
上野の東京国立博物館・平成館大講堂で面白いシンポジュームが開かれた。
”世界遺産から関西の文化力を考える「KANSAI元気文化シンポジューム」”である。
まず、最初は、約10分の「関西の歴史・文化」と銘打ったビデオ映画で、凝縮された関西の魅力を映像とサウンドで強烈にアピール。
続いて、「大蔵流 狂言之舞 三番三」舞囃子 揉之段 で、笛、小鼓、大鼓の音に合わせて、茂山逸平が舞台を足拍子高く勇壮に大地の舞を舞う。
本番は、河合隼雄文化庁長官の基調講演「文化の宝庫・関西」。
最後は、西川りゅうじん氏他5人の関西応援団による「関西の世界遺産・文化力を全国に」と題するシンポジューム。
兎に角、面白くてユニークな関西パワーが、東京文化の牙城・上野の杜に攻撃をかけた興味深い3時間であった。
河合長官は、何時も変わらない丹波篠山スタイルで、ユーモアたっぷりの含蓄ある講演を熱演。
仕事仕事で、仕事一途に打ち込む現在日本人に最も多いノイローゼは、抑鬱症である。
何をする気力も能力もなく何もしない。ところが、ある日突然ポッと元気になることがあるが、そのきっかけになるのは、文化や芸術に関係していることが多いのに気がついた。
抑鬱症は、英語でDEPRESSIONと言うが、経済不況も、英語でDEPRESSIONと全く同じ単語である。
薬も利かなくなった日本経済だが、それなら、文化力で日本を活性化、元気を取り戻そうと考えた。
文化で日本中を元気にしよう、まず、手始めに、文化と歴史の宝庫・関西から文化力を活用して文化運動を起こそう。
アメリカ人に、日本全体のカウンセラーもやるのかと言われたが、兎に角、東京一極集中はいけない、せめて2極にしないと。
関西の2府7県で結成した関西元気文化圏推進運動がこれである。
安保時代のイデオロギーで社会を変革出来ると考えた高温爆発型の学生運動が失敗したのに対比させて、今日の学校の壁を越えた低温発酵型の学生のボランティア運動に夢を託しながら、時代や文化を縦横無尽に熱っぽく語っていた。
かっての政府のばら撒き財政によって、地方の経済と地方格差の縮小が維持されていたが、不況になってからは、地方切捨てと市場原理主義の経済運営の結果、地方経済の疲弊が進行し、益々経済格差が拡大している。
駅前通がシャッター通りに変わってしまったと言われて既に久しい。歴史や伝統のある地方の町ほど、その衰退の姿がひどくて寂しい。
東京は古いといっても、精々、鎌倉室町時代どまり。しかし、長い間営々と築き上げられて来た多くの地方の古い文化や伝統、そして、文化遺産が忘れ去られようとしているのである。
北からの修学旅行の学生達が、東京都心や秋葉原の電気街で、そして、浦安のディズニーランドでストップして、箱根の山を越えなくなったのも時代の趨勢で、仕方のないことかもしれない。
しかし、二度とない青少年時代に、強制的にでもしろ、自分達のアイデンティティの拠り所である日本のフルサトの文化と伝統に遭遇することがどれだけ貴重なことか、とも思うのだが。
学生時代、亀井勝一郎や和辻哲郎の大和古寺本を持って嵯峨や明日香、斑鳩等を歩いた頃を懐かしく思い出しながらシンポジュームを聞いていた。
”世界遺産から関西の文化力を考える「KANSAI元気文化シンポジューム」”である。
まず、最初は、約10分の「関西の歴史・文化」と銘打ったビデオ映画で、凝縮された関西の魅力を映像とサウンドで強烈にアピール。
続いて、「大蔵流 狂言之舞 三番三」舞囃子 揉之段 で、笛、小鼓、大鼓の音に合わせて、茂山逸平が舞台を足拍子高く勇壮に大地の舞を舞う。
本番は、河合隼雄文化庁長官の基調講演「文化の宝庫・関西」。
最後は、西川りゅうじん氏他5人の関西応援団による「関西の世界遺産・文化力を全国に」と題するシンポジューム。
兎に角、面白くてユニークな関西パワーが、東京文化の牙城・上野の杜に攻撃をかけた興味深い3時間であった。
河合長官は、何時も変わらない丹波篠山スタイルで、ユーモアたっぷりの含蓄ある講演を熱演。
仕事仕事で、仕事一途に打ち込む現在日本人に最も多いノイローゼは、抑鬱症である。
何をする気力も能力もなく何もしない。ところが、ある日突然ポッと元気になることがあるが、そのきっかけになるのは、文化や芸術に関係していることが多いのに気がついた。
抑鬱症は、英語でDEPRESSIONと言うが、経済不況も、英語でDEPRESSIONと全く同じ単語である。
薬も利かなくなった日本経済だが、それなら、文化力で日本を活性化、元気を取り戻そうと考えた。
文化で日本中を元気にしよう、まず、手始めに、文化と歴史の宝庫・関西から文化力を活用して文化運動を起こそう。
アメリカ人に、日本全体のカウンセラーもやるのかと言われたが、兎に角、東京一極集中はいけない、せめて2極にしないと。
関西の2府7県で結成した関西元気文化圏推進運動がこれである。
安保時代のイデオロギーで社会を変革出来ると考えた高温爆発型の学生運動が失敗したのに対比させて、今日の学校の壁を越えた低温発酵型の学生のボランティア運動に夢を託しながら、時代や文化を縦横無尽に熱っぽく語っていた。
かっての政府のばら撒き財政によって、地方の経済と地方格差の縮小が維持されていたが、不況になってからは、地方切捨てと市場原理主義の経済運営の結果、地方経済の疲弊が進行し、益々経済格差が拡大している。
駅前通がシャッター通りに変わってしまったと言われて既に久しい。歴史や伝統のある地方の町ほど、その衰退の姿がひどくて寂しい。
東京は古いといっても、精々、鎌倉室町時代どまり。しかし、長い間営々と築き上げられて来た多くの地方の古い文化や伝統、そして、文化遺産が忘れ去られようとしているのである。
北からの修学旅行の学生達が、東京都心や秋葉原の電気街で、そして、浦安のディズニーランドでストップして、箱根の山を越えなくなったのも時代の趨勢で、仕方のないことかもしれない。
しかし、二度とない青少年時代に、強制的にでもしろ、自分達のアイデンティティの拠り所である日本のフルサトの文化と伝統に遭遇することがどれだけ貴重なことか、とも思うのだが。
学生時代、亀井勝一郎や和辻哲郎の大和古寺本を持って嵯峨や明日香、斑鳩等を歩いた頃を懐かしく思い出しながらシンポジュームを聞いていた。