、「気の遠くなるような時間を使って来ているから、それができる」と言ったと紹介している。
マルコム・グラッドウェルの「天才」と言う本であったか、荒川静香が、何万回か転んだはずだと書いていたような気がするが、これであろうか。
もう一つ、初代玉男が、「師匠は師匠で凄いし、親父も親父ですごいけれど、きみは親父の真似も、師匠の真似もしたらあかんのやで」と言ったと言う。
勘十郎は、この本では、色々な方面から多分野に渡って、貴重な経験なり文楽論なども語っているのだが、私には、主遣いの首を遣う左手の遣い方がブラックボックスとなっていて、芸の継承と言いながら、この一番大切な手法が、全く個人技であって、突出した人形遣いの至芸であることに、感銘を受けた。
同じ文楽の世界でも、太夫の場合では、住大夫が文字久太夫を教えているビデオを見れば、細部にわたって徹底的に教えていたし、能狂言や歌舞伎などの教え方なども、手足を取って細かく厳しく教授し訓練しているようだし、古典芸能の伝承と言っても、大変な違いがあることを知って、一寸、驚いている。
人形は、人間ができることなら何でもできると、プロ野球の始球式を成功させており、今度の東京オリンピックの聖火ランナーをやりたいと言う。
人間の手なり五感は、最高で、高度なレンズ磨きも手磨き以上に高い精度を出せないし、あの新幹線の目を瞠るように美しい先端のカーブも人間の手磨きであると言うことだし、景徳鎮の窯の温度調節は人間の眼力のなす神業であると聞いたことがあるが、とにかく、人形遣いの左手は、遣い方次第では、途轍もない素晴らしい人形の芸を見せてくれるのであろう。
今回、このことについてだけについてコメントしたが、私自身、随分多くのページに付箋を張り付けている。
勘十郎の舞台は、簑助の人形の左手遣いであったのであろうか、黒衣の簑太郎の頃から20年以上も観続けており、一度だけだが、外人記者クラブで、勘十郎の文楽人形談義を聞いている。
文楽ファンと言うだけではないと思うが、一芸に秀でることの凄さを感じている。
サインには拘らないのだが、アマゾンでは、在庫切れになっていたので、一冊求めて、帰りがけと、昨日と今日の国立能楽堂の公演の行き返りの電車の中で読んだ。
これまで、文楽関係は、初代玉男や簑助、紋壽、それに、住大夫など結構読んできたのだが、勘十郎のこの本は、トータル、結構面白くて参考になった。
若者には、良い人生のガイドブックとなろう。
この本のタイトルは、菅原伝授手習鑑の「寺子屋の段」で、管秀才が、落書きをして楽しんでいる涎くりを窘めるセリフだが、「足遣い十年、左遣い十五年」と言われている気の遠くなる血の滲むような修行修行の人形遣いとして、やっと還暦を過ぎて一人前になったと実感している勘十郎の本心の吐露であろう。
師匠である簑助師は、人形を持った瞬間、その人形そのものになれる「人形遣いになるために生まれてきた」と言う稀有な遣い手だが、自分はそういう人間ではないので、違うやり方を探すしかないと思って努力してきた。
入門した早い時期に、簑助に、「わしのやり方はお前にはできへん。一生懸命教えてもええ、でも、教えてもできへんから、お前はお前のものを探さなあかん」と言われたと言う。
続けて、
だから、別の人のやり方がいいと思ったら、遠慮なくそっちをまねしろ、自分の真似をする必要はない。しかし、取れるものはなんぼでも取りなさい。一番いい見本は目の前にいつもいる(こう自信を持って、師匠は言われる)。ただ、お前に無理やと思うたら、ほかの誰の真似をしてもええよ、と言っていたとして、勘十郎は、これが本当の教え方だと思うと言っている。
人形遣いは、指の使い方を弟子にも教えない。また、指をどう使っているか、外からはうかがい知れない。言うなれば、完全にブラックボックスで、その遣い手独自の企業秘密と言うことである。
最近、ようやく、「師匠のあの動きは、こういうふうに遣っているに違いない」と今までわからなかったことが、思い当たるようになってきた。人に話したら、「まさか、そんなこと」と驚くようなこと・・・だが、その「まさか」をやるから、他にはない芸や個性が生まれるのだと思う。と言っている。
師匠は、手も大きく指も長いが、自分は人より手が小さいので、女形の人形を遣うときは少しでも指が届くように、左手の爪を伸ばしていると言うのだが、師匠を越えるために、勘十郎は、指に過酷な試練を与えても、この「まさか」に挑戦するのであろうか。
名人、上手と言われた人が、果たして、器用であったとか、最初から何でも出来たかと言えば、そうではないだろうと思うとして、初代玉男が、「気の遠くなるような時間を使って来ているから、それができる」と言ったと紹介している。
マルコム・グラッドウェルの「天才」と言う本であったか、荒川静香が、何万回か転んだはずだと書いていたような気がするが、これであろうか。
もう一つ、初代玉男が、「師匠は師匠で凄いし、親父も親父ですごいけれど、きみは親父の真似も、師匠の真似もしたらあかんのやで」と言ったと言う。
勘十郎は、この本では、色々な方面から多分野に渡って、貴重な経験なり文楽論なども語っているのだが、私には、主遣いの首を遣う左手の遣い方がブラックボックスとなっていて、芸の継承と言いながら、この一番大切な手法が、全く個人技であって、突出した人形遣いの至芸であることに、感銘を受けた。
同じ文楽の世界でも、太夫の場合では、住大夫が文字久太夫を教えているビデオを見れば、細部にわたって徹底的に教えていたし、能狂言や歌舞伎などの教え方なども、手足を取って細かく厳しく教授し訓練しているようだし、古典芸能の伝承と言っても、大変な違いがあることを知って、一寸、驚いている。
人形は、人間ができることなら何でもできると、プロ野球の始球式を成功させており、今度の東京オリンピックの聖火ランナーをやりたいと言う。
人間の手なり五感は、最高で、高度なレンズ磨きも手磨き以上に高い精度を出せないし、あの新幹線の目を瞠るように美しい先端のカーブも人間の手磨きであると言うことだし、景徳鎮の窯の温度調節は人間の眼力のなす神業であると聞いたことがあるが、とにかく、人形遣いの左手は、遣い方次第では、途轍もない素晴らしい人形の芸を見せてくれるのであろう。
今回、このことについてだけについてコメントしたが、私自身、随分多くのページに付箋を張り付けている。
勘十郎の舞台は、簑助の人形の左手遣いであったのであろうか、黒衣の簑太郎の頃から20年以上も観続けており、一度だけだが、外人記者クラブで、勘十郎の文楽人形談義を聞いている。
文楽ファンと言うだけではないと思うが、一芸に秀でることの凄さを感じている。