熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場十二月文楽・・・信州川中島合戦

2007年12月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   12月の東京文楽は、人間国宝などトップを欠いた公演で、有り難味(?)が不足するのが難点だが、次代のリーダーたちが演じる舞台なので、中々パンチの利いた迫力のある舞台で楽しめる。
   公演は、「信州川中島合戦」とお染・久松の「新版歌祭文」である。

   NHKの大河ドラマで御馴染みの「信州川中島合戦」ではあるが、実話と違っていて、主役の長尾輝虎が、短慮傲慢な悪人として描かれており、また、勘介の母も、謙信を謙信とも思わない気概を持った女傑として描かれているが、見方によっては不遜極まりない老女でもある。
   長尾輝虎(玉女)が、山本勘介を召抱えようと、家来の執権直江山城守(玉輝)の女房唐衣(勘弥)が勘介の妹であることを利用して、勘介の母越路(和生)と女房お勝(紋豊)を呼ばせて懐柔して頼み込むが失敗する話である。
   この話は、魏の曹操が、徐福を軍師として招こうとしてその母を招き寄せたが暴言を吐いて自害された三国志の故事を引いて近松が作り上げた。

   この話で興味深いのは、越路の接待の為、配膳係として登場するのが輝虎本人であるにも拘らず、越路は老婆を餌にして勘介を釣るのかと悪口雑言を尽して膳を足で蹴飛ばすので、当然輝虎は激昂して刀に手をかける。
   止めようと中に入ったお勝は、吃音であるから上手く言葉が出ないので、心の内を伝える為に琴を弾いて輝虎の許しを請い、琴を盾にして防戦するあたりは如何にも芝居気たっぷりで中々芸が細かくて面白い。
   思い出すのは、当然吃音の浮世又平と、裁きの場で琴を奏する阿古屋の舞台だが、文楽の場合には、役者の代わりに、大夫(豊竹呂勢大夫)と琴(鶴澤寛太郎)が演じるので歌舞伎とは大分雰囲気が違うのが面白い。
   
   この浄瑠璃は、近松門左衛門の殆ど最晩年の作で、甲斐の武田信玄と越後の長尾輝虎が山本勘介の努力によって和解すると言うことで終わっているようだが、今回は、その内の中間の三段目である。
   何時も思うのだが、この頃は通し狂言の一部の段を独立させて演じることが多いのだが、やはり、通してやらないと役者や三業の芸を鑑賞するのが主体になってしまって、作者の伝えようとする中身が希薄になる。
   昔は一日中朝から晩まで切れ間なく公演したようなので、長くても良かったのだが、テンポの速い現代にそぐわなくなっているので、全く邪道の極みだとは思うが、ダイジェスト版にしてでも良いから、私自身は、筋だけは通す方が作者の意図に合っていると思っている。

   越路が三婆の一つと言う非常に難しい重要な役だが、文雀の薫陶を受けている和生が豊竹松香大夫の名調子に乗って実に迫力のある充実した老婆を演じている。
   実の娘に呼ばれて敵陣に乗り込んだ時点から、既に死を覚悟しているから、勘介の名誉を守る以外に何も臆することがないので途轍もなく強い。流石に、勘介を生み育てた母親であり、信玄の器量を確信出来ない間は勘介の出仕を認めなかったと言う気丈夫さを持つ越路を、徹頭徹尾、和生はしっかりと折り目正しく演じ切っている。

   もう一つ重要な役は、当然、主役の輝虎を遣う玉女だが、玉男が逝った後、もう全く先達が居なくなって自分自身の芸を自分自身で創造し先頭を走らなければならなくなった。その気概と言うか風格と言うか、息が詰まりそうな凄い意気込みのようなものを感じて圧倒されたながら観ていた。
   短慮で傍若無人だが、しかし、一国一城の主であり天下の名将である輝虎の大きさと品格を残しながら悪人らしさを醸しだすあたりは玉女の芸のなせる技であろう。
   今日、NHKのBShiで、10時間以上も時間をかけて通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の文楽の舞台を放映していた。玉男の殆ど最晩年とも言うべき大星由良之介に感激して見入っていたが、身体は自由が利かなかったにも拘らず、人形だけ意識して切り離して見ていると、もう、壮年期でバリバリの大星由良之介像が彷彿として眼前に展開しており、その芸の凄さにビックリしてしまった。
   玉女の遣う人形に、玉男の人形をダブらせて見ることが多くなったが、あの玉男の歳になるには随分年月が残っているので、その間に、どれほど、玉女の芸が発展成長するのか、非常に楽しみである。

   
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THE TRON PROJECT 2008・・・坂村健教授

2007年12月14日 | イノベーションと経営
   恒例のトロン・ショー2008が、東京フォーラムで坂村健教授の基調講演「TRON PROJECT 2008」で開幕した。
   一年間で、どれだけトロン・プロジェクトが進行したのか、その発展の状況を坂村教授から聞き、実際の動きを展示場で実感できるのが、このショーの楽しみでもある。

   坂村教授が、ユビキタスコンピューティングの世界を推進するのは、これからの「超少子高齢化社会」への対応が必須だからだと言う。
   最近自分も歳の所為か、近くを見るためにメガネをおでこの上に上げたのを忘れて探し回ることがあると聴衆を笑わせていたが、社会のインフラを整備しない限り大変なことになると言う認識である。
   日本は、少子高齢化社会に世界最速で向かう
   総人口が減りつつ高齢化が進展、世界史上初
   労働人口が急速に減少
   しからば、これに如何に対応するのか、これが疑問だというのである。

   そのための一つの対応が、「ユビキタス情報社会基盤」を整備すること
   ucodeをつけたICタグや電子タグを社会インフラとして、あらゆるモノや場所にちりばめた社会を作ることによって、  
   インテリジェントな社会
   「環境」への「こまやかな」最適制御
   「環境」が「人」に合わせるやさしい社会基盤
   を構築しようと提言しているのである。

   モノと場所すべてに(但し人間は絶対に除く)、グローバルスタンダードの唯一の個別番号を打ったucodeをつけたタグや組み込みコンピューターを付けて、これをICTネットワークに接続して対処するのであるから、工夫によっては、あらゆる手法や手段が活用出来ることとなる。
   このタグも、RFIDだけではなく、バーコードや数字を打ち込むだけでも良く、これを情報提供端末である「ユビキタス・コミュニケーター」で読み取れば良いのであり、既に、携帯電話にも装備されていると言うのであるから、コストも安くなり、大変な進歩である。
  
   ユビキタス空間場所情報システムで、あらゆる場所にucodeをつけたタグが張り巡らされると、10年後には、銀座をロボットが歩き始めても不思議ではない。必ず、間違いなしにそうなると坂村教授は断言する。
   東大キャンパスにも、目の不自由な人のための「自律移動支援システム」の歩道が設置されているなど、日本の各地で実験が実施されているようだが、何処に居ても位置情報は勿論、店舗情報など必要な情報が、あたかもコンピューターや歌舞伎や芝居の時のイヤホンガイドを持っているかのように入ってくるのだとすると大変便利である。
   しかし、超老齢化と言うことで、不自由な、或いは、必要な人への支援なら良いのだが、普通の人間に対して、それほど便利にすることが果たして良いことなのかどうかは、些か疑問である。
 
   少し以前に、東大安田講堂でのセミナーで、阪大総長が、グーグルの検索において、結構直接関係のないデータが出てくるのだが、この一見無関係だと思われる情報が新しい発想のきっかけになり役立つことがあると言っていたが、要するに無駄や遊びが必要なのであり、役に立つシステムばかりでは人生が無味乾燥となって面白くないこともある。
   ucodeを打ったタグの働きで、ユビキタスのトレーシング・プラットフォーム、食品トレーサビリティ、備品管理システム、住宅備品のトレーサビリティ管理システム、空間場所情報システムなどなど、これぞ科学技術の粋と言うべき非常に便利で役に立つシステムの紹介をされると、何故か、これ程までにしなければならないのかと、息苦しささえ感じてしまうのは天邪鬼なのであろうか。

   ひところ、フォーラムや大展示会などで、どこの家電メーカーやIT企業でも、競い合ってユビキタス時代の理想的なホーム・システムだと言って、スイッチやリモコン一つで、或いは、外出先から携帯電話で発信すれば、何でも快適にコントロール出来ると宣伝に努めていたが、私は、少しも文化文明の進歩だとは思わなかった。
   昔は、スイッチをひねるだけで電灯が灯ったし、スイッチを入れてチャネルを合わせるだけでTVが見られたが、今日のICTや電気機器などは、性能が上がったかもしれないけれど、老齢者は殆ど使えなくなってしまったし、少しも便利にはなっていない。

   昔、フィラデルフィアに居た頃、同じ寮のユダヤ人の教授が、「今日は、ユダヤ教でエレベーターを使えない日なので、済まないが、非常階段を下りて行くので、先に一階に下りて非常口を開けておいてくれないか」と頼まれたことがあるのを思い出したが、文明生活が進んでも昔の生活を忘れないようにしよう(?)と言う意味だと解すると、流石にユダヤ教である。

   坂村教授の業績と使命感には心から感服しているが、何故か、文化と文明が益々乖離して行くような不思議な感覚を覚えながら、教授のユビキタス・コンピューティングの話とデモンストレーションを見聞きしていた。
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野口健:ヒマラヤ氷河が消える・・・エコプロダクツ2007

2007年12月13日 | 地球温暖化・環境問題
   最近朝日新聞に、名古屋大学との共同調査で、ヒマラヤの氷河が氷解し巨大な氷河湖が出来ているショッキングな航空写真が掲載されていたが、本日のエコプロダクツ2007パネル討論「1人、1日、1kgCO2削減をすべての人が取り組むために」において、アルピニスト野口健氏が、実際に見聞きしているヒマラヤの氷河湖の現状、そして、深刻な地球温暖化の影響などについて語った。

   ヒマラヤの氷河がどんどん解け始めており、土石流の氾濫によって強大な氷河湖であるイムジャ湖が崩壊の危機にあり、決壊すると、谷間に住むシェルパの村々が流されてしまうので、恐怖に陥っていると言う。
   「ヒマラヤは地球の頂上で謂わば頭、頭に熱を持つと人間は病気になるのと同じで、地球が大変なことになる。どうにかしてくれ。」と訴えられているのだが、自分自身も身の危険を感じているが、日本人には、このリアリティの感覚が全くないと言うのである。
   ネパールやブータンの人々にとっては、温室効果ガスの排出などむしろマイナスで、我々先進国の人間が加害者なのである。

   ヒマラヤの氷河の氷解は、下流のバングラディッシュにも影響を与えており、どんどん陸地が水に浸かって後退しており、毎日のように民家や店舗が流出しているのだという。
   ヒマラヤの氷河の消失は時間の問題であると言うことだが、そうなると、我々が文明生活に酔いしれている間に、いつか近い将来に、シェルパの住む村々すべてが流出したと言うニュースが入る筈である。

   メルケル独首相の顧問ハンス・シェルンフーバー氏によると、北極海氷の消滅と西南極大陸氷床の崩壊については臨海に達して、もう元に戻らないし、グリーンランド氷床の融解の臨界点も真近であると言うことであるから、傾斜の激しいヒマラヤ氷河の崩壊など時間の問題なのであろう。
   スイスなどアルプス氷河の後退については、文明国なので既に十分な対策は打たれているだろうが、ヒマラヤのエコシステムの崩壊については、上流も下流も貧しい発展途上国なので、いざ発生すると深刻な状況になることは必定である。

   野口氏は、更に、NPOの依頼で、ネパールやブータンなどヒマラヤ近隣国の首相など政府高官を招聘して、大分で「第一回アジア太平洋水フォーラム」を開催した話をした。
   皇太子殿下や福田首相も参加したとのことだが、今日、朝日新聞の電子版に所収されていたので、皇太子殿下のスピーチを読んだ。人と水との豊かな繋がりを築くための努力を積み重ねてきた歴史があったことを理解してもらえればと、世界と日本における人と水との戦いの歴史などを丁寧に紐解きながら、IPCC第4次報告や地球温暖化についても語りかけるなど、非常に真摯な素晴らしい講演であった。
   野口氏の話では、ネパールやブータンなどの首相や大臣は必死に窮状を訴えていたが、中国などの発展途上国(?)や日本などの対応は中途半端であった模様である。
   JICAなどを通じての援助などを外務省に依頼したら、うちの案件ではないと断られたといって慨嘆していた。

   野口氏は、また、先進国がこれまでに散々に地球環境を悪化させておきながら、自分たちが遅れて享受しようとしたらダメだといって規制するのはおかしいと発展途上国や貧困国の人々に言われると言う。
   確かに、温暖化対策に対する先進国の発展途上国への押し付けは理不尽甚だしい議論ではあるが、その解決の為には、例えば中国に対してのODAは、全額環境対策でよいと主張する。

   地球温暖化対策にはみんなで立ち上がらなければダメだと言いながら、面白い話をした。
   汚すぎるので富士山の世界遺産は否定されたが、5年前からボランティアで100人くらいからゴミ集め「拾い隊」を始めたら、今では6000人以上が参加して5合目以上上からはゴミがなくなった、日本人は良いことでも恥ずかしがってやりたがらないが弾みがつくとやり始める、と言う。
   今では、登山者が一人一人ゴミを拾うところまで行っているというが、そもそも、富士山に自動販売機があること自体がおかしいのだが、日本人には不思議ではない。
   余談だが、アメリカの国立公園などでは、ホテルやレストランの存在さえ厳しく規制されているのに、日本の国立公園には娯楽施設や飲食施設は必要以上に何でもありで、このことが、世界の常識からずれている。

   この討論会は、他に、東大の山本良一教授、イオンの上山静一氏、京都精華大の服部静枝講師が参加し、枝廣淳子氏の司会で、非常にみのりある討論がなされて面白かった。
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東北大学100周年記念セミナー・・・新エリート養成への日仏の挑戦(2)

2007年12月12日 | 政治・経済・社会
   安部博之元学長は、「日本における勉学の文化、これまでとこれから」を論じた。
   論点は、旧制高校とともに、1949年をもって日本の戦前のエリート教育が終わり、戦後の日本は、完全にエリート教育を放棄ないし否定して来た。幸か不幸か、これまでは、欧米後追いのキャッチアップで過ごせたが、21世紀のグローバル化の進展と高度な情報産業化社会において、日本が世界経済の発展と人類の幸福の為に積極的に貢献して行くためには、未来を先導するリーダー層(21世紀の新エリート)の教育育成は必須である。と言うことである。

   日仏フォーラムであったので、安部氏は、フランスのバカロレアの卓越性について語った。
   バカロレアは、リセなどの中等教育を終了して与えられる国家卒業資格であると同時に大学入学資格でもあるのだが、数種類の分野ごとに、文理両方に渡った論文式の試験や口頭試問が主体で非常に難しい厳格な試験が課せられている。ドイツのアビトゥアなども同じ資格だが共通資格として国際バカロレア協定が結ばれている。日本の○×式や選択式の記憶や暗記力をテストするのではなく、広い知識と深い思索力が問われるのである。
   先ごろ、国際的テストで、日本の生徒に思考力やものを推論する力が欠如していると言う結果が発表されていたが、日本の教育制度では、バカロレア制度との比較以前に、至極当然で、世界の知識を吸収することのみに徹していた明治時代の二の舞を、戦後にも犯してしまったのである。
   日本の私立大学の文科系なら文科系、理科系なら理科系の3科目程度の○×式テストで入学が決まり、高等学校では大学入試に出ない科目は極力履修しないなどと言ったことが常態となっており、大学でもロクスッポ勉強をしないことになると、もう、大学の存在自体が疑われる。

   安部氏は、21世紀のエリートとは、
   ・世界的な視野で考えられる
   ・歴史観、文明観、価値観を持つ
   ・ノブレスオブリージェ
   ・新しい世界・社会を創造しようと言うスピリット
   をあげていた。
   この考え方の背後には、現在の学生は、文明観も価値観も希薄で、何かの資格を取ることは熱心だが、知への憧れが著しく欠如しているとして、三木清の旧制高校の乱造に対する「人格教育解体」説や、丸山眞男の「精神的鎖国」論を引きながら現状を憂う気持ちが濃厚なのである。

   私は、このブログでも教育については何度も書いているが、エリートと言う言葉を使うかどうかは別にして、安部元学長の考え方には、全面的に賛成である。
   特に、旧制高校のような、それも第一、第二、第三と言ったナンバー校主体の頃のように、文理両面の非常に難しい試験を課して、学校では、リベラルアーツやスポーツ教育に力を入れた文武両道のエリート教育を行って居た頃が一番教育制度が充実していたのかも知れないと思う。
   日本の今のような平等教育、すなわち、みんなを平等にバカにするような教育制度は改めるべきだと思う。
   教育については、弱肉強食に徹するべきで、良く出来る人間は徹底的に伸ばす教育システムでないと、教育の実が上がらない。しかし、勉強ができるかどうかと言うことは、人間の値打ちには関係のないことなので、人生における結果平等については政治や社会体制で十分にフォローすべきだと思っている。
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東北大学100周年記念セミナー・・・新エリート養成への日仏の挑戦(1)

2007年12月11日 | 政治・経済・社会
   東北大がフランスの提携校INSAリヨンとエコール・セントラル・リヨン校と共同で「世界をリードする科学技術者の育て方」ジョイントフォーラムを日経ホールで開催した。
   東北大側から、安部博之前学長とソニー中鉢良治社長、フランス側から、セルジュ・フヌイユ科学技術大統領諮問会議座長、哲学者イヴ・ミショ氏、トタル社ジャック・シャッベルロワール東アジア代表が演壇に立ち、夫々の立場から、テーマに沿って科学技術者の育成に関して論陣を張った。
   その前に、フランスの両校の学長が自分たちの学校について説明し、フランスのグランゼコールの科学技術の詳細を語ったが、さすがに、世界に冠たる文化大国で、このフォーラム・トータルで如何にフランスの教育に対する熱意と努力が大変なものか、そして、科学技術者の育成に国運をかけているかが如実に分かった気がした。

   中鉢社長は、ソニーの日仏の社員を一人づつ例にあげて、技術教育と実業での活躍について語ったが、前にこのブログで紹介したように、「環境が変化した時こそ、高度理工系人材の真価が問われる。」と持論を語り、先生も先輩を誰も先達が居ない世界に向かって、創造を担って行かねばならないとその重要な使命を強調した。

   日本の大学院、特に、修士課程の教育について、大学側と実業界との間にある大きなギャップについて語り、その改革案について説明した。
   企業側としては、大学が考えているように博士課程のスタートの2年間と言う認識ではなく、大学での技術教育の最終段階の2年間で、技術者としての上がり、すなわち、即戦力の技術者でなければならないので、そのように修士課程を改革せよと言うのである。
   修士課程の1年目は、科学技術の基礎教育に当てて、2年目は、博士へのリサーチ・コースと、企業に進むエンジニアー・コースに分けて教育すると言う提言である。
   エンジニアー・コースについては、実業界から講師を招聘し、企業側からも積極的に支援し、産学協働で高度技術者を育成する方策を考えるべしと言うことである。

   私自身は、中鉢案でも生ぬるいと思っており、先に提案したように、技術者養成のためには、アメリカのように修士課程のエンジニアリング・スクールにして、完全に高級技術者養成の為のプロフェッショナル大学院にすべきとだと思っている。
   1年の基礎コースなど大学とダブった二重教育であって無駄であり、大学4年間で科学技術の基礎を叩き込むべきであり、エンジニアリング・スクールでは一挙にプロの技術者養成に集中すべきである。
   とにかく、我々が大学生であった頃から比べて、今の1年は、極端に言えば、あの当時の10年に匹敵するほど、経済社会の発展・進歩が急速で、1年が極めて重要なのである。
   更に、経営者教育を加味するのなら、MOT教育や多少なりとも経営学や法律などの社会科学の教育も必要となり、3年間でも短すぎる程であろう。
   博士を育成する為のの修士課程については、従来の大学院大学でやれば良いと思っている。
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十二月大歌舞伎・・・玉三郎の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

2007年12月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   杉村春子の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」が、大変な人気舞台だったようだが、残念ながら私は観ていない。第一、杉村春子の舞台そのものを一度も見たことがないのだから偉そうなことは言えないが、今回、初めて歌舞伎座で歌舞伎の舞台として演じられたようだが、非常に面白く楽しませてもらったので、十分満足している。

   この歌舞伎の舞台は、文久元年11月横浜。西暦では1861年で、アメリカの南北戦争が始まった年でリンカーン大統領の時代であり、丁度この頃イタリアが統一した。
   明治元年が1868年だから、幕末も最末期で、欧米人が虎視眈々と日本を狙っていた時で、尊王攘夷と開国論が錯綜し、日本中が風雲急を告げていた。

   外国船が出入りする横浜の岩亀楼と言う遊郭の芸者亀遊(七之助)が、外人客イルウス(彌十郎)に見初められるのだが、それを嫌って自害すると、尊王攘夷ビイキの日本人達に列女に祭り上げられ、岩亀楼は大繁盛となる。亀遊に優しく何くれと世話を焼いていた芸者お園(玉三郎)が、岩亀楼主人(勘三郎)に煽られて、客達に亀遊の死際の話を語っているうちにとうとう講談師のようになってしまう。あることないことを語っていて、亀遊の辞世の歌を、数年前に亡くなった思誠塾の師に吉原で教えられたと調子に乗って歌ったばっかりに切りつけられて九死に一生を得る。
   そんな話だが、幕末には、坂本竜馬や勝海舟、新撰組とか殺伐とした男が主人公の話が多いが、この物語は時代の波に翻弄されながらも健気に必死になって生きていた二人の女性の物語である。

   横浜の幕末時代の遊郭の様子が、遊女でも外人相手の唐人口と日本人相手の日本人口に分かれていた様子など、面白おかしく描写されていて楽しめる。
   特に、イルウスの相手を決めようと登場する唐人口の遊女として、吉弥、笑也、松也、新吾、芝のぶが、派手で奇天烈な着物を着て登場し愛嬌を振りまく様子など特筆物で、気に入られないので主人が最後に異人に人気のあるマリア(福助)を呼ぶのだが、これまた怪物のような立ち居振る舞いで、激しくモーションをかけるがイルウスは逃げ回る。福助にこんな芸が出来るのか、とにかく、凄い舞台である。

   ここに静かにしとやかに登場するのが、病気上がりの七之助の亀遊。
   イルウスが絶叫する。「オー、チャーミング! ビューティフル! I 've never seen such a beautiful girl in my life.」
   密かに恋人である通訳藤吉(獅童)が、ただでさえ、亀遊の登場に混乱しているのに、訳せ訳せとせっつかれ、感極まって大声で「夢幻のような美しさだ。こんな美しい女を世界中で見たことがない!」と叫ぶ。
   更に「私の女(マリア)と比べてみろ。こんなことは我慢できない。・・・金は持っています。今夜は私が払いますから、女を取り替えてください。」と苦し紛れに訳すと、亀遊は失神して倒れてしまう。
   その後、行燈部屋から亀遊が自害したと叫びが聞えてくる。悲劇と喜劇の始まりである。

   一幕の舞台が開くと真っ暗な行燈部屋に、病気の亀遊を見舞いにお園が入ってくるところで、雨戸を開けると光が差し込み亀遊が布団から身を起こす。
   玉三郎の舞台で最初に亀遊を演じたのは伯母の波乃九里子だったようで、七之助はその衣装で臨んだと言う。父勘三郎からその素晴らしさを聞いていたので、十分に伯母の教えを請い薫陶を受けたのであろう。七之助の薄倖の遊女亀遊の何といじらしく天使のような美しさは何処から来るのであろうか、あまりにも切なく胸を締め付けるような素晴らしい七之助の演技に脱帽である。

   先輩お園との吉原での昔話の語らい、そして、思慕する藤吉との行き場のない一瞬の逢瀬。蘭学を学んでいる藤吉は金を溜めてアメリカに遊学する夢を持っており、亀遊は、唐人口で異人相手の遊女になれば金を稼げるが異人を相手にしたくないので藤吉の役に立てないと詫び入る。実のあるところを藤吉に見せるために実の名千代を明かして呼んでくれと言って感極まって抱き合う二人。
   七之助の素晴らしさと同時に、獅童の実にストレートで実直一本気の若々しい舞台が、これまた実に清々しくて感動ものである。

   後先になったが、この舞台の主役は当然お園だが、作者有吉佐和子が、歌舞伎を意図して書いたということのようだが、玉三郎あっての歌舞伎の舞台であろう。
   藤山直美のお園を演出した玉三郎が、直美のことを「笑わせることも勿論だが、女の切なさも表現することだ出来る役者だ」と言っていたが、「女の切なさを表現することも勿論だが、笑わせることも出来る役者」だと言うのも玉三郎の一面で、とにかく、お客さんは最初から最後まで玉三郎の台詞に笑いで応えていた。
   頭の回転が速くユーモアセンスと機知に富んだ玉三郎のシャレコウベがフル回転した台詞回しが、この歌舞伎をいやが上にも盛り上げており、非常に悲しく切ない物語だが、それをオブラートにくるんだようなソフトタッチにしているのが素晴らしい。
   一幕目は落ちぶれて横浜に落ちてきた元吉原芸者だが、亀遊を良く知っていたばっかりに、客人に亀遊の自害の顛末を語っている間に、段々増幅して有名講談師風に育って行く玉三郎の芸の変化が非常に興味深く、また、体全体で、当時の文明開化の横浜に生きた芯の通った女丈夫を演じていた骨太の舞台が素晴らしい。

   勘三郎の遊郭の主人は、商売上手で抜け目のないしたたかさが中々良く、泳ぐような軽妙なタッチがコミカルな域を超えて正に地を行っているような楽しい舞台であった。
   特に、玉三郎との掛け合いの絶妙さなど見事と言うほかない。
   彌十郎の変な外人イルウスは、中々、堂に入った素晴らしい演技で、日頃のちょん髷姿では想像もつかない役者振りであり、正直な所ビックリしながら見ていた。芸達者である。

   ところで、この舞台の背景には幕末、それも、勤皇と佐幕と言う激動の時代を背負っているが、登場する武士たちは物語の妻として利用されている。
   三津五郎や橋之助、海老蔵など名優が一寸出で登場しており贅沢な舞台である。
   それは、女役でも言えて、笑也や笑三郎などもそうであろう。  
   

   
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ジョウビタキが帰ってきた

2007年12月09日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先月から、ジョウビタキが一羽、素早く庭木の間を移動している。
   チベットからか、或いは、バイカル湖からか、北の国から帰ってきた。
   雀くらいの大きさのこの小さな鳥が、晩秋になると、毎年私の庭を訪れてくれるが、一度訪れると死ぬまで必ず同じ場所を訪れると言うのだから、毎年来てくれる同じジョウビタキに違いない。
   よく病気もせずに、遠い国から帰って来てくれたと言う気持ちで一杯である。

   殆ど休む場所も止まる所もない大海原をどうして渡ってくるのか、昔「人の話を聞かない男と地図が読めない女」と言う本がベストセラーになったが、女の場所音痴などと言った次元の話ではなく、いくら本能的とは言っても驚異的な帰巣本能である。
   しかし、バカな人間が、こんなに素晴らしい生き物達が生きている地球環境を破壊し、地球温暖化の為に、一年に何万種と言う動植物を絶滅させているのである。

   ところで、文明化した人間は、知能が進み、本能を忘れてしまって、食べることも子供を作ることも教えて貰わなければ分からなくなってしまった。一年くらい行かないと道を忘れてしまって、同じ所へ行くのに道に迷うと言うのはしょっちゅうである。さて、本能を忘れた人間が幸せかどうかは分からない。
   

   ジョウビタキは、縄張り争いが激しい鳥だということで、群れることは全くなく、何時も一匹オオカミで単独行動。腹部のオレンジ色が鮮やかなオスと違って、メスは少し灰色がかった地味な色らしいが、見たことがない。メスとも行動をともにしないと言うのである。
  キッキッ、カッカッと鳴いているように聞えるのだが、この鳴き声が火打石の打つ音に似ているので「火焚き」と言うことで、これがジョウビタキの名前が付いた由縁だと言う嘘のような話がある。
   羽に白い斑点模様があるのでモンツキドリとも呼ぶようだが、地味な色合いの野鳥の多い日本には良く目立つ中々スマートな綺麗な鳥である。

   ところで、今わが庭を訪れている野鳥は、ヒヨドリと雀、それに、キジバトである。
   キジバトは、朝早くからクーッ、クーッと喧しい。
   ヒヨドリは、ムラサキシキブの実を殆ど食べつくしたが、咲き始めた椿の花びらをかじって困る。先日も、開花直前の綺麗な賀茂本阿弥の蕾を台無しにしてしまった。今年は、ブルーベリーの白い小花を殆ど食べ尽くしてしまったので、来年は防鳥網でも張ろうかと思っている。
   雀は、米の収穫時期には大群が飛来していたが、今では、数羽づつ庭の中をせわしく歩き回っている。

   庭の椿は、西王母、紅妙蓮寺、それに、相模ワビスケと一子ワビスケが咲いている。
   それに、山茶花に近い寒椿が、ひっそりと咲いている。
   派手で垣根などには重宝するが、花びらがぱらぱらと落ちるのが嫌いで、私は、山茶花は一本も植えていない。
   今年は、庭木を思い切ってすっぱりと剪定したので、庭が明るくなった感じで見通しが良くなった。
   最近は、枯葉を集めて焚き火などと言うことが出来なくなってしまったので、不便になって来たが、少しづつ意識しながら大地に漉き込んで戻すことにしている。その所為ばかりでもなかろうが、家を建てた時には砂や石交じりの土壌であったが、この頃では、豊かな黒っぽい土になって花木には優しくなって来た感じである。
   私の小さな宇宙空間だが、花木が呼吸をし、色々な鳥や虫たちが生まれ育ち息づいているのが嬉しい。
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中央大学:ビジネス・スクール旗揚げ

2007年12月08日 | 政治・経済・社会
   日本の法曹界で重要な役割を果たしている中央大学が、ビジネス・スクールを来年開校する。
   一頃のビジネス・スクール開校ブームが一段落したかと思ったら、遅ればせながらと言うことであろうが、法学とのコラボレーションによるシナジー効果を活用したユニークな講座が開講されるのであろうかと興味を感じて「開設記念シンポジウム」に出かけた。
   「企業戦略と内部統制―守りから攻めへ―」をテーマにしたシンポジウムで、前公認会計士協会会長の藤沼亜起氏など新任教授たちが加わって講演やパネル・ディスカッションが行われたのだが、会計、金融、経営、商法などの多方面からの問題へのアプローチで面白かった。

   このビジネス・スクールの目的は、若い学生を相手にして企業家を育成するような大学の経営学部の延長のようなビジネス教育を行うのではなく、むしろ、実務経験豊かなビジネスマンを、「リーガルマインド」と「ビジネスマインド」を併せ持つ「高度専門職業人」に育成するプロの経営者予備軍を育てることのようである。
   既にある専門大学院「アカウンティング・スクール」と「ロースクール」との連携を図るなど、中央大学には、イギリスの法制度を学ぶべく実学を重視した開学精神が脈打っており、ユニークなビジネス・スクールが生まれるような気がしている。

   このスクールは、ビジネスマンに、更に高度な経営学を教授することによって、真のプロフェッショナルの経営者に育て上げることを目的としているので、戦略経営と経営法務を重視すると言う。
   ところで、今一番経営者に求められているのは、サスティナブルな地球環境の維持への使命感やCSRなどへの高い倫理道徳観などの高貴な経営哲学であり、日本の経営者に最も欠けていると言われるリベラルアーツの素養など、もっと人間的魅力の涵養であろうと思われる。
   プロフェッショナル教育とどのように折り合いを付けて行くのか難しい問題であるが、重要な使命である。

   私の学んだペンシルベニア大学ウォートン・スクールは、1881年創立の世界最古のトップクラスのビジネス・スクールだが、もう30年以上も前の卒業なので現状は良く分からないが、良くも悪くも、一世紀以上も、卒業生が世界のビジネス界の一翼をリードしてきたと言えるかも知れない。
   ケース・スタディ重視のハーバードと違って、どちらかと言えば講義スタイル主体のビジネス・スクールであった。
   遅れて出来てきたロンドンやヨーロッパのビジネス・スクールの設立を助けており、謂わば、ビジネス・スクールのトレンド・セッターの役割を果たしてきた訳だが、ミンツバーグが著書「MBAが会社を滅ぼす」で言うような問題を起こした責任の一端もあろう。

   私が言いたいのは、世界には、100年以上も歴史のある多くのビジネス・スクールが犇いており、今更、ビジネス・スクールでもないであろうと言うことで、敢えてビジネス・スクールを新設するのなら、特色を持った意義のあるものでなければ意味がないと言うことである。
   東京工大などが理工学との連携を図ってMOTを指向したビジネス・スクールを目指すなどが、その一例だが、日本のビジネス・スクールは、世界的に卓越した経済力と企業力があり、その意味では、世界をリードする新しいトレンドを創り出すことが出来る筈なのである。
   
   このブログでも、母校京大のビジネス・スクール新設についてコメントしたが、どうのようなビジネス教育が行われているのか、多少興味を感じている。
   京大の場合は、総合大学であり極めて優秀な多くの学部や研究所など付属組織を持っているのだから、この豊かな学際環境をフル活用すべきであると思う。
   このICT革命によってフラット化したグローバル経済社会に対処し、知識情報産業化社会におけるハイ・コンセプト、ハイ・センスに裏打ちされたクリエィティビティを生み出せるビジネス人材を育成する為にも、京都の培ってきた豊かな知の集積と知財の価値は計り知れない筈である。

   もう一つ京都でないと出来ないことは、日本経済に燦然と輝いている京都発の優秀な企業の秘密「京都式経営」を徹底的に解き明かして、京都経営学の真髄を追求して教えることである。
   歴史と伝統に根ざした人間の叡智の蓄積と伝統工芸などの技術等からも斬新かつクリエィテブな起業の発想が生まれるであろうし、ベンチャーや新規事業の種子は限りなく豊かな筈である。
   任天堂、京セラ、日本電産、島津、オムロン、村田、堀場、ローム、ワコール、タキイ、日本新薬等々、とにかく、古色蒼然とした京都から鬼子のような素晴らしい企業が生まれ続けている。
   また別の面から、イタリアのファッション関連クラスターなどを考えれば、京都発の文化価値の高い創造的な新産業とも言うべきクラスター誕生の場であっても、不思議ではないほど京都の持つ文化的な潜在的エネルギーは高いのである。
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坂村健教授:イノベーション基盤としてのユビキタス・・・C&Cユーザーフォーラム

2007年12月07日 | イノベーションと経営
   ICT革命の動向を適格に把握するのに非常に役にたっているのが、毎年ビッグサイトで開催されているNECのC&Cユーザーフォーラムである。
   結局、今回は、2日目の30周年記念シンポジウムしか参加できなかったが、NEC佐々木元会長のNECの革新への軌跡の話の後、東大坂村健教授の基調講演「イノベーション基盤としてのユビキタス」、その後、東大江崎浩教授、慶大金子郁容教授、トヨタ渡邉浩之技監、NECの山田敬嗣所長、國尾武光所長(司会)の参加によるパネルディスカッション「これからのC&Cイノベーション」と続いて結構面白かった。

   ICTの現在をどう認識するかと言うことであるが、坂村教授の場合は、ucodeが社会のインフラとなるユビキタスコンピューティングの時代だという事に主眼が置かれるが、同じネットワーキングでも、フラット化したネットワークに比重を移したビジネスモデルを考えるとウィキノミクス的な発想となり、大分ニュアンスが異なって来るが、後半のパネルは自動車の未来と言った話が絡んでくるとコンピューターそのものに話となり、また、関心の持ち方の違った論客たちの議論なので、議論が拡散していった。

   坂村教授の主張は、ICTにおいては、汎用技術を活用して、総てユニバーサルデザインとオープンネスを目指すべきで、ユビキタスコンピューティングの基本は状況の自動認識であるから、世界中の識別すべき総てのモノ・場所・概念に個別識別番号のついたuIDタグを付けて読み取り、ネットに繋ぐとコンピューターの働きによって最適処理がなされる、すなわち、場所情報システムのユニバーサルデザインを社会インフラにすべきであると言うことである。

   社会インフラについて、坂村教授は、日本のバスの自動運賃支払い機について、お札やコイン、カードなど色々な支払手段に対応するあんなに多機能な機械は日本だけのもので、非常に高くつくシステムだと言う。外国では、現金なら現金だけとして、他の支払手段を認めないので機械の開発コストも安くて無駄もない。
   高速道路のETCであるが、日本では現金やカード支払いなどどちらでも良いが、シンガポールではETCをつけない車は走れなくして一挙に制度化したので、ゲートでの開閉機を全廃した。これによってETCの機械も規格大量生産で安くなり関連コストを含めて社会全体で大幅なコスト削減を実現したが、日本のように、どちらでも対応出来る機械のコストは高くつくし、選択肢を沢山残したシステムは、厖大なコストがかかるだけで非効率だと言う。
   日本では、金銭出納のゲート員の首を切れないからだというが、民営化と言ってもその程度である。

   日本では、何でも画一化することに反対し、自由裁量の余地を残そうとするが、これをクリアーする為には、先のバスのケースと同じで大変な努力とコストがかかるのだが、必要だと思ったら一挙に法制化してこのような無駄を省く欧米を見習うべきかも知れない。
   住基カードに反対する人も結構多いし、納税番号と言うべき国民一人一人につく背番号制度もまだまだ先の話だが、アメリカでは、30年以上も前私が留学した時に、ソーシャル・セキュリティ番号を持たされて総てそれで処理されていたが、国民総背番号制などあたり前だったのである。
      余談だが、日本企業のIT化がシステムとして完結しない企業が多くて効果が上がっていないのは、いまだにコンピューターを使ってビジネスを進めるのに横車を押して抵抗するトップが居るからだと言うが、アメリカなどは、そんな人間は即刻排除されてしまう。
   
   公共の利益と個人の権利をどうバランスさせて行くか、非常に難しい問題であるが、日本の場合には、放縦と言うか、個人勝手が過ぎる場合が多いので、社会インフラの整備が遅れて社会コストが異常に高い。
   政治の場では、多数の力でごり押しをするが、個人の権利については、最後の一人まで待って解決するケースが多いような気がする。
   休日、守屋元次官が何処に居るのかさえ把握できずゴルフをするのさえ知らなかったと言うのなどは言語道断で、自由やプライバシーの次元の話ではない。高位の公僕であるのなら、四六時中所在はオープンであるべき義務を負う筈である。

   坂村教授は、社会インフラを実現する為には、技術設計と制度設計が同時に必要であると言う。不完全な道路交通網をインフラとして成り立たせているのは、道路交通法規や自賠責保険などの制度の補完あってこそなのである。
   日本の場合には、民間による製品技術の質はどんどん高度化するが、新しい経済社会に対応した社会インフラの整備が遅れるので、社会そのものが上手く新しい動きに対応出来ないので十分に機能しないと言うのである。
   坂村教授が、世界中を巻き込んで推進しているucode による社会インフラを整備し、この戦いを通して広範囲のソーシャル・イノベーションの嵐を巻き起こす、このことが、高齢化社会に対処し持続可能な環境を維持するための日本の21世紀において果たすべき役割だと言うことである。
   
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芸術の秋、やはり日展である

2007年12月06日 | 展覧会・展示会
   「日展」が、六本木の国立新美術館で開かれている。
   知人の妹さんが日本画で入賞したと言うので招待状を頂き、一昨年、昨年と同様に出かけたのだが、やはり、素晴らしい芸術作品が多くて楽しむことが出来た。
   私は、どちらと言えば絵のほうが好きなので、彫刻や工芸の方は、どうしても最後に観ることとなるのだが、この展覧会に出展されるのは氷山の一角であろうから、日本には芸術家が随分多いのだと言うことが分かる。
   昨年は、写真を撮って怒られたが、今年は、入場の時に申し込めば、腕に紙テープを巻いて許可してくれたので、適当に気に入った作品をいくらかスナップした。

   日本画で文部科学大臣賞は、長谷部日出男氏の「母子」で、ハダシのアラブ人風の母親が、右手に子供を抱えて歩んでくる所を正面から描いた絵で、明るい黄土色の無地のバックに薄くラクダの隊列があしらわれている。赤いロングのズボン風のスカートと赤い頭のスカーフと丁度胸の位置に描かれた赤い模様が、子供の濃いブルーの服と対照的で、横を向いた子供の白い目と母親の黒い顔が印象的であるが、明るい背景にダークな人物が描かれているので精悍な感じがして、砂漠のにおいがむんむんとしてくる。
   インドをテーマに描いている画家だと言うことだが、この絵からは、同じインドでも砂漠のイスラム系であろうと思われる。
   もう一つ面白かったのは、伊佐正幸氏のNews Paperで、暗いバックに5人の紳士が椅子に座って新聞を読んでいる風景で、前に突き出された新聞だけが白く浮き立っている。3紙が日本語で、アラビア語と英語が1紙づつであるが、ファイナンシャル・タイムスは、ピンク色の新聞なので、これだけは実物と色が違う。講評では、”朝の駅であろうか、”となっているが、琉球新聞や経済新聞なども含めて異質な新聞を同時に印象的にディスプレィしたのは、作者が、電子化メディア隆盛のグローバル時代における一種の活字メディアに対する思い入れ・オマージュなのである。何れにしろ、クシャッとなった新聞紙に、丁寧に曲がって文字が書かれている。
   戸田博子さんの「夢・人・花」は、綺麗な沢山の花が光背のように真ん中に建つ長い髪の中年の婦人を囲んでいる絵で、彼女の刻々と移り変わる心象風景を点滅するように花が象徴するのであろうか、実に美しい絵である。

   ところで、この口絵は、洋画部門の特選作品の一部であるが、手前は、伊勢崎勝人氏の「東北秋」で、色々な瓜・南瓜主体に、花のように活けられた柿、ブドウなどの野菜・果物と言った東北の秋を、暖色で統一されたキャンバスに、写真のように克明に描いた綺麗な絵である。オランダで流行ったあのどこか暗くて陰湿な静物画と違って、明るくて大らかなのが日本的で実に良い。
   次は、遠藤原三氏の「みずうみ」だが、何故、みずうみなのか。黒っぽい模様の入った長いワンピースを着た若い女性がテーブルに肘をつき耳元で髪に手を触れて座っている。背後のマーブル調のギリシャ風の石壁には、アンモナイト貝やカブトムシ、かに、馬、卵の入った小鳥の巣など雑多な生物が化石のように彫刻されていて、石のテーブルの上には、やはり石のような鳩が一羽座っている。「自分の内にある様々なイメージを画面の中に構築し・・・」と講評しているが、作者の一連の作品を見ないと分からない。
   次の李暁剛氏の「アトリエ」は、実に美しいヌードを描いた絵で、二人の若い女性が一人は椅子に横座りし、一人は背もたれにもたれ掛って二人とも瞑目して夢心地。写真のように克明だが、写真の硬さが全くなく、生身の乙女の爽やかさと美しさを描いて余りある。李氏の「アトリエ」のイメージだろうか、心象風景であろうか、素晴らしい絵である。
   一番奥は、犀川愛子さんの「春装上高地」で、長い冬が明けて胎動し始めた上高地の自然の喜びが滲み出てくるような実に美しい風景画である。何十年も上高地には行っていないが、あっちこっちの日本の自然の美しさを思い出してジッと観ていたが、長い間カメラを構えて動かなかった上品な老婦人が居た。

   さて、招待を受けた日春賞受賞画家時田麻弥さんの入賞作品「もうすぐとべるね」と言う作品。親子の猫が三匹、正面中央に描いた草花をよじ登って脱皮したばかりの真っ白なセミを見ている絵で、画面の右手上方から、たわわに花をつけた朝顔のつるが下りてきている。濃い赤紫調のバックに、正面を向いて凛として座っている黒っぽい親猫を真ん中に、大きくなったやや明るい褐色の子猫がバックと左側に座ってセミを見ている。
   画面全体は、ダーク調で、猫も朝顔も草花も総て黒っぽく描かれているが、青っぽい胴体に白い羽のセミが印象的で、目線が、左手の明るい子猫の顔を経て、後ろの子猫の顔と親猫の澄んだ綺麗な目、そして、垂れ下がった朝顔に上って行く。この優しい逆Sカーブのリズムが、実に素晴らしい。
   朝顔も赤色なのか青色なのか良く分からないくらいの色合いだが、紫色に秘められた微妙な色調を上手く使っており、鑑賞者の見方次第で自由に印象を作り上げることが出来る。
   昨年も同じ猫だったが、子猫が立派になっているのは当然としても、表情を見ていると、三匹の猫の性質まで分かるような気がするのは流石である。益々、精緻さを極めて行く猫や草花の描写が日頃の研鑽を示しているのであろうが、若い真摯な女性画家の感性から生み出される絵のパワーを感じて見入っていた。

   姉弟の時田直彦氏の彫刻「蒼穹」と言う等身大のブロンズのヌード像も入選している。髪をバックに束ねた若い女性が左足を浮かせてやや腰を左に捻って、右手を髪の後にあてがい、左腕を降ろしてやや前向きに手のひらを開いた実に優雅な黒っぽいヌード像である。
   沢山のヌード像が列柱のように展示されているのだが、どちらかと言うと気を衒った小細工や工夫を凝らして一風変わった作品が多いのだが、時田氏の作品は、あくまでも正当派と言うかオーソドックスで真面目な作品で、とにかく美しい。
   彫刻コーナーに入ってから、デジカメのバッテリーがなくなってしまって、時田氏の作品の写真を取れなかったのが残念である。
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十二月大歌舞伎・・・勘三郎の「筆屋幸兵衛」

2007年12月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   十二月の歌舞伎座は、勘三郎と玉三郎が大活躍で、二人が共演する有吉佐和子作の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は抜群に面白くて悲しい舞台だが、昼の部の「水天宮利生深川 筆屋幸兵衛」で、勘三郎演じるうらぶれた素浪人がこれまた実に素晴らしい。
   それもそのはず、先代勘三郎が一世を風靡した筆幸を、実の息子の当代勘三郎が満を持して演ずるのであるから面白くない筈がない。

   明治政府は、財政難を解消する為、旧武士や公卿達に、一時金と5年分の家禄を支払って家禄を廃止する秩禄処分を行った為に、職を絶たれた多くの旧士族たちが食い詰めて、生きる為に、「武士の商法」を始めた。
   そんな武士の商法で、細々と筆を商っていた元直参の筆屋幸兵衛も、その食い詰め浪人の一人で、どうにも生きて行けなくなって発狂してしまう話である。
   司馬遼太郎は、明治への移行は無血革命であったと高く評価しているが、確かに反旗を翻したのは西郷隆盛の西南の役だけで、これはお上の意向に逆らわずに運命に耐えて生きて行く日本人の特質故であって、これが今も延々と続いており、良いことかどうかは、又別の話である。

   産後の肥立ちが悪くて乳飲み子幸太郎を残したまま妻に先立たれて、それを苦にして泣き濡れて目が見えなくなった姉娘お雪(鶴松)と妹娘を抱えて、筆を商うが赤貧洗うが如きの生活で、乳飲み子を抱えて貰い乳に歩く。
   剣道道場主萩原正作の妻おむら(福助)から乳を貰い、更に1円と子供の産着を貰って喜んで帰ってくるが、金貸し金兵衛(猿弥)がやって来て、謝金を返さなければ布団から台所道具を持って行くと凄んで、お雪が恵んでもらった1円と貰ったばかりの産着を取り上げて帰って行く。
   どうしても生きて行けないので、お雪に、武士らしく潔く自分たちを殺して切腹してくれと諭されて死を覚悟する。
   大小を売り払ってしまって、子供に残そうと唯一残った小刀を構えて、乳飲み子を殺そうとするが、頑是無くにっこり笑われて切っ先が鈍って、小刀を振りながらあやす姿が哀れである。
   二人の娘をしっかり抱きしめて死を覚悟して泣き伏すうちに、急に切れてしまって発狂し、娘を左右に蹴散らし、立てかけてあった箒を持って平知盛の亡霊になったつもりで仁王立ち、商売道具の筆を撒き散らして暴れまわる。
   末娘の知らせで駆けつけた長屋の連中が宥めすかすがダメで、お祭りだと言って幸太郎を抱えて外にかけ出して大川に身投げする。
   長屋の住人車夫三五郎(橋之助)に助けられて正気に戻り、お雪の親孝行に感じた地主から衣類と目薬と5円を与えられ、金貸しが貴族からの系図買取で捕まったと言う報告が入るなどハッピーエンドで、これも、水天宮のご利益のお陰と言うことで幕となる。

   勘三郎の筆幸は、武士は食わねど高楊枝、落ちぶれていても実に実直で折り目正しく実に感動的に演じていて、それに、娘二人も涙がこぼれるほど素直で健気、そして優しくて、あの頃の武士が、如何に高潔であったか、武士道が一本筋が通っていたことを感じさせて感激する。
   守屋とか言う何処かの、公僕の公たる由縁を忘れたおかしな役人がいる同じ国とは思えない。

   ひどい筆幸のあばら家の下手に金持ちの邸宅があり、子供の誕生祝に呼ばれた清元の浄瑠璃が聞えてくる。このあまりにも大きな生活水準の落差。
   人の道を踏み外さず一所懸命に生きてきたのに、世の盛衰と時流に乗れない不器用な生き様故に零落し、健気な子供たちが必死になって生きているのにその気持ちにさえ何一つ報いてやれない自分の甲斐性ない姿に、正に断腸の悲痛。
   勘三郎は、丁寧な言葉遣いでとつとつとその悲哀を語り続ける。実に上手い。

   勘三郎の至芸は、狂乱の場で絶好調に達する。オペラでは、女性主人公の狂乱の場が普通だが、目をぎょろりとむき出して方向が定まらず、正気と狂気が錯綜する勘三郎の狂乱ぶりは格別である。
   幸太郎の前を開いて小便をふりかけ、脚を持って逆さに振り回す、それを大家が追いかけて制止する。
   萩原妻おむらが来ると、子取りに来たのだろうと毒づく始末、とにかく、計算づくのハチャメチャの演技が勘三郎の芸の素晴らしさであろう。

   この「水天宮利生深川」は、昨年3月に、松本幸四郎の筆幸の素晴らしい舞台を観ており、このブログでも書いたので水天宮の話は端折るが、興味深いのは明治初期の江戸の世相で、あこぎな金貸しは、現在でも全く同じで、この舞台では抵当に入っている布団や台所道具の賃貸料まで利息に参入するなど、庶民の常識を超えた悪辣さとヤクザまがいの脅しが興味深い。
   それに、次元が違うが、近所の長屋の住人達のもたれあいながら愛情豊かに生きている姿が清々しくて感動的である。
   身投げ後の調査に来て尋問する巡査の獅童の、何処となく舞台を超越したような、時代離れした演技が実に新鮮で面白い。
   脇役達総てが達者だが、福助と橋之助の成駒屋兄弟の素晴らしいサポートがあって、勘三郎が輝いている。
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環境・社会・人間における「安心・安全」・・・四大学連合文化講演会

2007年12月04日 | 政治・経済・社会
   東京のトップ専門大学である一橋大学、東京工業大学、東京医科歯科大学及び東京外国大学の4大学が連合して「第2回 四大学連合文化講演会」を一橋記念講堂で行ない聴講する機会を得た。
   四大学の付置研究所から一人づつ看板教授が演壇に立って「環境・社会・人間における「安全・安心」を探る―安全で安心の出来る社会― ~学術研究の最前線をやさしく解説する~」をテーマにして、各40分づつ語ったのだが、非常に格調の高い興味深い講演で、久しぶりに学問の息吹を感じて幸せであった。

   四大学間で、単位を互いに交換するなど連携を強化して、教育の幅を広げる努力をしているようだが、総合大学と違った試みで、非常にこのような学際的かつ横断的なトップ大学間のコラボレーションは素晴らしいことである。
   私が京大生の頃は、精々法学部と経済学部間の授業乗り入れ程度であったが、アメリカの場合は学部と言う意識も希薄で学際教育が一般的で、もう30年以上も前だが、ウォートン・スクールの時には、ペンシルバニア大学の全教科の受講が可能でありビックリしたことがある。

   最初の講演は、サイエンティフィック・アメリカンの世界のベスト50研究者の11位にランクされたと言う東工大原亨和教授の「持続可能な社会のための資源・エネルギー生産」であった。
   化学工業に不可欠な触媒であるエネルギー消費の激しい硫酸の変わりに、極限までエネルギー負荷をかけない地球に優しい触媒プロトニック・ソリッドを創生し、これを使って、セルロースから、太陽エネルギーの変換による究極の液体クリーンエネルギーであるバイオフェーエルを作り出すという壮大な話であった。
   トウモロコシ生産者である義父から、食料からエタノールなどを作るのはけしからんと勘当されそうで金輪際トウモロコシは使えないので、食料とバッティングしないセルロースを使ってバイオフェーエルを作っているのだと観衆を笑わせていたが、とにかく、凄い業績である。
   更に、人類の文明・産業を維持するためには大面積をカバーできる光触媒、太陽電池が必要だが、カーボンから太陽電池を生み出すのにも成功したと言う。
   久しぶりに見た六角形のベンゼン核や化学記号、それに、全く聞いたこともない専門用語が混じる話なので、いくらやさしくと言っても固くなってしまった頭にはストレートに入ってこないが、可能な限り地球環境に与える負荷を低減して化学資源とエネルギーを生産することが必要不可欠だという原博士の情熱に感激して聴いていた。

   次は、一橋大渡辺努教授の「バーコードから見た物価安定社会」と言う講演だったが、この方は、私の専門でもあり、分かりが早い。
   最近、何故物価が上がらないのか、と言う説明で、物価改定頻度が上昇の傾向にあるが価格改定幅が小幅化していて、これがフィリップ曲線を平坦化しているとか、物価安定とは企業が価格の変更の必要性を感じない状況であり、最近の頻繁な価格改定による物価の安定は、真の「物価安定」ではなく経済厚生上望ましくないと言う考え方など面白いと思った。
   しかし、一橋大学物価研究センターは、数十億件の価格データを収集して、その変動の仕組みを解析する作業をしているのだと言うことだが、私の頭にある経済学からは遥かに遠い存在であり、細かいデータの説明に多少戸惑いを感じた。

   三番目は、東京医科歯科大小川佳宏教授の「脂肪組織とメタボリックシンドローム」で、これは、私にとっては他人事ではない深刻な問題なので、じっくりと聴講させてもらった。
   肥満が、メタボリックシンドロームの根源であるようだが、人類の歴史を一年とすると現在は、12月31日の23時56分51秒だと言うが、その大半は食糧危機の連続で、生きる為に備わった体内に栄養を保持する機能が、飽食の時代に逆に作用して問題を起こしている。肥満体質は、遺伝子異変と胎生期低栄養などの環境要因とによって起こるようで、小さく生んで大きく育てると言うのは嘘だと言う。
   肥満を避けるにはどうすれば良いかと聞かれるのだがと、「急速にダイエットすればリバウンドしてダメになるし、体脂肪を1月で2キロ減らす為には、14000Kcalなので一日に466Kcalの減で、ご飯で茶碗3杯分。気長にやるしか方法はない。」と聴衆を煙にまいていた。
   肥満防止に良いEPAを多く含んでいるのは魚だが、ヨーロッパで最近、豚に魚の遺伝子を組み込んだトランジェニック豚を開発したが、食べたら魚臭くなるかもしれないと嘘のような話を語っていたが、とにかく、世界中でメタボリックシンドロームとの戦いが熾烈を極めているようである。

   最後は、東京外大黒木英充教授の「『新たな戦争』の時代における人間の安全と安心~アジア・アフリカの視点から」。
   専門は、レバノン・シリアだと言うことで、9.11以降の『新しい戦争、すなわち、テロとの戦争』について、特に、アラブに焦点を絞って語った。
   アメリカのイスラエルよりのダブルスタンダードの対アラブ政策について語り、むしろ、アメリカの存在が、本来豊かであるべき筈のアラブ、中東の安全・安心を大きく阻害していると言う論点を前面に出していた。
   この考え方には、私自身、殆ど異存はなく、歴史的背景なども交えて可なり突っ込んだ論理構成であった。
   元々、アラビアもトルコもイスラムの国々は、異民族や異宗教の民族を自分たちの領域に取り込んでも支配するといった対し方ではなく、可なりの自由を認めた生活を許容してきており、キリスト教徒のユダヤ人迫害や異教徒への弾圧・迫害の方が、遥かに熾烈を極めていたのである。
   「受け入れ」「交わし」「分け合う」イスラム文化の特質が、今でも息づいていると言う。

   私としては、非常に感銘を受けた素晴らしい講演会であったと思っている。
   
      
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加速する地球温暖化・・・東大山本良一教授

2007年12月03日 | 地球温暖化・環境問題
   シンポジウム「地球温暖化とエコ・イノベーション」で、山本教授の講演「加速する地球温暖化――急がれるエコ・イノベーション」を聴講した。
   先日このブログ(11月11日)で取り上げた教授の近著「地球温暖化地獄」を、直接教授の口から地球環境を死守しようという激しい言葉として直に聴いたのだから、迫力が違う。
   地球環境の破局の前兆は随所に現われており、地球温暖化は既に地獄の一丁目まで来ているにも拘わらず、日本人は危機意識もなければ全くの能天気で立ち上がろうともしない。地球温暖化に対して宣戦布告をすべきで、天皇陛下の詔書が欲しい、とまで言う。

   30年前に、「地球は、環境を生命の生存に相応しい状態に維持するために惑星規模のスケールのコントロール能力を保持している」というガイア理論を打ち立てたジェイムス・ラブロック博士が、昨年一月には、「地球は地球温暖化の引き返すことの出来ない時点を過ぎてしまった」と言ったが、この予言を引用し、私たちはポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまったのかと問いかける。
   例え、今、温室効果ガスをゼロにしても、現在生み出されたカーボンは、何千年もの間、地球上を浮遊するのだと言う。北極海の海氷は、NASAの衛生写真で毎年トルコの面積ずつ氷解しており、もう既に元に戻らず、2030年には完全に消滅し、続いて、グリーンランドと南極大陸の氷床もチッピングポイントを越える時期が近付いており、これが氷解すると温暖化と海表面の上昇で臨海大都市の水没や地球環境の破壊は限りないと言う。
   今でさえ、海氷の氷解で餌に辿りつけずに、どんどん北極熊が死んでいるのに、もうすぐこの地球上から死滅してしまう。人口は幾何級数的に増えているのに、温暖化の為に、年間、何万種と言う動植物が死に絶えているのである。

   山本教授の一番嘆くのは、熱心な欧米と違って、日本の財界の地球温暖化に対する非協力的な態度で、温室効果ガス排出量の総量規制や排出権取引や環境税の創設など経団連が反対していて、各個別企業の自主規制に任されていると言うことである。
   聞くところによると豊田章一郎氏が経団連会長の時に反対したのが継続しているようだが、この状態を続けていると、京都議定書の6%削減目標実現も難しく、世界中の国から完全に遅れてしまって相手にされなくなると言う。

   とにかく、温室効果ガス排出など地球環境対策をイギリスのように法制化したり、多くのヨーロッパのように企業に厳しい排出権枠を与えて法的に規制するなど、少なくともヨーロッパ並みの排出権枠規制や排出権取引やカーボン税などの環境税設定など法態勢などの整備が必要であろう。
   日本企業の環境対応技術など最も進んでいると言った議論がなされているが、実際はそうではなく、省エネでは多少進んでいてもエコプロダクツやエコ・イノベーションなど多方面で、ヨーロッパなどから遥かに遅れているのだと言う。
   日本の経済は、まだ、GDPベースでは世界第二位だが、一人当たり国民所得はヨーロッパの中位位の水準で、国際競争力は先進国で最低水準に近く、色々な面で昔日の面影を喪失して普通の国になってしまっていることを認識しない為の幻想が結構多い。
   
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帰ってきたカワセミ

2007年12月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   庭のモミジの紅葉が鮮やかなので、カメラを持って近くの公園に出かけた。
   わが庭のモミジは、京都の永観堂で取った種を蒔いて育った山モミジだが、やはり、日照りが強くて水不足になるのか、木の先の方の葉は枯れたりしていてまともな形をした葉が少ないので写真には向かないが、真っ赤に燃え始める頃には公園のモミジも綺麗に色づくのである。
   京都の様に湿度が高くて、朝晩の寒暖の激しい所だと実に秋の紅葉が美しいが、千葉や東京ではあまり見事な紅葉を見ることが少ない。
   一寸早かった為に、斜光の紅葉を写せなかったが、夕方頃には曇ると言うことだったので諦めて帰った。

   公園への途中、久しぶりに、我が家で飼っていたシーズー犬を散歩させていた野道を歩き小川の土手道に出て、遠くのススキ風景を楽しみながら歩いていると、遠くの川面にコバルトブルーの斑点が見えた。
   直感でカワセミだと分かったので、少しづつ静かに近付いて行った。
   私の野鳥の写真は、待っていて撮るのではなくて、偶然鳥に出合った時に手持ちシャッターで撮るので良い写真は撮れないが、結構、これが楽しい。
   口絵の写真は、その時に撮った写真の一枚だが、岸の反対側から撮った写真は、露出を調整する暇がなくて、暗い川面をバックに写したので露出オーバーで失敗してしまった。
   とにかく、カワセミは、こんな里でも簡単に目に出来る唯一の美しい色彩の鳥で、嘴が大きくて長いが尻尾の短いアンバランスな形をした野鳥だが、非常に動きが敏捷で、瞬時に川面に飛び込んで魚を取る。

   他に、鴨が一羽岸辺に休んでいて近付くと水面に下りて泳ぎだした。
   普通、鴨は必ずつがいでいるのだが、この日はこの一羽だけで、それに、何時もなら何羽もいるのだが、他に一羽も他の鴨を見かけなかった。
   
   帰りに、水面を歩くコサギを一羽見かけた。
   何時もは、田んぼの中を歩いているのを見かけるのだが、この日は、川の中を歩きながら、小魚を器用に長い嘴で捕らえていた。
   臆病な鳥なのか、草むらに入り込んで隠れようとするのだが、真っ白な首や脚の長いスマートな鳥なので、隠れようとしても無駄である。
   この鳥には、テリトリーがあるのか、群れていることはなく、何時も、見かけるのは一羽だけである。

   他にも、雀くらいの大きさの褐色の鳥が草叢から飛び立ったが、何と言う野鳥なのか見分けがつかなかった。
   たまたま、土手道を歩いていたのは、私一人だったので、邪魔されずに野鳥を観察出来たが、人が居ると中々気楽には鳥に近づけない。
   バードウォッチングには、双眼鏡がつき物のようだが、私の場合には、カメラを持っていることが多いので、望遠レンズで代用している。
   夏には、川面で野鳥に出会うことは少ないのだが、寒くなると、色々な鳥がやってくるので、日照りの風がない日などの散策は、野鳥との出合があって楽しい。
   
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NHK美の壺展・・・高島屋日本橋店

2007年12月01日 | 展覧会・展示会
   谷啓の出演で放映されたという「NHK美の壺」を見に、高島屋に出かけた。
   美のツボを理解していないと芸術品としての日本の素晴らしい壺も、ただのものを入れる壺にすぎないと言うことなのだが、お宝ブームで結構人気が高いのか、多くの老壮年の客で賑わっていた。
   鑑賞のツボの解説に主眼を置いた展示会なので、10のテーマごとに2分間の凝縮されたビデオ説明があり、例えば古伊万里のコーナーでは、壱のツボ 初期伊万里は指跡のぬくもり、弐のツボ 青は枯淡を味わえ・・・と言った調子で、作品ごとに丁寧な説明がついていて実に親切である。

   私の場合は、学生時代に京都や奈良の古社寺を回りながら、日本の工芸品や古美術に興味を持って、あっちこっちを見て歩いたが、その当時は、多少解説書を読んでも、殆ど十分な知識なしに鑑賞していた。
   刀の目利きは、本物の名刀のみを見せて訓練すると言われているので、分からなくても、良いものを見ておればいつかは分かると高をくくっていたのである。
   その後外国に出てからは、特に、ヨーロッパの宮殿等で、日本からの立派な陶磁器や古美術品が宝物として飾られているのを見て、逆に、その値打ちを教えられた感じである。
   英国の大英博物館やニューヨークのメトロポリタン博物館など、あっちこっちでも、日本の絵画や古美術品などを随分見たが、マイセンの磁器など有田焼を必死になって真似たもので、ウエッジウッドなど伊万里のモチーフが今でも販売されている。
   
   私が住んでいたオランダのデルフト焼など、あのデルフト・ブルーの青色はやはりこの古伊万里の枯淡の青の継承であろう。
   マイセンは、苦心惨憺の末に磁器に到達したが、デルフトは、陶器のままで、上薬で磁器の輝きを見せているが、如何せん土なので脆くていくらか壊してしまったのが残念である。

   ガラス細工だが、江戸と薩摩の精巧で美しい切子が展示されていた。
   私が親しんでいたのは、やはり、ヨーロッパで、今手元にあるのは、ブダペストやプラハ、ウィーンなどで買ったボヘミアン・グラスの壺やトレー、ポット、花瓶などであるが、外国では無理をして買えても、ガラス器のみならず陶磁器でも、日本では、どうしても高くて手を出す気にはなれないのが不思議である。
   偏見かも知れないが、陶磁器は日本製の方が上等だと思っているが、ガラス器については、ヨーロッパの方が上だと言う感覚を持っていて、毎日のワイングラスは、ヨーロッパ製を使っている。

   ガラス芸術は、アールヌーヴォーのガレとドーム兄弟の素晴らしい作品が展示されていた。
   花や虫より素地が主役と言う説明で、ガレの「蜻蛉文脚付杯」が展示されていて、幾重にも重ねて焼かれた杯にトンボがあしらわれているのだが実に精巧で美しい。
   それより印象的だったのは、数匹の蜉蝣が封じ込められた杯で、光がつくるいくつもの顔と言う説明の如く、一日で命を終わる蜉蝣の姿を朝と夜に光を変えて浮かび上がらせていたが、これこそ芸術と言うものであろう。

   陶磁器は、日本の場合は、色形など千差万別で、盛る食材によって器を変えるのでバリエーションが凄いが、欧米の場合には、最初から最後まで同じデザイン同じパターンの食器を使ってサーブするのでバリエーションが限られておりパターン化されている。
   その所為もあって、洋食器は、非常に洗練されていて、極めて長い寿命を持っているものがあるのだが、その所為か選択肢が非常に少なくなる。
   イギリスに行くと日本人が必ず目指すウエッジウッドなど、スタンダード・ナンバー以外の選択は非常に難しいし、種類も少ないので、みんな同じものを買って帰ることになる。

   ところで、展示場の最初は、古伊万里だが、鍋島藩が朝鮮から職人を呼んで来て400年前に焼き始めたようだが、当初は素焼きをしなかったので非常に脆くて、焼く時に職人が用心して上薬をつけたので指跡が残っていて、それが希少価値だと言う。
   やや年代が下って精巧に造形された茶碗を見て、その素晴らしさに職人の腕の上達ぶりにビックリした。
   私が、ウィーンの直営店で買って帰ったアウガルテンのプリッツ・オイゲンの大皿など重ねると歪んでガタガタなのである。ハプスブルグ王室家の釜でありながら、この調子だから、なんと言っても、ものづくりは日本である。

   陶器は、魯山人の作品と魯山人が愛した磯部焼が展示されていたが、食器と料理の融合、マッチングと言う素晴らしい日本文化の伝統が息づいていて感銘を受けた。
   ワインと料理のマッチングについては欧米人はやかましいが、視覚の美を限りなく愛する日本人の美意識は格別で、今日本料理がグローバル化しているのは、ヘルシーだと言う以外に、その美の表現が大いに受けているのだと思う。

   ヨーロッパ人が好んで鑑賞していたのは、小さな根付だが、今回も精巧な作品が展示されていた。
   極意は小さく丸く、粋な遊びを楽しむと言う事のようだが、「なれ」と言って、人の手で撫ぜられて磨り減ってしまって、彫られた人間の顔など消えてのっぺりしていた根付があったが、ほのぼのとした温かさが実に良い。
   柘植と鼈甲の素晴らしい櫛がたくさん展示されていたが、裏表と背面に連続して描かれた絵の素晴らしさなど格別で、見る人の目を楽しませる為とか、どうせ、素晴らしい美人が挿す櫛だろうから、櫛を見る振りをして麗人を鑑賞させてもらうのも良かろうと思う。

   掛け軸入門 表具、藍染め、江戸の文様、友禅、唐津焼、等々、日本芸術の粋を楽しみながら秋の午後を過ごした。
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