熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立小劇場・・・9月文楽「嬢景清八嶋日記」

2019年09月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の文楽「嬢景清八嶋日記」は、能「景清」からの脚色曲で、非常に、劇的な展開で面白かった。
   文楽の舞台では、やはり、芝居がかった演出に変わっていて、その差が面白いので、注視して観ていた。
   今回は、玉男の景清と簑助の娘糸滝を観たくて、最前列の正面席を取ったので、烈しい呼吸の息吹まで感じる熱演を鑑賞して幸せであった。

   まず、能「景清」のあらすじだが、銕仙会の説明をそのまま借用すると、
   鎌倉時代初頭。九州に流された平家の侍 景清を訪ねて、娘の人丸(ツレ)が従者(トモ)を連れて日向を訪れる。それと知らず景清の庵を訪れた二人であったが、景清(シテ)は自らの正体を隠し、「景清のことはよく知らない」と言って二人を帰す。次いで里人(ワキ)に景清の在所を尋ねた二人は、先程の人物こそ景清だと教えられ、再度景清の庵を訪れる。里人は人丸を景清に引き合わせるが、景清は今の境遇を嘆き、自分が名乗らなかったのは人丸の世間体を守るためだったと明かす。景清は所望されるままに、屋島の合戦での武勇を誇らしげに語るが、やがて我にかえり、今の身を恥じる。親子は別れの言葉を交わすと、人丸は、景清に見送られながら、宮崎の地をあとにするのだった。  

   さて、文楽「嬢景清八嶋日記」のほうだが、この能の舞台の「日向嶋の段」の前に、「花菱屋の段」があって、
   景清の娘糸滝は,日向の盲目の父を都に迎えて仕官させたいと願って金策のために、肝煎の佐治太夫を伝手にしてわが身を手越宿の花菱屋に売ろうとする。この孝心に感じ入った花菱屋の主人は、糸滝に金と暇を与えて、左次太夫を供につけて日向まで父を尋ねて行かせることにする。

   次の「日向嶋の段」は、能を踏襲していて、両眼を失って日向島に流された景清を、娘糸滝が訪れると、景清は、訪ねてきた娘を、父は餓死したと偽って追い返すが、里人の仲介で親子の対面を果たし、娘に抱き着かれて娘を引きよせ相抱き涙にくれる。
   このシーン、
   ・・・と縋りついて泣きければ、父の引き寄せ撫でさすり、もしやと我が子の顔見たげに、指で瞼を引っ張っても、暗きに迷ふ盲目の心の闇にかきくれて、前後も分かず見えけるが、・・・
   清経の人形は、この舞台のみの首で「清経」、俊寛のような雰囲気の首で、盲目ゆえに、眼球は真っ白だが、この目が真っ赤な目に変わり、壮絶た血の涙、糸滝をかき抱きながら、熱田の大宮司の娘との児で、女児なので足手まといになるので乳母にくれたれば、子でもないし親でもない、
   「親は子に迷わねども子は親に迷うたな。礼は言わぬ、出来しをつた。・・・」と言うのだが、
   剛毅でも意地を張っても、親は親、思い余って、・・・孤児の年端も行かず、誰を力に何とか暮らす。きかせてくれ。と肺腑をしぼる。
   「アイ」と応えて泣き崩れる糸滝に代わって佐治太夫が、身を売ったことを隠して豪農に嫁して幸せであり婿の親の配慮で景清士官の金を持たせたと説明すると、ど百姓の嫁などもっての外、何故、武士の身分を全うしなかったのかと凄い剣幕で叱りつけ、あざ丸の名剣を投げ与え、早く帰れと追い立てる。
   離れて行く船を追いながら、今は叱ったのは偽り、夫婦仲良く暮らせと叫ぶ。
   佐治太夫が里人に残した財布と文箱を開けて里人に読ませて、糸滝の書置きで、身を売って得た金であることを知って、景清は、地団駄踏んで慟哭して船影を追う。この後の清経の狂乱錯乱ぶりが凄い。
   「ヤレその子は売るまじ。・・・船よのう、返せ、戻れ」と声を上げ、心乱るる足弱車、・・・大地にがばと投げつけ打ち付け、苦しみは肝に焼金刺す、見えぬ目玉の飛び出るばかり、押しぬぐい押し擦り、大声上げて泣き口説く、理せめて哀れなり。
   頃は良しと、里人が、頼朝の隠れ隠密であったことを明かして頼朝の意を便へ、剛気に信義を貫いてきた景清も、娘の孝心と目付の説得に折れて源氏へと降参し、船に乗って鎌倉へ向かう。
   何故か、床本にはないが、玉男の景清は、大切に供養を続けていた重盛の位牌を取り出して海中に沈める。

   この舞台を見ると、能の「俊寛」や歌舞伎や文楽の近松門左衛門「平家女護島」の舞台と、完全にダブって、どうしても、見比べてしまう。
   俊寛の方は、自分だけ赦免されずに鬼界島に取り残されると言うシチュエーションで、景清の場合には、娘糸滝の身売りまでして自分を助けようとした孝心に気付かなかった悔恨だが、世捨て人と言う境涯にありながらも、人生の最後の最後に直面する断腸の悲痛を、どう生き抜くかと言うことである。
   それに、景清を残して嶋をさる糸滝と、平家物語の俊寛を残して去る有王とが、よく似たシチュエーションであり、感慨深い。

   今回の文楽「嬢景清八嶋日記」の玉男の景清の断末魔の悲痛は、俊寛の舞台よりはるかに真に迫って激しく、舞台狭しとのた打ち回る鬼気迫る迫力は、流石であって、断腸の悲痛を通り越して、人間の業と言うべきか、悲しさ哀れさ弱さ切なさなど一切を、舞台にたたきつけて、それが、美しくさえあるのである。
   歌舞伎と違って、人間の役者ではない、人形だからできる、そんな人形の動きを見て感動した。

   簑助の糸滝の可憐さ健気さ、近松の心中物のヒロインのように体当たりでぶつかって愛情表現するのではなく、控えめに父に寄り添ってしなだりかかる簑助の糸滝、その優しい必死の心根に応えて、玉男の清経は、見えぬ目を中空に仰いでひっしとかき抱く。
   少し体を外して、後ろにそり気味でじっと清経の顔を見上げる糸滝の可憐さ、正面を向いて微動だにしない清経だが、その健気な面立ちを眼に映し得れば、どれ程感動したか、しかし、盲目の悲しさ、父娘の思いが、すれ違っていて切ない。
   父に餓死したと騙されて絶望した時も、父に帰れと強要された時も、今回、簑助は、うつ伏して泣く糸滝の上体をを上下に震わせながら慟哭を表現していたが、舞台の進行に合わせて、人形とも思えないような美しい姿態表現で、流れるようにしなやかに、体全体で、心の動きを表現していて、感動して観ていた。
   それに、うしろぶりの美しさ。

   花菱屋の段の織太夫と清助、日向嶋の段の千歳太夫と富助の義太夫と三味線の素晴らしさは、言うまでもない。
   ただ、義太夫が、特に、日向嶋の段では、長セリフの漢語交じりの難しい表現が多くて、最前列であった所為もあって、字幕が読めなかったので、聴き取り難かったのが、一寸難であった。
   
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