不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」Ⅰ

2011年12月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   シュンペーターが生きていれば狂喜するような判で押したようなイノベーターであった「スティーブ・ジョブズ」が逝ってしまった。
   このスティーブ・ジョブ公認の自叙伝とも言うべきこのアイザックソンの本の中でも、「自分は長生きしないだろうと予言して、やりたいことを急いでやらなければならないので、せっかちで先を急ぐのだ」と言っていたと記しているが、あまりにも、早いあっけない最後であった。

   まず、翻訳本1冊目しか読んでいないので、レビューをするのは早いと思うのだが、アップルを追われて立ち上げた「NeXT」の失敗や、「ピクサー」での「トイ・ストーリー」の成功の所まで終わっていることもあり、新鮮な所で、印象に残ったことだけでもメモ風に記しておきたいと思う。
   以前に、ヤングとサイモンの「スティーブ・ジョブズ ICON:Steze Jobs」を読んでいるので、2005年くらいまでのスティーブ・ジョブズの業績や仕事などについては、しっかりとフォローしているのだが、この本には、ジョブズの恋の物語や里子に出された生い立ちや肉親との私生活など個人的な逸話などもかなり詳しく書かれていて、非常に面白くなっている。

   まず、アップルを生み出した相棒のスティーブ・ウォズニャック共々、音楽に対する強い情熱を持っていて、特に、ボブ・ディランについては海賊版テープも含めてすべて収集して、TEACの高級テープデッキで楽しんでいたと言うことだが、正に、iPod、iTuneへの伏線であろうか。
   二人の協力体制で、タダで電話を掛けられるブルー・ボックスを作って、ヘンリー・キッシンジャーを騙ってローマ法王に電話をするなど悪戯をしながら、作って売れば良いと言うビジネスに開眼したこと。最初からそうだが、アップルⅠを皆にタダであげるつもりだったと言う商売気の全くないウォズが、凄いものを設計して作り出し、ジョブズが、それでお金を儲ける方法を見つけ出すと言う二人三脚が功を奏することになる。

   菜食主義に禅宗、瞑想にスピリチュアリティ、LSDにロックと言ったサブカルチュアの中で、奔放に青春を生きて来たジョブズの東洋思想への傾斜は、尋常ではなかった。
   自分自身の探求のために師を訪ねてインドを放浪し、東洋思想やヒンズー教、禅宗など悟りを求めて呻吟していた19歳ころから、ずっと、ジョブスは、般若、心を研ぎ澄ますことによって体得する最高の知恵や認識など、東洋の宗教の教え精神を求め続けた。
   毎日、朝晩瞑想し、禅を学び、途中で、時々、スタンフォード大学へ、物理や工学の授業を聴講しに出かけていたと言うのだが、人間が努力して習得した西洋の合理的思考とは違った、人間本来に備わる東洋の直観の力、体験に基づく知恵の力を信じていたと言う。
   瞑想すれば、直観が花開き、物事がクリアに見え、現状が把握でき、ゆったりとした心で、隅々まで知覚出来、今まで見えなかったことが沢山見えるようになる、これこそ修行であり、そのためには修業が必要だと言うのである。
   曹洞宗の僧侶知野弘文師が、ジョブズに禅宗を教えたのだが、1991年3月18日に、木魚をたたき、銅鑼を鳴らして、香をたいてお経をあげて結婚式を取り仕切った。

   デザインに対して偏執狂とも思しき程拘ったジョブズは、デザイン感覚を磨く過程で、和のスタイルに引かれて、ミヤケ・イッセイなど有名な和風デザイナーとの付き合いを深めて行くのだが、特に、日本の禅宗は素晴らしく美的で、京都に沢山ある庭など、その文化が醸し出すものに深く心を動かされると言う。
   そして、頂点を極めた筈のジョブズは、仏教を通じて、モノを持つと人生は豊かにならず、逆に乱してしまうことが多いと学んだので、ビル・ゲイツが、ここで、家族全員が住んでいるのかとびっくりしたほど質素な家に住んでいて、セクリティもなかったと言うのだから、驚異と言う外はない。

   ところで、非常に興味深いのは、この本で、アイザックソンは、ジョブズとビル・ゲイツとの関わりや違いなどについて、ビビッドに描いていることである。
   性格や生い立ちの違いは、好対照だが、ITの世界では、
   ジョブズは、完璧主義者で総てをコントロールしたいと強く望み、アーティストのように一徹な気性で突き進み、アップルは、ハードウェアとソフトウエアのコンテンツを、シームレスなパッケージにしっかりとした統合するタイプの戦略を取ったが、
   ビル・ゲイツは、頭が良くて計算高く、ビジネスと技術について現実的な分析を行い、様々なメーカーに対して、マイクロソフトとのオペレーティングシステムやソフトのライセンスを供与した。
   ゲイツは、不本意ながらも、「技術は分からないのに何が上手く行くかについては驚くほど鼻が利く」とジョブズに敬意を払っていたが、ジョブズは、「基本的に想像力が乏しく、何も発明したことがない。いつも、他の人のアイデアをずうずうしく横取りしてばかり」とゲイツの強さを正当に評価しようとしなかったと言う。

   その後、ジョブズは、マイクロソフトについて、「美的感覚がない。オリジナルなアイデアは生み出さないし、製品に文化の香りがない。悲しいのは、彼らが三流の製品ばかりを作ることだ。」と言っている。
   アップルの方が革新的で創造的で、実装はエレガント、デザインは素晴らしかったが、不完全なコピーを作ったマイクロソフトが、最終的に、オペレーティングシステムの戦いを制してしまったのだから、ジョブズが、喚くのも無理からぬことであろうと言うのである。
   やはり、問題は、ジョブズの場合、ハードとソフトもエンドツーエンドで総てを統合すべきと考えて、他との互換性を一切認めなかったことに問題があり、ゲイツの方が、互換性のあるマシンを多くの会社が作り、どのハードも、標準的なオペレーティングシステム(ウインドウズ)が走り、同じアプリケーション(ワードやエクセル)が使える世界を構築する方が利益になると考えたことが、世界標準を抑えたと言うことであろう。

   他の追随を許さない断トツの破壊的イノベーションによる新製品やサービスの誕生で、市場を完全支配出来るのならいざ知らず、デジタル革命で、製造業のモジュラー化がますます進展して行き、テクノロジーの複雑さと総合化が益々進行して行くことを考えれば、世界は、正に、オープン化が進むのであって、囲い込みの独占戦略が時代遅れになるのは、必然ではなかろうかと思っている。

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場:十二月文楽・・・奥州安達原

2011年12月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   平安時代も末期、まだ、源氏が勢力を持っていた頃の話で、源頼義・義家父子が、奥州で勢力を誇っていた安倍頼時等一族を討伐するのだが、その子供たち兄弟が、義家を討とうとするストーリーが主題の浄瑠璃が、今回の「奥州安達原」である。
   やはり、今回の出色は、仇討の時代物と言うメインテーマからは離れるが、「環の宮明御殿の段」の悲痛な袖萩(勘十郎)とその娘お君(玉誉)の物語であり、哀切を極めた千歳大夫の語りと富助の三味線の音に乗って、勘十郎の遣う袖萩の慟哭しながら謡う懺悔の歌祭文の哀れさ悲しさが、聴衆の胸に迫る。

   今回は、その前に、「外が浜の段」と「善知鳥文治住家の段」があって、南兵衛(玉也)と偽って仮の姿の弟・安倍宗任が、義家にまみえるべく、罪人となって都へ引かれて行く経緯までが語られている。
   一方、兄の安倍貞任(玉女)の方は、桂中納言則氏に身を変えて、袖萩の父・平丈直方(玉輝)を見まいに来る。実は、この人物が、袖萩の実の夫なのだが、袖萩は、そうとは知らずに駆け落ちして子をなしたものの、出奔して行方知らずとなったので、今は盲目のにおちぶれて、歌祭文を謡いながら門付けして糊口をしのいでいる。
   預かっていた宮の弟・環の宮が、安倍兄弟の陰謀で誘拐されて、期限内に探し出せなくなったので、丈が切腹せざるを得なくなったのだが、父の身を案じた袖萩が、勘当のため人目を忍びながら、お君に手を引かれて御殿に来るのだが、突っぱねる両親と必死に縋り付こうとする母娘の悲しくも哀切極まりない対面が、簡素な枝折戸があたかも鉄のカーテンのように隔てて展開される。
   氏素性の分からぬ浪人と駆け落ちしたことを責められて袖萩は、安倍貞任と夫の名を明かしたのだが、敵であるから、尚更許せない丈。娘の変わり果てた姿と寄り添う幼い孫娘の哀れな姿を見て、激しい嗚咽を忍び知らぬふりをしながらおろおろする母・浜夕(勘彌)。
   門付けとして歌を謡えと言われて、袖萩は、お君が手渡した三味線を弾きながら、歌祭文に託して、親不孝を詫び、子を持って初めて知った親心の有難さを切々とかきくどくのだが、寄り添ってじっと聞き入るお君のいじらしさが堪らなく切ない。
   何の望みもないけれど、一言言葉をかけてくださいと、枝折戸に縋り付いて祖父母に訴えるお君の哀れさ健気さ。
冷たく突き放された袖萩が、持病の癪が起こり倒れ伏すと、お君は、雪を口に含んで溶かせて母に含ませ、自分の着物を脱いで母に着せて背をさするのだが、娘が裸同然で居るのに気付いた袖萩は、しっかりと抱きしめて泣き伏す、それを見て堪らなくなった浜夕は、せめてもと、垣根越しに打掛を投げ与える。
   武士道武士道と言う、何の値打ちがあるのかは知らないが、封建社会ゆえの悲しい性である。

   この袖萩を遣う勘十郎の素晴らしい芸は、正に、感動の極致である。
   以前、主役級とは言え、立役を遣う機会が多かった勘十郎が、折角、心血を注いで簔助から教えを受けた女形をやりたいと言っていたのだが、今回の舞台で本懐を遂げたであろうと思う。
   このような、人間の究極の辛さ悲しさ、悲痛な心情を表現するためには、生身の役者よりも、人形の方がはるかに適していて、命のない木偶が、正に、運命の悲哀を、慟哭しながら抉り出しているのである。
   簔助の芸を継承していて、勘十郎の遣う人形は、どんな境遇にあっても、実に優しく優雅で、それに、品格を保ちながら、時には、激しくのたうち、時には、激しく舞うのだが、今回の袖萩の全身から醸し出す運命の理不尽さ悲しさの表現が、正に、感動的であった。



   

   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(20) 真面目な国になる

2011年12月05日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   この章のタイトルは、「BECOMING A "SERIOUS COUNTRY"」。
   SERIOUSをどう約すか難しい問題だが、発端は、1960年代初期に、フランスとの漁業交渉で、ド・ゴール大統領が、ブラジルは、SERIOUS COUNTRYではないと言ったことに始まると言う。
   ところで、この問題の答えになるかは別にして、ローターは、2009年10月2日に、リオが、2016年のオリンピック開催地に決定した時のルーラ大統領の言葉を、引用して、ブラジルが世界に認知されたと捉えている。
   ルーラ大統領が、喜びの演説で、”Today is the day that Brazil gained its international citizenship."と宣言したのである。

   ブラジル人が、世界中に、唯一認知されたいと願っていたのは、ブラジルが、great powerだと言うことだったと言う。
   名実ともに経済的にも巨大な国であり、天然資源にも恵まれた広大な国土と2億人に達する人口を擁する国であるが、国際舞台では、一等国としては、認めれれておらず、また、ブラジル人自身も、劣等感(a feeling of inferiority)が強くて、自分たち自身にも自信がなかったのである。
   ところが、オリンピックに選ばれ、今や、BRIC’sの大国として21世紀にもっとも期待される新興国の代表として脚光を浴びたのであるから、一挙に、ブラジル人の鼻息が荒くなって、多少、自信過剰状態になってしまったと言うのだから興味深い

   この章では、ローターは、当然のこととして、ブラジルの外交や軍事などを含めて対外関係や国際関係に焦点を当てて論じている。
   まず、ブラジルは、自国自身が、ラテンアメリカでのリーダーだと思っているので、他の大陸の大国ばかりを意識して比較をしており、近隣の中南米諸国に対しては、軽視気味だと言う。
   面白いのは、元宗主国のポルトガルには、殆ど関心がなく、イタリアやドイツなどからの移民が多いにも拘らず、非常にフランスびいきらしい。
   日本、中国、インドなどアジアに対しては、経済成長の見本として、高く評価しているのだが、逆に、アフリカに対しては、非常に評価が低い。

   興味深いのは、アメリカに対するブラジル人の錯綜した複雑な気持ちである。
   「アメリカに出来ることが、ブラジルに出来ない筈がない」と言う気持ちを持ちながら、現実のアメリカとの格差の大きさを考えれば、何故、ブラジルは、同じ新興国であった筈なのに、こんなに遅れてしまっているのかと言う気持ちを持たざるを得ないと言うことである。
   
   歴史はゼロサム・ゲームであるので、アメリカは、ブラジルを犠牲にして、今日の繁栄を勝ち取ったとのだと言う。
   この考え方は、ブラジルの左翼系の人に多いと言うことで、ブラジルが、当然、達成すべきだった筈の偉大さを、アメリカは、初期の段階で、奪ってしまったのだと言うことで、名のある学者が、外交官養成機関で講義していると言うのだから驚く。

   面白いのは、飛行機の生みの親は、ライト兄弟ではなく、ブラジル人のサントス=デュモンだと主張して譲らないと言う話である。
   ライト兄弟の飛行は1903年で、デュモンは1906年だが、ライト兄弟は、金儲けのために一切を秘密にしたが、デュモンは、図面をはじめ飛行機に関する発明の一切合財を公に公開したということだが、ライト兄弟はアメリカ、デュモンはヨーロッパと言うこともあるが、面白い。
   また、前にも触れたが、アメリカが、アマゾンを、支配下に置こうとしていると言うブラジル人には強烈な疑念があると言う。

   ブラジルが、アメリカとの関係が良かったのは、クリントンとカルドーゾ時代で、最悪だったのは、カーターと軍事政権時代とブッシュとカルドーゾ時代だったと言う。
   ブラジルのルーラ政権以降とオバマ政権とは、良好のようだが、イランやベネズエラなどに対するブラジルの独自外交では利害の対立がありギクシャクしているケースもかなり出ているとも言えよう。
   2009年にマフムード・アフマディーネジャード大統領を招き、2010年にルーラ大統領自身イランを訪問し、イランの核開発をバックアップしている。
   この核開発に対しては、ブラジルもソ連崩壊後、ロシアから核科学者を招聘して、密かに海軍などを中心に進めていて、核保有国の手前勝手な核保有について反発しており、IAEAに参加しているが、核拡散防止条約の趣旨にも納得はしていないと言う。
   核兵器を保有する意思はなさそうだが、他のBRIC’s諸国が核を保有しており、ナショナリストたちは、大国の資格要件として核保有は当然だとと考えているようである。
   ブラジルのロケット開発に対して、アメリカが、悉く、妨害し続けていることなどにも、ブラジルのフラストレーションが高まっていると言う。

   軍事については、特に、仮想敵国がある訳ではなく、ラ米での軍事的脅威が存在する訳でもないので、現在、375,000人の軍人が存在するが、目的は、国境警備、国内治安の維持、国内政治への干渉などである。
   現に、隣国との紛争と言えば、ボリビアのモラレス大統領によるペトロブラス国有化や、パラグアイとのイタイプ発電プロジェクトの価格紛争くらいである。
   しかし、その拡大整備は、大国としての権威として必要だと考えており、特に、最近開発された原油資源や、外国からの干渉が激しくなってきているアマゾンを守るために、その必要を感じ始めていると言う。
   興味深いのは、資金と経験確保のために、国連のPKMに積極的に参加して、平和維持に貢献していることである。

   もう一つのブラジルの悲願は、国連安全保障理事会の常任理事国への参加である。
   あらゆる機会を利用して、その推進を進めているようだが、まず、メキシコ、そして、アルゼンチンが反発するであろうし、中国も賛成しないであろうと言う。
   ブラジルのラ米での立ち位置だが、比較的仲の良いチャベスのベネズエラとの問題でギクシャクしているのも、チャベスが提唱している南大西洋条約機構SATOでの主導権争いにあるようである。
   したがって、ラ米において、ブラジル自身が、名実ともに、リーダー大国として認知されるかどうかと言うことが、ブラジルとしての重要な外交案件でもある。

   いずれにしろ、表立って紛争を興すことを嫌い、どことでも仲良くしたいと言う八方美人的な国民性の強いブラジルが、如何に、真面目な成熟した大国として、世界中から認められるのかと言うことが、ブラジル、ひいては、世界の為にも重要だと言うことであろうか。
   
   

   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭の歳時記・・・獅子頭モミジ一気に紅葉

2011年12月04日 | わが庭の歳時記
   この口絵写真の「獅子頭」は、小さなちじれた葉がびっしり密集したモミジで、常時、濃い緑の葉なのだが、ここ2~3日寒い日が続いたので、一気に、鮮やかに紅葉した。
   久しぶりの綺麗な夕日に照らされて、逆光に透かした葉の鮮やかさは格別である。
   まだ、鉢植えの1メートルくらいの小さな株なのだが、中々、風格があって良い。

   もう殆ど散ってしまったのだが、ほっそりと長く伸びた葉が優雅な「万葉の里」の葉が、何枚か枝の先に残っていて、身をくねらせたような姿が面白い。
   ぎざぎざの細い葉がスッキリと伸びた「紅枝垂れ」も、僅かに枝先に葉が残っているのだが、案外、それを見ているだけでも、カメラを向ければ絵になる。

   やはり、全体を見て楽しむためには、オーソドックスなヤマモミジやイロハモミジの方が良い。
   私の庭には、昔、永観堂の庭のモミジの種を頂いて育てた3本のモミジが植わっていて、大分大きくなって、毎年、鮮やかな紅葉を見せてくれる。
   日照の関係で、葉が枯れたりちじれなければ、綺麗な紅葉になるのだが、京都のモミジのように、殆どの葉が無傷で綺麗なままと言うのは少ない。
   しかし、今年は、近所のモミジも美しい紅葉になっているので、天気に恵まれたのかも知れない。

   毎年、出かけて楽しんでいる近くの公園に出かけたのだが、残念ながら、最盛期を過ぎていて、半分葉が散ってしまっていた。
   斜面に植えられたモミジの大木が垂れ下がってトンネルのように小道を覆っていて、その奥にある、大きなドウダンつつじが、真っ赤に色づいていて、夕日を浴びて輝いていると非常に美しいのである。
   残念ながら、トンネルの方のモミジが貧弱で、その上に、ドウダンつつじの上の方に、無粋な家が建ってしまって、写真にも、絵にもならなくなってしまった。

   帰りに、鬱蒼とした竹藪に囲まれた田んぼの傍に、1本の鮮やかに色づいた最盛期のイロハモミジの木が残っていて、他を圧している光景に出くわした。
   やはり、湿気の多いところのモミジは、乾燥に晒されない所為か、葉の枯れが少なくて、綺麗な元の姿のままの葉を保っていて、それが、少しずつ色づいて行くグラデュエーションが美しいのである。
   
   ブルーベリーの葉も、鮮やかに紅葉を始めた。
   1円玉くらいの楕円形の小さな葉が、真っ赤に染まって遠くから見ると中々風情があって良く、逆光に照らすと真っ赤に透き通って美しい。
   隣の空き地のススキの葉っぱが黄色に色づいていて、ススキの穂は真っ白の綿帽子のように膨れて風になびいており、そのコントラストが、正に晩秋の雰囲気である。

   百舌鳥やジョウビタキが、私の庭に来ている。
   スズメやヒヨドリは何処へ行ったのであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京文化会館小ホールのクラシック巨匠写真

2011年12月02日 | クラシック音楽・オペラ
   先日、東京文化会館小ホールのロビーの窓際の壁面が完全にガラス窓だけのオープンになり、9人のクラシック演奏家のパネルで装飾されていた。
   外の明かりや夜景がそのまま見ていて感じが良く、9枚のモノクロのパネルがしっくりと落ち着いた雰囲気で、空間にマッチしていて、以前のように、カーテンがびっしりと下りていた状態よりも良くなった。
   2011(平成23)年11月2日(水)~22日(火)の間、小ホールホワイエの壁面を飾っていた「木之下晃写真展「20世紀のマエストロ100人」」の写真を使ったパネルなのであろうと思うが、残念ながら、100人展は、文化会館に出かけた時は、夜の演奏会であったために、大ホールの入り口から遠望しただけなので分からない。

   モノクロ写真のパネルなので、非常に古い音楽家の写真なので、私のような熟年には非常に馴染みのある懐かしい巨匠たちの写真であるが、今の若い人たちにとっては、歴史上のCDやDVDだけの世界であろうと思う。
   入口から列記すると、小澤、クライバー、バーンスタイン、カラヤン、マゼール、ベーム、ブレンデル、ムラビンスキー、カラス。
   歌手のカラスと、ピアニストのブレンデルを除けば、すべて、指揮者なのだが、どんな基準で選ばれたのか気になるところだが、以前に、大ホールの入口ロビーの壁面に掛けてあったパネルも大半指揮者であったような気がする。

   私は、クライバー以外は、すべて、演奏会で聴いた巨匠たちだが、最近聴いたことのある人は、小澤征爾とロリン・マゼールだけで、ブレンデルは引退とかで、他の人は鬼籍に入っているので、殆どは、何十年前の経験である。
   一度だけしか聞いていないのは、フィラデルフィアでのムラビンスキー(レニングラード・フィル)とマリア・カラス(ジュゼッペ・ステファノとのJR)、そして、METでのベーム(ばらの騎士)であるが、夫々、私には強烈な印象が残っている。
   前2者については、このブログでも書いているので省略するが、ベームについては、カラヤン以上にファンであったので、レコードは随分買って聞き続けて居り、聞きたい聞きたいと思い続けていて、偶々、ニューヨークへの出張の途路に、幸いにも、グランド・テェア正面の一番前の席が取れたのである。
   誰が歌ったのか、アーカイブを調べれば分かる筈だが、ゾクゾクしながら華麗な舞台を楽しんだ思い出がある。

   カラヤンは、大阪フェスティバル・ホールでのベートーヴェン・チクルスで、運命と田園、それに、第九であったが、運命の途中で、バトンが折れて吹っ飛び、その後、カラヤンは、それ以後常態となった、指揮棒なしの華麗な演奏を続けた。
   バーンスタインは、万博の時大阪で、その後、ニューヨークのアヴェリ―フィッシャー・ホールや、アムステルダムのコンセルトヘボー、そして、ロンドンで何回か聴く機会があり、かなり回数は多いのだが、最後は、既に最晩年のロンドンでロンドン響を振った自作「キャンディード」のコンサート形式のオペラであった。
   強烈に印象が残っているのは、コンセルトヘヴォ―を振った「未完成」の途轍もなく美しい天国からの音楽のような音色である。

   少し前に、ロンドンの音楽専門誌が、ロイヤル・コンセルトヘヴォーが、世界一のオーケストラだと評したことがあるのだが、私が、シーズンメンバー・チケットを持って通ったのは、たったの3年間だけだが、本当に、素晴らしいオーケストラだと思っている。
   あのコンサートホールが、ウィーンのムジーク・フェラインザールと共に最も素晴らしいコンサート・ホールだと言われているが、私は、それだけではないと思っている。
   その時の指揮者は、ベルナルド・ハイティンクだったが、その後、ロンドンのロイヤル・オペラの音楽監督となって移ったので、私の5年間のロンドン生活も、ハイティンクのワーグナーなどのオペラやコンサートを追っかけて来た感じなので、一番沢山聴いた指揮者の一人だろうと思う。
   ゲオルグ・ショルティと共に、最も、印象深い指揮者だと思っている。

   もう一人のブレンデルであるが、コンセルトヘヴォーでのシューマン・チクルスは全部聞いたし、後は、何度かロンドンでリサイタルに出かけたが、リヒテルやミケランジェリ、ポリーニ、アルゲリッチと言った個性的なピアニストとは違って、非常にオーソドックスと言うか真面目な感じで、その端正さが好きであった。
   
   小澤征爾については、言うまでもないことだが、一番印象深い最高の指揮者だと思っているので、書けば書くほど蛇足となるので止めるが、一番最初は、ボストンの正指揮者となったすぐ後のフィラデルフィアでのボストン響とのブラームスである。
   オペラから、サイトーキネン、新日本フィル、随分聴かせて頂いている。

   指揮者は別として、奏者では、私は、オイストラッフ、リヒテル、ロストロポーヴィッチが最も素晴らしいと思っているのであるが、文化会館でのコンサートがなかった筈がないと思うのだが、写真がなかったのであろうか。
   どんな基準で、写真パネルを選んだのか、気にしながら、文化会館小ホールでの小休止を楽しんでいた。

(追記)口絵写真は、カラスの本のカバー写真で、記事の写真パネルとは無関係。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする