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Linda Yueh のこの本、原題は The Great Economists: How Their Ideas Can Help Us Today
「アダム・スミスはブレグジットを支持するか?」に引っ張られるのだが、要するに、「12人の偉大な経済学者と考える現代の課題」と言うことで、偉大な経済学者が、現在我々が直面している経済問題をどう考えて対処するか、その学説を敷衍しながら、考えてみるという試みである。
経済学説史の専攻ならいざ知らず、このように多岐にわたる経済学者の学説を説くなど、経済学教授でさえ難しいはずだが、リンダ・ユーは、蕩々と持論を展開する。
私など、一応、大学と大学院で経済と経営学を勉強したと言っても、多少、取り組めるのは、シュンペーターとケインズ、それに、アダム・スミスとミルトン・フリードマンを少々くらいで、他の偉大な経済学者については、一からの勉強である。
さて、今回は、まず、最も敬愛する経済学者シュンペーターの項について、感想を述べてみたい。
シュンペーターは、資本主義におけるイノベーションは「永遠に続く創造的破壊の嵐」で、新技術の導入とともに経済は長期的に循環し、その一方で陳腐化して行き、この新技術こそが、経済成長を促進するエンジンである。と説く。
シュンペーターのイノベーション理論の構築には、単なる学者ではなく、大臣として経済政策の立案のみならず、ビジネス界も経験しており、同時に、電動機と内燃機関が、かっての蒸気機関のように、電話や鉄道とともに経済成長を促進し、旧来のビジネスモデルが時代遅れになる時代を生きていた。と言うことも幸いしたのであろう。
家族経営のドイツの中小企業、業務を積極的に改善して、その質の高さで世界的に知られた「ミッテルシュタット」が台頭する印象的で大規模な再編成を目のあたりにして、大恐慌時代に、昔ながらの低成長産業に対する救済措置を批判し、将来の高成長の期待出来る企業を支援するための政府介入を支持した。と言う。
「創造的破壊」のおかげで人々の生活は飛躍的に伸びるのであるから、シュンペーターは、断固として資本主義を擁護している。
しかし、大規模なイノベーションは、現状を破壊する傾向があるために、社会は抵抗しがちで、脆弱なシステムであるとも考えていた。
そして、起業家は、産業を変革して経済全体に影響を及ぼし、その結果、経済は均衡に戻ることはなく、継続的な不均衡を生み出す。と言う。
さて、イノベーターの盛衰だが、大ブームを謳歌していたはずのノキアとブラックベリーが、アップルのiPhoneに駆逐されたり、コダックの凋落について論じている。
ただ、盛衰については、
何十年も順調に経営してきた既存の大企業にとって、従来の事業分野で高収益を維持しながら、新技術にも適応すると言うのは困難である。したがて、業界全体がいったん恒久的に変化すると取り残されてしまうのだ。そこから読み取れるのは、「適応するか滅びるか」である。と述べているだけである。
この大成功を収めて業界をリードして大好況を謳歌したイノベーターの凋落については、やはり、クレイトン・クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」に学ぶべきであろう。
今をときめくイノベーターアップルとサムソンについては、ファーウェイの躍進と絡ませながら、イノベーションに対する中国の挑戦について論じていて興味深い。
中国のイノベーションを起こす力は、製造業の枠を越えて、クリエイティブ産業を初めとするあらゆる分野に及んでおり、中国政府はイノベーションに積極的に投資し、研究開発費は、急速に増加しており、近い将来には、アメリカの研究開発費をも上回ると予測している。
このアメリカと中国のイノベーター競争だが、たとえ、ディカップリング状態だとしても、将来的には、「窮鼠猫を食む」。
クリステンセンの「破壊的イノベーション」理論でも、イノベーターの既存企業を駆逐する「破壊的イノベーター」は、トヨタのようなローエンドからの挑戦であり、まして、リバースイノベーションが勢いを増して、下から追い上げるイノベーションの時代であり、いくら、アメリカが抵抗しても、市場原理に従うはずである。
最後に、リンダ・ユーは、「創造的破壊」の生みの親であるシュンペーターは、資本主義がどう発展するのかには消極的であろう。安定した市場を揺るがす次のテクノロジーを予測する会議のステージには、シュンペターがたっている姿は想像できない。と締めくくっている。
半世紀以上も手元にあったシュンペターの代表作「資本主義・社会主義・民主主義」が、見つからないので、何とも言えないが、
ウィキペディアによると、
本書では、資本主義の発展が不可避的に社会主義への移行をもたらすこと、ならびに民主主義の本質についての議論を展開している。 と言うのだが、
シュンペーターの民主主義論の背景には、社会主義国家の台頭と民主主義の没落が現実問題として議論された時代背景がある。当時、社会主義国家の下で行われる民主主義は人民の意志が実質的に表明されるため、資本主義下の民主主義よりも高次元な民主主義であるという議論があった。ということだから、時代背景を反映した議論なのであろう。
シュンペーターが、「資本主義の発展が不可避的に社会主義への移行をもたらす」と書いたとは、どうしても思えない。
何はともあれ、どんな政治経済社会であろうとも、「創造的破壊」イノベーションこそが、経済成長を促進するエンジンである。とするシュンペーターの発展理論は、色あせることなく歴史をドライブし続けるであろうと思う。
「アダム・スミスはブレグジットを支持するか?」に引っ張られるのだが、要するに、「12人の偉大な経済学者と考える現代の課題」と言うことで、偉大な経済学者が、現在我々が直面している経済問題をどう考えて対処するか、その学説を敷衍しながら、考えてみるという試みである。
経済学説史の専攻ならいざ知らず、このように多岐にわたる経済学者の学説を説くなど、経済学教授でさえ難しいはずだが、リンダ・ユーは、蕩々と持論を展開する。
私など、一応、大学と大学院で経済と経営学を勉強したと言っても、多少、取り組めるのは、シュンペーターとケインズ、それに、アダム・スミスとミルトン・フリードマンを少々くらいで、他の偉大な経済学者については、一からの勉強である。
さて、今回は、まず、最も敬愛する経済学者シュンペーターの項について、感想を述べてみたい。
シュンペーターは、資本主義におけるイノベーションは「永遠に続く創造的破壊の嵐」で、新技術の導入とともに経済は長期的に循環し、その一方で陳腐化して行き、この新技術こそが、経済成長を促進するエンジンである。と説く。
シュンペーターのイノベーション理論の構築には、単なる学者ではなく、大臣として経済政策の立案のみならず、ビジネス界も経験しており、同時に、電動機と内燃機関が、かっての蒸気機関のように、電話や鉄道とともに経済成長を促進し、旧来のビジネスモデルが時代遅れになる時代を生きていた。と言うことも幸いしたのであろう。
家族経営のドイツの中小企業、業務を積極的に改善して、その質の高さで世界的に知られた「ミッテルシュタット」が台頭する印象的で大規模な再編成を目のあたりにして、大恐慌時代に、昔ながらの低成長産業に対する救済措置を批判し、将来の高成長の期待出来る企業を支援するための政府介入を支持した。と言う。
「創造的破壊」のおかげで人々の生活は飛躍的に伸びるのであるから、シュンペーターは、断固として資本主義を擁護している。
しかし、大規模なイノベーションは、現状を破壊する傾向があるために、社会は抵抗しがちで、脆弱なシステムであるとも考えていた。
そして、起業家は、産業を変革して経済全体に影響を及ぼし、その結果、経済は均衡に戻ることはなく、継続的な不均衡を生み出す。と言う。
さて、イノベーターの盛衰だが、大ブームを謳歌していたはずのノキアとブラックベリーが、アップルのiPhoneに駆逐されたり、コダックの凋落について論じている。
ただ、盛衰については、
何十年も順調に経営してきた既存の大企業にとって、従来の事業分野で高収益を維持しながら、新技術にも適応すると言うのは困難である。したがて、業界全体がいったん恒久的に変化すると取り残されてしまうのだ。そこから読み取れるのは、「適応するか滅びるか」である。と述べているだけである。
この大成功を収めて業界をリードして大好況を謳歌したイノベーターの凋落については、やはり、クレイトン・クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」に学ぶべきであろう。
今をときめくイノベーターアップルとサムソンについては、ファーウェイの躍進と絡ませながら、イノベーションに対する中国の挑戦について論じていて興味深い。
中国のイノベーションを起こす力は、製造業の枠を越えて、クリエイティブ産業を初めとするあらゆる分野に及んでおり、中国政府はイノベーションに積極的に投資し、研究開発費は、急速に増加しており、近い将来には、アメリカの研究開発費をも上回ると予測している。
このアメリカと中国のイノベーター競争だが、たとえ、ディカップリング状態だとしても、将来的には、「窮鼠猫を食む」。
クリステンセンの「破壊的イノベーション」理論でも、イノベーターの既存企業を駆逐する「破壊的イノベーター」は、トヨタのようなローエンドからの挑戦であり、まして、リバースイノベーションが勢いを増して、下から追い上げるイノベーションの時代であり、いくら、アメリカが抵抗しても、市場原理に従うはずである。
最後に、リンダ・ユーは、「創造的破壊」の生みの親であるシュンペーターは、資本主義がどう発展するのかには消極的であろう。安定した市場を揺るがす次のテクノロジーを予測する会議のステージには、シュンペターがたっている姿は想像できない。と締めくくっている。
半世紀以上も手元にあったシュンペターの代表作「資本主義・社会主義・民主主義」が、見つからないので、何とも言えないが、
ウィキペディアによると、
本書では、資本主義の発展が不可避的に社会主義への移行をもたらすこと、ならびに民主主義の本質についての議論を展開している。 と言うのだが、
シュンペーターの民主主義論の背景には、社会主義国家の台頭と民主主義の没落が現実問題として議論された時代背景がある。当時、社会主義国家の下で行われる民主主義は人民の意志が実質的に表明されるため、資本主義下の民主主義よりも高次元な民主主義であるという議論があった。ということだから、時代背景を反映した議論なのであろう。
シュンペーターが、「資本主義の発展が不可避的に社会主義への移行をもたらす」と書いたとは、どうしても思えない。
何はともあれ、どんな政治経済社会であろうとも、「創造的破壊」イノベーションこそが、経済成長を促進するエンジンである。とするシュンペーターの発展理論は、色あせることなく歴史をドライブし続けるであろうと思う。