熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

トーマス・セドラチェク, オリヴァー・タンツァー 著「続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析」(2)

2020年06月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ギリシャ神話や悲劇・喜劇、北欧神話等々、最後には、チロルの民話を引くなど比喩や敷衍など話題豊富で、フロイトやユングなどの精神分析が縦横に展開されていて、興味深い本だが、それだけに、時々頭を出す経済学分析がどうなのか、分り難くなるのが、この本。
   私など、「資本主義の精神分析」というサブタイトルだが、要するに、著者たちが、現代資本主義をどう見ているのか、その分析結果を知りたくて読んだのである。

   ほぼ、次のような考え方だったと思う。

   この本の目的は、資本主義的市場経済の上に成り立つこの社会は、複雑な構造と果てしない多様性を内包していて、簡単な答えで太刀打ちできないのだが、経済というシステムに鏡を向けて、社会の極端な経済化の結果として生じた精神的・実存的な深淵へと読者を案内する。と言うこと。
   資本主義に暮らす人間は、関係を理解することより、服従と支配を教え込まれて、自らも学んでいるのだが、時間の乏しい厳しいプロセスの中で、攻撃性を増し、ミスを犯しやすくなっている。人々は最大限の利益獲得を迫られ、経営者は短期の利益戦略に走り、人間と資源を容赦なく搾取する。世界規模の不均衡が起こり、多くを持つ者にチャンスと財産が窃盗症的な形で割り振られている。金融経済は、非常に高いリスクを追いかける一方、原始的な儀式や習慣に従っている。消費行動はどんどん速度を増し、どんどん質を落としながら豊かさの目くらましをし、大量販売の新しい夢を暗示のマジックによって日ごとに編み出し続けている。個別化され細分化された社会は、ただ物を売るためにだけに人々の魂にナルシシズムを植え付ける。世界観は不安な状態を作り出しながら安全を約束している。そして、これらの変異総てが宿るシステムは、躁鬱病的傾向を呈している。

   人々は、そうしたシステムを、神か運命によって授けられたもののように見ているので、このシステムやメカニズムの背景に読者の目を向けさせて、対処療法ではなく原因を治療しない限り、変化は起こらない。近年、経済的災いが襲ったのは、創造性もなしにすべてを使い果たそうとしていたからで、このままでは最終的にはシステムの自己破壊に繋がりかねない。システムの誕生以来、何度も発生してきた危機は、社会の躁的挙動に対する自然の修整のメカニズムであったと考えると、成長と競争をもう少し抑えても生命を脅かすような害はなく、それどころか救済になる。と言う。
   経済に取っては、抑うつよりも躁の方が危険だとして、先のサブプライム問題の世界的金融危機について論じて、借金しなければ経済は破綻しないのだとドイツの学者のような均衡経済を説きながら、Gross Domestic Puroductではなくて、Gross Debt Product(債務総生産)だと、GDP固守の経済を糾弾している。

   万一の時に備えて、社会に良い意味での抵抗力を示すことが、学問としての経済学、そして社会の制御装置としての政治の課題であって、多くの偶像をなげうって、個人と社会の超自我に深く根付く価値の転換を図り、時間、労働、利益の評価であり、物質的・経済的レベルを超えてその評価を広げて行く必要がある。
   そのために必要なのは、社会的プロセスの体系的変化、そして、個人の考え方の変化だと言う。

   この見解で、最初の現代経済分析については、一般論として、それ程乖離はないので、了解できるし、それ程異存はない。
   ただ、経済成長を抑える方が良いという見解については、総論としては賛成だが、日本のように国家債務が、GDPの2倍以上もあって、毎年の国家予算の歳入の30%以上を新規国債発行で賄わねばならないような国家財政では、財務省の資料(土居丈朗 教授)でも、
   日本は緊縮財政ではない •日本は、構造的財政収支が大きな赤字(他の先 進国より赤字幅は大きい) •経済で潜在GDPが実現しても、財政収支は赤字 →デフレから脱却しても、今の税制や歳出構造 のままなら財政収支は黒字にならない
   と指摘しているように、経済成長がなければ、徳政令かハイパーインフレか、戦後のような何らかの異常がなければ、解決できない。
   現在は、金利が限りなく低いので事なきを得ているが、金利が上がれば、目も当てられないような状態になる。
   借金はするなと説きながら、経済成長をダウンさせよというセドラチェクは、経済成長に見放されて国家債務の重圧に悩む欧米先進国の経済をどうしろというのか、解せないところである。
   
   もう一つは、最後の希望的な提言だが、これは、プラトンの説くような哲人政治ならいざ知らず、夢の夢であろう。
   興味深いのは、セドラチェクは、最後に、
   現代社会の主要な問題を解く答えは、希望と夢以外にない。と言って、南チロルのアンペッツォ谷の農民たちの民話を語って締めくくっている。
コメント
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