NHK BS4で録画していた1974年製作の映画「蝶々夫人」を見た。
丁度、私が米国での留学を終えて帰国して、ブラジルに赴任した年で、海外のオペラハウスでオペラ鑑賞に入れ込み始めた頃で、当時活躍していた往年のトップアーティスト総出演の貴重なオペラ映画で、実に懐かしく見せて貰った
キャスティングは、次の通りである。
蝶々さん……ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
ピンカートン……プラシド・ドミンゴ(テノール)
スズキ……クリスタ・ルートヴィヒ(メッゾ・ソプラノ)
シャープレス……ロバート・カーンズ(バリトン)
ゴロー……シェル・セネシャル(テノール)
僧侶……マリウス・リンツラー(バリトン)
ケイト・ピンカートン……エルケ・シャリー(メッゾ・ソプラノ)
ヤマドリ……ジョルジョ・ステンドロ(バリトン)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演出:ジャン=ピエール・ポネル
カラヤンやウィーン・フィルは、既に、コンサートホールで聴いていたが、フレーニやドミンゴをオペラハウスで観るのは、少し経ってからだが、とにかく、歌手達の若くて瑞々しい魅力は抜群である。
まず、舞台セットだが、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の舞台のような、荒涼とした枯れ草の広がる丘の中腹に、日本風の民家が建っており、この蝶々さんの家と一面に広がるブッシュ状の枯れ草の庭で、劇が展開される。
面白いのは、背後の丘の頂上から、蝶々さんなど、登場人物が現われる劇場仕立ての演出で、米国領事のシャープレス以外は、すべて、この上から顔を出して、劇的な登場をする。
演出が、ポネルなので、蝶々さんの家の佇まいやセットなど、一寸、違和感を感じないわけではないが、疑似日本風景としては、かなりの線を行っていて、西欧文化との融合が忍ばれて興味深い。
このオペラのタイトルロールを演じるミレッラ・フレーニだが、ビロードのように艶やかで美しく若々しい歌声と稀に見る優れた演技力で高い評価を得ていた当代トップのソプラノ歌手で、美人と言うよりもエキゾチックで個性的な風貌なのだが、この映画を観て、日本人女性にも引けを取らない実に美しくて女らしい素晴しい女性であるのを知って感動した。
第1幕フィナーレの「蝶々さんとピンカートンの二重唱」の素晴らしさは抜群で、二人の将来を暗示しての演出か、ポネルの美意識なのか、荒涼としたすすき野の庭で、にいた枕が交わされるシーンは斬新で、ほんの1シーンだけ、意味深なカットが写されていて面白い。
あの感動的なフレーニのアリア「ある晴れた日に」の素晴らしさ、
これに呼応してピンカートンのドミンゴは、まだ、若くて30になったかならずで、冒頭はいかれポンチ風に描かれていて、腹が立つのだが、これが、美しいプッチーニのサウンドに乗せて演じるので、チグハグな感じ、
しかし、その後、何度か劇場で鑑賞したドミンゴの青春時代の歌声を聞いて感激しきりで、演技も実に上手く、千両役者の片鱗を魅せる。
さて、この「蝶々夫人」だが、何度かあっちこっちの劇場で観ている。
長崎を舞台にした日本を主題にしたオペラなのだが、一時の現地妻として買ったとしか思っていないアメリカ士官のピンカートンと、一途に恋に生きる蝶々さんとの悲劇なので、ある意味では、日本人には観るに堪えない歌劇でもある。
ロンドンのロイヤルオペラで、日本が誇るソプラノ歌手渡辺葉子の演じる「蝶々夫人」のチケットを2回取ったのだが、妻は、2回目には付いてこなかった。
フレーニの舞台は、ただ一度だけ、ロイヤル・オペラで、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」のタチアーナを鑑賞した。
もう一つフレーニの思い出は、偶々、ロンドンからパリに飛ぶエール・フランスの機内で隣り合わせになったことである。話はしなかったが、下りるときに棚から荷物を取って彼女に手渡した。機内では、ずっと、「文字埋めクイズ」に熱中していて、軽食にも手を付けなかった。透き通るような真っ白な綺麗な肌が眩しかった。座席にチケットの半券を置いて下りたので、貰って本に挟んだが忘れってしまった。
フレーニの母は、パバロッティの母と同じタバコ工場で働いていたので、二人は、幼馴染みであり、パバロッティが、後年、「セックス以外は何でもした間柄だ」と述べていたが、トップ歌手のこの出逢いは奇跡と言うべきであろうか。
フレーニは、このパバロッティとカレーラスとも、この「蝶々夫人」のCDを出しているが、10歳の時に、ラジオ局の主催したコンクールで『ある晴れた日に』を歌い優勝して脚光を浴びたと言うから、プッチーニの『蝶々夫人』は、貴重なレパートリーなのであろう。
カラヤン指揮ウィーンフィルの演奏であるあるから、素晴しいのだが、やはり、サウンドトラック鑑賞と言った感じで、音楽としては、CDやDVDに引けを取る。
最近では、生の舞台の映画やDVDが主体となっているが、娯楽のあまりなかった昔には、このようなオペラの映画が結構あって、ドミンゴの映画も楽しませて貰った。
丁度、私が米国での留学を終えて帰国して、ブラジルに赴任した年で、海外のオペラハウスでオペラ鑑賞に入れ込み始めた頃で、当時活躍していた往年のトップアーティスト総出演の貴重なオペラ映画で、実に懐かしく見せて貰った
キャスティングは、次の通りである。
蝶々さん……ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
ピンカートン……プラシド・ドミンゴ(テノール)
スズキ……クリスタ・ルートヴィヒ(メッゾ・ソプラノ)
シャープレス……ロバート・カーンズ(バリトン)
ゴロー……シェル・セネシャル(テノール)
僧侶……マリウス・リンツラー(バリトン)
ケイト・ピンカートン……エルケ・シャリー(メッゾ・ソプラノ)
ヤマドリ……ジョルジョ・ステンドロ(バリトン)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演出:ジャン=ピエール・ポネル
カラヤンやウィーン・フィルは、既に、コンサートホールで聴いていたが、フレーニやドミンゴをオペラハウスで観るのは、少し経ってからだが、とにかく、歌手達の若くて瑞々しい魅力は抜群である。
まず、舞台セットだが、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の舞台のような、荒涼とした枯れ草の広がる丘の中腹に、日本風の民家が建っており、この蝶々さんの家と一面に広がるブッシュ状の枯れ草の庭で、劇が展開される。
面白いのは、背後の丘の頂上から、蝶々さんなど、登場人物が現われる劇場仕立ての演出で、米国領事のシャープレス以外は、すべて、この上から顔を出して、劇的な登場をする。
演出が、ポネルなので、蝶々さんの家の佇まいやセットなど、一寸、違和感を感じないわけではないが、疑似日本風景としては、かなりの線を行っていて、西欧文化との融合が忍ばれて興味深い。
このオペラのタイトルロールを演じるミレッラ・フレーニだが、ビロードのように艶やかで美しく若々しい歌声と稀に見る優れた演技力で高い評価を得ていた当代トップのソプラノ歌手で、美人と言うよりもエキゾチックで個性的な風貌なのだが、この映画を観て、日本人女性にも引けを取らない実に美しくて女らしい素晴しい女性であるのを知って感動した。
第1幕フィナーレの「蝶々さんとピンカートンの二重唱」の素晴らしさは抜群で、二人の将来を暗示しての演出か、ポネルの美意識なのか、荒涼としたすすき野の庭で、にいた枕が交わされるシーンは斬新で、ほんの1シーンだけ、意味深なカットが写されていて面白い。
あの感動的なフレーニのアリア「ある晴れた日に」の素晴らしさ、
これに呼応してピンカートンのドミンゴは、まだ、若くて30になったかならずで、冒頭はいかれポンチ風に描かれていて、腹が立つのだが、これが、美しいプッチーニのサウンドに乗せて演じるので、チグハグな感じ、
しかし、その後、何度か劇場で鑑賞したドミンゴの青春時代の歌声を聞いて感激しきりで、演技も実に上手く、千両役者の片鱗を魅せる。
さて、この「蝶々夫人」だが、何度かあっちこっちの劇場で観ている。
長崎を舞台にした日本を主題にしたオペラなのだが、一時の現地妻として買ったとしか思っていないアメリカ士官のピンカートンと、一途に恋に生きる蝶々さんとの悲劇なので、ある意味では、日本人には観るに堪えない歌劇でもある。
ロンドンのロイヤルオペラで、日本が誇るソプラノ歌手渡辺葉子の演じる「蝶々夫人」のチケットを2回取ったのだが、妻は、2回目には付いてこなかった。
フレーニの舞台は、ただ一度だけ、ロイヤル・オペラで、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」のタチアーナを鑑賞した。
もう一つフレーニの思い出は、偶々、ロンドンからパリに飛ぶエール・フランスの機内で隣り合わせになったことである。話はしなかったが、下りるときに棚から荷物を取って彼女に手渡した。機内では、ずっと、「文字埋めクイズ」に熱中していて、軽食にも手を付けなかった。透き通るような真っ白な綺麗な肌が眩しかった。座席にチケットの半券を置いて下りたので、貰って本に挟んだが忘れってしまった。
フレーニの母は、パバロッティの母と同じタバコ工場で働いていたので、二人は、幼馴染みであり、パバロッティが、後年、「セックス以外は何でもした間柄だ」と述べていたが、トップ歌手のこの出逢いは奇跡と言うべきであろうか。
フレーニは、このパバロッティとカレーラスとも、この「蝶々夫人」のCDを出しているが、10歳の時に、ラジオ局の主催したコンクールで『ある晴れた日に』を歌い優勝して脚光を浴びたと言うから、プッチーニの『蝶々夫人』は、貴重なレパートリーなのであろう。
カラヤン指揮ウィーンフィルの演奏であるあるから、素晴しいのだが、やはり、サウンドトラック鑑賞と言った感じで、音楽としては、CDやDVDに引けを取る。
最近では、生の舞台の映画やDVDが主体となっているが、娯楽のあまりなかった昔には、このようなオペラの映画が結構あって、ドミンゴの映画も楽しませて貰った。