熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ストラトフォードのシェイクスピア旅(10)ウォリック城を訪れる-1

2023年09月24日 | 30年前のシェイクスピア旅
   夜の「ロミオとジュリエット」の公演まで一日空いていたので、隣町のウォリック城に出かけた。シェイクスピアの英国史劇を鑑賞するためにも必見の由緒ある古城でありながら、何度も機会を逸して行けなかったのである。
   シェイクスピアは、この故郷ストラトフォード近辺とロンドンから離れたことがないと言われているので、戯曲で描いた城や宮殿のイメージの多くは、このウォリック城から得たはずなのである。

   ストラトオフォードからロンドンへ帰る道を西にとってM40とのジャンクションを越えて10分ほど走ると城のゲートに着く。ゲートは林の中にあって、着いても城の姿は全く見えない。駐車場は、エントランスまで何ブロックも数珠状に繋がっていて、下りて、かなり密に生えた高木の林の中を抜けると、前方が開けて、ステイブルズ・エントランスに達する。その手前の通用口の間から、広々とした芝生の原の上に大きな城壁と塔がそびえ立っているのが見える。

   この城は、1068年にサクソンを征服したノルマン人によって築城されたイングランド統治のための出城の一つで、当初は、外壁に囲まれた塚であった。その後、重要な城址となり、フランスとの100年戦争の頃には、壮大な要塞へと姿を変えた。更に、17~18世紀にかけて、豪華な宮殿や壮大な庭園が構築されて、現在では、英国屈指の名城の一つとして、ほぼ、完全な形で現存している。
   エントランスを入ると、城壁をバックに中世の騎士姿の男が飾り立てた軍馬に跨がり立っていて、風景に溶け込んでいる。堀は日本のような堀ではなく、空堀で一方が平坦でオープンであるので、大きな小山の上に城壁が築かれている感じで、圧倒される。さどかし下からの攻撃は難しく難攻不落と言っても良かろう。

   跳ね橋を渡ると城門で、二重の落とし格子門を抜けるとゲイト・ハウスに達する、方形の搭状の建物であるが、狭い階段を上ると小さな部屋が沢山あり、窓が小さいのでどこにいるのか全く分からない。各部屋で城の歴史の展示をしている。
   ゲイト・ハウスを出ると城内に達し、広々とした緑の中庭に出る。三方はタワーのある城壁に囲まれており、エイボン川に面した一方は、宮殿の建物が建っている。ゲイト・ハウスと左手シーザーズ・タワーとの間に、兵器庫、地下牢、拷問室などのある中世の建物があるのだが、見物客が列をなしているのでスキップして、となりのキング・メーカーの展示室に向かった。
   キング・メーカーとは、ばら戦争で活躍して、英国王の首をすげ替えるほどの実力のあったウォリック伯リチャード・ネヴィルのことで、シェイクスピアのヘンリー6世でも、重要な役割を演じて活躍している。
   この部屋の展示は、タッソーの蝋人形を使っていて、克明に、当時の城内の兵士や騎士たちの仕事ぶりや生活などを見せており、観ていて楽しい。戦争準備の兵士、蹄鉄を鍛えている鍛冶工、車輪造りの車大工、軍旗を縫いテントを繕う女性たちなど、最後に、死出の闘いのために剣を携えて家臣たちに檄を飛ばすウォリック伯爵の像が、ランタンの薄明かりに映えて浮かび上がっている。所々に、当時の衣装を身につけた係員がいて、蝋人形に溶け合って雰囲気を醸し出している。あっちこっちで、タッソーの蝋人形を観てきたが、良くできていて何時も感激している。

   次の展示は、グレート・ホールとステート・ルームである。これは、18世紀半ばに豪華絢爛たるステート・ダイニング・ルームやプライベート・アパートメントを備えた宮殿が完成して出来上がった部分の見学である。ロイヤル・ウィークエンドパーティ1898は、タッソーの蝋人形使ってプライベート・アパートメントで展示されている。これらの宮殿部分は、元からあったものもあり、ほぼ、18世紀半ばには現在のような状態になっていたようである。
   内外共に、当時のイングランドの超一流の技師や芸術家、職人たちによって設計施工されたもので、ベルサイユやウィーンの宮殿にも見劣りしない素晴しいものである。

   ステート・ルームの一つグリーン・ドローイング・ルームの中央に、二枚の伊万里の大皿がスタンド型のテーブルに嵌め込まれて鎮座ましましているのが面白い。マイセンの磁器が、伊万里を真似て艱難辛苦の末に完成されたことを思えば、けだし当然であろう。
   グレート・ホールは、この城最大のホールで、甲冑、武具、金属製の大皿、獲物の角などが壁一面に所狭しと飾られており、華麗な彫刻を施された重厚な木製の飾り棚や、金属製の武者や騎馬像が部屋に威厳を添えている。
   小さな祭壇を備えたステンドグラスの美しい礼拝堂も、ステートハウスに付属している。
   ドローイング・ルームの華麗さはまちまちで、天井の素晴しい石膏細工や豪華なシャンデリア、縫い目なしの精巧な絨毯、威厳と華麗さに満ちた絵画や彫刻、繊細さと豪華さを兼ね備えた家具調度など、それぞれ工夫を凝らされていて、赤やブルーといったカラーを基調に装飾されている。

   プライベート・アパートメントは、部屋がこぢんまりしているので、もっとみじかな感じがする。
   鎧ではなく背広を着たウォリック伯やその夫人、それに来客のエドワード皇太子などが、蝋人形姿で、コンサートを聴いたり、カードをしたり、談笑したり、化粧をしたりしている。ライブラリーで、若き日のチャーチルが本を広げている姿が珍しい。隣のオックスフォードシャーのブレンハム・パレスの御曹司が遊びに来られたという設定であろうか。
   19世紀末に、伯爵夫人の気前よい豪華な接客が有名にに成って、ウォリック城は、後期ヴィクトリアの上流階級の社交場になった。当時の写真が残っていたので、当時の家具調度などをそのまま配置して、ウィークエンド・パーティを再現したのである。
   セッティングがあまりにもリアルであり、そのすぐ側を歩いているので、タイムスリップしたような雰囲気になる。

(追記)口絵写真は、エイボン川に面するウォリック城。ウィキペデイアから借用。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クラシックコンサートは楽し... | トップ | ストラトフォードのシェイク... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

30年前のシェイクスピア旅」カテゴリの最新記事