民博や歴博等の人間文化研究機構が主催する素晴らしいシンポジューム「人が創った植物たち」が、有楽町の朝日ホールで開かれたので、聴講した。
山本紀夫教授の「栽培植物の源流―トウモロコシ・トウガラシ・ジャガイモ」
辻誠一郎教授の「海を渡った植物たちの日本史」
小笠原亮氏の「江戸時代の園芸文化」
鷲谷いづみ教授の「”身近な”絶滅危惧植物サクラソウの保全生態学」
最後は、佐藤陽一郎の司会で、4氏によるパネル・ディスカッションが行われた。
夫々、大変興味深い話題を、懇切丁寧に講義されていたが、山本氏の栽培植物についてまず考えさせられたので、感想を書いて見たい。
人類にとって極めて大切なトウモロコシ、トウガラシ、ジャガイモは、南米原産で、ここで、栽培が始められ栽培植物となったものは実に多いと言う。
今から、1~3万年前に、我々と同じ祖先を持つインディオが、大型動物を追ってベーリング海峡を渡って南下し南米に達した。
しかし、動物が急速に絶滅したために、植物性食料に異存せざるを得ず、有用な植物を採集するだけではなく、それを身近なところで栽培するようになった。
栽培植物とは、単に栽培されていると言う意味ではない。人間が栽培の過程で都合よく改変した結果、野生の植物とはすっかり違ったものになった植物で、 人間が創り出した自然界には存在しない植物、すなわち、人類の貴重な文化財だと言う。
人類が、何百年、いや、何千年、自然と格闘しながら創り上げた植物なのである。
トウモロコシの原種テオシュトは、稲の原種のように一列に小さな実のなる熟すればすぐに種が落ちる雑草だが、これが、栽培化の過程で実が大きくなり何列にも付き皮で覆われた今日のトウモロコシになった。
ジャガイモは、アンデスの山懐チチカカ湖の畔に自生する高山植物で、当地には、何千種類ものジャガイモがあると言う。
インカのカミソリの刃も入らないくらいの石垣の溝に紫の花を付けたジャガイモの原種が自生している写真を見せてもらったが、根には小さな芋が付いていた。
このジャガイモも、最初から今のような素晴しいジャガイモになったのではなく、形もまちまち、毒気の強いジャガイモもあって、何千年のインディオ達の弛まぬ自然に対する挑戦の結果生まれたのである。
コロンブスのアメリカの発見により、このジャガイモがヨーロッパにもたらされたが、見栄えと形が悪いので食べ物としてではなく観賞用の花として入ったのだと言う。
しかし、ジャガイモによって、アイルランド人が、危機から救われた、いや、ヨーロッパ人全体が、食料危機や飢饉から救われたのである。
中南米のインディオは、スペイン人に征服されたが、多くの栽培植物は、逆に、文明社会ヨーロッパに限りなく恩恵を与えたのである。
さて、こんなにして、創り出されて来た多くの栽培植物が、不要になると、絶滅危惧種として、地球から抹殺されようとしている。
栽培植物として栽培されたジャガイモは沢山あったが、今栽培されているのは、アンデスにはまだ6種残っているものの、文明国ではたった1種だけだという。
米にしても、恐らく残るのはコシヒカリだけ、いや、それも怪しいという。
粟や稗やキビはどうなるのか、消えてしまうであろう。
遺伝子組み換え植物が増えればどうなるのか。
とにかく、自然界には全くなかった栽培植物を人間は創り出して来たが、生産性の高い、現在珍重されている種類のみしか維持されず、他は総て捨てさられようとしている。
これで、人類は幸せなのであろうか、シンポジュームの先生方は、大きな問題を提起していた。
自然に挑戦して文化文明を築いてきた人類だが、しかし、自然に対して傍若無人に振る舞っていると、そのしっぺ返しは大きい筈である。
何故、サクラソウを保存しなければならないのかと、質問されて、鷲谷教授は、サクラソウは一つのシンボル、生態系の輪を破壊することが人類にとって如何に悲劇的なことなのかを学ぼうとしているのだと答えていた。
私は、湖畔に立って何度か雪山を仰いだチチカカ湖のインディオの貧しい村を思い出していた。
何千年もかかってインディオ達が創り上げたジャガイモ、それは、壮大な人間ドラマの中の貴重な文化遺産なのである。
貴重な人類の結びつきがあのアンデスの麓、そして、マチュピチュの段々畑のトウモロコシとも繋がっている。
アンデスの空は、濃いコバルト・ブルー、真っ青であった。夜は漆黒の闇に、星が降っていた。
人工衛星から見ると、夜の地球は、アンデスは真っ暗、文明社会の欧米や日本は、光り輝いて見える筈。どちらが、文明を創り出したのであろうか。
山本紀夫教授の「栽培植物の源流―トウモロコシ・トウガラシ・ジャガイモ」
辻誠一郎教授の「海を渡った植物たちの日本史」
小笠原亮氏の「江戸時代の園芸文化」
鷲谷いづみ教授の「”身近な”絶滅危惧植物サクラソウの保全生態学」
最後は、佐藤陽一郎の司会で、4氏によるパネル・ディスカッションが行われた。
夫々、大変興味深い話題を、懇切丁寧に講義されていたが、山本氏の栽培植物についてまず考えさせられたので、感想を書いて見たい。
人類にとって極めて大切なトウモロコシ、トウガラシ、ジャガイモは、南米原産で、ここで、栽培が始められ栽培植物となったものは実に多いと言う。
今から、1~3万年前に、我々と同じ祖先を持つインディオが、大型動物を追ってベーリング海峡を渡って南下し南米に達した。
しかし、動物が急速に絶滅したために、植物性食料に異存せざるを得ず、有用な植物を採集するだけではなく、それを身近なところで栽培するようになった。
栽培植物とは、単に栽培されていると言う意味ではない。人間が栽培の過程で都合よく改変した結果、野生の植物とはすっかり違ったものになった植物で、 人間が創り出した自然界には存在しない植物、すなわち、人類の貴重な文化財だと言う。
人類が、何百年、いや、何千年、自然と格闘しながら創り上げた植物なのである。
トウモロコシの原種テオシュトは、稲の原種のように一列に小さな実のなる熟すればすぐに種が落ちる雑草だが、これが、栽培化の過程で実が大きくなり何列にも付き皮で覆われた今日のトウモロコシになった。
ジャガイモは、アンデスの山懐チチカカ湖の畔に自生する高山植物で、当地には、何千種類ものジャガイモがあると言う。
インカのカミソリの刃も入らないくらいの石垣の溝に紫の花を付けたジャガイモの原種が自生している写真を見せてもらったが、根には小さな芋が付いていた。
このジャガイモも、最初から今のような素晴しいジャガイモになったのではなく、形もまちまち、毒気の強いジャガイモもあって、何千年のインディオ達の弛まぬ自然に対する挑戦の結果生まれたのである。
コロンブスのアメリカの発見により、このジャガイモがヨーロッパにもたらされたが、見栄えと形が悪いので食べ物としてではなく観賞用の花として入ったのだと言う。
しかし、ジャガイモによって、アイルランド人が、危機から救われた、いや、ヨーロッパ人全体が、食料危機や飢饉から救われたのである。
中南米のインディオは、スペイン人に征服されたが、多くの栽培植物は、逆に、文明社会ヨーロッパに限りなく恩恵を与えたのである。
さて、こんなにして、創り出されて来た多くの栽培植物が、不要になると、絶滅危惧種として、地球から抹殺されようとしている。
栽培植物として栽培されたジャガイモは沢山あったが、今栽培されているのは、アンデスにはまだ6種残っているものの、文明国ではたった1種だけだという。
米にしても、恐らく残るのはコシヒカリだけ、いや、それも怪しいという。
粟や稗やキビはどうなるのか、消えてしまうであろう。
遺伝子組み換え植物が増えればどうなるのか。
とにかく、自然界には全くなかった栽培植物を人間は創り出して来たが、生産性の高い、現在珍重されている種類のみしか維持されず、他は総て捨てさられようとしている。
これで、人類は幸せなのであろうか、シンポジュームの先生方は、大きな問題を提起していた。
自然に挑戦して文化文明を築いてきた人類だが、しかし、自然に対して傍若無人に振る舞っていると、そのしっぺ返しは大きい筈である。
何故、サクラソウを保存しなければならないのかと、質問されて、鷲谷教授は、サクラソウは一つのシンボル、生態系の輪を破壊することが人類にとって如何に悲劇的なことなのかを学ぼうとしているのだと答えていた。
私は、湖畔に立って何度か雪山を仰いだチチカカ湖のインディオの貧しい村を思い出していた。
何千年もかかってインディオ達が創り上げたジャガイモ、それは、壮大な人間ドラマの中の貴重な文化遺産なのである。
貴重な人類の結びつきがあのアンデスの麓、そして、マチュピチュの段々畑のトウモロコシとも繋がっている。
アンデスの空は、濃いコバルト・ブルー、真っ青であった。夜は漆黒の闇に、星が降っていた。
人工衛星から見ると、夜の地球は、アンデスは真っ暗、文明社会の欧米や日本は、光り輝いて見える筈。どちらが、文明を創り出したのであろうか。