熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

岐路に立つ欧米型民主主義

2022年08月02日 | 政治・経済・社会
   NHKが、「混迷の世紀 プロローグ “プーチンの戦争” 世界はどこに向かうのか」を放映した。
   「安全保障」「グローバル経済」「民主主義」3点に絞っての特集だが、興味を持ったのは、岐路に立つ欧米型民主主義と言う視点で、フランシス・フクヤマが、冷戦終結後、世界は民主主義に向かい、「歴史は終わる」と考えて、民主主義の時代の到来を宣言したが、その民主主義が一枚岩ではなくて、分裂して暗礁に乗り上げていると言う現実である。

   冒頭に、EU=ヨーロッパ連合国家でありながら、欧米型の民主主義に背を向けて、“国益” “経済”を優先するハンガリーの現状を具に報道しているが、
   スウェーデンの研究機関が、世界の国や地域を対象に、公正な選挙、基本的人権、報道の自由などの観点から、民主主義の度合いを分析した結果の発表によると、自由で民主的だとされたのは60の国と地域で、それに対し、非民主的だとされたのは、100を超えていると言うのである。

   オバマ元大統領が、2022年6月コペンハーゲン民主主義サミットでの演説で、「ベルリンの壁が崩壊した後、必然的に民主的な世界が到来するという意識がありました。しかし、私たちは民主主義が必然ではなく、おのずと実現するものでもないことに気づかされました。それら(民主主義の訴え)は、貧困に陥っている何億もの人々の心には響きません。私たちは未来に生きる多くの人々のために、民主主義とその制度を立て直さなければいけません」と述べて、
   「自分たちが掲げてきた民主主義が、大きな岐路に立たされている」と、いま、各国のリーダーたちが、そのあり方を問い直している。と言うのである。

   フランシス・フクヤマは、民主主義を享受し続けられるか、どんな世紀を生きることになるのかと聞かれて、
   「近年、アメリカや他の民主主義国家が犯した失敗で、振り子が反対に振れてしまった。いまは移行期の真っただ中であり、かつてない地球規模の課題に直面して、新たな解決策が求められる世紀になる。」と無責任なことを言っている。

   数ヶ月前に、「世界の左傾化と民主主義の退潮」で、次のように書いた。
   前世紀から今世紀に掛けて、世界の政治経済社会体制の大きな変化は、欧米先進国流の自由主義的な民主主義の大きな後退である。
   その一方で、中国やロシアと言った国家資本主義的な専制国家体制なり左傾化した国家体制の国家の勢力が、急進している。
   これは、ICT革命とグローバリゼーションの進展によって、経済成長に対するメカニズムが大きく変ってしまったことによる。
   今や、新興国や発展途上国など遅れた国は、前世紀のロストウ流の余剰敷金を蓄積して経済をテイクオフすると言った成長段階をスキップして、国家資本主義的な計画経済手法によって、最先端の技術やノウハウを導入駆使して、経済と国家の発展を策することができるようになったのである。
   グローバル経済の拡大によって拡散した資本主義体制は、いずれの政治体制であろうとも、変形しつつも機能しているが、
   自由で平等を旨とする民主主義体制は、欧米日の成熟した先進国の政治経済社会の国家にしか、有効に機能しないと言う現状になってしまった。
   
   貧しい経済的に遅れた発展途上国にとっては、かっての中国同様に、専制であろうと独裁であろうと、計画経済であろうと市場経済であろうと、「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫」であって、経済発展して少しでも貧困状態から抜け出せれば良いのであって、民主主義と言った煩わしいドクトリンなど無意味であって、人権などと言ったことには全く関心がない。
   尤も、これらの民主主義体制から逸脱した国々は、公正な選挙、基本的人権、報道の自由などの観点から、民主主義の度合いが低いということであって、中国やロシア側について、欧米先進国から離れていくのかと言うことは、全く別次元の問題であって、前述の勢力図の色分けに固守するのは間違いである。
  
   長い苦難と歴史を積み上げて、自由で公正な人権重視のシチズンシップ社会を築き上げて育んできた民主主義は、成熟した西側先進国の貴重な歴史遺産であって、最早、化石と化したのか、
   遅れて成長発展を指向する新興国や発展途上国には、その余裕がなくて、幸いICT革命とグローバリゼーションの進展によって、独裁的専制的なシステムでショートカットでキャッチアップする道が開けた。欧米流の民主主義には、無関心であって一顧だにする気配さえない。
   after democracy, post democracyと言うか、脱民主主義時代を想定しなければならなくなった。

   
コメント
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