この下巻を読んでいて、すっかり忘れていたソ連の崩壊、もっと端的に表現すると、共産主義経済が崩壊するなどと思っても居なかった、と言う大きな誤解に思い至ったのである。
米国と覇権を争って冷戦を演じていたソ連が崩壊したのは、1991年12月25日。
当時、ロンドンに駐在していたので、欧米のメディアを通じて、この前後のソ連の断末魔の足掻きを具に見聞きして知っている。
1993年にロンドンを離れたので、その前に、レニングラードに立ち寄ってエルタミージュ美術館に行きたかったのだが、治安が悪くて諦めて帰ってきて、やっと、21年後に実現した。
さて、このファーガソンの本のテーマとは直接関係ないのだが、1960~70年代には、共産主義が最終的に資本主義に勝利するかも知れないと言うのが、ワシントンの一致した見解であったという指摘である。
あのベストセラーで経済学を学ぶ学生は誰でもお世話になったはずのポール・サミュエルソンの「エコノミクス」の1961年版で、「ソ連経済は、1984年から1997年にかけてのどこかの時点でアメリカ経済を追い抜くであろう」と予測しており、1989年版でもまだ、「ソ連経済は、多くの懐疑派がこれまで抱いていた見解に反して、社会主義の計画経済が機能するだけではなく、成功さえしうる査証である。」と主張し続けていた。後に国家安全保障局がある報告書で認めたように、「どの公式評価書も、1989年のクーデターまで、共産主義が崩壊する可能性が高いということには、触れてさえ居なかった。」と言うのである。
ファーガソンは、注意深い人なら誰でも、ソ連を訪問すれば、消費財は酷い品質で、慢性的に不足していて、時代遅れの工場では、窃盗やアルコール濫用常習的な欠勤が蔓延していて、計画経済に欠陥があることは一目瞭然で、どれほどのコンピューターの演算能力を持ってしても、根本的な欠陥を伴う制度を救うことはできなかったであろうと言う。
確かに、ソ連経済の惨状については、イギリスにも徐々に入ってきていたのを思い出す。
尤も、1980年代の日本経済の破竹の勢いの快進撃は、エズラ・ヴォーゲルのJapan as Number Oneに増幅されて、いずれアメリカを凌駕して世界を支配するのではないかという恐れを生み出したのだが、これも、昔語りで、30年以上も鳴かず飛ばずの悲しい現実。
ソ連崩壊の頃、J.K. ガルブレイス と、ソ連屈指の知米派経済学者S. メンシコフ との対話本「資本主義、共産主義、そして共存 」が出版されたので、読もうと思って買ったのだが、読みそびれて忘れてしまい、改めて、ソ連経済の秘密を探ろうと思って倉庫の蔵書をかき回したのだが、残念ながら、見つけることが出来なかった。
ダレン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」についてレビューしたブログ「ソ連経済の成長失速」については、いまでも、結構読まれているのだが、
結論は、「ソ連が、収奪的な経済制度のもとでも急速な経済成長を達成できたのは、ボリシェヴィキが、強力な中央集権国家を築き、それを利用して資源を工業に配分したから成長したのだが、この経済プロセスは、技術的変化を特徴としていなかったが故に長続きしなかった。」と言うことで、収奪的制度のもとでも、経済は成長するが、その成長はいずれすぐに終息して、経済は一気に沈滞してしまうと言うソ連のプロセスを説いている。
今日のソ連経済については、このブログの「晩秋のロシア紀行」や、そのほか、機会を見て書いているのだが、石油と天然ガス依存の、単純経済を維持するだけで、産業の近代化工業化など経済構造の積極的な改革への動きは殆ど見られず、先年、ザンクトペテルブルグとモスクワを訪れたときにも、殆ど、近代的なビル建築の様相さえ感じられない都市景観にびっくりしたのである。
軍事大国であり軍事技術や軍需産業の高度な水準、そして、広大な国土と膨大な天然資源の存在は、今でも、強国の風格であるだろうが、経済規模は日本の3分の1、中国の8分の1であるから、国境を開けば、中国経済圏に取り込まれてしまうほど脆弱である。
同じBRICSの中国やインドなどの新興国のように、ICT革命とグローバリゼーションの潮流に乗って、欧米日等先進国の最先端かつ最高峰の科学技術や経営手法を縦横に取り込んで、経済成長を図って快進撃を遂げる急速な発展手法を、なぜ、何でも自由にできるはずの独裁者プーチンが取れないのか不思議である。
プーチンが君臨している時代に、経済協力等、外交政策よろしきを得て、ロシアを日本経済圏に糾合することを考えてはどうかと書いたことがあるが、それも、日本が生きる一つの道であろうと思う。
ところで、独自の経済路線を突っ走る中国だが、その将来は如何。
時代も違うのだが、ソ連と違って、最先端の科学技術を駆使して、欧米先進国の自由市場経済と最新鋭の経営手法をフル活用して国家資本主義を突っ走る中国、
一党独裁政治の蹉跌で頓挫するのか、国家資本主義が発展途上国のモデルとして歴史に定着するのか、興味のあるところである。
米国と覇権を争って冷戦を演じていたソ連が崩壊したのは、1991年12月25日。
当時、ロンドンに駐在していたので、欧米のメディアを通じて、この前後のソ連の断末魔の足掻きを具に見聞きして知っている。
1993年にロンドンを離れたので、その前に、レニングラードに立ち寄ってエルタミージュ美術館に行きたかったのだが、治安が悪くて諦めて帰ってきて、やっと、21年後に実現した。
さて、このファーガソンの本のテーマとは直接関係ないのだが、1960~70年代には、共産主義が最終的に資本主義に勝利するかも知れないと言うのが、ワシントンの一致した見解であったという指摘である。
あのベストセラーで経済学を学ぶ学生は誰でもお世話になったはずのポール・サミュエルソンの「エコノミクス」の1961年版で、「ソ連経済は、1984年から1997年にかけてのどこかの時点でアメリカ経済を追い抜くであろう」と予測しており、1989年版でもまだ、「ソ連経済は、多くの懐疑派がこれまで抱いていた見解に反して、社会主義の計画経済が機能するだけではなく、成功さえしうる査証である。」と主張し続けていた。後に国家安全保障局がある報告書で認めたように、「どの公式評価書も、1989年のクーデターまで、共産主義が崩壊する可能性が高いということには、触れてさえ居なかった。」と言うのである。
ファーガソンは、注意深い人なら誰でも、ソ連を訪問すれば、消費財は酷い品質で、慢性的に不足していて、時代遅れの工場では、窃盗やアルコール濫用常習的な欠勤が蔓延していて、計画経済に欠陥があることは一目瞭然で、どれほどのコンピューターの演算能力を持ってしても、根本的な欠陥を伴う制度を救うことはできなかったであろうと言う。
確かに、ソ連経済の惨状については、イギリスにも徐々に入ってきていたのを思い出す。
尤も、1980年代の日本経済の破竹の勢いの快進撃は、エズラ・ヴォーゲルのJapan as Number Oneに増幅されて、いずれアメリカを凌駕して世界を支配するのではないかという恐れを生み出したのだが、これも、昔語りで、30年以上も鳴かず飛ばずの悲しい現実。
ソ連崩壊の頃、J.K. ガルブレイス と、ソ連屈指の知米派経済学者S. メンシコフ との対話本「資本主義、共産主義、そして共存 」が出版されたので、読もうと思って買ったのだが、読みそびれて忘れてしまい、改めて、ソ連経済の秘密を探ろうと思って倉庫の蔵書をかき回したのだが、残念ながら、見つけることが出来なかった。
ダレン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」についてレビューしたブログ「ソ連経済の成長失速」については、いまでも、結構読まれているのだが、
結論は、「ソ連が、収奪的な経済制度のもとでも急速な経済成長を達成できたのは、ボリシェヴィキが、強力な中央集権国家を築き、それを利用して資源を工業に配分したから成長したのだが、この経済プロセスは、技術的変化を特徴としていなかったが故に長続きしなかった。」と言うことで、収奪的制度のもとでも、経済は成長するが、その成長はいずれすぐに終息して、経済は一気に沈滞してしまうと言うソ連のプロセスを説いている。
今日のソ連経済については、このブログの「晩秋のロシア紀行」や、そのほか、機会を見て書いているのだが、石油と天然ガス依存の、単純経済を維持するだけで、産業の近代化工業化など経済構造の積極的な改革への動きは殆ど見られず、先年、ザンクトペテルブルグとモスクワを訪れたときにも、殆ど、近代的なビル建築の様相さえ感じられない都市景観にびっくりしたのである。
軍事大国であり軍事技術や軍需産業の高度な水準、そして、広大な国土と膨大な天然資源の存在は、今でも、強国の風格であるだろうが、経済規模は日本の3分の1、中国の8分の1であるから、国境を開けば、中国経済圏に取り込まれてしまうほど脆弱である。
同じBRICSの中国やインドなどの新興国のように、ICT革命とグローバリゼーションの潮流に乗って、欧米日等先進国の最先端かつ最高峰の科学技術や経営手法を縦横に取り込んで、経済成長を図って快進撃を遂げる急速な発展手法を、なぜ、何でも自由にできるはずの独裁者プーチンが取れないのか不思議である。
プーチンが君臨している時代に、経済協力等、外交政策よろしきを得て、ロシアを日本経済圏に糾合することを考えてはどうかと書いたことがあるが、それも、日本が生きる一つの道であろうと思う。
ところで、独自の経済路線を突っ走る中国だが、その将来は如何。
時代も違うのだが、ソ連と違って、最先端の科学技術を駆使して、欧米先進国の自由市場経済と最新鋭の経営手法をフル活用して国家資本主義を突っ走る中国、
一党独裁政治の蹉跌で頓挫するのか、国家資本主義が発展途上国のモデルとして歴史に定着するのか、興味のあるところである。