熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

北海道:クラスター発生 「昼カラ」悪者扱いと言うのだが

2020年06月14日 | 政治・経済・社会
   讀賣が、”「昼カラ」新たに5人、全員60歳以上…喫茶店2店の感染者各15人に ”と報じた。
   北海道と札幌市は13日、新型コロナウイルスの感染者が9人確認されたと発表した。「昼カラオケ」が行われ、クラスター(感染集団)となった札幌市の喫茶店2店では、新たに計5人の感染がわかった。発表によると、9人の内訳は、札幌市の70~80歳代の男女7人と岩見沢市の60歳代男性、石狩地方の80歳代女性。このうち、感染経路不明は1人だった。クラスターと認定された二つの喫茶店で感染が判明した5人は、いずれも60歳以上だった。両店の感染者はそれぞれ15人となった。5月以降、「昼カラオケ」に関連した感染者は、これで計46人に上る。

   また、毎日が次のように報道、”クラスター発生 「昼カラ」悪者扱いに不満の声 介護予防や憩いの場なのに… ”
   札幌市で2件のクラスター(感染者集団)を含む多数の感染者が発生したことで注目された「昼カラ」。高齢者らが日中にカラオケを楽しめ、介護予防や地域の憩いの場でもあり、悪く目立ってしまうことには、店や利用客からは不満や戸惑いの声が上がる。・・・昼カラを悪者扱いする声もあるが、カラオケを楽しんでいた常連客の男性介護職員(50)は「世話をしていた50代の男性が店で歌うことでうまく話せるようになった」と、対人コミュニケーションを促す効果に目を向ける。自粛の影響で4月に閉店した近所の同業者を思いやり「コロナが早く全面終息してほしい」と願う田口さん。カウンター席は1席間隔とし、マイクをこまめに拭くなど感染防止には配慮しているものの、「旭川ではしばらく感染者は出ていない」と戸惑いを隠さず、「大声で歌わない、会話はしないでは、店を開ける意味がない」と不満混じりの本音を漏らす。

   サラリーマン生活の晩年、と言っても、世紀末から21世紀にかけての頃だが、カラオケが大流行であった。
   私は、オペラファンなので、夢心地で歌う知人友人たちの下手な歌を聴きたくないので、遠慮して殆ど行かなかったのだが、近所にも、あっちこっちにカラオケ店ができて賑わっていた。
   良く分からないが、サラリーマンの接待にも、歌えるナイトクラブやバーなどに人気があったようで、カラオケ設備が必須であったようであった。
   若い人は、夜の付き合い拒否傾向であったので、カラオケにどっぷりと浸かっていたのは、団塊の世代以上であろう。

   カラオケ大流行という話で面白いのは、以前、ブラジルのサンパウロに駐在していたときに、長い間フィリピンのルバング島の密林に生活していて日本へ帰還した小野田寛郎少尉と、ナイトクラブに行ったことがある。
   私自身、いくら、カラオケ嫌いでも、一応、ポピュラーな歌謡曲くらいは歌えるのだが、驚くなかれ、何処でどう覚えたのか、ジャングルで生活していた小野田少尉の方が、遙かに、レパートリーが広くて上手いのである。
   一泊知人の家で泊まって、家内が待っているのでと言って、早朝、何十時間かかるのか、奥地マットグロッソの牧場へ帰っていった。
   それからは、一層、カラオケには行かなくなったのである。

   知人のアメリカ人敏腕女性ジャーナリストが、私に、日本のカラオケは、アメリカのセラピーの代わりだと言っていたのを思い出す。
   セラピーは、手術や薬を使わずに体や心の不調を治すことで、肉体的な治療だけでなく心理的な治療にも使われるとかで、セラピストが具体的な治療方法で患者や客に対応するというところは、自分自身で気晴らしと気休めに行くカラオケとは、一寸違うのだが、心の癒やしを求めて行くというのは同じである。
   学生の頃に、「歌声喫茶」が流行っていて、学生たちが喫茶店で合唱していたが、歌を歌うというのは、日本人にとっては、精神衛生上、有効な娯楽なのであろう。
   「高齢者らが日中にカラオケを楽しめ、介護予防や地域の憩いの場でもあり・・・」というのは分からないわけではない。

   団塊の世代が、現役を離れて、既に、大分時間が経っているのだが、サラリーマン生活を送って老年に達している男性の殆どは、滅私奉公、自分の生活を無にしてでも、仕事一途に突っ走ってきた筈で、殆ど自分自身の趣味や娯楽を求めて生きて行く余裕などなかったはずである。
   私など、人付き合いが悪くて我が道を行く人生を送ってきたので、まず、例外であろうが、友人知人などは、毎日のように、アフター5の飲み友達や麻雀相手の手配、週末のゴルフの予約など付き合いに汲々としていて、日中は激務、余暇は、人付き合いと言った調子で、自分や家族との生活を無にして生活していたのであるから、定年退職で放り出されて暇ができても、趣味を育ててさえ来なかったので、何をどうすれば良いのか分からないと言う知人も結構いて、毎日、退屈だなあと言っている。
   
   これまで、気づかなかったのだが、自治会の副会長を経験して、自治会館の使用予定表が、殆ど、老人会の予定で埋まっていて、如何に老人たちの交流の場というか憩いの場として活用されているのかを知って驚いたくらいである。
コメント
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