「滅亡へのカウントダウン」で、ワイズマンは、日本など色々な国を回って、人口爆発による人類の将来について膨大な調査をして、各国毎に興味深いレポートを書いている。
結論から言うと、ワイズマンは、マルサス論者だと言えようか。
もしも、人間が、このまま軌道修正しなければ、2100年の人口は、100億以上になるだろう。そのペースには、ほんの僅かでも力が加われば、更に数十億人増えるかも知れない。
もしも人間がみずから手綱を締められなければ、自然は、最も基本的な世界最古の方法、兵糧攻めで、我々の野放図な成長を止める、すなわち、食料の減少で、ほんの短期間続いた緑の革命のような増加は望み得ない。
人類は、現在の70億人を養うだけの糧を栽培することも、狩ることも、収穫することもできなくなるし、ましてやいずれ100億人に達すれば、全員を養えないのは自明である。
食糧は平等に分け合いさえすればすべての人を養えると言う理論は、現在の世界では、食物の大半が、人々を食べさせるためではなく、金儲けのために生産されているのだから、絵空事に過ぎない。と言うのである。
例えば水だが、今でさえ、可能ならどんな水源からでも必死に水を引こうとしており、21世紀に、人類は、地球規模で水の責め苦にさらされる。と説く。
以前に、杉本元上海総領事が著書で、
中国文明を支えてきた大動脈「黄河」が、断流現象を起こして、97年には、河口から華南省鄭州までの1千キロに及んで226日間断流して、その年、黄河に水が1日中海に流れ込んだのは僅か5日しかなかった。唐代以降森林破壊が続き、今では、上流に建設された3千百余りのダムで水を止め、水を乱用し、無駄に蒸発させて自然な還流システムが働かなくなってしまっていて、1億5千万の人口を要する流域で水の取り合いが深刻となり、三門峡ダムなど8つの発電所の稼働率は3分の1だ。とレポートしていた。
この「黄河」について、ナショナル・ジオグラフィックが、
「黄河崩壊 水危機が生む”環境難民”」と言う記事で、「黄河はチベット高原に源をもち、中国北部の大地と人々を潤し続けてきた。だがいま、目覚ましい経済成長の陰で、母なる大河が深刻な危機に陥っている。」とのサブタイトルに、何十年も前の日本のような黒い煤煙を吐き出す化学工場から汚水が、赤茶けて草木一本もない大地の小川に湯気をたてて排出され、黄河上流に流れて行く悲惨な光景を写し出していて、黄河の下流域には、水質汚染で、ガンの発生率が異常に高く”ガンの村”が沢山あると言う。黄河流域を大きくΠ型に蛇行して流れる河流の過半は汚染されていて、特に、韓城あたりからの下流域と、西安を流れる渭河など多くの支流や合流地点の河は大半過度に汚染されていて、農業、工業用水にも不適だと言う。中国の河川の70%は、汚染されていて飲用に供せないと言う記事を見たことがあるが、中国産の食品など、農薬漬けだけのみならず、水そのものが汚染しているのだから恐ろしい。
ワイズマンは、同じことを、コロラド川が取水過多で断流で河口まで届かず、あのニューディールの象徴であった上流のミード湖の渇水でフーバーダムのタービンを覆えなくなる恐れさえ出てきたと述べており、また、アメリカの第3の都市ヒューストンの水の大部分は、殆どがダラスとフォートワースの廃水であるトリニティ川下流が取水口であるから、下水の水だとも言うから驚きである。
2008年に、科学者たちがスエーデンで集まり、「人間はどうやったら存続して行けるのか」との問いに、「ネイチャー」誌に論文を発表した。
地球に関する九つの限界を特定して、そこを越えると、世界は、人類にとって大異変となり得る位相変化の段階に入るというのである。
九つの限界とは、気候変動、生物多様性の喪失、窒素とリンの地球規模の循環の乱れ、オゾンの減少、真水の消費、土地利用の変化、化学物質による汚染、大気中の微粒子である。
既に、前の3項目は限界を超えていると言うことだが、いずれにしろ、それぞれの限界の背後にあるのは、同一の原因、人間の存在の蓄積、すなわち、人口過多であって、人間の数を減らす以外に解決法はないと言うことである。
ワイズマンは、人類の将来について、地球温暖化など環境問題を切り口にして分析するのではなくて、人口の問題として捉えて、人口増が、いずれ限界にきて、宇宙船地球号が支えられなくなるので、その前に、人口増を抑制すべきであるという見解に立っているのだが、要するに、人間の活動の指数関数的な増大に触発され,そうした活動が生態系の安定を崩して、復元不能な環境変化を突然引き起こして崩しかねない、と言うことであり、問題は、自分たちが何をしているのかを、人々は気づきもしていないと言うことである。
我々が自制して、自分の後釜として加わる人間の数を少なくすることで人口を減らせなければ、自然が、整理解雇通知の山を人々に渡すことになる。と言うのが、ワイズマンの結語であって、それが、自然の摂理であると言うことであろうか。
新型コロナウイルス騒ぎも、傍若無人の人間の所業に対する自然の警告かも知れない。
先にブックレビューしたスティーブン・ピンカーの「21世紀の啓蒙 」のように、人間は、いくら危機に直面して窮地に立っても、どんな難関も、科学技術の進歩、イノベーションで活路を開いて来たのであるから、前途に何の不安もないと言った能天気と思しき見解もあるのだが、今回のように、宇宙船地球号の能力の限界にまで達して、物理的に頭を打ってしまえば、宇宙に飛出す以外に道はないのではないかと思う。
結論から言うと、ワイズマンは、マルサス論者だと言えようか。
もしも、人間が、このまま軌道修正しなければ、2100年の人口は、100億以上になるだろう。そのペースには、ほんの僅かでも力が加われば、更に数十億人増えるかも知れない。
もしも人間がみずから手綱を締められなければ、自然は、最も基本的な世界最古の方法、兵糧攻めで、我々の野放図な成長を止める、すなわち、食料の減少で、ほんの短期間続いた緑の革命のような増加は望み得ない。
人類は、現在の70億人を養うだけの糧を栽培することも、狩ることも、収穫することもできなくなるし、ましてやいずれ100億人に達すれば、全員を養えないのは自明である。
食糧は平等に分け合いさえすればすべての人を養えると言う理論は、現在の世界では、食物の大半が、人々を食べさせるためではなく、金儲けのために生産されているのだから、絵空事に過ぎない。と言うのである。
例えば水だが、今でさえ、可能ならどんな水源からでも必死に水を引こうとしており、21世紀に、人類は、地球規模で水の責め苦にさらされる。と説く。
以前に、杉本元上海総領事が著書で、
中国文明を支えてきた大動脈「黄河」が、断流現象を起こして、97年には、河口から華南省鄭州までの1千キロに及んで226日間断流して、その年、黄河に水が1日中海に流れ込んだのは僅か5日しかなかった。唐代以降森林破壊が続き、今では、上流に建設された3千百余りのダムで水を止め、水を乱用し、無駄に蒸発させて自然な還流システムが働かなくなってしまっていて、1億5千万の人口を要する流域で水の取り合いが深刻となり、三門峡ダムなど8つの発電所の稼働率は3分の1だ。とレポートしていた。
この「黄河」について、ナショナル・ジオグラフィックが、
「黄河崩壊 水危機が生む”環境難民”」と言う記事で、「黄河はチベット高原に源をもち、中国北部の大地と人々を潤し続けてきた。だがいま、目覚ましい経済成長の陰で、母なる大河が深刻な危機に陥っている。」とのサブタイトルに、何十年も前の日本のような黒い煤煙を吐き出す化学工場から汚水が、赤茶けて草木一本もない大地の小川に湯気をたてて排出され、黄河上流に流れて行く悲惨な光景を写し出していて、黄河の下流域には、水質汚染で、ガンの発生率が異常に高く”ガンの村”が沢山あると言う。黄河流域を大きくΠ型に蛇行して流れる河流の過半は汚染されていて、特に、韓城あたりからの下流域と、西安を流れる渭河など多くの支流や合流地点の河は大半過度に汚染されていて、農業、工業用水にも不適だと言う。中国の河川の70%は、汚染されていて飲用に供せないと言う記事を見たことがあるが、中国産の食品など、農薬漬けだけのみならず、水そのものが汚染しているのだから恐ろしい。
ワイズマンは、同じことを、コロラド川が取水過多で断流で河口まで届かず、あのニューディールの象徴であった上流のミード湖の渇水でフーバーダムのタービンを覆えなくなる恐れさえ出てきたと述べており、また、アメリカの第3の都市ヒューストンの水の大部分は、殆どがダラスとフォートワースの廃水であるトリニティ川下流が取水口であるから、下水の水だとも言うから驚きである。
2008年に、科学者たちがスエーデンで集まり、「人間はどうやったら存続して行けるのか」との問いに、「ネイチャー」誌に論文を発表した。
地球に関する九つの限界を特定して、そこを越えると、世界は、人類にとって大異変となり得る位相変化の段階に入るというのである。
九つの限界とは、気候変動、生物多様性の喪失、窒素とリンの地球規模の循環の乱れ、オゾンの減少、真水の消費、土地利用の変化、化学物質による汚染、大気中の微粒子である。
既に、前の3項目は限界を超えていると言うことだが、いずれにしろ、それぞれの限界の背後にあるのは、同一の原因、人間の存在の蓄積、すなわち、人口過多であって、人間の数を減らす以外に解決法はないと言うことである。
ワイズマンは、人類の将来について、地球温暖化など環境問題を切り口にして分析するのではなくて、人口の問題として捉えて、人口増が、いずれ限界にきて、宇宙船地球号が支えられなくなるので、その前に、人口増を抑制すべきであるという見解に立っているのだが、要するに、人間の活動の指数関数的な増大に触発され,そうした活動が生態系の安定を崩して、復元不能な環境変化を突然引き起こして崩しかねない、と言うことであり、問題は、自分たちが何をしているのかを、人々は気づきもしていないと言うことである。
我々が自制して、自分の後釜として加わる人間の数を少なくすることで人口を減らせなければ、自然が、整理解雇通知の山を人々に渡すことになる。と言うのが、ワイズマンの結語であって、それが、自然の摂理であると言うことであろうか。
新型コロナウイルス騒ぎも、傍若無人の人間の所業に対する自然の警告かも知れない。
先にブックレビューしたスティーブン・ピンカーの「21世紀の啓蒙 」のように、人間は、いくら危機に直面して窮地に立っても、どんな難関も、科学技術の進歩、イノベーションで活路を開いて来たのであるから、前途に何の不安もないと言った能天気と思しき見解もあるのだが、今回のように、宇宙船地球号の能力の限界にまで達して、物理的に頭を打ってしまえば、宇宙に飛出す以外に道はないのではないかと思う。