エマニュエル・トッドは、「第三次世界大戦はもう始まっている」で、
ロシアの経済は、GDPでは韓国並みだが、何故、あれだけの強力な国力を保持して、超大国アメリカに対峙できるのか、GDPでロシアの経済力を判断するのはおかしいと、言う。
まず、GDPだが、昔から経済指標としての不備は指摘されていて、計測不足では、
サミュエルソンが半世紀以上も前に論じたように、主婦の家事や育児など家庭内の無償労働だが、同じ仕事を、食堂や塾・保育園などへ外注すれば、GDPの増分となるが、現状ではGDPには加算されない。アルビン・トフラーが説いた生産消費者 (prosumer) が行う、市場を通さない、自分自身や家族や地域社会で使うため、もしくは満足を得るために自分でやる無償の隠れた経済活動などは、DIY同様に加算されない。
先年、 デジタル革命によって、動画配信など「お得感」25%増の「GDPの外」で経済拡大が起こっており、この「消費者余剰」が、GDPを大きく縮小させていると言うことについても論じてきた。消費者余剰とは、「消費者がこれくらい払ってもよいと考える価格(支払許容額あるいは支払意思額と呼ばれる)と、実際に払った価格の差」で、わかりやすくいうと「お買い得感」であるが、「百均」なども、このジャンルに入るかも知れない。
勿論、アングラ経済など闇に消えて行く膨大な経済活動もあり、付加価値基盤のGDPが、経済力を正しく表示していないことは、論を待たないが、国民総幸福量(GNH)という独自の考え方を国家の指標として打ち出すブータンなども出ており、GDPについては各所で検討がなされている。
さて、トッドの問題意識は、このような問題ではなく、米ロの経済比較で、GDP指標では、あきらかに、アメリカ経済が過大評価され、ロシア経済が過小評価されている、何故だろうかということである。
まず、経済力を抽象的に捉えるのではなく、労働人口の教育水準と言った経済力の具体的な中身で見るべきで、現在、ロシアの中等教育システムの水準は、アメリカより高いと思われ、特に、アメリカと違ってロシアでは、多くの若者がエンジニアのキャリアを志向している。高等教育の学位取得者の内エンジニアの占める割合は、アメリカが7.2%であるのに対してロシアは23.3%で、アメリカは、そのエンジニア不足を他国からの輸入で補っており、その多くを中国人が占めており、安全保障上の懸念がある。
さらに、東アジア諸国の少子化高齢化などによって、ドルではなく、エンジニアで測るグローバルなサプライチェーンの崩壊、脱グローバル化に対して、アメリカは対処できるのか。と言うことで、経済の質を勘定に入れるべきだと言うのである。。
ロシアの経済力を、ルーブルではなく、エンイジニアで測るとすれば、2014年からの制裁に耐えられたように、2022年の西側の制裁にもロシアは耐えられるんではないか。
「経済の真の柔軟性」とは、銀行システムや金融商品を開発する能力にではなく、生産活動の再編成を可能にするようなエンジニア、技術者、熟練労働者にこそ存しているのではないか。と言う。
これは、エンジニアがいるだけでは、経済が動くわけではないし、経済音痴のトッドの稚拙な経済論と言うか、論外なので反論は省略する。発想は面白いが、これまでにも、トッドの経済論争には疑問を呈し続けてきた。
いずれにしろ、ウクライナ戦争後、危険を察知して、この虎の子の筈のエンジニアや高度な知識や技術を持ったロシア人が、何10万人とロシアを脱出する頭脳流出が続いていて、ロシアの存続そのものが危うくなっているという現実も注視すべきであろう。
ロシア経済については、何度も書いているように、
濡れ手に粟の天然ガスや石油などの輸出収入に胡座をかいて、経済政策の根幹である産業の近代化や合理化に傾注せずにモノカルチュア経済に安住した結果、高度な工業製品やパーツは生産できずに輸入頼りで、西側先進国の経済制裁が強化され、グローバル・サプライチェーンから排除されると、高度な武器や軍需製品の生産は勿論、基幹産業の順調な稼働はお手上げとなる。今は、消費など国民生活は小康状態であっても、深層の重要な製造業など基幹産業などは大きく毀損していて、時間が経つにつれて、じわじわと、ロシア経済を窮地に追い込んで弱体化して、凋落の一途を辿ってゆく。と思っている。
クルーグマンも、対露輸出禁止措置によってロシアと制裁国との貿易量は60%減少、非制裁国との貿易量も40%減り、ロシアの工業生産量は50%超の減少となった――。と論じており、ロシア経済の苦境は火を見るより明らかなのである。
プーチンは、ウクライナ戦争で、ロシアの宝である筈の貴重なテクノクラートやエンジニアをないがしろにしている感じで、国を離れる芸術家やアスリート達も多いと聞く。
誇大妄想と悪夢で、国土も民心もどんどん荒廃してゆく感じで、偉大なロシアの歴史と文化の慟哭が聞こえてくるようで悲しい。
ロシアの経済は、GDPでは韓国並みだが、何故、あれだけの強力な国力を保持して、超大国アメリカに対峙できるのか、GDPでロシアの経済力を判断するのはおかしいと、言う。
まず、GDPだが、昔から経済指標としての不備は指摘されていて、計測不足では、
サミュエルソンが半世紀以上も前に論じたように、主婦の家事や育児など家庭内の無償労働だが、同じ仕事を、食堂や塾・保育園などへ外注すれば、GDPの増分となるが、現状ではGDPには加算されない。アルビン・トフラーが説いた生産消費者 (prosumer) が行う、市場を通さない、自分自身や家族や地域社会で使うため、もしくは満足を得るために自分でやる無償の隠れた経済活動などは、DIY同様に加算されない。
先年、 デジタル革命によって、動画配信など「お得感」25%増の「GDPの外」で経済拡大が起こっており、この「消費者余剰」が、GDPを大きく縮小させていると言うことについても論じてきた。消費者余剰とは、「消費者がこれくらい払ってもよいと考える価格(支払許容額あるいは支払意思額と呼ばれる)と、実際に払った価格の差」で、わかりやすくいうと「お買い得感」であるが、「百均」なども、このジャンルに入るかも知れない。
勿論、アングラ経済など闇に消えて行く膨大な経済活動もあり、付加価値基盤のGDPが、経済力を正しく表示していないことは、論を待たないが、国民総幸福量(GNH)という独自の考え方を国家の指標として打ち出すブータンなども出ており、GDPについては各所で検討がなされている。
さて、トッドの問題意識は、このような問題ではなく、米ロの経済比較で、GDP指標では、あきらかに、アメリカ経済が過大評価され、ロシア経済が過小評価されている、何故だろうかということである。
まず、経済力を抽象的に捉えるのではなく、労働人口の教育水準と言った経済力の具体的な中身で見るべきで、現在、ロシアの中等教育システムの水準は、アメリカより高いと思われ、特に、アメリカと違ってロシアでは、多くの若者がエンジニアのキャリアを志向している。高等教育の学位取得者の内エンジニアの占める割合は、アメリカが7.2%であるのに対してロシアは23.3%で、アメリカは、そのエンジニア不足を他国からの輸入で補っており、その多くを中国人が占めており、安全保障上の懸念がある。
さらに、東アジア諸国の少子化高齢化などによって、ドルではなく、エンジニアで測るグローバルなサプライチェーンの崩壊、脱グローバル化に対して、アメリカは対処できるのか。と言うことで、経済の質を勘定に入れるべきだと言うのである。。
ロシアの経済力を、ルーブルではなく、エンイジニアで測るとすれば、2014年からの制裁に耐えられたように、2022年の西側の制裁にもロシアは耐えられるんではないか。
「経済の真の柔軟性」とは、銀行システムや金融商品を開発する能力にではなく、生産活動の再編成を可能にするようなエンジニア、技術者、熟練労働者にこそ存しているのではないか。と言う。
これは、エンジニアがいるだけでは、経済が動くわけではないし、経済音痴のトッドの稚拙な経済論と言うか、論外なので反論は省略する。発想は面白いが、これまでにも、トッドの経済論争には疑問を呈し続けてきた。
いずれにしろ、ウクライナ戦争後、危険を察知して、この虎の子の筈のエンジニアや高度な知識や技術を持ったロシア人が、何10万人とロシアを脱出する頭脳流出が続いていて、ロシアの存続そのものが危うくなっているという現実も注視すべきであろう。
ロシア経済については、何度も書いているように、
濡れ手に粟の天然ガスや石油などの輸出収入に胡座をかいて、経済政策の根幹である産業の近代化や合理化に傾注せずにモノカルチュア経済に安住した結果、高度な工業製品やパーツは生産できずに輸入頼りで、西側先進国の経済制裁が強化され、グローバル・サプライチェーンから排除されると、高度な武器や軍需製品の生産は勿論、基幹産業の順調な稼働はお手上げとなる。今は、消費など国民生活は小康状態であっても、深層の重要な製造業など基幹産業などは大きく毀損していて、時間が経つにつれて、じわじわと、ロシア経済を窮地に追い込んで弱体化して、凋落の一途を辿ってゆく。と思っている。
クルーグマンも、対露輸出禁止措置によってロシアと制裁国との貿易量は60%減少、非制裁国との貿易量も40%減り、ロシアの工業生産量は50%超の減少となった――。と論じており、ロシア経済の苦境は火を見るより明らかなのである。
プーチンは、ウクライナ戦争で、ロシアの宝である筈の貴重なテクノクラートやエンジニアをないがしろにしている感じで、国を離れる芸術家やアスリート達も多いと聞く。
誇大妄想と悪夢で、国土も民心もどんどん荒廃してゆく感じで、偉大なロシアの歴史と文化の慟哭が聞こえてくるようで悲しい。