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今回の「艶容女舞衣」は、お園の「今頃は半七さん。どこでどうしてござろうぞ・・・」の台詞で有名な「酒屋の段」と、死出の「道行霜夜の千日」。
手代や丁稚までもが、「今頃半七さん・・・」と、出前の道すがら、謡っていたと言う。
ストーリーは次の通り。
元禄時代にあった茜屋半七(玉助)と島の内の遊女美濃屋三勝(一輔)の心の心中事件を題材にし、1773年1月18日大坂豊竹座で初演された。
大坂上塩町の酒屋「茜屋」の息子半七(は、お園と言う妻がありながら、女舞芝居の芸人美濃屋三勝と恋仲になってお通(勘昇)という子供まで成して出奔し、三勝をめぐる鞘当がもとで今市善右衛門を殺害してお尋ね者。お園(清十郎)の父宗岸(玉也)が怒って、娘を連れ戻し、半七の父半兵衛(玉志)は、町役人に呼び出されて、縄目をかけられて帰ってくる。そこへ丁稚が捨て児を連れてくる。
宗岸は、処女妻ではあるが、半七を思い続ける娘の貞節に負けて、お園を改めて嫁にやりたいと詫びを入れる。半兵衛は、お園の心根に心打たれるのだが、息子の罪を思いわざと冷淡なそぶりを見せ拒絶するが、宗岸に縄目のことを指摘され、お互いの子を思う気持ちが通じて和解する。
一人残ったお園は「今頃は半七さん。どこでどうしてござろうぞ・・・去年の夏の患いにいっそ死んでしもうたらこうした難儀はせぬものを」と苦しい胸の内を切々と口説く。隣室で聞いていた半兵衛らが出てきてお園を慰める。
お園の説明で、捨て児がお通とわかり、お通の懐から半七の書き置きが見つかり、四人で流し読むと、善右衛門殺しの責任を取って三勝との死を決意したと、半兵衛、お幸、宗岸あての別れの言葉が切々と書かれていて、最後に、お園に詫びの言葉と「未来は必ず夫婦」と書いてあって、お園は「ええ、こりゃ誠か。半七さん、うれしゅうござんす」と喜ぶ。
そんな有様を、門口から覗き見ていた半七と三勝は、不幸をわび両手合せて伏し拝み、さらば、さらばと、死出の旅に出る。
実際の浄瑠璃では、入れ違いに来た役人宮城十内が善右衛門が大盗賊であったことが分かって、半七の罪は放免となることを告げて半兵衛の縄を解き、半兵衛は急ぎ二人の後を追う。 ことになっている。
しかし、この文楽では、次の幕、「道行霜夜の千日」で、情緒連綿たる悲しい死出の道行が演じられて、半七は脇差を三勝の胸に突き立て、自分の喉をかき切って果てる。
さて、この文楽の主人公とも言うべきお園だが、中之巻で、出奔中の半七が、新町橋でお園を見かけて、大道易者の小屋に逃げ込み、お園が、知らずに、俄か易者に化けた半七に、占いを見て貰って、愛想づかしを言われて、半七の正体を見破る。「嫁入りしてからモウ3年、女房と言うは名ばかり、帯紐解かぬ他人向き」、よその女に入れあげて、抱いてももらえない処女妻でありながらも、ひたすら半七を慕い続けるいじらしい哀れな女である。
その後、離縁したお園が、半七の勘当を解くために、三勝のところへ出向いて、三日でも良いから縁を切ってくれと頼みこんでいる。
このお園が、今回の舞台で、半兵衛夫妻に手をついて、「いったん夫と決まった半七様、嫌われるはみな私が不調法。鈍に生まれたこの身の罪、今から随分お気にいるようにいたしましょう程に、やっぱり元の嫁娘とおっしゃって下さいませ。」と懇願し、
哀切極まりないクドキでは、去年の秋の患いにイッソ死んで自分がいなければ、良かったのに、添い伏しは叶わずとも、お気にいらぬを知りながら、お傍に居たいと辛抱して・・・と心情を吐露する。
半七に一途な愛慕の気持ちを失わず、恋しい、抱かれなくても側にいるだけで良い。しかし、自分がいない方が良いのではないかとの思い悩み、恨み辛みも微塵もない、自分の存在さえ責めて泣く。
夫が罪人でも別れるのは嫌じゃ、妻であることを貫き通したい。
それに、最後のダメ押しは、半七の書置きで、お園に詫びの言葉と「未来は必ず夫婦」と書いてあって、お園は「ええ、こりゃ誠か。半七さん、うれしゅうござんす」と喜ぶ。 と言うこの心境。
このような女性の姿は、当時では普通だったと大谷晃一先生は言うのだが、今昔の感である。
いい加減な人生を送って、あたら好意を無にして、来世で添おうなどと言った信じられないような戯言を言われて喜ぶと言う発想が、まず、分からない。
お園の「今頃半七さん・・・」の舞台シーンだが、行燈に寄りかかるのと、戸口の柱にたたずむ二通りがあると言うのだが、清十郎のお園は、奥にあった行燈を正面に持ち出して、じっと頭を垂れて行燈の上縁を拭いながら、かき口説き始める。
両袖で泣き入ったり、すねたり、大きく手を広げて前に手をついて夫に仕える仕草をしたり、優雅な後ろ振りを交えながら、憂き辛き思いを連綿とかき口説き舞い続ける。
清十郎は、簑助とは違った雰囲気の女らしい女を遣う女形の最高峰の人形遣いだと思って、いつも、楽しみに観ている。目を瞑って、渋い顔ををしながら人形を遣っているのだが、それが、素晴らしく情感豊かで、生身の女性のようなビビッドな表情の女性像を紡ぎ出してくれるのである。
一寸、気になったのは、肝心の舞台の重要な小道具の行燈だが、円錐形のプラスチック製のような、量販店で買ってきたような今様のもので、観客は江戸時代の雰囲気を期待しているのだから、紙と木とローソクの雰囲気のある古風な行燈で、やって欲しかった。
手代や丁稚までもが、「今頃半七さん・・・」と、出前の道すがら、謡っていたと言う。
ストーリーは次の通り。
元禄時代にあった茜屋半七(玉助)と島の内の遊女美濃屋三勝(一輔)の心の心中事件を題材にし、1773年1月18日大坂豊竹座で初演された。
大坂上塩町の酒屋「茜屋」の息子半七(は、お園と言う妻がありながら、女舞芝居の芸人美濃屋三勝と恋仲になってお通(勘昇)という子供まで成して出奔し、三勝をめぐる鞘当がもとで今市善右衛門を殺害してお尋ね者。お園(清十郎)の父宗岸(玉也)が怒って、娘を連れ戻し、半七の父半兵衛(玉志)は、町役人に呼び出されて、縄目をかけられて帰ってくる。そこへ丁稚が捨て児を連れてくる。
宗岸は、処女妻ではあるが、半七を思い続ける娘の貞節に負けて、お園を改めて嫁にやりたいと詫びを入れる。半兵衛は、お園の心根に心打たれるのだが、息子の罪を思いわざと冷淡なそぶりを見せ拒絶するが、宗岸に縄目のことを指摘され、お互いの子を思う気持ちが通じて和解する。
一人残ったお園は「今頃は半七さん。どこでどうしてござろうぞ・・・去年の夏の患いにいっそ死んでしもうたらこうした難儀はせぬものを」と苦しい胸の内を切々と口説く。隣室で聞いていた半兵衛らが出てきてお園を慰める。
お園の説明で、捨て児がお通とわかり、お通の懐から半七の書き置きが見つかり、四人で流し読むと、善右衛門殺しの責任を取って三勝との死を決意したと、半兵衛、お幸、宗岸あての別れの言葉が切々と書かれていて、最後に、お園に詫びの言葉と「未来は必ず夫婦」と書いてあって、お園は「ええ、こりゃ誠か。半七さん、うれしゅうござんす」と喜ぶ。
そんな有様を、門口から覗き見ていた半七と三勝は、不幸をわび両手合せて伏し拝み、さらば、さらばと、死出の旅に出る。
実際の浄瑠璃では、入れ違いに来た役人宮城十内が善右衛門が大盗賊であったことが分かって、半七の罪は放免となることを告げて半兵衛の縄を解き、半兵衛は急ぎ二人の後を追う。 ことになっている。
しかし、この文楽では、次の幕、「道行霜夜の千日」で、情緒連綿たる悲しい死出の道行が演じられて、半七は脇差を三勝の胸に突き立て、自分の喉をかき切って果てる。
さて、この文楽の主人公とも言うべきお園だが、中之巻で、出奔中の半七が、新町橋でお園を見かけて、大道易者の小屋に逃げ込み、お園が、知らずに、俄か易者に化けた半七に、占いを見て貰って、愛想づかしを言われて、半七の正体を見破る。「嫁入りしてからモウ3年、女房と言うは名ばかり、帯紐解かぬ他人向き」、よその女に入れあげて、抱いてももらえない処女妻でありながらも、ひたすら半七を慕い続けるいじらしい哀れな女である。
その後、離縁したお園が、半七の勘当を解くために、三勝のところへ出向いて、三日でも良いから縁を切ってくれと頼みこんでいる。
このお園が、今回の舞台で、半兵衛夫妻に手をついて、「いったん夫と決まった半七様、嫌われるはみな私が不調法。鈍に生まれたこの身の罪、今から随分お気にいるようにいたしましょう程に、やっぱり元の嫁娘とおっしゃって下さいませ。」と懇願し、
哀切極まりないクドキでは、去年の秋の患いにイッソ死んで自分がいなければ、良かったのに、添い伏しは叶わずとも、お気にいらぬを知りながら、お傍に居たいと辛抱して・・・と心情を吐露する。
半七に一途な愛慕の気持ちを失わず、恋しい、抱かれなくても側にいるだけで良い。しかし、自分がいない方が良いのではないかとの思い悩み、恨み辛みも微塵もない、自分の存在さえ責めて泣く。
夫が罪人でも別れるのは嫌じゃ、妻であることを貫き通したい。
それに、最後のダメ押しは、半七の書置きで、お園に詫びの言葉と「未来は必ず夫婦」と書いてあって、お園は「ええ、こりゃ誠か。半七さん、うれしゅうござんす」と喜ぶ。 と言うこの心境。
このような女性の姿は、当時では普通だったと大谷晃一先生は言うのだが、今昔の感である。
いい加減な人生を送って、あたら好意を無にして、来世で添おうなどと言った信じられないような戯言を言われて喜ぶと言う発想が、まず、分からない。
お園の「今頃半七さん・・・」の舞台シーンだが、行燈に寄りかかるのと、戸口の柱にたたずむ二通りがあると言うのだが、清十郎のお園は、奥にあった行燈を正面に持ち出して、じっと頭を垂れて行燈の上縁を拭いながら、かき口説き始める。
両袖で泣き入ったり、すねたり、大きく手を広げて前に手をついて夫に仕える仕草をしたり、優雅な後ろ振りを交えながら、憂き辛き思いを連綿とかき口説き舞い続ける。
清十郎は、簑助とは違った雰囲気の女らしい女を遣う女形の最高峰の人形遣いだと思って、いつも、楽しみに観ている。目を瞑って、渋い顔ををしながら人形を遣っているのだが、それが、素晴らしく情感豊かで、生身の女性のようなビビッドな表情の女性像を紡ぎ出してくれるのである。
一寸、気になったのは、肝心の舞台の重要な小道具の行燈だが、円錐形のプラスチック製のような、量販店で買ってきたような今様のもので、観客は江戸時代の雰囲気を期待しているのだから、紙と木とローソクの雰囲気のある古風な行燈で、やって欲しかった。