近代国家で、世界的な賞賛を浴びながら、一気にその人気が奈落の底に突き落とされた国は、日本を置いて他にない。
そんな書き出しで始まるロンドン・エコノミストのビル・エモットの日本特集「The sun also rises」は、日本の景気回復は本物であると、報告している。
日本の奇跡的な経済成長が永続すると皆が信じて疑わなかった時期、1989年に、ビル・エモットは、日本経済の黄昏を予見して「The sun also sets」を出版したのであるが、今回は、自分勝手ながら、太陽は、また昇る、今から、昇るのだと言うことで、この表題にして日本をサーベイしたと言う。
しかし、この楽観主義は、小泉首相の勝利が急激な変化の先触れであるとか、郵政民営化が 日本経済を成長路線に導くとかいった理由ではなく、この小泉の勝利が、長期に渡って蓄積されてきた多くの変化の絶頂期に齎され、かつ、この変化が、後戻りせずに持続すると確信できる事実を歓迎したからである、と言う。
小泉首相の路線、小さな政府構想が今後の自民党政府に継承されて、政府の規模や役割が縮小してくるにつれて、今まで負んぶに抱っこであった政府の財政負担も徐々に軽減されるであろうと見ている。
ビル・エモットの指摘で面白いのは次の点である。
日本は革命を経験していないし、マーガレット・サッチャーの改革や中欧の改革のようなショック療法さえ経験していないように、急激な改革を嫌う傾向がある。
しかし、一度合意に達するとそのコースを忠実に、しっかりと遂行する。
これまでの日本の改革は、新しいコースと行動規範を決めて小さな改革を少しづつ積み重ねてきた過程で実現されてきたものである。
即ち、政治改革、金融政策、金融市場、商法改正、企業環境、世論、等々の変化や改革である。
ビル・エモットは、他の変化や改革を含めて、「A very stealthy revolution 非常にこっそりと誰にも気付かれない革命?」と呼んでいるこの失われた15年間の日本の経済社会の変化を克明にレポートしている。
問題点は二つあるとして、一つは、このプロセスが永続するのかどうか、二つ目は、過去の負債、デフレ、違法行為、労働保護等の過去の重荷が、改革によって達成されたベネフィットを帳消しにしてしまうのか、或いは、日本が普通の国として成長と発展の過程に入るのかどうかであると言う。
第一の答えは、先の衆議院選挙の結果で出ているとしている。
この変化が継続可能かどうかを可なり適切に示すデータがあるとして、日本の労働市場と賃金の動向について詳しく触れている。
終身雇用制の日本が、不況とともに臨時雇用労働者に比重が移り、最近では常用労働者が増えてきている事情、そして、賃金が上がっても当分目減りした貯蓄の回復に回って景気の動向を左右する消費には向きそうにない。
しかし、債務、設備、労働の3つの過剰負債から開放された今、輸出や財政に頼よる経済ではなく、個人消費と企業支出に支えられた経済に移行すれば安泰だと言う。
第2章の「Capitarism with Japanese characteristics」で、突然、株主が問題にし始めたとして、最近の日本企業を取り巻く環境について、ホリエモンのニッポン放送買収に始まるM&A、企業不祥事、商法や証取法や独禁法の改正、等々日本の資本主義の変化・変質を克明に報告している。
しかし、コーポレート・ガバナンスにしても、独占禁止法の運用等にしても欧米水準から行けば、まだまだ甘いとも指摘している。
このレポートの最初の経済的な面だけに触れただけだが、別な視点から見た日本が垣間見えて面白かった。
しかし、ジャーナリスティックすぎて、日本の表層的な変化は分かるが、根本的な日本の社会主義的だった資本主義の大きな変化や、グローバルの熾烈な競争社会の中で企業が如何に競争力を回復して来たのか、或いは、中国ばかりに目が行っているが、グローばる経済社会の中での遥かに豊かで技術力と実質的なパワーのある日本経済の本質的な位置づけ等々触れて欲しい面が無視されていて、消化不良を感じた。
古い体制が、ガラガラ音を立てて崩れ始めて、新しい体制がいつの間にか普通になりつつある、そんな動きをし始めた日本の政治経済社会の変化をもう少し本質的に見て欲しかった、という思いである。
要するに、今度の経済回復は本物だと見ていることは分るが、十分に納得できない、そんなレポートであったような気がしている。
そんな書き出しで始まるロンドン・エコノミストのビル・エモットの日本特集「The sun also rises」は、日本の景気回復は本物であると、報告している。
日本の奇跡的な経済成長が永続すると皆が信じて疑わなかった時期、1989年に、ビル・エモットは、日本経済の黄昏を予見して「The sun also sets」を出版したのであるが、今回は、自分勝手ながら、太陽は、また昇る、今から、昇るのだと言うことで、この表題にして日本をサーベイしたと言う。
しかし、この楽観主義は、小泉首相の勝利が急激な変化の先触れであるとか、郵政民営化が 日本経済を成長路線に導くとかいった理由ではなく、この小泉の勝利が、長期に渡って蓄積されてきた多くの変化の絶頂期に齎され、かつ、この変化が、後戻りせずに持続すると確信できる事実を歓迎したからである、と言う。
小泉首相の路線、小さな政府構想が今後の自民党政府に継承されて、政府の規模や役割が縮小してくるにつれて、今まで負んぶに抱っこであった政府の財政負担も徐々に軽減されるであろうと見ている。
ビル・エモットの指摘で面白いのは次の点である。
日本は革命を経験していないし、マーガレット・サッチャーの改革や中欧の改革のようなショック療法さえ経験していないように、急激な改革を嫌う傾向がある。
しかし、一度合意に達するとそのコースを忠実に、しっかりと遂行する。
これまでの日本の改革は、新しいコースと行動規範を決めて小さな改革を少しづつ積み重ねてきた過程で実現されてきたものである。
即ち、政治改革、金融政策、金融市場、商法改正、企業環境、世論、等々の変化や改革である。
ビル・エモットは、他の変化や改革を含めて、「A very stealthy revolution 非常にこっそりと誰にも気付かれない革命?」と呼んでいるこの失われた15年間の日本の経済社会の変化を克明にレポートしている。
問題点は二つあるとして、一つは、このプロセスが永続するのかどうか、二つ目は、過去の負債、デフレ、違法行為、労働保護等の過去の重荷が、改革によって達成されたベネフィットを帳消しにしてしまうのか、或いは、日本が普通の国として成長と発展の過程に入るのかどうかであると言う。
第一の答えは、先の衆議院選挙の結果で出ているとしている。
この変化が継続可能かどうかを可なり適切に示すデータがあるとして、日本の労働市場と賃金の動向について詳しく触れている。
終身雇用制の日本が、不況とともに臨時雇用労働者に比重が移り、最近では常用労働者が増えてきている事情、そして、賃金が上がっても当分目減りした貯蓄の回復に回って景気の動向を左右する消費には向きそうにない。
しかし、債務、設備、労働の3つの過剰負債から開放された今、輸出や財政に頼よる経済ではなく、個人消費と企業支出に支えられた経済に移行すれば安泰だと言う。
第2章の「Capitarism with Japanese characteristics」で、突然、株主が問題にし始めたとして、最近の日本企業を取り巻く環境について、ホリエモンのニッポン放送買収に始まるM&A、企業不祥事、商法や証取法や独禁法の改正、等々日本の資本主義の変化・変質を克明に報告している。
しかし、コーポレート・ガバナンスにしても、独占禁止法の運用等にしても欧米水準から行けば、まだまだ甘いとも指摘している。
このレポートの最初の経済的な面だけに触れただけだが、別な視点から見た日本が垣間見えて面白かった。
しかし、ジャーナリスティックすぎて、日本の表層的な変化は分かるが、根本的な日本の社会主義的だった資本主義の大きな変化や、グローバルの熾烈な競争社会の中で企業が如何に競争力を回復して来たのか、或いは、中国ばかりに目が行っているが、グローばる経済社会の中での遥かに豊かで技術力と実質的なパワーのある日本経済の本質的な位置づけ等々触れて欲しい面が無視されていて、消化不良を感じた。
古い体制が、ガラガラ音を立てて崩れ始めて、新しい体制がいつの間にか普通になりつつある、そんな動きをし始めた日本の政治経済社会の変化をもう少し本質的に見て欲しかった、という思いである。
要するに、今度の経済回復は本物だと見ていることは分るが、十分に納得できない、そんなレポートであったような気がしている。