野村のEL BORDEが、「悪いインフレ? 生活にも影響する「スタグフレーション」とは」という記事を掲載した。
急速に進行している日本のインフレが、スタグフレーションの前触れかどうかは予断を許さないが、
スタグフレーションとは、不況を意味するスタグネーションとインフレーションの合成語で、景気が停滞しているにもかかわらず、物価の上昇が続く現象を指すと言うことである。
1970年代の第1次オイルショック後に日本はスタグフレーションを経験していて、消費者物価指数は、第4次中東戦争前の1972年には前年比4.9%上昇だったが、1973年は同11.7%上昇、1974年は同23.2%上昇した。一方、実質GDP成長率の推移を見ると、物価が急上昇する同時期に大きく落ち込んで、1974年に-1.2%と戦後初めてマイナス成長を経験し、戦後続いていた高度経済成長が終焉を迎えた。
さて、日本の消費者物価は今年4月、デフレスパイラルからの脱却を目指して、日銀などがターゲットとしていた2%の上昇を遂に達成した。しかし、このインフレは、政府や日銀の意図していた消費者などの需要増による好循環によるものではなく、コロナ禍やウクライナでの戦争などの外的要因によるエネルギーや食料品の高騰、原材料価格の上昇などで、コストプッシュによるインフレーションであった。
失われた30年の間に、経済成長に見放されて企業の生産性が向上しなかったために、賃金給与所得が低迷を続けていて、購買力アップなきインフレであるので、国民生活を更に直撃して、需要収縮するなど不況要因を増幅させよう。デフレに慣れきった日本国民が、急な物価上昇をスンナリと受容するはずがなく財布の紐を締めるのは必定である。
コストプッシュに耐えられず、メーカーなど企業がコストの増加分を消費者に転嫁した形で一斉に製品の値上げに走っているのだが、この値上げによって、企業の拡大投資や生産増加を期待出来るはずもなく、むしろ、生産縮小のきらいさえある。
このまま、インフレが進行し、経済が不況色を帯び始めると、スタグフレーションに突入する。
私自身は、アメリカがニクソンショック以降に経験したような深刻なスタグフレーションには陥らないとは思っているが、キシダノミクス程度の経済政策では、回復どころか、経済を悪化させるだけで、更なる失われた40年しか頭に浮かばない。
私は、オイルショックの時には、アメリカに居たので、日本のトイレットペーパー騒動など知らないのだが、アメリカのスタグフレーション苦境の一端は知っている。
それよりも印象的なのは、1974年から1979年までいて、前後頻繁に訪れていたブラジルでの凄まじいインフレである。
記憶が薄れて殆ど忘れてしまったが、年率何百%のインフレであるから、価格などあってなきがごとしで、
持ち帰った高額紙幣など10万クルゼイロ札に一気に10クルゼイロ印が押されてノミネートされていたり、スーパーの値札など頻繁に張り替えられて分厚く重なっていたり、とにかく、給与支給日には、値上がりする前にと、店は混雑の極致で、瞬く間に棚は空っぽに、
ゼツリオバルガス研究所がインフレ指数を発表するので、それに合わせて給与額など経済指標など調整するコレソンモネタリア制度なのだが、政府が恣意的に実際のインフレ数字をダウンさせて発表するとかで、国民生活はドンドン窮乏化するという悪循環。
幸い、私の場合には、ドル建てで給与が支給されていたので、隣のパラグアイの銀行でドルで引き落として、サンパウロの両替所で小刻みにクルゼイロに交換して生活をしていたので、それほど不足はなかったし、事務所も駐在員事務所扱いで資金は日本からの送金なので、同じように処理していた。
他の日本企業の現地法人は、インフレ対策に四苦八苦していたようだが、その点、私は楽であった。
しばらくして後に、アルゼンチンのブエノスアイレスに行った時には、もっと、インフレが酷くて、印刷が間に合わず、紙幣など真面に印刷されておらずに、金額が分かる程度に殆ど白紙状態で流通しており、タクシーに乗れば、何十万ペソで札束をごっそり渡す、
とにかく、ナイトクラブに行っても、何百万ペソ、何千万ペソで気の遠くなるような豪遊(?)だが、これはカードで処理。
インフレが激しいと言うことは、異常に通貨価値が低いと言うことで、昨夜一寸バーで5千万ペソばかり飲んでねえ、と言っても知れていると言うこと。
2~3日しか居なかったので、現金は200ドルくらいしか両替しなかったが、世界中を歩いて回ると色々な経験をする。
いずれにしろ、今のように円が安いとおいそれと海外には行けないが、私が世界中を飛び回っていたときには、円が強かったので、幸せであったかも知れないと思っている。
急速に進行している日本のインフレが、スタグフレーションの前触れかどうかは予断を許さないが、
スタグフレーションとは、不況を意味するスタグネーションとインフレーションの合成語で、景気が停滞しているにもかかわらず、物価の上昇が続く現象を指すと言うことである。
1970年代の第1次オイルショック後に日本はスタグフレーションを経験していて、消費者物価指数は、第4次中東戦争前の1972年には前年比4.9%上昇だったが、1973年は同11.7%上昇、1974年は同23.2%上昇した。一方、実質GDP成長率の推移を見ると、物価が急上昇する同時期に大きく落ち込んで、1974年に-1.2%と戦後初めてマイナス成長を経験し、戦後続いていた高度経済成長が終焉を迎えた。
さて、日本の消費者物価は今年4月、デフレスパイラルからの脱却を目指して、日銀などがターゲットとしていた2%の上昇を遂に達成した。しかし、このインフレは、政府や日銀の意図していた消費者などの需要増による好循環によるものではなく、コロナ禍やウクライナでの戦争などの外的要因によるエネルギーや食料品の高騰、原材料価格の上昇などで、コストプッシュによるインフレーションであった。
失われた30年の間に、経済成長に見放されて企業の生産性が向上しなかったために、賃金給与所得が低迷を続けていて、購買力アップなきインフレであるので、国民生活を更に直撃して、需要収縮するなど不況要因を増幅させよう。デフレに慣れきった日本国民が、急な物価上昇をスンナリと受容するはずがなく財布の紐を締めるのは必定である。
コストプッシュに耐えられず、メーカーなど企業がコストの増加分を消費者に転嫁した形で一斉に製品の値上げに走っているのだが、この値上げによって、企業の拡大投資や生産増加を期待出来るはずもなく、むしろ、生産縮小のきらいさえある。
このまま、インフレが進行し、経済が不況色を帯び始めると、スタグフレーションに突入する。
私自身は、アメリカがニクソンショック以降に経験したような深刻なスタグフレーションには陥らないとは思っているが、キシダノミクス程度の経済政策では、回復どころか、経済を悪化させるだけで、更なる失われた40年しか頭に浮かばない。
私は、オイルショックの時には、アメリカに居たので、日本のトイレットペーパー騒動など知らないのだが、アメリカのスタグフレーション苦境の一端は知っている。
それよりも印象的なのは、1974年から1979年までいて、前後頻繁に訪れていたブラジルでの凄まじいインフレである。
記憶が薄れて殆ど忘れてしまったが、年率何百%のインフレであるから、価格などあってなきがごとしで、
持ち帰った高額紙幣など10万クルゼイロ札に一気に10クルゼイロ印が押されてノミネートされていたり、スーパーの値札など頻繁に張り替えられて分厚く重なっていたり、とにかく、給与支給日には、値上がりする前にと、店は混雑の極致で、瞬く間に棚は空っぽに、
ゼツリオバルガス研究所がインフレ指数を発表するので、それに合わせて給与額など経済指標など調整するコレソンモネタリア制度なのだが、政府が恣意的に実際のインフレ数字をダウンさせて発表するとかで、国民生活はドンドン窮乏化するという悪循環。
幸い、私の場合には、ドル建てで給与が支給されていたので、隣のパラグアイの銀行でドルで引き落として、サンパウロの両替所で小刻みにクルゼイロに交換して生活をしていたので、それほど不足はなかったし、事務所も駐在員事務所扱いで資金は日本からの送金なので、同じように処理していた。
他の日本企業の現地法人は、インフレ対策に四苦八苦していたようだが、その点、私は楽であった。
しばらくして後に、アルゼンチンのブエノスアイレスに行った時には、もっと、インフレが酷くて、印刷が間に合わず、紙幣など真面に印刷されておらずに、金額が分かる程度に殆ど白紙状態で流通しており、タクシーに乗れば、何十万ペソで札束をごっそり渡す、
とにかく、ナイトクラブに行っても、何百万ペソ、何千万ペソで気の遠くなるような豪遊(?)だが、これはカードで処理。
インフレが激しいと言うことは、異常に通貨価値が低いと言うことで、昨夜一寸バーで5千万ペソばかり飲んでねえ、と言っても知れていると言うこと。
2~3日しか居なかったので、現金は200ドルくらいしか両替しなかったが、世界中を歩いて回ると色々な経験をする。
いずれにしろ、今のように円が安いとおいそれと海外には行けないが、私が世界中を飛び回っていたときには、円が強かったので、幸せであったかも知れないと思っている。