今月の「夜の部」は、前半は、仁左衛門の早野勘平と菊之助のお軽、後半は、幸四郎の髪結新三と言う中々魅力的なパンチの効いた歌舞伎で面白かった。
注目すべきは仁左衛門の勘平で、とにかく、悲哀を絵に描いたような美しい悲劇の主人公で、特に、自宅に戻って着替えた浅葱色の紋服で死を迎えるまでの流れるような姿は感激的でさえある。
「片岡仁左衛門 美の世界」と言うブランド名で着物をデザインしているくらいだから、舞台で着る自分の衣装には格別愛着を持って選んでいる。
まして、日頃から、「みんなと同じスーツを着ていても、人込みの中を同じ歩調で歩いていながら、それでも目を引けるようなそんな役者になりたいなあ」と言っているのだから、この浅葱の紋服は江戸風のようだが如何に勘平の悲劇にマッチした衣装であるかを知り尽くしての舞台である。
魁春の一文字屋お才に見せられた縞の財布に虚を衝かれ胸騒ぎがして、背を向けて座り込む。受け取った財布を左手の畳上において、煙管を持つ右手の袂で隠しながら、左手で懐を弄って財布の頭を引き出して眺めて動転する。
心の動揺を隠す為に、お軽に茶を所望して口に当てるが熱くて咽てお軽をビックリさせる。
自分が誤って鉄砲で射止めた人物が義父の与市兵衛(松太郎)であり、お軽を身売りして得た半金の50両の財布を奪ったと勘違いした瞬間で、その後、勘平の切腹までの悲劇が一挙に拍車をかけて展開する。
やや右手に顔を傾けて下を向いて微動だにしない座姿の哀愁に満ちた仁左衛門の彫りの深い横顔が、強烈なバックグラウンド・ミュージックを聞いているように舞台の悲劇性を増幅して行く。
しかし、輪廻転生があるなら死は自然の摂理だと死に対して恐怖も嫌悪感も感じないと言う仁左衛門には、勘平は満足して死んでいったのであって、大切なのは行き場のない運命に翻弄された二枚目の死に対する思い入れである。
この五段目と六段目だが、本来関西歌舞伎の出身の仁左衛門なので演出がミックスしていると言いながらも、たとえば、二つ玉の場なども、一つ玉で演じられていて、普通勘平はいのししを追って駆け出してくるのだが、仁左衛門の勘平は火縄をくるくる回しながら花道を登場してくる。
刀を腹に突き当て瀕死の重症で自分の失態を二人の同僚武士に申し開く件で、「色に耽ったばっかりに」と言って血染めの右手で右頬に血を滲ませながら、微かに顔の表情を緩める何とも言えない仁左衛門の表情は、この勘平の過酷な運命を総て物語って余りある。
何故勘平の死が鉄砲なのかと高野澄氏が面白い議論を展開している。
秀吉の刀狩以降厳しく武器の保有は規制されていたはずだが、当時は庶民間、そして、農家などの集落にもかなりの鉄砲が流布していたらしい。
鳥獣の被害除去の為の鉄砲なので収穫拡大の名目で限られた農民に許されていたようだが、綱吉の「生類あわれみ令」によって取締りが厳しくなり農民から鉄砲が取り上げられて武士に移った。
従って、武士である勘平の死の引き金は、名刀などではなくて鉄砲であるべきであったと言うのである。時代を色濃く映し出している。
勘平の持っていた鉄砲は、当然以前には与市兵衛のものであって彼はかなり有力な顔役の百姓であったので、そのため、勘平が軍資金の融通を頼めると考えたのであろう。
十二両三人扶持の下級武士であった勘平とは違うが、しかし、そんな蓄えはある筈もなく、結局、お軽の身売りで調達することになった。
ところで、女房お軽の菊之助だが、実に初々しくて匂い立つように魅力的で美しい。田舎のただの女房ではなく、鄙にも稀な品格を漂わせた宮仕えのお軽の風情を残しているのが中々素晴らしい。
籠に揺られて花道を連れて行かれる所を追っかけて源六が駕籠屋に「今からそんなに振ることを覚えたらあかんがな」とか意味深なことを言うが、色気十二分の良い女ぶりである。
特に、最後の勘平との別れは感動的で、仁左衛門勘平との絵のようなシーンが印象的である。
もう一つ特筆すべきは、海老蔵の斧定九郎で、たった台詞は「五十両」と言う一言だけだが、歌舞伎の見得などヒットシーンを繋ぎ合わせたような良い格好を東西一の美男子役者が演じるのであるから、全編絵になっている。
文楽での「二つ玉の段」は、下手小幕から与市兵衛を定九郎が追っかけてでて来て、この段の殆どが、二人の金のやり取りの争いであるが、歌舞伎では、稲村から定九郎の手がニューッと伸びて与市兵衛の財布を奪って一刀の下に切り捨てる。
暗闇(?)の中で、定九郎は、金を確認し与市兵衛を谷底に投げ落とし勘平の鉄砲に撃たれて倒れるまでを、スローモーション映画の画面のように優雅に格好良くパントマイムを演じ続ける。
黒い紋付に破れ傘、鉄砲に撃たれて口から流れる鮮血が真っ白な足を真っ赤に染めて行くリアルさ。歌舞伎ならの芸であり、海老蔵の進境が著しい。
一文字屋お才の魁春は、目立たない抑えた演技で好感を持ったが、私にとっては面白かったのは、大阪弁を鉄砲玉のように繰り出して吉本喜劇調で判人源六を演じていた松之助である。忠臣蔵らしからぬ舞台が面白い。
母おかやを演じた家橘であるが、少し若さを感じてしまったが非常に器用で、勘平をぐいぐい追い詰めて行くあたり中々上手いと思って見ていた。
千崎弥五郎の権十郎と不破数右衛門の弥十郎だが、勿論、芸達者なので重要な脇役を無難にこなしていた。
私の印象に残っている勘平は、菊五郎の舞台で、あの時は、お軽が菊之助だから親子で演じていたのだが、素晴らしい舞台であった。
このお軽と勘平の物語は、言うならば、ごく下っ端の男女の悲劇で、まして、主君がお家断絶と言う重大事件を引き起こしていた時に、お供で登城しておりながら逢引していて居合わせなかったことから発生した全く些細な話なのだが、仮名手本忠臣蔵の最も重要な舞台の一つとなって聴衆を釘付にしてきた。
不思議な、しかし、中々良く出来た芝居であると思って何時も楽しんでいる。
七段目の「祇園一力茶屋の段」で、お軽が由良之助と関わって来て更に面白くなる。
注目すべきは仁左衛門の勘平で、とにかく、悲哀を絵に描いたような美しい悲劇の主人公で、特に、自宅に戻って着替えた浅葱色の紋服で死を迎えるまでの流れるような姿は感激的でさえある。
「片岡仁左衛門 美の世界」と言うブランド名で着物をデザインしているくらいだから、舞台で着る自分の衣装には格別愛着を持って選んでいる。
まして、日頃から、「みんなと同じスーツを着ていても、人込みの中を同じ歩調で歩いていながら、それでも目を引けるようなそんな役者になりたいなあ」と言っているのだから、この浅葱の紋服は江戸風のようだが如何に勘平の悲劇にマッチした衣装であるかを知り尽くしての舞台である。
魁春の一文字屋お才に見せられた縞の財布に虚を衝かれ胸騒ぎがして、背を向けて座り込む。受け取った財布を左手の畳上において、煙管を持つ右手の袂で隠しながら、左手で懐を弄って財布の頭を引き出して眺めて動転する。
心の動揺を隠す為に、お軽に茶を所望して口に当てるが熱くて咽てお軽をビックリさせる。
自分が誤って鉄砲で射止めた人物が義父の与市兵衛(松太郎)であり、お軽を身売りして得た半金の50両の財布を奪ったと勘違いした瞬間で、その後、勘平の切腹までの悲劇が一挙に拍車をかけて展開する。
やや右手に顔を傾けて下を向いて微動だにしない座姿の哀愁に満ちた仁左衛門の彫りの深い横顔が、強烈なバックグラウンド・ミュージックを聞いているように舞台の悲劇性を増幅して行く。
しかし、輪廻転生があるなら死は自然の摂理だと死に対して恐怖も嫌悪感も感じないと言う仁左衛門には、勘平は満足して死んでいったのであって、大切なのは行き場のない運命に翻弄された二枚目の死に対する思い入れである。
この五段目と六段目だが、本来関西歌舞伎の出身の仁左衛門なので演出がミックスしていると言いながらも、たとえば、二つ玉の場なども、一つ玉で演じられていて、普通勘平はいのししを追って駆け出してくるのだが、仁左衛門の勘平は火縄をくるくる回しながら花道を登場してくる。
刀を腹に突き当て瀕死の重症で自分の失態を二人の同僚武士に申し開く件で、「色に耽ったばっかりに」と言って血染めの右手で右頬に血を滲ませながら、微かに顔の表情を緩める何とも言えない仁左衛門の表情は、この勘平の過酷な運命を総て物語って余りある。
何故勘平の死が鉄砲なのかと高野澄氏が面白い議論を展開している。
秀吉の刀狩以降厳しく武器の保有は規制されていたはずだが、当時は庶民間、そして、農家などの集落にもかなりの鉄砲が流布していたらしい。
鳥獣の被害除去の為の鉄砲なので収穫拡大の名目で限られた農民に許されていたようだが、綱吉の「生類あわれみ令」によって取締りが厳しくなり農民から鉄砲が取り上げられて武士に移った。
従って、武士である勘平の死の引き金は、名刀などではなくて鉄砲であるべきであったと言うのである。時代を色濃く映し出している。
勘平の持っていた鉄砲は、当然以前には与市兵衛のものであって彼はかなり有力な顔役の百姓であったので、そのため、勘平が軍資金の融通を頼めると考えたのであろう。
十二両三人扶持の下級武士であった勘平とは違うが、しかし、そんな蓄えはある筈もなく、結局、お軽の身売りで調達することになった。
ところで、女房お軽の菊之助だが、実に初々しくて匂い立つように魅力的で美しい。田舎のただの女房ではなく、鄙にも稀な品格を漂わせた宮仕えのお軽の風情を残しているのが中々素晴らしい。
籠に揺られて花道を連れて行かれる所を追っかけて源六が駕籠屋に「今からそんなに振ることを覚えたらあかんがな」とか意味深なことを言うが、色気十二分の良い女ぶりである。
特に、最後の勘平との別れは感動的で、仁左衛門勘平との絵のようなシーンが印象的である。
もう一つ特筆すべきは、海老蔵の斧定九郎で、たった台詞は「五十両」と言う一言だけだが、歌舞伎の見得などヒットシーンを繋ぎ合わせたような良い格好を東西一の美男子役者が演じるのであるから、全編絵になっている。
文楽での「二つ玉の段」は、下手小幕から与市兵衛を定九郎が追っかけてでて来て、この段の殆どが、二人の金のやり取りの争いであるが、歌舞伎では、稲村から定九郎の手がニューッと伸びて与市兵衛の財布を奪って一刀の下に切り捨てる。
暗闇(?)の中で、定九郎は、金を確認し与市兵衛を谷底に投げ落とし勘平の鉄砲に撃たれて倒れるまでを、スローモーション映画の画面のように優雅に格好良くパントマイムを演じ続ける。
黒い紋付に破れ傘、鉄砲に撃たれて口から流れる鮮血が真っ白な足を真っ赤に染めて行くリアルさ。歌舞伎ならの芸であり、海老蔵の進境が著しい。
一文字屋お才の魁春は、目立たない抑えた演技で好感を持ったが、私にとっては面白かったのは、大阪弁を鉄砲玉のように繰り出して吉本喜劇調で判人源六を演じていた松之助である。忠臣蔵らしからぬ舞台が面白い。
母おかやを演じた家橘であるが、少し若さを感じてしまったが非常に器用で、勘平をぐいぐい追い詰めて行くあたり中々上手いと思って見ていた。
千崎弥五郎の権十郎と不破数右衛門の弥十郎だが、勿論、芸達者なので重要な脇役を無難にこなしていた。
私の印象に残っている勘平は、菊五郎の舞台で、あの時は、お軽が菊之助だから親子で演じていたのだが、素晴らしい舞台であった。
このお軽と勘平の物語は、言うならば、ごく下っ端の男女の悲劇で、まして、主君がお家断絶と言う重大事件を引き起こしていた時に、お供で登城しておりながら逢引していて居合わせなかったことから発生した全く些細な話なのだが、仮名手本忠臣蔵の最も重要な舞台の一つとなって聴衆を釘付にしてきた。
不思議な、しかし、中々良く出来た芝居であると思って何時も楽しんでいる。
七段目の「祇園一力茶屋の段」で、お軽が由良之助と関わって来て更に面白くなる。