清々しい秋晴れの涼風に誘われて、椿の植え替えと草抜きをしようと思って久しぶりに庭仕事を始めた。
椿は、今、西王母が咲いているが、あとはまだ蕾が固い。
フッと息抜きをしようと思ってイスに座ると、目の前をトンボが横切って、片隅の支柱の先に止まった。
何気なく見ると、真っ赤な赤とんぼである。
先週、庭に出た時には、まだ、ややオレンジがかった感じであったが、急に寒くなったからであろうか、もう、真っ赤に染まって美しかった。
このトンボは、夏の終わり頃から飛び始めていたが、あの頃はまだ普通の色をしたトンボであったが、秋深くなると真っ赤になる。
何故かこの赤とんぼを見ると、急に子供の頃の思い出や、歩き回ったあっちこっちの外国や国内の秋景色を思い出して急に人恋しくなるのである。
子供の頃は、宝塚の田舎に住んでいて、夕暮れになるまで野山や田んぼの中を転げまわって遊んでいたので、赤とんぼが沢山群れ飛んでいたし、友達でもあった。
空には、かあかあ鳴きながらねぐらに急ぐカラスや、カギ型になって渡っていく雁の群れが真っ赤な夕日を浴びて飛んでいく姿があり、泥まみれになってドジョウやフナを追いかける小川があり、夜にはあぜ道に足をとられながら蛍を追いかけていた。
とにかく、戦後大分経っていたけれどまだ日本全体が貧しかったが、原田泰治の絵のような懐かしい世界が残っていて、我々子供たちはそんな生活にどっぷり浸かって生きていた。
今より、少しだけ幸せだったかも知れないと思っている。
外国でトンボを見たかどうか記憶はないが、実際に住んでいたアメリカやヨーロッパでは、四季のうち、私には秋が一番印象深かったし好きであった。
勿論、日本の秋の紅葉の美しさは格別であり、京都や奈良の錦に輝く秋の美しさと日本独特の秋の風情は、何物にも代えがたいほど素晴らしい。
しかし、アメリカでもヨーロッパでも、秋になって森や林が真黄色の黄金色に染め抜かれて輝き始めるとビックリするほど美しいし、オレンジがかった小豆色に染まった晩秋の野山の秋景色や、夕暮れにほんのりと輝く古風な街灯やショーウインドーの灯りの醸し出す温かい風情など胸に迫ってくるほど懐かしい。
ヨーロッパでは、歳時記が結構重要な意味を持ち、四季の移り変わりや季節の野良仕事や行事などを描いた絵などに人気があるようである。
それに、何故か、4枚の四季を描いた絵皿があっちこっちに売っていて、我が家にも、デルフトやウエッジウッド等の皿があり、子供達もイギリスで、四季のコーヒーカップ等をコレクションしていた。
日本は、自然の変化が非常に木目細かく微妙に変って行くので、生活や文化に自然の移り変わりがビルトインされてしまっていて、四季、四季と取り立てて言う必要もないのかも知れない。
ところで、庭の雑草を抜いていると、下から、小さな新しい木の芽が出てきている。
椿、万両、ヤツデ、アオキ、クスノキ、もみじ、知っているのはそんなところであろうか。
椿は、私自身が夫々の木の下に種を埋めて置いたのが生えてきたのかもしれないが、風で飛んできたもみじ以外は、小鳥達が運んできたものであろう。
殆どは必要ないので間引いてしまうのだが、万両だけは、成長が遅く樹形が良くて下木に良いので残している、小鳥達の素晴らしい贈り物である。
イチジクの木に群れていたスズメバチもいつの間にか居なくなってしまったし、訪れる小鳥もすずめだけになってしまった。
アゲハ蝶も少なくなって小さな蝶が飛んでいる。
しばらくすると、蓑虫が木からぶら下がってくるであろう。
夕日の色も益々鮮やかな赤みを増し始めて空を真っ赤に染めている。
秋たけなわである。
芝生の上のテーブルに座って、すましたシェイクスピアのイラストのあるRSCのマグカップで、ダージリンを喫しながら、秋の風情を感じながら憩う、また、楽しからずや、である。
椿は、今、西王母が咲いているが、あとはまだ蕾が固い。
フッと息抜きをしようと思ってイスに座ると、目の前をトンボが横切って、片隅の支柱の先に止まった。
何気なく見ると、真っ赤な赤とんぼである。
先週、庭に出た時には、まだ、ややオレンジがかった感じであったが、急に寒くなったからであろうか、もう、真っ赤に染まって美しかった。
このトンボは、夏の終わり頃から飛び始めていたが、あの頃はまだ普通の色をしたトンボであったが、秋深くなると真っ赤になる。
何故かこの赤とんぼを見ると、急に子供の頃の思い出や、歩き回ったあっちこっちの外国や国内の秋景色を思い出して急に人恋しくなるのである。
子供の頃は、宝塚の田舎に住んでいて、夕暮れになるまで野山や田んぼの中を転げまわって遊んでいたので、赤とんぼが沢山群れ飛んでいたし、友達でもあった。
空には、かあかあ鳴きながらねぐらに急ぐカラスや、カギ型になって渡っていく雁の群れが真っ赤な夕日を浴びて飛んでいく姿があり、泥まみれになってドジョウやフナを追いかける小川があり、夜にはあぜ道に足をとられながら蛍を追いかけていた。
とにかく、戦後大分経っていたけれどまだ日本全体が貧しかったが、原田泰治の絵のような懐かしい世界が残っていて、我々子供たちはそんな生活にどっぷり浸かって生きていた。
今より、少しだけ幸せだったかも知れないと思っている。
外国でトンボを見たかどうか記憶はないが、実際に住んでいたアメリカやヨーロッパでは、四季のうち、私には秋が一番印象深かったし好きであった。
勿論、日本の秋の紅葉の美しさは格別であり、京都や奈良の錦に輝く秋の美しさと日本独特の秋の風情は、何物にも代えがたいほど素晴らしい。
しかし、アメリカでもヨーロッパでも、秋になって森や林が真黄色の黄金色に染め抜かれて輝き始めるとビックリするほど美しいし、オレンジがかった小豆色に染まった晩秋の野山の秋景色や、夕暮れにほんのりと輝く古風な街灯やショーウインドーの灯りの醸し出す温かい風情など胸に迫ってくるほど懐かしい。
ヨーロッパでは、歳時記が結構重要な意味を持ち、四季の移り変わりや季節の野良仕事や行事などを描いた絵などに人気があるようである。
それに、何故か、4枚の四季を描いた絵皿があっちこっちに売っていて、我が家にも、デルフトやウエッジウッド等の皿があり、子供達もイギリスで、四季のコーヒーカップ等をコレクションしていた。
日本は、自然の変化が非常に木目細かく微妙に変って行くので、生活や文化に自然の移り変わりがビルトインされてしまっていて、四季、四季と取り立てて言う必要もないのかも知れない。
ところで、庭の雑草を抜いていると、下から、小さな新しい木の芽が出てきている。
椿、万両、ヤツデ、アオキ、クスノキ、もみじ、知っているのはそんなところであろうか。
椿は、私自身が夫々の木の下に種を埋めて置いたのが生えてきたのかもしれないが、風で飛んできたもみじ以外は、小鳥達が運んできたものであろう。
殆どは必要ないので間引いてしまうのだが、万両だけは、成長が遅く樹形が良くて下木に良いので残している、小鳥達の素晴らしい贈り物である。
イチジクの木に群れていたスズメバチもいつの間にか居なくなってしまったし、訪れる小鳥もすずめだけになってしまった。
アゲハ蝶も少なくなって小さな蝶が飛んでいる。
しばらくすると、蓑虫が木からぶら下がってくるであろう。
夕日の色も益々鮮やかな赤みを増し始めて空を真っ赤に染めている。
秋たけなわである。
芝生の上のテーブルに座って、すましたシェイクスピアのイラストのあるRSCのマグカップで、ダージリンを喫しながら、秋の風情を感じながら憩う、また、楽しからずや、である。