熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本の経営の課題・起業とイノベーション・・・北城恪太郎代表幹事

2006年06月13日 | 経営・ビジネス
   経済同友会北城代表幹事の「新事業創造立国の実現をめざして」と言う演題の講演を聴いた。
   「日経ベンチャー・経営フォーラム」の基調講演なのだが、日本の経済の現状と国際競争力、企業経営とイノベーション、新規事業への挑戦、CSRと言ったトッピックスを織り交ぜての話であったが、根本的な問題は、やはり、日本経済を成長軌道に乗せないと、現在の日本経済社会の抱える病根を絶ち得ないと言うことであろう。
   
   北城氏が何度も強調していたが、プライマリーバランスをいくらゼロにしても、それは財政問題解決の端緒にしか過ぎず、国債金利支払いは増加し続けて財政赤字は拡大の一途を辿る。
   上昇傾向にある長期金利が更に上昇すれば、状態は益々悪化して行くのである。
   現在程度の生ぬるい財政支出削減策をとっている限り、解決策は、抜本的な増税か経済成長以外に解決策は有り得ない。
   しからば、経済成長のためには、少子化高齢化で労働人口が大幅に下落して行く以上、イノベーションによる経済成長促進策以外には有り得ないのである。

   ところが、日本の国際競争力は、世界の60カ国の内、最近やや上昇したと言え総合で第17位、その内起業家精神に到っては第59位で、政府の政策及び透明性が更に足を引っ張り、外国語に到っては第60位で、とにかく、イノベーションを生み出す為の企業環境とその土壌は世界最悪であり、ベンチャーなど育つ筈がない。
   やっと没落日本に誕生したベンチャーの旗手であったホリエモン、そして、村上ファンドを悪者にして、フラストレーション気味の庶民を煽って、マスコミを筆頭に日本社会が徹底的に叩きのめしている。
   しかし、当時注意深く新聞やTV報道に注意しておれば、ライブドアと村上ファンドの癒着は、発生時点で十分に分かっていた筈であるし、証取法上の問題点はムンムンするほど臭っていたのに何を今更である。
   もっとも、これらの証取法等の違法行為は悪いし徹底的に糾弾すべきだとは思う。しかし、依然として跡を絶たないコーポレート・ガバナンス欠如の企業不祥事、監査法人と企業の癒着、談合社会、社会保険庁、NHKを筆頭にした公人の無責任体制、等々旧弊を改めない経済社会のエスタブリッシュメントの悪のほうが遥かに罪が深いと思っている。

   それに、その道の先輩であるアメリカの経済社会の現実は、日本より遥かに悪質であり救い難い状況であることは、ドラッカーやガルブレイスが匙を投げたのみならず、多くの識者が指摘している所であり、資本主義そのものが本来持っている性格なのか、或いは、人間の性なのか、改まるとは到底思えない。
   資本主義自体が、泥棒男爵や独占等によって富を庶民から収奪してきた企業家、悪徳投資家等の悪と戦いながら発展してきた血塗られた歴史を持っており、決して奇麗事ではないが、しかし、この資本主義制度のもとで人々の生活が豊かになって来たこともまた事実である。
   チャーチルか誰かが言ったようだが、資本主義は、最善ではないかも知れないが現在これ以上に良いものがないので次善である、と言うことかも知れない。

   経済社会を活性化するためには、アダム・スミスの言う自由の手の導きを縦横無尽に活用して競争を活発にして人知の創造性を活かす以外にないであろう。
   そして、自由に泳がせながら経済発展を図り、それを上手く規制しながら人類の幸せの為に、英知を働かせて厚生経済学の立場に立って資本主義活動をコントロールする。人々の幸せが最優先である。

   話が横道に逸れてしまったが、経済の活性化と経済発展の為には、イノベーション以外にはない。
   日本企業の持続的発展の為には、イノベーションで日本の強みをさらに強化すること、既存のものを凌駕する斬新な新機軸を打ち出し新たな価値を創造すること、これ以外にはない。
   日本の優位性とは、匠の技術、洗練された巨大市場、優れたチームワーク、カイゼン、等にあり、他の追随を許さない、と仰る。
   このイノベーションを生み出す環境整備のために、アメリカのINOVATIVE AMERICAの向こうを張って、経済同友会は、「日本のイノベーション戦略」をぶち上げた。

   北城代表幹事の話を聞いて経済同友会のホームページを開いて読んでみたが、よく分からないし、まどっろこしい。
   私は、日本の教育制度を根本的に変えなければならないと思っているが、ホリエモンを殺してしまうような日本では、先が思いやられるとも思っているのも事実である。
   ホリエモンが悪いことは疑問の余地がないが、悪いホリエモンを泳がせて何の手も打てなかった日本の経済社会そのものがもっと悪いとも思っている。

   話は飛躍するが、クリステンセンは、「イノベーションのジレンマ」「イノベーションの解」「明日は誰のものか」で、その業界の支配的リーダー企業の命運は既に尽きていて、次に飛躍するのは破壊的イノベーションを追及する新規イノベーターであることを強調過ぎるほど何度も論述している。
   ベンチャー、新規企業家、イノベターでないと、この複雑怪奇な経済社会をブレイクスルー出来ない、と言って居る。

   日本の国際競争力は、先端技術を駆使する輸出製造業がリードしており、その生産性はアメリカの120%でダントツだが、しかし、農業は11%サービス業は61%で極端に足を引っ張っていて、総合生産性では71%で、アメリカの足元にも及ばない。
   何故ここまで落ちてしまったのか。
   さあ、どうする日本!
   
   
   
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バブルを予言するハリー・S・デント・Jrのニューエコノミー論

2006年06月12日 | 政治・経済・社会
   アメリカの株ブーム、そして、日本の長期デフレ不況を予言したハリー・S・デントが「バブル再来」の本の後半に、ニュー・ミリオネア・エコノミーの到来に触れ新しい企業の在り方を語っていて面白い。

   ニュー・エコノミーの主役となるのは、スタンリーの「隣の億万長者」ではなく、技術革新を活かした起業家、企業オーナー、専門職や知識ベースで仕事をする人等々、株に投資し企業を所有するなど、異常な経済ブームに乗って金持ちになったニューリッチ、ボボス(ブルジョア・ボヘミアン)だと言うのである。
   富を築く最良の手段は企業オーナーになることで、誰でも起業家になれ事業のオーナーになれる時代になったのだと言う。  
   
   このような経済を支配するニューリッチは、量よりも生活の質を、最低価格より良質なサービスを、仕事の指図を請けるよりは自己決定を、決まった職務をこなすのではなく真の違いを生むことを重視し、時間を大切にし、自尊心も高い。
   新しい価値観、新しいライフスタイル、そして新しい労働環境の出現を意味している。

   ところが、殆どの大企業は、この大規模化し影響力のある新富裕層を相手にせずに、依然として中流階級を相手にした「最低価格」戦略で商売をしている、が、この市場は競争が激しく利益率も低い。
   ベンツは何時も順番待ちで、マツダは何時もセール中だが、この違いに注目せずに、相変わらずに旧態依然とした市場ばかりを追っかけている、と言うのである。
   
   狂乱の1920年代に、T型車のフォードを、GMはワンランク上のキャデラックやビュイックで、富裕な新世代の高まっていた質へのニーズに訴えて自動車業界の首位争いを制した、丁度、そのような時代が再来していると言うのである。
   この点が、デントの80年サイクルの長期大景気循環のブーム局面と一致するところでもある。

   1970年代から1990年代にかけては、ディスカウント業界が台頭して日用雑貨品を筆頭に価格競争が激化して、割安セグメントが台頭した。カテゴリーキラーが精力的に活動しエブリディ・ロープライスのウオールマートがトップ企業となり、IT革命と中国等の台頭でモノの価格破壊が日常茶飯事になってしまった。 
   ところが、21世紀に入って世界経済の同時好景気に支えられて、経済の主力は、プレミアム・セグメントに移ってきたのである。
   価格やコスト競争に汲々として程度の低い次元の競争で企業を経営するのではなく、付加価値の高い創造的なプレミア製品やサービスで創造出来る企業に脱皮しない限り、その企業の将来は暗いと言うことなのであろうか。

   デントは、2005年以降に、真の消費者革命を起こすのは、ブロードバンド接続の普及と、音声起動または音声認識技術の進歩、そして、最終的には双方向の動画通信(リアルタイムで個別化されたサービス)の台頭だと言う。
   2001~2年のITバブルの崩壊は、ITがまだ期待した消費者革命を引き起こすには早過ぎたということで、ITの真の革命は、企業の組織化手法やビジネス手法の変革である。
   全く新しいビジネスモデル(トップダウン型ではなくボトムアップ型の経営、単なる低コスト・低価格ではなく、リアルタイムで個別化されたサービス)の出現を意味するので、エコーブーマー(ベビーブーマーの子供)世代の台頭と呼応して、これからが真の第4次革命で大ブームを引き起こすと言うのである。
   非常に面白い長期景気循環論であるが、この分析が正しいとすると、巷のアメリカ経済論は間違っていて、アメリカの景気の減速やドルの暴落などアメリカ経済の先行きに対する不安は杞憂となる。
   
   このデントの本だが、縦横無尽に最近のアメリカの世相や経済社会の変質を描いた書物を取り入れながら、持論を展開しているのが面白い。
    
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資産運用・インフレの心配・・・伊藤元重教授

2006年06月11日 | 政治・経済・社会
   今日、国際フィーラムCで開かれた資産運用セミナー「いま、最も注目の日本郵政公社向けファンド」を聞いた。
   モーニングスター社の主催で開かれ、日本郵政公社で売り出されている或いは売り出されようとしている投資ファンドについての紹介が行われて、結構ユニークで面白いファンドが売出されているのを知って興味深く聴講した。
   かって、民営化論争の時に、素人集団の郵政公社がどうして投資信託など売り出せるのかと揶揄されたが、何のことはない、プロに競わせて最も有望な商品を選んで売出せば良いのである。

   前座と言うか真打というか、伊藤元重東大教授が、「資産運用新時代」と言う演題で特別講演を行った。
   日頃、論じている内容なので特に新鮮味はないが、資産運用に絡めて2点強調した論点があった。
   一つは金利の動向、もう一つはインフレーションについてであった。

   最近、株価がやや軟調であるが、2001年のITバブルが軽度で終わった所為もあり2003年以降世界同時の好景気が持続している。
   日本も、成長率は低いと言えども戦後最長の成長を持続しているが、3月の日銀の金融緩和解除の影響を受けて、金利がやや上昇に転じて、異常だった低金利時代が終わろうとしている。
   この異常な低金利の持続の為に株や土地がバブル状態を呈しているが、こんな状態が長く持続する筈がなく、今後金利が上昇し始めるとこれらの上昇傾向が転換し始める。
   経済財政諮問会議で5年後の金利予測を3.9%と予測しているが、今後の経済を予測する上で、10年もの国債の金利動向を注視する必要がある。

   最近、自宅の住宅ローンの金利を長期2.5%の固定金利に借り替えて、経済学者も役に立つのだと言われて家での待遇が良くなった、と言って聴衆を笑わせた。

   日本の経済の健全な成長の為には、先般のような金利政策ではなく、雇用や生産、企業の業績向上等実体経済を良くして持続的成長を企図した経済政策を追及しなければならない。
   今後の日本経済は大きく変って行くので、大きな潮の流れを理解することが重要となってくる、とも仰る。

   もう一つは、5年前に同窓会で「老後の為の資金運用」で話をするように言われて、インフレに気を付けよと言ったのだと話しながら、1973年の石油危機の23.2%の物価上昇の時の話をした。
   あの時に定年でなくて良かったねえ、と話し合ったのだと言う。
   とにかく、あの時は、預貯金や年金の価値が23.2%一挙に下落したのであるから、爪に火を灯して築き上げて来た人々の老後の生活を今以上に直撃したのである。

   デフレデフレで苦しめられて来て、今、インフレに気をつけろと言われてもピンと来ないが、今後の資産運用には十分に心しておかねばならない要因であるかも知れない。
   いずれにしろ、わずか2~30年の間に、日本人はインフレとデフレに翻弄されて来たが、この間に、資産をどんな形で保有していたかによって大きく明暗を分けたことは事実である。
   インフレだと、現預金は駄目、インフレ連動の資産の保有、借金、外貨預金、何が良いのか、頭を完全に切り替えなければならない。

   これらのリスクを避けるためには、資産を3分割して分散運用することだとありふれたことを仰る。
   現預金、不動産、有価証券。一寸違うのは、4分割で、後の一つは人生を楽しむことだという。

   ライブドアや村上ファンドで、株に世界は騒がしいが、老若男女、多種多様な資産運用に関心のある人々が沢山集まって、東京フォーラムC大ホールを埋め尽くしていた。
   日本は、国の財政は破綻状態だが、実際は豊かなのであろうか。   
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六月大歌舞伎・・・吉右衛門、そして、幸四郎父子の舞台

2006年06月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座では、菊五郎と仁左衛門の他に、幸四郎と吉右衛門兄弟が重要な舞台を務めている。  
   これに、幸四郎の舞台に染五郎が加わって、父子の競演が華を添えている。

   中村吉右衛門の舞台は、自身が能の「藤戸」を素材にして構成した「昇龍哀別瀬戸内 藤戸」で、しっとりとした重厚な新作舞踊劇で、なき子を思う老婆藤波と豪快な漁夫の霊・悪龍を演じ舞う。
   厳島神社に奉納するために、松貫四の名によって創作した最初の作品で、限りなき母の愛を主題にした人間賛歌と反戦の歌舞伎で、佐々木三郎兵衛盛綱を演じる中村梅玉の凛とした助演に助けられて素晴らしい舞台となっている。
   宮島歌舞伎の時は、海上の鳥居を借景に舞台を設えられたようなので幻想的な素晴らしい公演だったと思うのだが、この歌舞伎座では、松羽目の所作事に変更されている。しかし、別な重厚さを感じさせて素晴らしい。
   吉右衛門の女形は、何となく何時も違和感を感じながら見ているのだが、この老母藤波は、実に品があって慈愛に満ちた母親を好演していて胸にしみる。

   昨年11月に演じた松貫四の「日向嶋景清」もそうだが、戦いが別れの原因と言う筋書きで、愛する人々を引き裂いて人々の幸福を奪う戦争の悲惨さを告発する反戦ドラマ。吉右衛門は、歌舞伎を通じて人間の尊厳を謳うメッセージを伝えようとしている。

   幸四郎と染五郎父子の息のあった公演は、「双蝶々曲輪日記の角力場」で、看板力士濡髪長五郎を幸四郎、素人あがりの力士放駒長吉を染五郎が演じて、その対象の妙が面白い。
   染五郎は、器用にも優男でしまらない山崎屋の若旦那をも演じているが、最近秀太郎とともに近松もので関西和事の芸を磨いているので実に上手い。
   最近では、この二役を、藤十郎、翫雀、愛之助などが演じているようだが、やはり、長五郎は、大阪の老舗のがしんたれ若旦那風でないとつとまらないのであろう。
   幸四郎の濡髪は、この舞台限りでは、非常に重厚な威厳と格調を感じさせる人物に仕立て上げており、どうも遜り過ぎて短気な放駒と対照的。
   主人筋の遊女身請けの助力を頼み込むためにと策して負けた弱みがあるが、そのために負けたのだと言いたくないが言ってしまった不甲斐なさと、激怒して抗弁する放駒、しまらない話であるがこのすれ違いの対話が面白い。

   長谷川伸作の「暗闇の丑松」は、長い間舞台化が進まなかったのも分かるくらいに、悲しくて暗い話である。
   料理人丑松が、女房お米(中村福助)の母親と同居の浪人を殺して逃亡するが、逃亡先で女郎おきよに身を落としていたお米に再会する。
   お米が、丑松が全幅の信頼を置く兄貴分四郎兵衛(市川段四郎)に犯され女郎に叩き売られたと話すが信じないので、悲観したお米は自害して果てる。
   事の次第を三吉(錦吾)から聞いて真相を知った丑松は、本所に帰り四郎兵衛の女房、そして、四郎兵衛を相生町の湯場で殺害する。

   いずれにしろ、何処かに男の意地らしきものを残しながら、どんどん深みに嵌って行って自滅して行く哀れな男を、幸四郎は真正面から受け止めて演じている。
   この舞台で、感動的であったのは、福助のおきよで、いくら説明しても自分より兄貴分の方を信じる丑松に愛想をつかして死を決意して丑松と対する最後の場面。丑松の飲んでいる酒を、お米は酌をして欲しいと言って飲んで、名残惜しそうに着替えの為にと言って部屋を出てゆく。
   一旦は障子を閉めて去るが、帰ってきて障子を半開きにして恨めしそうにじっと視点の定まらない悲しそうな表情で丑松を凝視しているが、丑松は気付かない。もうこの段階で、お米は、命を絶っておりこの世に居なくなった人になりきっていて、鬼気迫る福助の表情が堪らないほど悲しくて胸にこたえる。

   染五郎は、同僚の料理人仲間で、丑松が宿でおきよに会う前に、ひょんなことで部屋に入ってきて再会する役だが、父子競演と言うよりは一寸した父子共演と言った所。
   今月の染五郎は、「荒川の佐吉」の大工辰五郎と、「角力場」の山崎屋与五郎と放駒が秀一である。
   まだ、染五郎が10代の頃だが、ロンドンのジャパン・フェスティバル歌舞伎で、染五郎がハムレットとオフェリアを演じた素晴らしい舞台を観て感激してからずっと舞台を注視しているが、最近、随分役者として大きくなってきたと思っている。
   
   
   
   
   
   
    
   

   
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ソニーはイノベーターか・・・新しい一眼レフα100

2006年06月09日 | イノベーションと経営
   コニカ・ミノルタの一眼レフを継承したソニーが、新しい一眼レフα100を発表し、来月から発売する。
   画素数字は上がっているが、手ブレ補正機能など主な仕様はミノルタ機の継承で新鮮味はなく、コンシューマーエレクトロニクスの雄ソニーが、初めてデジカメで、キヤノンやニコンと対等に勝負出来る門出としては消極的ではなかろうか。

   最近のデジカメの進歩は著しくて、正に日進月歩で、いくら高級な一眼レフカメラでも発売後1年も経てば、安い後継機に追い討ちを掛けられて市場価値を失ってしまう。
   話題を播いたニコンD200さえ、発売数ヶ月なのに、すでに市場価格は20%近くダウンしている。
   1機種が10年以上も王座に君臨し続けていた銀塩カメラ時代のキヤノンEOSやニコンF系統のフラッグシップ・カメラと比べれば今昔の感である。

   イノベーションの大家であるクレイトン・M・クリステンセンは、この技術の異常な進歩について、面白い分析をしている。
   (持続的イノベーションと破壊的(パラダイム破壊型)イノベーションと区別して、非常に興味深いイノベーション論を展開しているのだが、詳述は止めて、ここでは論点だけに絞りたい。)

   企業が技術革新をする場合、そのスピードは、顧客の生活が変化するスピードを遥かに超えていて、その製品は次第に品質過剰になって行く。
   この品質過剰が高じて行くと、商品の日常品化、すなわち、企業がその製品やサービスを独自に特徴づけようと努力しても無駄で利益を上げられなくなってしまうプロセスに入る。
   もし満足度をこのように過剰にする動きがなければ製品は決して成熟することはないし、顧客は、優れた製品にたいして喜んで高い金を払うのだが、現実には、余程のプレミアム商品ではない限り、企業の限界利益は下落し続ける。
   極論すれば、最も初歩的なEOS Kiss Digitalでさえ、機能が充実し過ぎていて、セミプロ級のマニアでさえも完全に機能を活用し得ていないのではなかろうか。

   製品の機能性と信頼性が満足の行く水準に達すると、利益を上げるために、企業が次に競争を仕掛ける側面は、使いやすさ、利便性、そして、顧客が如何に自分好みに製品を整備できるか(カスタマイズ)になり、究極は、価格競争に集約されてしまう。
   果てしない価格競争で、トップ集団以外は疲弊して脱落せざるを得ないと言うことになる。
   今のデジカメ市場は、正にクリステンセンの言うこの現状にあるのではないであろうか。
   
   ソニーの新一眼レフα100は、コニカミノルタのαSweet Digitalとそれほど変らないし、先行のニコンD50やキヤノンEOS Kissと比べても、画素数や手ブレ補正機能以外は殆ど変らないし、これらの競合機は、既に価格が異常に下がっていて、勝ち目があるとは思えない。
   ソニーのネイムバリューと珍しさで当初は売れるかも知れないが、精精新規参入のご祝儀相場程度に終わるのではないかと思てしまう。
   もっとも、今後発売予定のソニーの追求する高級一眼レフ・カメラとカール・ツアイスと共同開発する交換レンズ群には大いに期待をしている。

   デジカメは、IT革命とデジタル化の進行によって既にパソコンの周辺機器に成り下がって、殆どコモディティ化してしまっている。
   それでも、クリステンセンのイノべーーション理論に従えば、ソニーにとっては、自己のコア・ビジネスにおける製品は、最先端の技術を搭載したダントツの製品でなければならないのである。
   ウォークマンを世に出したソニーがiPodで、アップルに完全に水を空けられ、薄型TV Braviaで、多少市場占拠率を回復したが、これも、ソニーのブランド力の範囲であり、ストリンガー態勢に入ったが、業績回復は果果しくはない。
   クリステンセンが、唯一、イノベーションを持続し続けた連続破壊者だと言って賞賛したソニーも、もう20年近く前に、イノベーターとしての地位を放棄してしまっていると言うのである。
   それ以降、顧客をワクワクさせる様な商品を開発していないし、クリステンセンの言う市場支配者である大企業は、後続のイノベーターに駆逐されて、永遠にその復活はあり得ないと言う理論をソニーは地で行っているのであろうか。

   ミノルタの素晴らしいカメラ技術とソニーのITとエレクトロニクスの技術を融合して、他の追随を許さないような素晴らしい一眼レフ・カメラを生み出してくれることを期待している。

 
   

   
   
   
   
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世界のオペラ・ハウス、MET,ロイヤルetc.

2006年06月08日 | クラシック音楽・オペラ
   先日、歌舞伎座の改築についてイギリスの劇場について書いたので、今度は、少し私の見たオペラハウスについて思い出などを記してみたい。

   その多くは随分昔の話なのであるが、ゴムブームで沸いてカルーソをも招いたというマナウスの黄金張りのオペラハウスも外観だけだが見ている。
   ブラジルで、実際に何度もオペラを見たのは、サンパウロのムニシパル劇場であるが、これは完全なヨーロッパ型の古い劇場であった。
   南米では、なんと言ってもブエノスアイレスのテアトロ・コロンで、ここで、シュトラウスの「アラベラ」などを観たが、古風な立派な劇場であった。ここで、チェリストだったトスカニーニがクライバーの代役で指揮台に立って指揮デビューした。
   同じくこの街で、オナシスも大富豪への道を歩き始めたのだが、ヨーロッパの香り豊かな素晴らしい大都会である。昔の古い貧しいイタリア移民達の港町ボカには、極彩色の壁の小道があってここでタンゴが生まれた。
   私は、廃船を舞台にしたような廃墟のようなセッティングのビエフォ・アルマセンで、むせび泣くようなバンドネオンの調べに合わせて激しくステップを踏むダンサー達を、そして、豪華なナイトクラブ・ミケランジェロで、華麗なアルゼンチン・タンゴを聞いたが、あの時Nikon F2で撮って増感現像した写真がどこかに残っていると筈である。

   アメリカでは、ニューヨークのメトロポリタン劇場とシティオペラ。
   それに、フィラデルフィアでは当時一つしかなかったのだが、ミラノスカラ座を小さくしたような美しいアカデミィ・オブ・ミュージックで、ここは、フィラデルフィア管の本拠地で、2年間の留学中に通い詰めた。
   マリア・カラスとジュゼッペ・ステファノ、テバルディとF・コレルリ、F.ディスカウ、パバロッティ、J.サザーランド等を聞いたのだが、若かったので、楽屋を訪ねてオーマンディに話を聞きに行った。

   METは、私にとっては正にオペラの楽しみを教えてくれた劇場であった。
   ニューヨーク中心街でも北で、もう少し北に行くとハーレムだが、METが正面にあるリンカーンセンターには、他にシティオペラとニューヨーク・フィルのA.フィッシャー・ホールがあり、その裏にジュリアード音楽院がある。
   この口絵の写真が、グランド・ティア席から撮ったもので、非常に大きな劇場であり、一度見学に行ったが最後部から見ると舞台が途轍もなく遠い。
   大通りからMETに向かうと、左右の赤と青を基調とした華麗なシャガールの壁画が電光に映えて美しい。
   その壁画の下あたりにドリンク・カウンターがあるが、豪華なシャンデリアの下を真ん中の広い赤い絨毯の階段を上って行くと中間のロビーに出て、扉の向こうが客席ホールに繋がっている。
   興味深いのは、地階のホールの壁面いっぱいに往年の大スター歌手のポートレートや舞台姿を描いた絵画が飾られていることである。
   ワルター指揮でワーグナーを歌ったキルスティン・フラグスタートがあんなに美しく清楚であったのか等と思いながら絵を眺めてインターミッションを過ごすのも楽しい。

   8年間の滞欧中には、いろいろな劇場を訪れた。
   プラハ、ブダペスト、マドリード、バルセロナ、チューリッヒ、ベローナ、ハノーバー、ベルリン、ブラッセル・・・・
   しかし、一番素晴らしいと思ったのはパリのオペラ座である。滞欧中に新しいバスチーユ劇場が出来たが行けなかった。
   このパリのオペラ座は、「オペラ座の怪人」の舞台のようで、それほど古くないのだが、正面アプローチから音楽家の彫刻が置かれたエントランスホール、そして華麗な階段が客席に導く実に優雅で美しいメイン・ホール、とにかく、全体がリズム感豊かな芸術を構成していて実に美しい。
   客席の天井には、一面にシャガールの幻想的な美しい絵が迎えてくれる。

   新装成ったミラノ・スカラ座も素晴らしい。ここで始めて観たのはアバード指揮で「アルジェのイタリア女」。この劇場については、ミラノ・ロンドン旅で書いたので割愛する。

   私が、やはり、一番通った劇場は、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで、何年間か、シーズンメンバー・チケットを持っていたので、一階平土間席後方左よりの同じ席からずっと見ていた。
   8年間の滞欧中と出張や個人旅行の時も訪れているので相当な回数になるが、見たオペラの大半は、この劇場であったかも知れない。
   
   私の滞欧は改修前で、美しい劇場ではあったが、空調設備が悪くてクーラーがなかった為に、夏の暑い時には堪らなかった。
   正面のファサードは白亜で彫刻も素晴らしいのであるが、とにかくパブリック部分は狭くて貧弱で、特にロビーホールなどは狭くて開演前の雑踏は大変なものであった。
   エントランスを入って、左側の階段を上って2階に上がるのだが、上のホールも窮屈そのもので、ドリンク・バーに中々近づけない。
   休憩時には、2階ホールは俄かレストランに代わるのでアプローチし辛くなる。

   1階のロービーから客席に入るまでに、サークル状にロビー空間があり、壁面にはポートレートや舞台写真、小さな模型などがディスプレィされていて本来なら良い雰囲気なのだが、時には、テーブルが並べられて食事が供される。
   私も、ここで,マカロワのスワン・レイクの時に食事の接待を受けたことがあるが、食べるのも客でごった返す中なので食べた気がしなかった。
   私が接待する時は、開演前にサボイ・ホテルでシアター・メニューを頂き、時間があれば終焉後にデザートのコーヒーと言うコースにしていた。

   私が帰国してから、ロイヤル・オペラ・ハウスは、改築されて見違えるようになった。
   それまで、補助金を出していたグレイター・ロンドン(東京都にあたる組織)をサッチャーが構造改革で潰してしまったので、資金に窮して、結局そこは博打好きの国で賭博であがった金で改築したとか。
   今では、隣に同じほどの面積の新館が繋がって素晴らしい豊かなパブリック空間が出来た。立派なレストランは勿論、ファンクションルームやドリンク・コーナーや軽食コーナー、それに、ボックスオフイスが素晴らしくなった。
   変われば変わるもので、歌舞伎座も素晴らしく変身してほしい。

   イギリスでは、他に、イングリッシュ・ナショナル・オペラやグラインドボーンにも良く出かけて水準の高いオペラを楽しめた。
   やはり、オペラを楽しむ為には外国に住まなければならないのかも知れない。
   
   
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六月大歌舞伎・・・菊五郎と仁左衛門の饗宴

2006年06月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   梅雨時だと言うのに木挽町の歌舞伎座は、沸いている。
   いろいろ話題に事欠かないが、一つの楽しみは、昼の部で「荒川の佐吉」、そして、夜の部の「身替座禅」で、菊五郎と仁左衛門が競演していて素晴らしい舞台を展開しているのである。

   先月の團菊祭で質の高い舞台を勤めた菊五郎が、今月は、また、更に素晴らしい舞台を見せてくれている。
   「荒川の佐吉」での相模屋政五郎の堂々とした風格のある大親分の貫禄、それに、「身替座禅」での、色好みの腑抜けたなんとも陽気な大名が恐妻家の妻を出し抜いて昔馴染みに逢引に行く可笑しみ、とにかく、地で行く菊五郎の魅力全開であり、流石に人間国宝であると思わせてくれる。

   一方の仁左衛門は、先に「菅原伝授手習鑑の道明寺」で、管丞相を演じて天神さんになったが、今度は、粋でスマートな佐吉を演じ、それに、「身替座禅」で、夫の大名を手玉にとっていびり通す実にユニークな山の神を演じたのである。
   一度の公演には、一演目に限りたいと言っていたのに、夫々に重い役を、今回は2演目も派手に演じている。

   この2演目だけでも見ごたえあるのに、今回は、この他に、幸四郎と染五郎父子の「双蝶々曲輪日記の角力場」と「暗闇の丑松」、吉右衛門の「藤戸」、そして、梅玉の「二人夕霧」等の意欲的な舞台が続いている。

   よく舞台にかかる演目ながら「身替座禅」は、あまり記憶にないので私にとっては始めかも知れない。
   とにかく、菊五郎と仁左衛門の両極端を行くキャラクターの醸し出すオカシミが溜まらなかった。
   菊五郎にとっては家の芸で、これまでに10回も山藤右京を演じていて言わば体にしみこんだ芸と言うべきか。

   色好みながら恐妻家の右京は、昔深い契りを交わした花子が久しぶりに上洛したので、何とか会いたい一心で理屈を並べ立てて一日だけの持仏堂での座禅を許されて喜び勇んで出かける。
   家来の太郎冠者(中村翫雀)に身代わりに座禅をさせて、自分はいそいそと花子とのランデブーに出かける。
   座禅中の右京を見舞いにやって来た奥方玉の井は身替りに気づいて、代わりに自分が座禅をして待っていると、逢瀬を楽しんで夢心地で帰ってきた右京が、衾を被って座禅をしているのが奥方だと知らずに一夜の醜態を有頂天に自慢し始める。
   座禅衾をとって見てみると、太郎冠者ではなくて角を生やした奥方、右京は口から出任せを言って逃げ回る。
   
   外出を許される前と後の二人の駆け引きと、右京の変わり様がコミカルで面白いが、一夜の逢瀬を楽しんでほろ酔い機嫌で帰ってくる右京を、花道で、菊五郎が幸せの絶頂と言わんばかりの腑抜け姿で実に上手く演じている。
   舞台に登場しない花子を髣髴とさせる演技で、近かったので菊五郎の赤く染まったふ抜け顔が双眼鏡にはみ出るくらいにクローズアップされたびっくりしたが、流石に千両役者で、愛の交歓の一夜の素晴らしさを表現する為に良くあんな表情が出来るのだなあと妙に感心して観ていた。

   仁左衛門は、あの長身でスマートな体全身で、気品と威厳を保ちながら恐持ての奥方を実にユニークに演じていて、浮気の虫である夫の大名をいびるところなど、1オクターブ下げた地声の男声になって威嚇する。
   何故か、鼻の穴を少し余分に黒く墨を塗っていて髷を剃っており、その上、端正な顔立ちなので一寸コミカルな顔作りになっているが、腰を後ろに浮かせて足を前に出してスーッと歩くところなど優雅で、とにかく、意表をついた仁左衛門の女形で、先代萩の八汐とは一寸違った仁左衛門の女形を観て楽しかった。
   ご主人が愛おしくてしかたがない、そういう感じが出せれば、と思います、と本人は言っているのだが、やはり、正直に言えと言われても、昔馴染みが来たので逢いたいとは、右京といえども奥方には言えないであろう。

   ところで真山青果の「荒川の佐吉」は、これは、正真正銘の仁左衛門の舞台である。
   三下奴の佐吉が、盲目の赤子を手塩にかけて育てる人情話が重要なテーマの一つだが、それでも、結局手放して親元に返さなければならない人生の悲哀を、仁左衛門は噛み締めるように演じて観客の胸を打つ。
   影のように付きつ離れつ付き添う辰五郎の染五郎が味があって実に上手い。
   段四郎、孝太郎、時蔵、夫々適役で素晴らしかったが、佐吉の親分である仁兵衛の芦燕に元気がなく、プロンプターの声よりも数テンポ遅れて語っていたのが惜しまれる。
   

   
   
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歌舞伎座の改築、ロンドンの劇場

2006年06月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日、歌舞伎座に行く途中、メトロで朝日新聞を読んでいると、丸谷才一のコラム「袖のボタン」で「新しい歌舞伎座のために」と言う題で、歌舞伎座の改築について希望を書いていた。
   設備に対する要望が殆どで、地階メトロ駅からの出入りの新設、エレベーターとエスカレーターの設置、階段の傾斜を緩やかに、ロビーを広く、女性便所の増設、ロッカーの増設、楽屋の整備、音響効果の維持などであった。
   みんな賛成だが、とりわけ、ファンの大半を占め、かつ、着物姿で観劇する人が雰囲気を盛り揚げているのに、女性軽視は甚だしく、この点の改善は最優先すべきである。ブザーが鳴っているのに女性トイレ前の行列は消えないのが現状であるから尚更であろう。

   劇場の格は、玄関口のロビーで決まると言う人が居るが、歌舞伎座の場合は、古いわりにはそれほど貧弱だとは思わないが、新橋演舞場も、国立劇場の豊かさと比べれば格段に落ちる。
   劇場の中に、夜店や仲見世のような感じの店が多く、それに、小さな食堂が沢山あるのは日本の劇場の特徴であろうが、ごちゃごちゃしていてもそれなりに面白くて貴重な存在である。

   私の歌舞伎座への希望は、客席の整備で、床にもっと傾斜をつけて前を見易くすること、座席の幅をもう少し大きくすることと席の前後の空間をもっと取って出入りしやすくすること、いすのクッションを良くすること等である。
   3階席は、右側の側面席を除いて、歌舞伎では極めて重要な花道が全く見えないので客席の役目を果たしていないが、一部のリストリクテッド・ビューの席以外は、必ず花道を見えるようにすることである。
   他の歌舞伎劇場は知らないが、極めて多くの観客から大切な花道の舞台を遮断したこれ程劣悪な劇場は、世界広しと言えどもない筈である。
   新橋演舞場の左側2階と3階席前方にモニターTVを置いて花道を映している。国立劇場の文楽公演にも利用されるほど最近字幕スクリーンを置く劇場が多くなってきたが、同じような感覚で、今でも、歌舞伎座でやろうと思えばどこかにモニタースクリーンを設置して、3階客に花道の演技を見せることができると思うのだが、松竹のCS軽視と怠慢であろう。
   今月の「身替座禅」の山蔭右京の菊五郎の花子との密会の朝帰りのしどけない夢心地の狂態など、花道での演技が見られなければその至芸を味わえない。

   ロビーを、格調高くすること、そして、大人の楽しめるドリンク・コーナーを設置すること、etc.
   それに、連日、外人観光客の観劇が多いし、和服を着た素晴らしい金髪美人をロビーで見かける昨今である、日本の古典芸術最右翼の劇場であることを示す、日本文化の発信基地でもあってほしいと思っている。

   ところで、外国の劇場だが、私が実際に戯曲なり劇の舞台を見たのは、ニューヨーク、ロンドン、リスボン、パリ等限られているので、ほとんど印象は語れない。
   しかし、ロンドンなどのシェイクスピア関連の劇場についは少しは語れる。
   一番古くて新しい劇場は、ロンドンのグローブ座で、これは、劇場部分は、殆ど”恋に落ちたシェイクスピア”に出てくる劇場とそっくりである。
   青天井の平土間は、総て立見席で、かぶりつきなどは、客が舞台に肘をついてみているし、役者が平土間から登場したり演技をすると両者一体となり、客が劇の仲間入りをする。
   雨が降ると客はビニールのレインコートを買って身につけ、日が照るとソル側の客に日よけ帽が配布される。
   2階以上の上階のサークル席は、木製のベンチでクッションが貸し出される。
   とにかく、雰囲気があってシックで良い。
   しかし、隣に近代的な建物が繋がっていて、玄関ロビーやチケットセンターや、レストラン、ショップ、そして、立派なシェイクスピア関連の資料や衣装などを展示した博物館が併設されている。

   私は、新しい歌舞伎座も、金丸座のような古い歌舞伎小屋の雰囲気を出来るだけ残しながら、近代技術の粋を集めた劇場にするのが良いと思っている。

   ロンドンのオールド・ヴィック劇場など古い劇場は、こじんまりした玄関ロビーがあって、すぐに、1階や2階の客席に繋がっていて十分なキャパシティはないが、新しいロイヤル・ナショナル劇場などは、日本にもある近代的な劇場と変わらない。
   以前に、RSCがロンドンのホームとして使っていたバービカン劇場は、客席一列毎に左右に一つづつ扉があって席へのアプローチがし易くて面白かった。公共部分は、隣のロンドン交響楽団の本拠地バービカンホールと共用だったので随分余裕があった。

   とにかく、ロンドンもニューヨークも、ミュージカル劇場を含めて、劇場は千差万別で大体は質素であるが、オペラ座の怪人をロングランしているマジェスティック・シアターなどは、狭いが、それなりに豪華で格調がある。
   
   (追って)口絵写真は、新装成ったミラノ・スカラ座の客席ホールである。
   私の知っているオペラハウス、ロイヤル・オペラ・ハウスやMET等の劇場について書こうと思ったが長くなるので割愛した。
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村上ファンド・村上世彰代表の功罪

2006年06月05日 | 経営・ビジネス
   ライブドア事件の頃から、東京地検が村上ファンドを狙っている旨の情報が飛び交っていたが、とうとうと言うべきか、やっとと言うべきか、今日、村上代表が逮捕された。
   日本放送株に対するライブドアとのコラボレーションがインサイダー取引にあたり、証取法に違反だと言うわけである。

   今回印象的だったのは、「証取の憲法である証券取引法を、株取引のプロ中のプロだと思っていた自分が犯してしまった。運用の一線から身を引くことに決めた。」と言う村上氏の発言である。
   潔い所は良いとしても、株の取引や運用に対してあまりにも証券取引法に対しての理解と認識が甘すぎることを如実に示しており、これが、未熟な日本の証券市場の現状を端的に表しているような気がした。
   上村早大教授が常に指摘しているように、法律だけアメリカから導入して、その法体系をバックアップする社会制度や仕組みを整備せずに野放しにした結果、このような不祥事が起こるのである。

   与謝野大臣になって金融庁がやっと中央青山監査法人に対して営業停止命令を発動したが、監査法人と企業の馴れ合いは勿論のこと、粉飾決算等に対す財務諸表の正確さやコンプライアンスへの対応など企業のコーポレート・ガバナンスの欠如は甚だしく、いまだに、ゼネコンが談合監視システムを強化整備したと言って評価される時代なのである。
   アメリカの場合の投資家を欺く企業や監査法人等の悪辣な手口については、クリントン時代に米証券取引委員会(SEC)委員長であったアーサー・レビットが自著「ウォール街の大罪」で実名を挙げて詳しく糾弾しているが、この国の場合は、悪を悪だと周知の上での犯罪なので、監獄行きの覚悟は出来ている。
   ところが、日本の場合は、会社法(商法)や証取法の知識が十分ない上に、慣れと経験でのノンプロ達の経営であるから、村上代表のように殆ど違法行為をしているとか悪いことをしていると言う意識なしに法違反を犯している場合が多い。
   ここに、日本の法制度に問題があり、後から後から不祥事が発生することになる。
   しかし、中央青山もそのままでの存続は有り得ないようだし、村上ファンドも場合によっては解体するかも知れないし、違法行為のツケは大きくなってきた。日本の法化社会もここまで進展して来たと言うことであろう。

   ところで、世の中一般は、ホリエモンと連動させて、村上代表の場合も含めて、若者の金儲け主義一辺倒の生き方を問題にしているが、これは、アメリカや中国などの方が遥かに強くて、日本の場合はまだ生温い方である。
   村上代表は、投資家の為に1円でも多く返すことを目的にして、株式運用によって7年間に2千億円の資金で2千億円儲け、時には60%のリターンがあったと言う。
   村上氏自身はバリュー株を探し出して、本来の企業分析だけではなく、業績が良くて遊んでいる資金や資産を多く持っている企業を探して株式を購入して、経営人に高率配当と資産運用による株主価値の向上を迫る。
   東京スタイルに対する高率配当や阪神へのタイガースの上場提案などその例であろう。
   遊んでいる資産を有効活用して企業価値を向上させよ、それが出来なければ、余剰資金を株主に配当で返せ、と至極まともな論陣を張って、無能な経営者を追い詰めてきたのである。
   このようなアクティビスト・ファンドの「モノ言う株主」として経営者に圧力をかけて株価を吊り上げると言う手法は、日本の経営には馴染まないので反発が強かったが、村上氏への米国投資家の利益要求プレッシャーはそれ以上であった筈である。
   証取法違反は厳しく罰せられるべきである。しかし、今回のインサイダー的な取引は言語道断だが、多少悪辣でも、優良株への投資や資金の運用手法の卓越さ、そして、企業に対する経営改善要求による企業価値のアップ提言など、経営者に株主の存在を示し、経営に活を入れたと言うことは、ある意味では日本の経営に欠落していた部分であったかも知れなかった。

   私は、今回の村上ファンド事件で、アメリカ証券界で一世を風靡したジャンクボンドの帝王「マイケル・ミルケン」を思い出した。
   屑にしかすぎなかった業績不振企業のジャンクボンドを活用して大量の資金に流動性を与えて、これ等の企業を復興させ、今を時めく多くのベンチャー企業に資金を提供してアメリカ経済に起業家精神を蘇らせた。
   証券業界を手玉に取ったが、結局は、やり過ぎて価格操作とインサイダー取引によって、禁固10年の実刑判決を受けて塀の向こうへ行ってしまった、IT革命の始まる前のことである。
   資本主義のアザ花であろうか、いや違う、このような卓越した異端児が居たからこそ、資本主義、そして、経済社会が発展して来たのである。
   しかし、これは、強い保安官のいるアメリカであるから言えることであって、証取法だけ進みすぎて、保安官のいない日本ではあってはならないことである。
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メトロポリタン・オペラがやって来る

2006年06月04日 | クラシック音楽・オペラ
   来週、ニューヨークのメトロポリタン・オペラが来日して、東京で、ワーグナー「ワルキューレ」、ヴェルディ「椿姫」モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」を公演する。
   日本に来る時は、ニューヨークの本拠地における公演よりもソリストにスターが揃って充実している場合が多いので楽しめる。
   しかし、いくら引っ越し公演だからと言っても最上席が64,000円(600ドル)だからMETの約3倍、3演目のチケットを買えばほぼ新入社員の初任給が跳ぶのだから安いとは言えない。

   「ワルキューレ」は、一昨年メットでギルギエフの指揮で観たが同じ歌手はドミンゴとフリッカのイヴォンヌ・ナエフだけで、あの時は、ロシアの歌手が幅を利かせていたが、今回は、雰囲気が違うので楽しみでもある。
   ヴォータンのジェームス・モリスも久しぶりである。
   ジェームス・レヴァインが来られなくなったのが一寸残念であるが、イギリスで御馴染みだったサー・アンドリュー・ディヴィスが代わりに振る。

   もう一つは、椿姫だが、昨年ロンドンのコベントガーデンで、ヴィオレッタを歌うルネ・フレミングのデズデモーナと、ジェルモンを歌うディミトリー・ホロストフスキーのリゴレットを観たので、期待が大きい。
   もう一度、その時、ルネ・フレミングにサインしてもらった自伝「THE INNER VOICE」を読もうと思っている。
   フレミングのボリュームのある素晴しい美声がどのようにヴィオレッタの陰の姿に投影されるのか期待している。

   私は、ロンドンのロイヤル・オペラには、在英中に良く通ったが、他の劇場で比較的楽しんだのはメトロポリタン歌劇場かもしれない。
   1972年から1985年までの留学中とサンパウロ駐在中の日本への行き帰りや日本からのニューヨークへの出張途中、そして、久しぶりに一昨年、と言った所だが、出張中でも夜の会食を断ってMETに行ったのだから、可なり回数は重ねている。

   フィラデルフィアからは、泊りがけで行くこともあったが、朝汽車で出て翌朝早く帰ると言ったこともした。
   なにしろ学生の身であったので、学割の安い往復切符を買ってフィラデルフィアからアムトラックでペンセントラル・ニューヨーク駅に行き、駅前のギリシャレストランで夕食代わりにスブラキにかぶりついてメトロに乗ってMETに行く。
   舞台の跳ねるのは夜の11時以降、場合によっては深夜となるが、治安の悪い地下鉄でビクビクしながら再びペンセントラル駅へ行ってアムトラックに乗る。
   深夜以降の鈍行は遅いので、フィラデルフィアに着くのは朝に近い深夜となるが、タクシーは危ないので3キロ程の真っ暗な道を必死で歩いて学生寮に帰る。
   兎に角、怪しい人間に遭遇すれば万事休す、そんな思いをしながらも、METの正面に煌々と輝く青と赤の鮮やかなシャガールの壁画の誘惑に誘われてメトロポリタン歌劇場に通っていたのである。 
   ブロードウエイのミュージカルにも同じ様に通った。「王様と私」でユル・ブリンナーを、「マイ・フェア・レディ」でレックス・ハリソンを観たのもその頃である。

   この9月からのシーズンが、今のリンカーンセンターに移ってから40周年だと言うから、私の場合は、ずっと昔のことなのである。
   確かに、カール・ベームの「薔薇の騎士」やアンナ・モッフォの「パリアッチ」のネッダ、フランコ・コレルリの「トーランドット」のカラフ等を観ているのだから古いはずである。

   METのシーズンは、5月20日の「VOLPE GALA」、前のゼネラルマネージャー・ヨーゼフ・ヴォルピーの送別特別公演で終わっている。
   ドミンゴやフレミング、それに、パバロッティ、フレーニやキリ・テ・カナワ、フレデリカ・フォン・シュターデ等懐かしい歌手も含めて多くの歌手が集合したと言う。
   今のMETは、バレー・シーズンで、シンデレラ、ジゼル、マノン、スワンレイクなどの華麗な舞台が繰り広げられている。
   若い時には、ロイヤル・バレーも含めてバレーにはよく行って美しい舞台を楽しんだが、声のない歌わないのが寂しくて止めてしまった。

   METの新しいシーズンは、9月25日に、ロンドンで囃されたミンゲラの「蝶々夫人」で幕開けとか。ジェームス・レヴァインが、初めてマダム・バタフライを振ると言う。
   タイトル・ロールは、クリスティーナ・ガラード・トマス・アントニー。
   このシーズンは、ニュープロダクションが6演目で、リバイバルは18演目、新ゼネラルマネージャーのピーター・ゲルブの選定か、ニューヨーク・ファンの希望か、ヴェルディやプッチーニなどのベルカントのイタリア・オペラが多い。
   METのホームページをあけると演目の紹介ページにCDのさわりが聞けてパバロッティの歌声が聴けるのが面白い。
   

     

      
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歴史的建造物がそのまま生活に生き続けるヨーロッパ

2006年06月03日 | 海外生活と旅
   この口絵写真の建物は、イギリスのカンタベリー(ケント州の歴史都市で英国教会の主教座のある所で、カンタベリー物語のチョウサーやベケットでも有名)の旧市街にある。
   一階は、画材や文具などを売っている店で、なかなかシックであるが、上階は住宅であろう。
   柱は曲がっていて、支柱で支えてはいるが、地震がない所為であろうか、しっかり立っていて、雰囲気がある。
   このように柱が傾いたり、家が歪になって立っている建物はイギリスのみならずヨーロッパには多い。
   アムステルダムの住宅など、傾いて前面にせり出し、一番上の5階の窓から外を覗くと、通りを越えて真下に運河が見えるなどと言った所もある。

   上に行くと建物が張り出しているが、これは、汚物を上階から道路にぶっちゃけるので、通りの人が被らないようにするためである。
   おちおち道の真ん中など歩けなかったのである。

   ハリー・ポッターの映画で見るようにイギリスには古くて不気味な建物が多いのだが、兎に角、幽霊が出てくると言われる古い住宅ほど資産価値が高い。
   不動産屋の物件案内に堂々と幽霊出没が明示されているし、古いホテルなど幽霊が出ることを宣伝にしており、廊下やロビーに幽霊の絵まで飾られているのだが、日本人の私には悪趣味にしか思えない。

   シェイクスピアの故郷ストラットフォード・アポン・エイボンのシェイクスピアホテルなど古いホテルには、床の傾いだ部屋がまだ残っていて、夜、スワン座でマクベスなど観劇して帰ってきてそんな所で一夜を過ごすと、タイムスリップ感覚間違いない。
   部屋の名前まで総てシェイクスピア戯曲縁の固有名詞なのである。

   ヨーロッパの田舎町も含めて、随分歩いてみたが、何百年も経っている古い館やシャトーが古城ホテルになっていて、素晴しい旅情を醸し出してくれるのだが、大概、人里離れた所にあるので都会生活に慣れた人間には少し寂しい。
   旧市街の古いホテルは比較的こじんまりしていて、床の傾きやドアの傾ぎなどは序の口で、上階の床を歩く客の足音で眠れないこともあるが、気にしなければ人の温もりを感じさせてくれる。
   ザルツブルグやローテンブルグ等の騎士の館の古いホテルも、重厚な味があってなかなか良い。
   ヨーロッパの古くて立派なホテルの客室は、広くて天井が非常に高くて、慣れないので落着かない。
   折角の機会だからと思って、出張の時も、自腹を切って色々なホテルを渡り歩いたが、古いだけの本当の安宿を除いて、歴史建造物のような古いホテルに宿泊した時には、悪い印象は殆どなかった。
   
   私の住んでいたキューガーデンの家は、100年以上は遥かに経っている古い家で、二重サッシがあたり前の日本では考えられないけれど、窓など立て付けが悪くてスムーズに動かず、エネルギー効率は悪かったが、自由に建物に手を入れられるのかどうか分からなかった。
   ロンドンの別な所に居た時は、隣の家が改築するのに役所が図面を送ってきて住人の私に賛否を聞いて来た。
   オランダなどは、立ち木1本切るのに許可が必要だったし門扉を広げて駐車スペースを新設するなどもっての他、窓枠の色は白と決まっていたし、歴史的建物でもないのに喧しかった。
   それでありながら、モンドリアン風の派手なカラーの家を認可したり、四角や三角がひっくり返ったようなデザインの家を建てさせている。
   
   小泉首相が、今日は会津を訪問とか、退任間際になって歴史の街並を歩いているようだが、歴史の風雪に耐えた建造物や街並には、特別な懐かしさとゆかしさがあって心を豊かにしてくれる。
   それはヨーロッパでも日本でも同じだと思うが、何故か、日本の建物は神社仏閣を別にすれば寿命が短すぎるような感じがするのは何故であろうか。

   
   
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EUでのドイツとイギリス、そしてフランスとの関係・・・H.シュミット

2006年06月02日 | 政治・経済・社会
   H.シュミットの「ヨーロッパの主張」の中で、お荷物になった対米関係について論じている一方、EUにおける大国フランスとイギリスとに対するドイツとの関係を論じながら、両国のEUでの位置づけについて面白いことを語っている。

   要は、フランスを持ち上げてフランスあってのEUであり、イギリスはいつもEUにとってブレーキとなっていると言うことを言っているのだが、最初の思い入れと違って、少しづつイギリスに失望してフランスに接近していく過程が面白い。

   EUに加盟すると言うことは国家主権の一部を放棄すると言うことを意味するのだが、これをイギリスは嫌って、ユーロにも入っていない。
   島国と言う地理的条件のため1066年以来外国からの侵入を受けず、強力な隣国もなく、議会制民主主義や個人の主権の明文化など独自の政治体制や、産業革命を主導するなど強力な経済社会を確立して、全地球に大英帝国の名を轟かせた。
    ヨーロッパ大陸では、力の均衡が保たれておれば良かったのだが、ECの進展に伴って大陸での英国の影響力が失われてしまうのを危惧して、望みもしない展開を阻止すべく口を挟む為に加盟を求めた。
   従って、イギリスはEU機関の権限の拡大に対して常に反対してきたが、この拒否と妨害色に彩られた英国の基本方針は、政権が変わろうと変わらないに英国人の基本的な考え方だと言う。
   従って、力が拡散されるので多数の新規加盟国を歓迎するなど、対EUに対する英国のこのような態度では抜本的な変化は期待できないと言う。

   チャーチルが最初にヨーロッパ共同体を推進めたし、英国人の優秀さと歴史上の実績を賞賛し、そのプラグマティズムに賛同し、ヨーロッパ共同体の成功は英国の貢献あってこそとと長年確信していたのだが、この現実を知ってからは、幻想に過ぎないことを悟って痛く失望したと言うのである。

   この英国加盟に対しては、米国べたべたのイギリスが加盟すると、共同体のフランスも米国の影響にさらされるのでドゴールは強力に反対した。
   もっとも、東西ドイツの統一に対しても、ドイツの影響力の強化を恐れて、サッチャーもミッテランも反対した。
   外交などと言うものはそんなもので、国益優先で自国の利害しか考えていない。そう考えれば、日本の今回の安保理常任理事国入りの画策など子供の仕事に過ぎなかったことが良く分かる。

   ところが、シュミットが首相の時に、ジスカールデスタンが登場した。
   フランスがドイツに優ると言う考え方を捨てた最初の仏大統領で、戦略的利害の為にもドイツとの長期的友好関係が大事であり、ECとの深い繋がり抜きには考えられないと明言した。
   この二人の両首脳の蜜月時代が、独仏を核にECが発展を遂げた時期であるが、アウシュビッツ等でのナチの犯罪を払拭する為にも、ドイツにはないフランスの国際法カード、条約カード、核カードが重要であり、フランス人の理解と政治的主導とヨーロッパをリードする力が必須だったのだと言うのである。
   フランスの政治家は、ヨーロッパ共同体の成功を誇りに思うと良いとまでシュミットは言う。

   このEUでのドイツとフランスの関係、そして、イギリスのEUでの位置づけを考えると、何となく、アジアにおける日本の位置づけが分かってくるような気がする。
   戦争に対する罪についてはドイツの姿、島国外交としてはイギリスの姿が、他山の石の役割を果たしてくれているのではないであろうか。
   
   ミッテランは、ヨーロッパのアイデンティティについても語っている。
   私は、有名な政治家が「ヨーロッパは多様な文化や民族の寄せ集めで、一つである筈などない」と言っていたし、ある高名なアーキテクトが「キエフからダブリンまでヨーロッパは一つだ」と言っているのを聞いたが、同じイギリス人でも全く考え方が違う。
   アジアが一つだとは思わないが、一番襟を正して将来を見越さなければならない日本人が、靖国にかまけてアジアの未来について何のヴィジョンも持ち合わせておらず、そして、何のリーダーシップも発揮できないで居るこの悲しい現実。
   例えば、中国やインドに対して、日本の世界に冠たる環境保全やエネルギー・セイビング技術を提供することによって、アジアの荒廃を守る、そんな使命を果たせないのであろうか。
   
   

   
 

   
   

   
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詩情豊かな京の雅・・・神坂雪佳展

2006年06月01日 | 展覧会・展示会
   6月5日まで、日本橋高島屋で「京琳派 神坂雪佳展」が開かれていて、「宗達、光琳から雪佳へ 日本が知らなかった琳派の近代――世界は見ていた。」とのサブタイトルで、京の華麗な雅の世界を展開している。

   雪佳は、明治から昭和にかけて活躍した琳派の伝統的な日本の美を追求した日本画家であり工芸デザイナーとして活躍し多くの素晴しい作品を残し、最近、海外での評判が高まり見直されていると言う。

   2001年「ル・モンド・エルメス」の表紙絵に、雪佳の代表作「百々世草」の一枚「八つ橋」が使用されたと言うことである。
   この八つ橋は、アヤメの群生を描いた渋い絵で特に目立つ絵だとは思えなかったが、光琳の雰囲気があった。
   2003年と2004年に、ロサンゼルスとバーミンガムで展覧会が開かれて人気を博し、バーミンガム・ニュース紙の記事が展示されていた。

   この口絵の「金魚玉図」は、こじんまりした掛け軸なのだが、上3分の1に白い金魚鉢が描かれていて、その真ん中一杯に正面を向いて睨み付けている金魚を描いていて、中々ユニークで面白い。
   水草のアレンジも中々モダンだが、バックの表装に葦図をあしらって涼を呼ぶなど洒落ている。
   他にも、戯画的でユーモア漂う絵や何となく笑いを誘う人や動物の表情を軽妙に描いた絵などがあり、その遊び心が愉快である。

   大作の日本の懐かしい四季の花々を描いた屏風「四季草花図」では、右隻は下部を、左隻は上部を大きく切り詰めて描くなど、斬新なデザインに宗達の流れを感じる。
   青蓮院の襖絵「四季草花図」80面の4面が展示されていたが、キキョウの青紫の微妙な色合いが美しい。
   椿と菫が描かれた絵があったが、移植したのであろうか、棒状になって立つ椿の木の上部に小さく生えた枝に咲く清楚な椿の花と、グンと下に離れて根元に隠れるように咲く可憐な菫の花の、何とも言えないバランスと空間の醸し出す雰囲気は、正に日本古来の美意識であろう。

   花月風蝶と言った日本の四季の風物以外にも、楽屋の情景を描いた華麗な絵やシックな忠度、或いは、不気味な山姥等人物画や豪奢な「白鳳図」やカタツムリを眺める狗児などの動物など色々展示されているが、やはり、日本の四季の花や野草の装いが美しい。
   沢山の茶碗や文箱などの工芸品、それに息女の為の「菊文様留袖」などの着物も展示されていて、色々な分野の日本美の素晴しさと四季の移ろいを感じさせてくれる。
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