熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

グローバルスタンダードへの戦い・・・坂村健教授の示唆

2005年10月30日 | 政治・経済・社会
   先にWPCでの坂村健東大教授の基調講演に触れて、教授のuIDに対するグローバルスタンダードへの壮大な戦いについて紹介した。
   日本人は、米国で決めた国際基準が、総てグローバルスタンダードと考える傾向があって、坂村教授は、トロンや現在勧めているuIDに対しても、米国での認知如何によって評価されるなど、日本人の自主性とグローバルスタンダードへの理解のなさに辟易し、国家戦略としての重要性に鑑み「グローバルスタンダードと国家戦略」を書いた。

   親しい高級官僚に、中央省庁でもアメリカではこうだと言うと通りが良いのだと聞いたが、昔から、学術でも芸術でも、何でも、欧米で評価されると、喜んで受け入れる傾向があるようだ。
 しかし、私自身、欧米で学び、いくらか生活をした経験から、日本が欧米にあらゆる分野で決して引けを取っていないのを良く知っているので、日本人の自信と自主性の不足に何時も疑問を感じている。

   ところで、グローバルスタンダードだが、
国際市場で、経済取引を円滑に行う為には、相互理解、互換性の確保、消費者利益の確保を図ることが必要で、新技術や商品を国際的に展開する場合、その技術や製品が国際的に理解され受け入れられなければ齟齬を来たす。
   そのモノやサービス等の品質や性能、安全性、寸法、試験方法などに関して国際的な共通認識が必要であり、その国際的取り決めが、国際基準、グローバルスタンダードである。

   普通、この国際基準を決定するのは、大きく分けて二つある。
   一つは、ディジュール・スタンダード、即ち、国際的な機関が取り仕切り、国際会議の投票などで決定される公的基準。
   もう一つは、ディファクト・スタンダードで、実質上一番マーケット・シェアが高いとか市場を支配している事実上の国際基準、である。

   日本人は、これまで国際基準に従えば良いと言う考え方だったが、欧米では、グローバルスタンダード確保の為に熾烈な競争を行っている。
   日本人は、国際的プレゼンスや交渉能力に弱いので、国際基準を取るのなら、後者、即ち、商品を売って市場で圧倒的なシェアを占めて「事実上の標準」になることであろうか。

   坂村教授は、グローバルスタンダード確保の為の、日本の国家戦略について、「生き残りへの処方は教育と戦略」「研究開発と国家戦略」「新時代のグローバルスタンダード」等の項に渡って、技術立国、知財保護等の単発的な議論ではなくて、総合的な国家戦略について持論を展開している。

   私が興味を持ったのは、そのような本質論の前座の国際基準を取り巻く環境の変化であった。
   
   EUや中国では、独自の基準を設定して、自分達の域内市場ではこの基準に従わせようとしており、これを守らなければ市場から排除しようとしていること。
   iモードやハイビジョンなどは、国際基準に棹差して開発された成功例。
   今やコストダウン至上命令の米軍は、以前の軍事規格至上主義路線を変更して、COTS,即ち、特注品からではなく安い民生品から良品を選んで調達する。
等々、グローバルスタンダードも未来永劫ではなく、いくらでも変わり得ると言うことである。

   一方では、WTOの場合は、「WTO加盟国は、政府調達に関して国際規格が存在する時は、国際規格に基づいた調達をする義務がある」と規定されており、高裁摩擦を避けるためには、国際基準の資格を確保したりグローバルスタンダードを抑えることが必須となる。

   何れにしろ、坂村健教授のuIDだが、国際基準を目指して着々と躍進中であり、素晴しいことである。
   ところで、久しぶりのグローバルスタンダードとなるハイビジョンの録画システム、ブルーレイだ、HDDVDだと言って揉めている時期であろうか、ソニーのウオークマンのように、異業種のアップルのiPodに持って行かれた様にならないように祈るのみである。
   貿易立国を目指す技術大国日本の目指す道は、やはり、国家挙げてのグローバルスタンダードの追求であることには間違いなかろうと思われる。
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